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第33話 本性を暴く③
時計はあと三〇分で日付を変えようとしていた。
テレビの前のローテーブルの上には簡単な酒のつまみのような食事が多少食い散らかされて置かれている。テーブルの横にはクッションを抱えたジェラルドが、ソファーを背もたれにして座っていた。
ユアンの家に辿りついて五時間。
その間に簡単に食事を作ってつまんだり、買ってきたワインを開けたりしながら、早送りなども駆使しつつ、ひたすらユアンのコレクションを消化して行った。
今は五〇型の画面いっぱいにジェラルドが映っている。
『迫力があって、魅了された。私の家にはあのミニシリーズのDVDがある。私は君の演技が好きなんだ』
そう言った時の彼の興奮に少し上気した顔を思い出すと、気はずかしくて抱きしめたクッションに思わず顔を押しつけてしまう。
「どこが良かったんだろうなあ」
自分では自分の事はよくわからない。このシリーズの監督は割とジェラルドを気にいってくれて、彼の意見をよく取り入れてくれたのは確かだった。楽しい仕事だったとおぼろげに思い出す。いい仕事は、演技の質に現れるのかもしれない。
それが終了し、部屋にしん、とした沈黙が訪れた。
「まだ、かな?」
腕をあげて、座りっぱなしで軽く固まってしまった体を伸ばす。同時に欠伸が口から洩れた。
ユアンは先に行っていていいとも、DVDを見ていていいとも言ったが、寝てていいとは言わなかった。ということはベッドを勝手には使えないということだ。となると、ソファでこのまま眠ってしまっても不可抗力と言い訳できる。だが、それならやはり起きて彼の帰りを待ちたかった。
ジェラルドはもう見るモノがないかあたりを探る。そこでかつんと、彼の手に触れるケースがあった。
ジョンから渡された生のDVDの入ったケース。ユアンが見るなと言った彼の私物。
『喧伝するつもりはないけど、一度見てみるといい』
ジェラルドはもう一度時計を確認し、音量を少し落としてそのディスクを取り出すと、プレーヤーにセットして再生ボタンを押した。もしユアンが帰ってくる気配があったら、すぐにとめて取り出すつもりだった。
黒い画面にBBCの文字が出て、すぐに法王庁の廊下を歩くユアンが映し出される。当時三〇歳であるはずの彼は、年齢よりもずっと若く、繊細に見えた。
タイトルである『Peccati』、七つの大罪が出る。
「大罪のDVDだったのか」
そういえばそんな事も言っていたな、とジェラルドは思い出す。何気なく話を聞いていたので、忘れていたのだ。
ユアンの映像をネットで探すうちに、彼がこの『大罪』以後、二年近くまったく俳優の仕事をしていなかった事を知った。
『一部で自分の型を作って、そこに自分を嵌めこんで生きるのはやめようって、決めた』
前にそんな事を言っていたこともある。三〇歳の転機で、一体何があったんだろう。
ジェラルドは興味深く、映像を眺めた。
ユアンの演じる若き聖職者は、幼いころから類稀なる美貌と明晰な頭脳で貧しい生活から這い上がってきた。そうして聖職者という職についたその当時にはすでに、権力に対する飽くなき欲求と、それを抱くに足るプライドの高さを有していた。
曰く、自分は何をしても許される存在なのだと。
彼は自分の理想の為に、他の権力者を金で、もてなしで、彼自身の美貌で籠絡し、その代償としてのポジションを手に入れる。そこに描かれるのは彼自身の罪であると同時に、彼を取り巻く社会の堕落の姿でもあった。
その彼に、罪を告げ、在り方を責める人間がある。今よりもずっと小奇麗で少年ぽいが、ジョン。カークだ。彼は若き枢機卿の隠された恋人として登場する。同性愛は教義上御法度だが、その御法度の関係者が、枢機卿の在り方を、彼を取り巻く教会社会の堕落を糾弾するのだ。
「お前がそれを言うのか!」
枢機卿は恋人に怒りを見せ、殴りつける。
その演技を見た時、ジェラルドは『御近所物語』を見た時と同じような感覚を覚えた。
ユアンは、かすかに笑っていた。
恋人を殴りつけ、傷めつけながら、本当にかすかに、笑うのだ。演技だとするなら計算しつくされたものに違いない。そうでなければこれは『彼』自身に違いなかった。
『真剣に向き合ってるドラマの中で、彼自身が気付かない素部分が出ていることもある。彼を知りたければ、そういう観点で、彼が演じる、彼という作品を、見るしかない。たぶん、君になら、見極めることはできるんじゃないか』
ジョンの言葉が反芻される。
この違和感は、役としては『出来過ぎている』感覚だった。
ジェラルドは目が離せなくなっていた。目の前で今までどんなユアンも見せることがなかった彼の一面に、飲まれてしまう。
やがて、恋人が息も絶え絶えにベッドへ沈むと、枢機卿は彼を抱きしめる。抱きしめ、その体にうやうやしく口づけし、涙しながら許しを請うのだ。許しを請いながら、恋人の衣服をはぎ取り、その白い胸に、腹に、そして震える性器に口づける。
普通なら、このあたりでフィルムはカットされる。だがこのDVDは彼らの行為の一部始終を収めている。この作品の監督は、リアリティの為に、本番行為を求めたのである。
ユアンの形のよい唇が、細くしなやかな指が、性器を弄び、咥え、舐め、舌で、唇で、指先で、掌で、恋人を高めていく。彼が与える快感に若いジョンは恍惚に目を閉じて吐息をもらす。
演技ではない映像から目を離せないジェラルドも、知らず知らずの内に吐息が漏れていた。手は自然とジーンズの中で窮屈に暴れる自身の陰茎を取り出し、ユアンがジョンへ与える愛撫にシンクロして刺激を与える。
映画の中で挿入するのはユアンだったが、カメラが二人をクローズアップしたので、ジェラルドにとってはもうユアンを犯しているのと同じ気分だった。
目を閉じ、快感を追う二人が、深い律動に揺れるたびに喘ぐ。汗が肌を艶めかしく光らせ、唇が、舌が、深いキスを求めあう。やがて激しいストロークと共に感性はマヒし、獣のようなセックスは絶頂を迎える。
「あ…ダメ……い、くっ」
ジェラルドは射精の瞬間にここが自宅ではなくユアンの家であり、勝手の知らぬ家でティッシュもタオルもどこにあるか知らない事を思いだし、力いっぱい怒張を握りしめる。
眉間に強い痛みとともに、射精しないままのドライな快感が全身を震わせる。大量に精液を生産した陰嚢が何度も収縮を繰り返し、握りしめた指の間、筒先から染み出すようにして白い滴が垂れた。
「あ…はあ…はあ……」
心臓が痛いほど強く鼓動を打つ。呼吸が苦しくて、まるで溺れた魚のように空気を求める。こんなに激しくイッたのことはこれまでなかった。
だが、その背後に人の気配を感じて、背筋が一気に寒くなる。
ジェラルドが恐る恐る振り向くと、ただでさえ白い顔面が色を失うほど蒼白になったユアンが立っていた。
いつから?
聞いてみたいが喉がカラカラで言葉が出てこない。隠れて見ていたエロビデオを家族に見咎められた時以上の気まずさに、嫌な汗が滝のように流れる。
ユアンは小さなため息をついて少し頭を押さえたが、ゆっくりと歩いてくると、リモコンを手にして大画面を消した。硬度を失わない露出した男根から溢れそうな精液が漏れないように握ったまま、ジェラルドの視線はユアンを追う。その間抜けさを自覚しても、どうすることもできない。
ユアンはぺたんと、ジェラルドの前に座った。
「見たんだね?」
言葉は疑問形だったが、明らかに『見るなと言ったのに』という暗喩が含まれていた。ジェラルドは申し訳ないやら恥ずかしいやらで、言葉もない。
「衝撃的だろう。でも一番衝撃だったのは私自身だ。この脚本を手にした時、まるで父への告発だと思った。だから是非もなく参加した。当てつけてやろうと。そうして出来上がった作品を見て、愕然とした。そこにいたのは、父と同じ顔をした自分だったんだ」
恋人を殴りつけながらほくそ笑み、濃密な性行為で許しを請う。その情景の痛ましさを思い、ジェラルドは眉間を寄せた。
「これが、あんたの八才の時に見た光景か」
「これは父と母の間に交わされた光景だ。ここから先のフィルムには、裁判で私が目撃したものと、さほど変わらないシーンがでてくる。それだけじゃない。大罪を犯す私は、楽しそうだったろう? 私はこの映画で、父を告発したつもりで、自分の中にある彼の要素を知ってしまった。ところが、皮肉にも映画は大ヒットして、私は自分の罪を社会全体に告発されているようで、ノイローゼになったんだよ」
『一時は修道士になろうとすらした程、潔癖でね』
そうして二年近くの失踪。
彼は自分の本性の一切を封印して、ユアン・ルイスという俳優を世間から抹殺しようとしていた。
「君に知られたくはなかった。だから、詮索されることを恐れた。父の事も、裁判がなければ、一生彼の罪を知られたくはなかった。知られれば、いずれ私が彼と変わらない事も知られるから」
「あんたは、親父さんじゃない」
「いいや。同じことだ。傲慢で……」
ユアンはすいっと顔をあげる。その眼はうつろで、しかし非常に神秘的で、妖艶だった。
「放埓で……」
その顔が猫のようにジェラルドの顔を覗き込む。
「淫乱で……」
白い指が、男根を握るジェラルドの手に添えられる。
「背徳と言う海の中でしか自分らしく呼吸ができない。許されないとわかっているのに、君に触れたくて、しかたなかった」
ユアンの頭が股間へと下がり、吐息が亀頭を撫でる。
「軽蔑してもいい。でも、お願いだ。今夜だけは、逃げないで……」
筒先を精液でぬらぬらと光らせる亀頭にユアンの唇が触れる。暖かい舌先がちろちろとくすぐり、やがて舌全体が先走りと漏れ出た精液に汚れたジェラルドの陰茎を丹念に清めていく。
柔らかい舌の感触に、恍惚の表情に、綺麗な彼を汚している背徳感に、その奉仕からジェラルドは目が離せない。う時間を経ずに背中を快感の奔流が駆け抜けていく。
「あ、だめ…ホント、いく……。あぁ、もう、出る!」
ジェラルドはユアンを引き離そうとしたが、気持ち良すぎて力が出ない。あっけなく溜まりに溜まっていた白濁をユアンの顔にぶちまけることになった。
飛び散った激情が、綺麗なユアンの頬に、鼻先に、飛び散る。まるでAVの汁男優並みの量と濃さだった。
荒い息を整えながら、ジェラルドはユアンを見る。ユアンは自分の顔を汚した白い激情を拭い、目を瞬かせてその指先についた粘液を見ていた。
ジェラルドは彼の唇が先ほどまで自分の精液を舐めとっていたことなどお構いなしに、ユアンの頬を両手で掴み、噛みつくように口づけると、そのまま背骨がしなるほどの勢いで、強く抱きしめる。ユアンは抵抗しなかった。むしろジェラルドの無言の激情を伝えて来る舌に、甘く、柔らかく、自らの舌を絡ませる。
唇が離れ、視線が絡み合う。お互い、熟れた情欲に瞳が潤む。
「軽蔑なんか、しない。だからお願いだ。俺の気持ちも、もう、なかったことになんか、しないでくれ。俺はあんたを、抱きたいんだ」
もう一度、今度はゆっくりと唇を重ねる。そのままジェラルドはユアンに体重をかけすぎないように気を使いながら、床に押し倒していく。
静かな部屋に、交わす唇の湿った音と、時折鼻に抜ける艶っぽい喘ぎだけが響く。
もう一度、吐息が触れる距離で見つめ合った。ジェラルドの熱っぽい瞳が上気したユアンだけを映している。
「これが、背徳だというなら、それでもいい。俺もその罪を背負う」
「ジェラルド」
「ユアン。だから、拒絶しないでくれ。全てを、受け入れて…」
懇願に似た告白を耳元に熱っぽく囁いて、ジェラルドは耳朶を唇で優しく咥える。さっきイッた筈の彼の中心にはすでに緩やかな熱が再燃し始めている。
ユアンは自分自身でそれを実感し、目を閉じて、その首元に腕を絡ませると、柔らかくジェラルドを抱きしめた。
【終】
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