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第32話 本性を暴く②
ジェラルド達撮影本隊がロスに移動した5日目に、ユアンはイギリスから帰国して合流した。
その結果、またもやユアンの分の撮影は遅れていた。ジェラルドはこのシーン撮りで今日の分は終了だが、ユアンはこれから深夜まで撮影が残っているという。
「ニューヨークから、直接ロサンゼルスに来てたんじゃないのか?」
ジェラルドは自身の本日最後のシーン撮りの出待ちの合間、ディレクターズチェアに座ってスタイリストに跳ね上がった髪を直されながら尋ねる。ユアンは彼の傍に立って現場に視線を向けて、不機嫌な顔で腕を組んでいた。
「丁度移動しようと思っていた時に、検事から連絡が入ってね。急遽、イギリス経由でロスだよ」
「それでか。ホテルを出た時は一緒だったのに、いつまでたっても空港にこないから、どうしたのかと思った」
「別のターミナルから出国してた」
「それで、親父さん、どうなった?」
スタイリストが彼らの元を去り、二人だけになった時、ジェラルドは出来るだけ何気に尋ねる。ユアンがイギリスに行ったということは、証人尋問の関係しか考えられなかったからだ。
ユアンは綺麗な顔には似合わないふくれっ面に荒っぽい口調で言った。
「裁判についてはイギリスじゃ緘口令が基本だから多くは言えないが、言いたくもない。検事はあまり多くを語らなかったが、もしかすると余罪が出てくる可能性もあるかもしれない」
「また証人として行くのか?」
「冗談だろう? 裁判に関わるのはもう御免だ」
何があったのか。
ジェラルドは気になったが、彼は決して話すつもりはないようだった。
ひどく嫌な目にはあったんだろうな。
それはわかった。利害関係のはっきりしている裁判はエゴのショータイムだからだ。
「それより、君は?」
「俺?」
「離婚調停はどうなってるって?」
「ああ、あれね」
ジェラルドは問い返されて無精髭の顎を触り、視線をそらす。
離婚といっても、ジェラルド達は争議離婚ではない。それを決めた朝も、前日のハードな会話の中身がなかったかのように普通だった。
ジェラルドが作った朝食を二人で食べ、アリシアが先に出て行く。
ただ、いつもと違ったのは、
『市役所(シティーホール)で、離婚届け、もらってきてくれる?』
まるで冷蔵庫の不足品を買い足しておくような気軽さで、離婚届を取りに行く事がアリシアより依頼され、キャンプに持っていくものはなにか、くらいの簡単さで、離婚に伴う財産や所持品の分配についてや、引っ越しを如何するかが朝食の席で話された事である。その会話中、あまりにも淡々と話し合いがまとまっていくので、何が原因で離婚するんだろうか、と笑い合う余裕すらあった。
財産らしい財産はない。子供もいない。慰謝料の請求もお互いにない。離婚届けのno conquestの欄にx付けて、お互いのサインをしたら、あとは弁護士に任せるだけだ。それだけのはずだった。
「問題は、裁判所がなかなか認めてくれなくて」
「理由は?」
「仲が悪くないから」
困ったような情ない笑顔でユアンを見上げてジェラルドは言った。
これまで比較的離婚理由を厳しくしていたニューヨーク州も、昨年法律が改定され、ほかの多くの州と同様1年以上夫婦仲が悪く元に戻らない場合、夫婦の一方または双方が望めば、協議離婚の手続きで離婚ができるようになった。
しかし、今回のジェラルドとアリシアの場合、その緩くなった法律に照らしあわせても、離婚が許されるほどの理由が見あたらないのである。
別居、といえるほどの期間は一年を満たないし、弁護士にすら言っていないが、ニューヨークに戻ったときには一度とはいえセックスもしている。二人が離婚したい最大の理由は、このままでは人生の設計が思い通りに行かない、ということだが、そんなもの裁判所から言わせてみれば『我慢と努力と譲り合いでなんとかなるんじゃないですか? 結婚とはそういうものですよ』という、至極まっとうなご意見なのである。
「いっそのこと、裁判官の前で仲の悪い夫婦の罵り合いでも演じてみれば?」
俳優なんだから。
ユアンの視線はそう言っていた。
「それができればね」
ジェラルドは視線だけ向けて答える。
ただ、演技に少しでも感情が入れば、そこには居ないが、確かに二人を隔てているユアンの存在をうっかりどちらかが口にしそうで、できなかった。
裁判内容を秘匿できないアメリカではそんな事態になれば確実にユアンに迷惑がかかるし、その事実は二人の離婚を泥沼にしそうな気がする。
その事を今ここでユアンに言ってみようか。
ジェラルドの少し意地悪な気持ちが働いたが、すぐに萎えた。彼は自分に向けられたジェラルドの愛情について話が及ぶと、たぶん聞かなかったフリをする。告白してからこっち、それが一貫した彼の態度なのだから。
「とりあえずは、既成事実として、一年間は別居してみようと。仕事による別居でも一応はカウントされるみたいだし」
「別居はいいとして、スキャンダルのシーズン一は規定では二〇話で終わるはずだ。今は契約上トレーラーハウスを借りているが、その後はどうするんだ? シーズン二があったとしても、間があくだろう?」
「とりあえずは、ネバダにいる親父を頼るつもり。定住してるかどうかは別として、生きてるらしいってのはわかってるから。そこを拠点にしてロスか、サンフランシスコに家、ってのはいずれ夢だけど、そこまで高い物件を手に入れることはできないから、サクラメント郊外で手ごろな物件を見つけようかと思う。今回のドラマの契約で、まあそこそこの小金は手には入ってるし。それと端役じゃなく、もっと実力を養えるだけの役に挑戦しようと。あとは、べガスで舞台に挑戦しようかな、なんて」
「舞台を?」
「ブロードウェイ程お高いレベルじゃないが、だからこそ俺みたいなブランクのある演劇俳優でも飛び込むだけの隙はある。実力がなければすぐに打ち切られちまうべガスはべガスなりの厳しさがあるが、演劇の開催数もニューヨークよりは多いから、武者修行するにはいいかな、と。そう思えたのも、ユアン、あんたの影響かな」
ジェラルドはユアンに微笑みかける。
ユアンが演じる、ユアンという作品を知ること。
ジェラルドはジョンからの助言を元に、ユアンがアメリカへ帰ってくるまでにネット上に落ちている限りの彼の作品をひたすら見ていた。映画、テレビはもちろん、その中には演劇も一部ある。
見れば見るほど、ユアン・ルイスという俳優の、プロフェッショナルとしての演技幅の広さ、巧妙さと自分の出来そこない具合と矮小さを思い知らされる。二人は住む世界が違うのだという意識に自信を失いそうになるが、だからこそ、その世界に近づきたいという気持ちも生まれた。ユアンがジェラルドの影響受けてテレビの仕事をやってみようかと思ったように。
ジェラルドの挑戦に、ユアンは目を輝かせて称賛した。
「素晴らしい、ジェラルド。そうなんだよ、君には挑戦するだけの価値がある。それが私の影響だというなら、これほど嬉しい事はないよ」
本当に嬉しそうな笑顔だった。ロスのダウンタウンで見たぱっと明るくなる、その顔と同じだった。
かわいい人だ。
その顔が曇るなら、この想いはこのままなかった事にしてしまってもいいのかもしれない。
ジェラルドはユアンと離れている間に、時折そんな風に思うほどの余裕が生まれてもいた。
「そうだ、ジェラルド。もしよかったら、今夜、私のセカンドハウスで演劇のDVDを見ないか?」
「あんたの映像?」
「自分のをひたすら見せようとする程、自意識過剰じゃない。いろいろな先輩方や監督、脚本家からもらった演劇の記録映像がある。ネットじゃ手に入らないものばかりだよ。君の後学に役立てば嬉しい。気にいったものがあれば貸してもいい。…ただ、今夜はちょっと遅くなりそうだから…。トレーラーハウスに迎えに行くよ。寝ないで待ってもらえると嬉しいんだけど」
提案しながら申し訳なさそうなユアンに、ジェラルドはふとジョンから預かった鍵の存在を思い出す。
ディレクターズチェアにかけていたジャケットのポケットを探り、そこからいろんな鍵がついた束を取り出し、そのうちの一本を取り出してユアンに示した。
「これ、ジョンから預かった。あんたのセカンドハウスの鍵だって」
「ああ…」
一旦鍵を受け取ったユアンの顔が曇る。暫くそれを眺めていたユアンだったが、ジェラルドに再びそれを返した。
「これは君が持っていていい」
「いいの?」
「うん。今夜もよかったら先に行って、好きなDVDを見ててくれていい。テレビ台の中にディスクとプレーヤーはあるから。住所は後でメールで送っとく。少し遠いから、タクシーを使ってくれ。それと…他に、ジョンから受け取ったものはなかったかい?」
「他に?」
ジェラルドは鍵をジャケットに仕舞い、ジョンから渡されたDVDを思い出す。
「DVDかな」
「見た?」
「いや。何のDVDかわからなかったし、その時間もなかった」
「あれはもともと私のものだ。それを返してほしい」
「たぶんトレーラーの中のバッグに入ってると思う」
「じゃあ、今夜、それも持ってきてくれ。それ以外のDVDは好きに見ていい。あと、わかってるかもしれないが、私の家に食べられそうなものはないんだ」
「野菜と果物とシリアル以外に。そうだろうな、とは思った。何か買って、作っておこうか? キッチンはあるんだろ?」
「殆ど火を使った事はないけどね。楽しみにしてるよ」
ユアンがにやっと笑ったところで、ジェラルドは呼び出される。
去りゆくその背中を、ユアンはじっと見送っていた。
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