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第41話
「だから一度くらい、いいじゃないか」
神楽の声が庭から聞こえてきた。
「だめだ。もう瑠生に半玉はさせない」
今度は沖の声がする。どうやら自分のことを二人が話しているらしい。
瑠生はサンダルをひっかけ、急いで庭に出た。
「じゃ、お座敷の手伝いはどうだ? 瑠生君に給仕はさせない。俺の横について、お客さんを笑顔で迎えてくれる。それくらいならいいだろ。なあ、瑠生君」
庭に出てきた瑠生を見て、神楽が話を振ってきた。
「神楽の横に? そんなのもっとだめだ。お前が瑠生に手を出さない保証はない。瑠もそう思うだろ」
荒げた声で沖が聞いてくる。
「えっと、それは……ないと思うけど……」
「ほら、瑠生君もそう言ってる。手は出さない、見るだけにする。あ、でも手は握るかもしれないな。だってあの小さなほくろが俺に触れてほしいって言ってるんだ」
「馬鹿げたことを言うな。料亭の仕事を覚えるのに必死で、頭がおかしくなったのか」
「馬鹿げたことだと? 俺の方が先に運命的な出会いをして、それを横取りしたのはお前だ。卑怯だ、鳶に油揚げだ」
「何とでも言え。瑠生は最初から僕のものだ。ほくろのことも、初めから知っていた」
両腕を組んで言う沖に、神楽は目を見開いた。
「最初からって……もしかして瑠生君が初めて半玉をしたときか?」
「そうだ。瑠生の可愛いほくろは、そのときに見つけた。その後も瑠生のほくろを見て、蓮香が瑠生だと知っていた」
「じゃあ、お前は知ってて半玉になれと条件を出したのか。それって、瑠生君の気持ちを弄んでいたことになるぞ」
沖が黙り込んでしまった。けれどそれはほんの少しで、すぐに神楽を見据えた。
「瑠生に……」
「瑠生に?」
「高校生の瑠生に、僕と付き合ってくれと言えば、ひかれると思ったからだ」
沖の返答に固まった。神楽を見ると、口を開けたまま沖を見ている。
「そ、それと半玉になってもらうのと、どう関係があるんだ」
神楽が尋ねると、ボソッと沖が何かを呟いた。
「聞こえないぞ」
親友の叱責に、沖が渋々口を開く。
「瑠生と恋人になれないなら、せめてそばにいて欲しいと思った。少しでもいいから自分だけのものにしたかった。その方法として、半玉になってもらうことを思いついたんだ」
そういえば、沖は言っていた。
──君を独り占めしたかった、と。
「何だそれは。お前の独占欲で瑠生君を半玉にさせるとは、呆れてものも言えないわ。なあ、瑠生君もそう思う──って、君のその顔は何だ。好きがダダ漏れの顔で沖のことを見るな。俺を見てくれっ」
惚 けて沖の顔を見ていると、神楽が泣きそうな顔で訴えてくる。
そんな顔をされても、自分が好きなのは沖なんだから仕方ない。
「僕が瑠生に会いたいのを我慢して、たけだ屋のことを尼子さんと考えてる間に、お前が瑠生に会ってしまって焦っていたんだ。絶対に瑠生を奪われたくなかったからな」
「はは、そうだよ。今はお前のかもしれないが、俺は諦めないぞ。瑠生君は俺の運命の人なんだ。半玉姿に一目惚れしたやつとは違う」
勝ち誇ったように神楽が言っても、沖は眉ひとつ動かさない。
神楽の言葉に瑠生の胸がちくっと痛む。
沖が瑠生を好きだと言っても、まだ心の片隅に蓮香がチラつく。
「神楽、お前は勘違いしている」
「勘違い? どういうことだ」
「僕が瑠生を見たのは、たけだ屋で蓮香を見たのが初めてではない」
「えっ!」
沖の言葉に瑠生が先に声をあげた。
「いつ、いつ俺は尚純さんと会ってる?」
沖の手を取って尋ねると、フッと柔らかく微笑まれた。
「僕は中学生の瑠生に叱られたことがある。そのときが、瑠生を初めて見たときだ」
「俺が……尚純さんを、叱った?」
「ああ。僕が車でお婆さんにぶつかりそうになったとき、瑠生が彼女を助けながら、僕に怒鳴ってきたんだ」
「俺が尚純さんを怒鳴った?」
記憶を手繰り寄せるよう頭を捻っていると、朧げな記憶が浮かび上がってきた。
……そうだ。思い出した。確か、稽古の帰りだ。
千代ばあちゃんが、路地から出てきた車にひかれそうになったことがある。倒れかけたばあちゃんを支えて──運転手の人に怒鳴った気がする……
「思い出したか?」
沖に顔を覗き込まれ途端、顔から火が出そうになった。
「瑠生君。君、こいつに会ったの覚えてるのか?」
「思い出しました。……俺、怒った気がする」
「『危ないだろ! 人がいるのに!』って、腰に手を当てながら、もう片方の手で僕は指差されたんだ。そのときの、瑠生の真っ直ぐな瞳がきれいでね。着物姿で僕を怒鳴った姿が凛としていて忘れられなかったんだ」
「俺、そんなに偉そうに怒ったの? 尚純さんを」
瑠生が聞くと、沖が嬉しそうに頷く。
「瑠生が立ち去っても、澄んだ声と表情が頭から離れなかった。幼かった瑠生に僕は恋をしたんだ」
「尚純さん……」
「あんな美しい姿の人に、叱られたのは初めてだった。着物姿の少年なのに、堂々としてて、おばあさんを守るように抱えて。あのとき、着物姿の瑠生に僕は一目惚れしたんだ。ずっと、忘れられなかったんだ」
沖の話を聞いて、瑠生は、ふと思い出した。
「尚純さん。もしかして、俺が初めて蓮香になったとき、俺に変なこと言ったのって、もしかして説教した子どもを確かめたかった、とか……?」
この質問にも、沖は笑って頷いた。
「あのとき怒っていた少年と、半玉の瑠生が似てると思った。声も、目も。でもあのときは男の子だったはず。だから化粧を落とした顔を見れば、わかるかもしれないと思った。どうしても確かめたかったんだ」
そんなに前から、自分のことを思ってくれてたんだ。
「俺、沖さんのこと、変な人って思ってた。でも、すごく嬉しい」
心の中で、『変態さん』と呼んでいたことを謝った。これは口が裂けても言えない。
「おい、沖」
ずっと黙っていた神楽が口を開いた。
「お前がどれだけ好きでも、瑠生君は俺の理想だ、簡単には諦められない。油断していると奪ってやる」
「それは一生、無理だな。諦めた方が身のためだ」
「はぁ? 偉そうに。俺は絶対に諦めないからなっ」
「あ、あの二人とも、いい加減にしてくださいっ」
「だいたい、なんでお前がふく里にいる。さっさと会社に戻って仕事しろっ」
「僕は瑠生と約束している。お前こそ、なぜここにいる」
「俺は瑠生君に料亭の仕事をだな──」
「瑠生。こんなやつの話は聞かなくていい。早く食事に行こう」
沖に手を取られると、瑠生の体がグンっと引っ張られて先へ進もうとする。すかさず神楽に反対の手を取られて、今度は神楽の方へと瑠生の体が傾く。
「なあ、瑠生君、頼むよ。今夜、俺が初めて料亭の主人としてのお座敷があるんだ。心細いから俺のそばにいてくれないか」
神楽が拝むような手をして瑠生に懇願してくる。
「え、手伝いの話って今夜のことだったんですか! 凄い、神楽さん、頑張ってください」
「うん、うん頑張るから。だから、一緒に──」
「だめだって言ってるだろ。瑠生、支度は済んだのか」
「あ、うん。カバンだけ取ってくれば……でも、神楽さん、大丈夫ですか?」
玄関へ向けた足を止めた。心細そうな顔が気になって引き返す。
「大丈夫じゃないかも。緊張して、ほら、バクバクしてる心臓の音を聞いてよ」
手首を掴まれると神楽の胸に引き寄せられて、躓きそうになる。それを沖が支えてくれた。
「あ、ありがとう。あの、尚純さん。食事に行く前に九重に行きませんか? 神楽さん、緊張してるみたいですよ」
沖に肩を抱かれながら瑠生が顔を見上げると、キュッと鼻を摘まれた。
「あれは神楽の作戦だ。わざと弱々しく見せて瑠生の同情を買おうとしている。昔からのあいつの得意技だ」
呆れたように沖が言うと、開き直ったように「バレたか」と、神楽が舌を出す。
「あ、じゃあさ。今度一緒にツーリングしよう。今がちょうどいい季節だし。桜は散っちゃったけどさ。な、そうしよ。沖は車一辺倒で、自転車に乗らないもんな」
ざまあみろ、と大人気なく神楽が言うと、沖が不敵な笑みを浮かべている。
「自転車はもう買った。俺の趣味も今日から自転車だ。お前の出番はない」
沖の言葉に瑠生の方が一驚した。
「え、尚純さん自転車買ったんですか! それなら一緒にお店に行きたかったなぁ」
恋人が自分の趣味に合わせようと、店で自転車を選ぶ姿なんて最高のシチュエーションだ。
瑠生ががっかりしていると、沖が抱き締めてきた。
「すまない、気づかなかった。瑠生を驚かせることばかり考えていた。そうか、そういうものか。では、今から一緒にもう一台買いに──」
「だめですよ、もう一台なんてもったいない。尚純さんは俺に関わることでお金を使いすぎです。この間も、壊れた簪のこと思い出したって、同じの買ってくれたでしょ? もう俺は半玉にならないんだし、少し折れてても前にもらったので十分なんです」
「男が好きな相手に簪を贈るのは理由があるんだ。だから、買い直した」
「簪を贈るのに意味があったんですか」
瑠生が首を傾げていると、沖がそっと手を繋いできた。
「『あなたを守る』という意味だ」
極上の笑みと一緒に教えてくれる。
「あなたを……まもる。だから、簪があの男たちから守ってくれたんですね。そっか、嬉しいな。ありがと、尚純さん」
沖と見つめ合っていると、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「あのさ、お二人さん。俺がここにいること忘れてませんかね。それに瑠生君。君はいつの間に沖のこと名前で呼んでるんだ。名前呼びは俺だけだったのに。はぁー、辛い。辛すぎるから神楽坂に帰ろ」
車の鍵を指で引っ掛けて、くるくると回しながら神楽が背を向けた。
「あ、あの。神楽さんっ! 九重で、頑張ってください。俺、応援してますから」
去って行く背中に声を張った。
その声に反応した神楽が振り返ると、僅かに口角を上げた。
「俺の好きな花って桜なんだよ。瑠生君と初めて会った日の占いで、好きな花を見ると、運命の相手と出会うって結果だった。でも、あの日はまだ桜が咲いてなかったもんな。だからダメだったのかな。……でもね、占いだけど俺は信じてたよ」
「神楽さん……」
「あー、そんな顔しないで。抱き締めたくなるでしょ──と、おい、沖。言っただけなんだから睨むなよ。言っとくけどな、瑠生君を泣かせたら俺が奪ってやるからな。しっかり覚えておけよ」
強がりのような捨て台詞を口にした神楽が背中を向けたまま、手をひらひらと振ってふく里から遠ざかって行った。
「僕が瑠生を泣かせるわけない。でもそうだな。今度、陣中見舞いにでも行くか。……瑠生、どうした。何か気に触ることがあったか」
俯いていると、沖が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「尚純さん。神楽さんのお父さん──多鹿さんはどうなったんですか」
沖もだったが、神楽もあの事件のことを瑠生には詳しく話してこなかった。
ずっと気になっていたけれど、子どもの自分が聞いたところで何の役にも立たない。
いつか沖が教えてくれるだろうと、聞かずに待っていた。
「多鹿は、田之上たちを欺いて売春をさせようとした。懲役は免れて罰金刑で済んだけど、ちゑ子さんとは離婚した。九重もクビになって、家を出たよ」
「離婚……あの、神楽さんは大丈夫でしょうか。ご両親がそんなことになって。だから心細くて俺に──」
「瑠生はそんなに神楽が気になる──」
「尚純さん。その先の言葉を言ったら、今日の食事は行きませんよ」
ずっと肩にあった沖の手を払い除け、瑠生はそっぽを向いた。
「いや、すまない。瑠生があいつを気にかけるから、つい……」
あまりにも沖が落ち込むから、瑠生は沖の手を引き寄せ、手の甲に口づけをした。
「俺が好きなのも、気にかけるのも尚純さんだけです。あ、ふく里のみんなは別ですよ。ただ、両親がせっかくいるのに、仲良くしないのはもったいないなって」
「……僕は君より大人のくせに狭量だな。それに瑠生は優しい。だから神楽相手でも警戒してしまうんだ」
今度は沖が瑠生の手を取り、ほくろに口づけをした。
「俺は尚純さんに会うたびに、好きが増えてる気がするんだよ」
へへっと笑って言うと、沖が目を細めて見つめてきた。
「……やっぱり瑠生は僕を翻弄するのがうまいな」
「それって、褒め言葉になる?」
沖の腕に手を絡ませながら上目遣いで見つめる。
「もちろんだ。ただし、僕限定だがな。瑠生、僕は君と会っていても、離れた瞬間にはもう会いたくなっているんだ。全然、瑠生が足りない」
「俺もだよ。毎日でも会いたいって思ってる」
沖の手を握り、振り子のように揺らしながら伝えた。
「……瑠生、僕の家族になってくれないか」
「え……」
「初めて瑠生に会った日から、君への想いはこの木蓮のようにどんどん成長していった。美しく優しい瑠生と、未来を共に生きたい。家族に縁の薄い僕のそばに、ずっといてほしいんだ」
悲しげな瞳で見つめてくる沖の手を、瑠生は握り返した。
強くて誠実で頭が良くて、でも少し寂しがりな人。
見上げるその瞳は、縋るように瑠生を見つめ返している。
伝えられた言葉だけで、沖の気持ちは十分に伝わってきた。
「俺も尚純さんの家族になりたい。いつもそばにいて、笑顔であなたを守りたい。だから、安心して……」
誓いは沖の腕の中に閉じ込められ、二つの体にそっと染み込んでいく。
「瑠生、愛している……僕のたった一人の家族だ」
耳に落とされた言葉は、未来へ向けた二人の秘めごと。
いつだって願うのは、明日もその先もずっと愛でていたい大切な人の呼吸だけ。
春の風が庭を駆け巡り、二人の髪と木蓮の枝を揺らした。
穏やかな風に乗って優しい香りが二人を包むと、一斉に花びらが降り注いでくる。
木蓮の雨を浴びながら、瑠生は空に向かって伸びる枝葉を見上げた。
そよぐ風の中、月夜に映える街の灯や芸者の三味線の音が、子守唄のように静かに心を満たす。向島の夜はいつも瑠生に安らぎを与えてくれる。
沖に見つめられて、瑠生は楚々 と微笑んだ。
藍染の空から舞い落ちる花びらを、瑠生はそっと見上げた。
もっと強くなって、大切な人たちを守れる──そんな自分になりたいと誓うように。
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