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第189話

とりあえずざっと家全体の掃除が終わった頃、ジャックはエレネが迎えに来たのをしおに帰っていった。その後ろ姿を見送りながら、ジュセルはなんとなく、ほう、とため息をついた。 その横に立っていたケイレンが、ぐっと方を抱き寄せる。 「ジュセル」 「ん~?」 「‥やっと、二人きりになれたな」 ぼそりとそう呟くケイレンの顔を見上げる。 最初は本当に二人きりだった。 だが、ケイレンを手に入れようとするハリスによってジュセルの命が狙われることになり、警護として最初にアニスがやってきた。二人っきりで過ごしたのは、正味二日もなかったかもしれない。 その後は、どんどん人が増えて、たくさんの人がいることが当たり前になっていって。 でも、そんな中でも二人で深く繋がることができた。 周囲の人々に冷やかされるのは相当に気恥ずかしかったが、却ってそれが、二人の深い結びつきを証明してくれているようで嬉しい気持ちもどこかにあった。 今、この街はずれの家には、ジュセルとケイレンしかいない。 この後、ヒトが増えることもないだろう。 ジュセルは、「‥ん」と短く応えてケイレンの肩に頭をこつんと載せた。 寂しくない、と言えば嘘になる。 だが、二人だけの時間を、これからは何の心配もなく過ごせるのだと思えば、それはそれで嬉しかった。無論、遠く離れた地にいる家族のことも気がかりではあったが、あれだけカズリエがしっかりと請け負ってくれたことだからとジュセルは安心していた。 この、見知らぬ土地で、ケイレンと二人暮らして行かねばならない。 「‥ケイレン」 「ん?」 「ありがとうな‥俺のために、こんな遠いところまでついてきてくれて」 そう言ったジュセルに、ケイレンはくるりと身体の向きを変えて、正面からジュセルの顔を覗き込むようにした。 「違うよジュセル」 そう言いながらケイレンの大きな手がジュセルの頬を滑る。愛おしそうにすりすりと撫でられて、気恥ずかしくはなるが嬉しかった。思わず自分からもその手に頬を寄せる。 それを感じ取ったケイレンは、少しかがんでジュセルの唇に自分のそれを重ねた。唇を何度もついばむような、優しい口づけを繰り返す。ジュセルもケイレンの背中に手を回し、二人は夢中になってお互いの唇を貪り合った。 山岳地帯からの、冷たい風が吹き抜けていく。 その身を切るような冷たさに、ジュセルは身を震わせた。それに気づいたケイレンが、ようやく唇を離してジュセルの両頬に手を当てると、その蒼い瞳を覗き込んだ。 「違うよ、ジュセル。俺がついてきたくてここに来たんだ。ついてくることをジュセルに許されて、凄く嬉しかった‥ジュセル」 「な、何‥?」 ごく、真剣な眼差しで自分を見つめてくるケイレンに、何となく腰が引けそうになりながらジュセルは応えた。 「俺の伴侶になってくれ。一生、ジュセルと共に生きていきたい」 そう言い終わるとケイレンはジュセルの額に自分の額をぶつけ、目を瞑った。ジュセルの返事を聞くのが怖いとでも言いたげなその様子に、なんだかおかしくなってくる。 そう言えば初めて会った時から、そう言われていたんだっけ。 これまで、何度だって無理にでもジュセルの心の中に入り込もうとしていたくせに、こんな場面では怖がっちゃうのかよ。 「俺からも‥頼むよ。ケイレンに、伴侶になってほしいと思ってる。よろしくな、ケイレン」 ジュセルがそう言うや否や、ケイレンはジュセルの身体をぐんっと抱き上げてぐるぐると回り始めた。目線が高くなるし振り回されるしでなかなかに怖い。 「ジュセル、ジュセル嬉しいありがとう絶対幸せにするから!ああああああ信じられねえジュセルが俺のものになった!完全に俺のものだ!!」 「ちょっ、ケイレンっ、こわ、怖いって!おろせ、おろせってばあ!話を聞け!」 「ううううう嬉しいいいいい!ジュセル、ジュセル~~!」 「だから話を聞けっつってんだろ!!」 ジュセルから渾身の頭突きをかまされてようやく、ケイレンはジュセルを地面へと返してくれた。 「ジュセル!生乳持ってきたけど、どこに置くかい?」 「あ~こっち、食糧庫に入れといてくれる?今手が離せないからさ!」 厨房からのジュセルの声を聞いて、カンジは生乳の入った缶を食糧庫に入れた。この家の食糧庫にはふんだんに用石が使われていて、ものを冷やして置くことができるようになっている。いつもの場所に缶を置くと、そのままカンジは厨房の方を向いた。 厨房では、ジュセルがいつものように焼き菓子を作っていた。一年ほど前にカンジの家の隣(というには結構な距離があるが)に引っ越してきたこのジュセルとケイレンとは、よい付き合いができている、とカンジは考えている。 カンジはジュセルの家から少し離れたところで、ヤルゥを飼って生活している。ヤルゥの生乳を分けてほしい、と初めて頼みに来られたときに、ジュセルが持ってきた焼き菓子を食べてカンジは驚いた。こんなに美味い菓子を食べたことがなかった。 まだ若いように見えるのに、このジュセルというキリキシャが作る菓子は何を食べてもうまかった。菓子を作るのに生乳からできる乳酪(バター)が欲しいから、と言うので、その時から定期的にジュセルの家に生乳を納めているのだ。 カンジは、乾酪(チーズ)を作ることはあっても乳酪(バター)を作ることはなかったから、ジュセルの作ったものを食べて驚いたものだった。 ジュセルは、この街はずれの家で薬草茶を作ったり菓子を作ったりして細々と売っているようだ。四級請負人(カッスル)だということだったが、今まで請負人(カッスル)という職業のヒトを見たことがなかったカンジには、今一つよくわからなかった。 が、うまい菓子を作ってくれるヒト、でカンジには充分だった。 しかも生乳の代価の支払いが滞ったことがない。これは何より重要だった。 ヤルゥを飼うことに向いている土地柄からもわかるように、この周辺は人里から外れている。だというのにどこから聞いてくるものか、ジュセルのところには多くはないが途切れなく客が訪れていた。 また、ジュセルの伴侶(本人たちはまだ伴侶誓言式を挙げてないから伴侶ではない、と言っていたがカンジは面倒なので伴侶と言っている)である、ケイレンと言うマリキシャは無所属の退異師らしく、たまに何日か家を留守にすることがある。おそろしい美形のマリキシャで、初めてケイレンの顔を見たときにはカンジも伴侶のマキシマも、ぽかんと口を開けたものだった。 そのケイレンは、必ず家を空けるときにカンジたちのところまでやってきて「ジュセルのことをよろしく頼みます」とお願いしてくる。その際にはケイレンが仕留めた野獣の干し肉なんかを差し入れてくれるので、マキシマはいつも上機嫌で請け合っていた。 厨房にいるジュセルの手元を見ようと覗き込んだカンジに、ジュセルがパッと振りむいた。 「ちょうど乳酪(バター)作ってるところだったんだ。あ~疲れた‥何かこれを作れる機工道具とかないかな‥」 「聞いたこたあねえなあ。‥なあ、俺もそれ、やってみたんだがジュセルほどにうまく作れなかったんだ。なんかコツでもあんのか?」 蓋をした大きな瓶に、乳酪(バター)となった欠片が入っているのを見てカンジは尋ねた。ジュセルの食べさせてもらった乳酪(バター)が美味しくて家でも作れないかとやってみたのだったが、どうもうまくいかない。 ジュセルは、容器から塊になった乳酪(バター)を取り出しながら首を傾げた。 「う~ん‥少なくとも五分以上攪拌し続ければできるはずだけどなあ‥少し生乳を室温に置いて、分離し始めた頃に攪拌すればいいかも‥あ、あと温まらせちゃだめだよ?」 「お、おう」 ずっと攪拌していると腕が痛くなってやめてしまっていたのを思い出しながら、カンジは曖昧に応えた。ジュセルは出来上がった乳酪(バター)酸乳(バターミルク)を、それぞれ別の容器にしまって手を洗った。 「はい、今月分の代金。いつもありがとう。‥‥あのさ、先月の終わりに納入してくれた生乳、‥いつもより美味しかった気がするんだけど‥何かあった?」 鋭いジュセルの指摘に、カンジは目を丸くした。今までそれに気づかれたことはなかったのだ。 「‥すげえなあジュセル‥ああ、先月末は天候がよかったからヤルゥたちを高地まで連れて行ってそこの草を食わせたんだ。ヤルゥたちは高地に生えている草を食わせるといい乳を出すんだよ。なかなか連れて行ってやれねえけどな」 「そうなんだ‥知らないことっていっぱいあるなあ‥」 ぼんやりと宙を眺めながら考え事をしているらしきジュセルに、カンジはそわそわと身体を動かした。 「ジュセル、あの、」 そのカンジの様子に気づいたジュセルが、ああ、と言って包みを取り出した。 「ごめんごめん、これでいいかな?」 「おお!ありがとうな、助かる!そのかわり、ヤルゥの長毛を持ってきたから受け取ってくれ!」 頼まれていた菓子の包みを手渡すと、入り口の扉のところに引き返したカンジから大きな袋を受け取った。(ちょうもうって何‥?)と思ったジュセルだったが、カンジはそのまま袋を持って「ありがとな~!」と言いながら帰っていってしまった。 「‥マキシマの機嫌、直るといいけどなあ‥」 カンジとマキシマは普段から仲のいい伴侶だが、先日行商に来た隊商会のヒトを何気なくカンジが褒めてしまったことでマキシマがへそを曲げているらしいのだ。あまり深いところまでは訊いていないが、どうやらマキシマが気にしているところをつついてしまったらしくカンジはかなり焦っていた。 さて、と今しがたもらった袋の中身を確かめるべく開けてみる。するとふっかりとした生成り色のヤルゥの毛がぎっしりと詰まっていた。 「ちょうもう‥長毛かぁ!」 結構な重量のそれが入った袋を前に途方に暮れていると、入り口の方かtら影が差した。 「ただいま」 「あ、お帰り。何かとれた?」 「鳥が二羽、と、アナグラシだけだ」 「え、結構獲れてるじゃん、ありがとう」 「厩の方で血抜きしてる。肉にしたら持ってくるよ」 そう言いながら玄関扉の外でケイレンが身体の埃を払った。ケイレンは近くの森林に出向いて、たまに野獣を狩ってきてくれる。こちらに来て弓の腕が上がった気がする、と笑っていた。ジュセルが野獣の解体など血生臭いことが苦手なのを知っていて、獲物をすぐにはこっちに持ってこないケイレンだった。ジュセルはいつもその優しさをありがたく思っている。 「じゃあ今日は久しぶりにから揚げにしようかな。ケイレンも好きだろ?」 「ああ、うれしいな。あとで鳥の方を先に捌いておくよ」 「ありがと。‥なあ、これってどうしたらいいと思う?カンジにもらったんだけど」 そう言って大きな袋の口を開けて中身を見せた。ケイレンは少し眉を開いたが、う~んと唸って応えた。 「‥多分、何か道具がないと使える状態にはできないと思うから‥今度街に行ったときに売るか、道具を買うかしてみるか。もう少し防寒具欲しいしな」 「そうだね、頼むよ」 一年のほとんどが雪に埋もれ、ハルやナツでも肌寒い日が多いアツレンでは、防寒着がいくつあっても足りない。風も強く雨も多いため、汚れたりしてダメになってしまうこともままあるのだ。今度市街地に買い物に行くときには、自分も連れて行ってもらおうかな、と考えながらジュセルは袋の口を閉めた。 それから、今日受け取りに来る客の分のお茶やお菓子を袋に詰める作業に取りかかった。 甘味料や乳酪(バター)などの材料費がかさむため、ジュセルの焼き菓子の単価はどうしても高くなる。こんな辺縁の地でそんな高いものが売れるだろうか、という心配に反して、ジュセルの焼き菓子はよく売れた。日持ちのする菓子、というものがここアツレンには今まであまりなかったらしい。それも功を奏して、ジュセルの暮らしの助けになるくらいにはお菓子は売れていた。 お茶は本当ならティーバッグで売りたかったが、足がつくのを恐れて普通の茶葉の状態で、しかもごくわずかな量を売るにとどめていた。作りためたものはカズリエに送ることになっている。半年ほど前には、サイリがティーバッグをイェライシェンまで届けてくれた。 「依頼を受けた形だから気にしなくていいよ~」 と言いながら、遠い距離を往復してくれたのだ。 今回はしばらくしたらヒトをやって取りに行かせる、という手紙がカズリエから届いたのだが、それがひと月ほど前のことだった。 「ジュセル、お茶が飲みたいんだけど、どの茶葉使っていい?」 「ああ、俺が淹れるよ、ケイレン暖炉のところに座ってて。寒かっただろ?」 そう言って湯を沸かし、茶葉の準備をする。ケイレンは狩りから帰ったばかりだから、と力素回復の効果がやや顕著な茶葉を選んだ。商品用の焼き菓子から出た切れ端を皿にのせて、ケイレンのところへ運ぶ。 大きな暖炉の前には、毛足の長い敷物が敷いてあって、そこに靴を脱いで上がるようにしていた。つま先が冷たくなっていたのか、ケイレンが足先を暖炉に向けて温めている。その横に、脚付きの盆を置いた。 「はい、お茶」 「ありがとう」 茶碗を差し出したジュセルの手を握り、そのままちゅっと軽く口づけてくる。二人きりの家の中では、誰憚ることもないのでジュセルも顔を赤らめながらそれを受けた。 穏やかな日々が続いていた。 ケイレンはすぐにでも伴侶誓言式を挙げたいようだったが、ジュセルはもう少しお金を貯めてからにしよう、と止めた。できれば家族や知り合いにも式には参加してほしい、という気持ちもあったからだ。遠い地でもあるし、現在のサッカン十二部族国内でジュセルたちの扱いがどういったものになっているかもわからない。先行きは不透明ではあったが、可能性を無くしたくはなかった。 ケイレンの身体に自分の身体をぴったりとくっつける。外から帰ったばかりで冷えているケイレンが少しでも温かく感じればいいな、とジュセルは思った。ケイレンも空いている方の手でジュセルの身体を引き寄せ、優しく頭を撫でてくれた。 その時、ドンドンと玄関扉を叩く音がした。ジュセルの客かもしれない。ケイレンは靴を履いて立ち上がり、自分で脚付きの盆を持った。 「あとは俺、厨房で飲むから。行っていいよ、ジュセルのお客さんだろ?多分」 「ありがとう、ごめんな」 そう断ってからジュセルもあわてて靴を履き、「はーい」と返事をしながら玄関扉の方へ向かった。 ガチャリ、と扉を開け「早かったですね、ダルゴさ‥」と言いかけたジュセルの口は、あんぐりと開いたままになった。 「よう、ジュセル」 「ア、ア、ア、アニス!!??なんで??」 旅装束のアニスは、にやりと笑ってみせた。 「仕事だよ、ジュセルのお茶を受け取る仕事。カズリエから手紙来てただろう?」 「あ、ああ、そうか、うわ~~驚いた!ちょっと待ってケイレンも奥にいるから‥」 「ジュ、セ、ル♡」 アニスの後ろからひょこん、と飛び出してきたもう一人の人物。 「ス、ス、スルジャ~~!!??」 「来ちゃった♡」 ジュセルは今度こそ言葉が続かず、口をパクパクさせながら絶句する。スルジャはきゃ~~~~と叫びながらぎゅうぎゅうとジュセルを抱きしめた。 「あ~~~嬉しい久しぶりジュセルゥゥ会いたかったよぉ~~ジュセルのご飯食べたかったよぉおお」 「‥‥‥な、なん、で、スルジャ、」 スルジャは意地の悪そうな顔をして笑った。 「引っ越してきちゃった♡ジュセルの家に住まわせてね!」 「は?!」 「ジュセルどうした?騒がし‥」 そう言いながら怪訝な顔をして出てきたケイレンも、アニスとジュセルに抱きついているスルジャを見て顔を引き攣らせた。 「黒剣、元気そうだな」 「黒剣!今日からあたしここに住むからよろしくね!!」 「はぁぁぁ!?どういうことだ?!どうなってるんだアニス!?」 問われたアニスは肩をすくめた。 「いや、スルジャに関しては私は知らないよ?私は仕事で来ただけだから‥でもまあ、少しここで厄介にはなろうかなって思ってるけど。いや~遠かった」 「ねえねえ、二階に小さい部屋三つあるって聞いてるよん!一個あたしに貸してね!」 「ああ、私もしばらく滞在させてほしいから、部屋を頼むよ」 「嘘だろぉぉぉぉ!?」 ケイレンの叫びが、アツレンの山岳地帯の方までこだましていたとかいないとか。 ***** こちらで最終話となります。長いお話におつきあいくださった皆様、ありがとうございました。少しでも面白いと思っていただけていたら嬉しいです。 番外編も少しありますが、ご要望があればこちらで公開しようかと思っております。 よかったらご感想などお聞かせいただけると嬉しいです。 お読みいただきありがとうございました!

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