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第188話

*次回で最終回です。 フェンドラ、という領地の名前には覚えがあった。アツレンがある領地であり、現国王であるアーセルが元々領主だった地だ。 だとすれば自分たちは、無事にアツレンまで来たのだ、と悟ったケイレンの身体からふっと力が抜けた。 「大丈夫か?」 その場にへたり込んでしまったケイレンを、ルウェンは支えながらジュセルの隣の長椅子にかけさせてくれた。 そしてルウェンが低い机を挟んだ反対側に座ったのと同じ時に、扉を叩く音が聞こえた。 「入れ」 ルウェンのいらえの後、ゆっくりと扉が開いてティーワゴンのようなものを押すシンリキシャが現れた。薄い金髪のシンリキシャは、机の傍まで来てお茶の仕度を整え、ジュセルの傍に急須のようなものを置いた。 そしてケイレンに尋ねた。 「これは、万能薬をごく薄くしたものです。転移酔いにはこれがいいらしいので‥あなたももう少し飲んだ方がいいですが、こちらの方には私が飲ませても構いませんか?」 そう言われて戸惑っているケイレンに、ルウェンが言い添えた。 「この者は私の伴侶でタムという」 「あ‥ありがとうござい、ます」 タムはにこっと笑うと、ケイレンの前にも水の入った大ぶりのコップを差し出した。 「では、こちらの方にはこれで飲ませますね」 そう言ってジュセルの頭側の方に座って膝の上に頭を乗せ、ゆっくりと急須でジュセルの口元へ飲ませるようにした。 ケイレンも震える手でコップを取り、両手でつかみながらなんとかその水を全部飲み干した。 ケイレンがまともにルウェンと話せるようになったのは、結局転移をしてから丸二日が経ってからだった。ジュセルは丸四日かかった。 「カズリエさんが、地獄のようにキツイ、って言ってたのが全然誇張じゃなかったな‥」 と遠い目をするジュセルを見て、メイドのジャックがけらけらと笑った。 「らしいですねえ!僕は転移自体したことがないんで、わかんないんですけど」 そう言いながら、美味しいお茶を淹れてくれる。 ここ、アツレンでの様々な手続きは、ジュセルがぐったりしている間にほとんど、ケイレンが代わってやってくれたようだった。ジャックはアツレンの領主屋敷に勤めているメイドで、もう勤めて四十年以上になるという。しかもジャックは、エレネの伴侶だった。 「エレネは頑なに無所属の退異師のままなんですけどねえ。ケイレンさんも退異師されるんでしょ?まあ、ここに来た経緯からすると、退異騎士団には入らない方がよさそうですけど」 僕たちの子どもの一人はは退異騎士なんですよ〜と教えてくれる。 「‥それにしてもジュセルさんのような髪色のキリキシャには、初めてお会いしました!いや~いろいろ手を入れてみたいっ!もう少し長さが出たら、上に編み上げても似合うと思いますよぉ~!」 と、何だか両手をわきわきさせながら言ってくるのがおかしくて、思わずジュセルは笑ってしまった。 「少しは元気が出ましたかね?新しいおうちに行く前までには、元気になっておかないと」 「そうですね‥」 ジュセルとケイレンを亡命させるにあたって、随分色々とカズリエは便宜を図ってくれたようだ。直接カルカロア国王と交渉をして、二人が今後カルカロアでの暮らしに困らないように取り計らってくれていた。 今はまだ転移酔いから回復したばかりなので、もう少しこの領主屋敷で療養するように言われている。色々な手続きなどに奔走しているケイレンの代わりに、回復の遅いジュセルの世話を焼いてくれているのが、メイドのジャックだった。 ジャックは、四十年ほど前に転移してきた頃のマヒロの世話をしたこともあったらしい。その時に、龍人(タツト)の番いになるかどうか、随分迷っていたようだったという話も聞けた。 あちらは主役の転移人生か、などと思い込んでいたが、あちらはあちらで色々と葛藤はあったようだ。ジュセルは今まで知らなかったが、龍人(タツト)の番いになれば寿命が龍人(タツト)と同じになってしまうらしい。どれくらいですか?と尋ねれば、少なくとも千年以上らしいよ、とさらりと言われ絶句した。 千年生きろ、と言われれば、自分でも番いになるかどうかの返事を躊躇うだろう。 明るくて人懐っこく見えたマヒロにも、そういった経緯(ゆくたて)があったのだ。そう考えればヒトはそれぞれ色々なしがらみにとらわれながらも、その中で色々な選択を重ねて生きているのだな、としみじみと感じさせられた。 決して自分だけが、悲劇の中に生きているわけではない。 それに自分には、自分のことを色々考えて、手を尽くしてくれる人々がいる。 やはり自分は恵まれているのだ、と思える。イェライシェンからはるか遠く離れたアツレンの地でも、ジュセルはそう考えることができた。 そうこうしているうちに、また幾日かが過ぎた。 国民票、と呼ばれる登録証が、ようやくジュセルとケイレンのところに届いた。これで、カルカロア国民としての様々な手続きができるようになる。 フェンドラの領主代行であるルウェンが、自ら手ごろな家を探してくれたようで、街はずれにある、庭の広い家を紹介してくれた。 街からは少し外れているが、その分、山岳地帯に近く薬草などの材料の採取に便利だ。ケイレンが希望していたので、ルウェンは馬も用意してくれた。 すっかりジュセルが健康を取り戻したのを確認してから、引っ越しをすることになった。新しい家はしばらく人が住んでいない場所だったようだ。もともと、退異騎士団から山岳地帯にヒトを派遣する際の中継場所として作られた家だったのだが、もう少し便利のいいところに新しいものが建ったのでこちらは空き家になっていたとのことだった。 「一度家を見てから市場で買い物した方がいい」と主張するジャックに押し切られ、エレネと二人で家まで案内され、ついてこられた。 新しい家は、二人で住むには少し大きな家だった。二階建てで、一階には少し大きめの厨房としっかりした暖炉のある広い食堂、それに食糧庫と浴室があり、二階には湯浴み室付きのやや大きめの部屋が一つ、小さな部屋が三つついていた。元々の施設の性質からか、大きな厩もあったので馬を休ませる場所には困らなかった。各部屋に寝台はついていたが、随分と傷んでおりすぐには使えなさそうであった。 「厨房道具とか寝台とか、机と椅子もいるよね?長椅子も買う?」 ぐるりと部屋を見て回った後、ジャックに矢継ぎ早にまくしたてられ、ジュセルは戸惑った。ジュセルが今手元に持っている現金は、共銀貨百枚だけだ。それ以外の現金はこれまでにジュセルにかかった費用としてケイレンに押しつけていたし、預取金庫(ダカスルト)からそれ以上おろす気にはなれなかったからである。 (家族の警護料、きっと本当は高いんだろうし‥自分のためだけに無駄遣いはできない) ジュセルはそう考えて、共銀貨百枚だけを手元に残したのだった。 しかし、ジュセルの逡巡をよそにケイレンが鷹揚に頷いた。 「そうだな。いい家具屋なんかがわからないから、紹介してもらえると助かる」 「構わないよ。市場街に戻って買い物をしようか」 ジュセルは慌ててケイレンの袖をぐいっと引っ張った。 「ケ、ケイレンっ、俺、共銀貨百枚しか手元にないんだけど」 「ああ、俺が金を持っているから気にするな。なくなったら預取金庫(ダカスルト)から引き出してくればいいだけだし」 そんなのダメじゃん、と言いかけたジュセルの口をケイレンは優しく掌で覆って塞ぎ、エレネと話を続けた。‥またケイレンにお金出してもらってるじゃん~~~!とジュセルはもごもご暴れたが、ケイレンの腕はがっちりとジュセルを掴んで離さなかった。 そんな二人の様子を見て、エレネとジャックはクスクス笑っていた。 エレネの知り合いの家具屋、ジャックご贔屓の道具屋で様々なものを買い込み、配達をお願いした。二人の知り合いだからと、特に急いで届けてくれるということだった。 その他にもこまごまとしたものを買い込み、一旦それらを家に置いてから、再び領主屋敷に戻った。二人はここを引き払う前に、世話になった領主屋敷の者達に別れを告げたいと思ったからだった。ルウェンはそっとケイレンの耳元で囁いた。 「‥‥その内、退異師としても仕事も頼むことがあるだろう。その時はよろしく頼む」 「了解いたしました」 ケイレンは短くそう答えた。一応は、イェライシェンの退異師会から連絡が来るまでは、退異師としての活動はするなと言われている。が、遠く離れたこの地のことは、あちらにまでそうそう伝わるまい。 ジュセルたちが領主屋敷から引き上げた当日は、ジャックが手伝いに来てくれた。二人で掃除するにはかなりの広さであったため助かった。 傷んで使えなさそうな寝台は、ばらして外に運んだ。寒い日が多いアツレンだから、暖炉の焚きつけにでも使えばいいと言われる。 確かに、イェライシェンより遥か北部に当たるアツレンは寒かった。ジュセルがまだ身体の回復していないときに、ケイレンは早々と防寒着をいくつも買ってきていた。カルカロア風の衣服は色々とサッカンとは違っている部分があったが、どちらかと言えば前世の洋服に近いものが多かったのでジュセルとしては少し嬉しい部分でもあった。

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