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第1話
第一話
空のグラスにそっと手を伸ばし、お客様の会話の邪魔にならないように下げる。
前職でみっちりしごかれた接客がこんなにも活きる仕事にありつけてよかったと思う。
働き始めた頃、そんなおれの接客を見たオーナーが、
「お前慣れてんね、任せるわ。店」
と冗談めいたことを言って笑っていた。冗談だと思ったのでおれも笑ってた。
次の日から、元ホストで信用もくそもないおれに店を預けたまま。オーナーはほぼ顔を出さなくなった。
働くのは好きじゃないが、前職に比べれば平和そのものの職場は居心地が良い。
歌舞伎町の隅の隅にあるさほど大きくないただのバーなので、店員はおれの他に2人のバイトのみ。今のところ順調に店は回っている。
本日のお客様は今のところ1組の男女だけ。
水曜日はどうにも集客が悪いのはいつものことだが、それにしても23時を過ぎてこの集客では今日の売り上げは赤字に近いだろう。
正直経営をしているわけでもない、何の責任もないおれにとって日々の売り上げはどうでもよかった。給料変わんねーし。
「お兄さん、ジントニックください」
余計なことを考えながら、先ほど下げたグラスを洗っているおれに本日唯一のお客様からのご注文が。
応えるために顔を上げると妙に綺麗な男がにこやかに頬杖をついていた。
「かしこまりました」
おれの返答に軽く会釈をし、連れの女性の話を聞いている綺麗な男。顔が綺麗なことは間違いないが、まとっている雰囲気がこの歌舞伎町という街には似つかわしくない澄んだ空気感を漂わせていた。
立地もあり、この店に来る男女はホストとその姫という組み合わせが圧倒的に多く、この2人もそうだろうとほとんど顔や会話に興味を抱かなかったおれはこのときはじめて2人を確認したのだった。
「なおはぁ、もっと有名になれるよ、あたしがしてあげる」
「僕は今のままで十分幸せですよ」
「ちがうの、してあげたいの。あたし、なおになら、なんでもしてあげたいんだってばぁ」
「ありがとうございます」
地獄みてーな会話だ。ホスト時代を思い出して吐きそう。
この一瞬の会話だけでも、女性だけが好意を持っていて、男の方からは一切のフラグが立ってないことが分かる。これはさすがに全世界の人が分かるだろうに、酒が入って判断力が鈍りまくったこの女性には「優しい男」に見えるらしい。
それにしてもこの男、突き放しもせず、受け入れもせず、絶妙に決定打は与えないように会話してんな。やっぱりどっかのホストなんだろうか。
またしても余計なことを考えていると女性が席を立った。男はフラフラとトイレに行く後ろ姿をちらりと見送って、興味なさげに携帯で時間を確かめた。
「お客さんさぁ、その気がないなら女の子とこんなとこ来ちゃだめだよ」
あー、しまった。お節介だとはわかりつつも、元の職場の後輩を見ているような気持ちになってつい話しかけてしまった。
日本人にしては薄めの茶色っぽい瞳がきょとんとしておれを見つめる。
「どういう意味ですか?」
「…今トイレに行ってるあの子、君とどうにかなりたくてここにきてるわけでしょ」
「あはは、そうみたいですね。僕はなにもする気ないですけど」
「だからぁ、何もする気がねーなら気を持たせちゃだめでしょってこと」
「ふふ、そんなの。向こうが勝手に期待してるだけで、僕には関係ないですから」
整えられた髪、目尻に流れる睫毛、頬に添えられた指先のすべてが美しいこの男はゆっくりと微笑んで「関係ない」とそう言った。
はいはい、分かっててやってるわけね。
「あっそ…ママ活?」
「まさか。仕事の打ち上げで連れてこられただけです」
「仕事のね。…お客さん、芸能関係の人?」
「いえ、普通の大学生です。たまにバイトでモデルとかやってるだけで…芸能人に見えます?」
「いんや、ホストじゃなさそうだったから消去法。この店ホスト多いけど、たまに芸能関係の人も来るからさ」
「消去法って…」
おれの物言いに苦笑いをしつつ、今はいない連れと話すよりも楽しそうに少し砕けて笑っている。
「このお店、ホストの方が多いんですか?」
「まぁ、ほとんど新大久保寄りだけど一応歌舞伎町だからね」
「たしかに、かっこいいお兄さんがたくさん歩いてたなぁ」
「お客さんもかっこいいっすよ」
「あはは、知ってます」
手を止めて顔を上げると、それはもう自信満々な、おそらく何人もの女の子を落としてきたであろう蕩けるような笑顔でおれに向かって微笑んでいた。いやなんでおれに?大丈夫です。そういうの。
「あれ、無反応?」
「いやぁ。かっこいいっすよ、まじでまじで」
「そっけないなぁ」
「っ、」
「僕に惹かれたから、こっち向いてくれないの?」
作り終えたジントニック置いた手をそっと握られ、それはもう口説いてるとしか思えないような甘い声で囁いている。こいつ、女と一緒に来てるくせに男の店員相手になにしんの?ごめんなさいね、おれはそんな初歩テクニックできゅんとなるような純粋さはもう空の彼方っすよ。
「すっげー自信」
「あれぇ、つれないなぁ。お兄さん、変わってますね」
「君に言われるのかぁ」
「だって僕ですよ。こんなに美しいのに、靡かないなんて変わってますよ」
「自分で言うんだぁ」
「お兄さん、僕のこと別に好きじゃなさそう…おかしいな…」
「初対面の男をすぐ好きになるってどんな魔法だよ。自意識過剰」
「生まれつきの王子様ですから」
この男、まじで言ってんな。とこの時確信。
全人類が自分の魅力に骨抜きになると本気で思っている。なるほど、確かにこの歌舞伎町には自分に自信たっぷりの男女がそれはもうたくさん生息しているし、おれも散々見てきたけど、ここまでの奴は見たことがない。「歌舞伎町っぽさ」とはかけ離れているはずだ。
そりゃあ自分に好意がある状態がデフォなわけだから、こんな店にこんな時間に自分に好意のある女性と2人でくることになんの特別感もないし、興味ないってわけだ。
望まない好意への対処法も、処世術同様に身につけてきたんだろう。
それゆえに、この「王子様」というブランドをぶら下げた見た目はどうにも御しやすそうな男を欲しがる人間は後を絶たないだろうと簡単に想像がついた。
「…あの手の女の子がステータスで欲しがりそうな男だなぁ」
「え?」
「いやいや、王子様は大変だねぇってこと」
「別に?生まれてみたら王子様だったので」
あまりにも当たり前のように言うこの二十歳そこそこの王子様に、不覚にも笑ってしまった。だってこいつ、イカれてるよね。多分。
「あはは、君、ほんと、おもしれぇ男だね」
「ありがとうございます…お世辞ですか?」
「ふふ…自信のある男は好きだよ」
「っ…」
俺の言葉に驚いたのか、スラスラと流れるように紡いでいた言葉を飲み込んで、目をぱちぱちさせている。大したカウンターパンチじゃないだろうに。
「…お兄さんも面倒くさいのに好かれそうですね」
「おー、よくわかってんねぇ」
「うん、だって僕、お兄さん好きだもん」
「…うん?」
動揺してる間に手を握られた。手を引こうにもさっきよりもぐっと力をこめて手を握られているからか、あまりにも自信に満ちた瞳がまっすぐ見つめてくるからか、不覚にも動きを止めてしまった。
「ね、連絡先教えてください」
「いやいやいや、とりあえず手離そっか?」
「連絡先教えてくれたら離します」
「お客さん、口説く相手間違ってるって」
「口説いてるって思ってくれるんですか?」
「いやいやいや…お客さん、そっちの人?」
「あはは、違いますよ。でも…」
「なになにぃ、何はなしてるの~?」
変わらずフラフラとした足取りで戻ってきた女性に話は遮られ、そのまま自然と3人で雑談をする形になってしまった。
男はすっかり王子様の仮面をつけたようで、滞りなく微笑んで、ユラユラと飛び交ってくる好意の矢印を避けまくっている。
こいつ、口説いてるつもりだったんか。おれのこと。
日付が変わって大分時間も経ち、ようやく帰る気になった女性が当たり前のように支払いを済ませた。やっぱママ活じゃねーかという言葉は営業スマイルの裏に隠しつつ、外まで見送りに出る。いつの間にか店内には何組かの男女(こっちは明らかにホストと姫)がいるが、それぞれの会話に夢中なようで少しの時間ならカウンターを離れても大丈夫だろう。
「またご来店お待ちしております」
「もちろぉん、また一緒にくるもんねぇ?直央ぉ」
女性の言葉にYESもNOも言わずに「足元危ないよ」とだけ声をかける男に、さすがのおれも段々と尊敬さえ感じてきた。その辺のホストよりよっぽど女性のいなし方が上手い。
「まりなさん、先にタクシー行っててください。すぐ行くので」
「え?うん、わかった」
女性が乗ったエレベーターの扉が閉まるのを確認して、どう考えても嫌な予感しかしなかったおれはすぐに店に戻ろうと一歩下がった。それがいけなかった。
「お兄さん」
男は慣れたようにおれの後ろの壁に手を伸ばして、簡単におれを壁に追い詰めた。壁ドンかよ。現実でやるやつ初めて見たわ。歌舞伎町でも見たことねーよ。
「連絡先、教えてください。ね、おねがい」
きっとさっきの女性が望んでいるであろう声色で、なんでおれに囁いてんだこいつは。
一体おれのなにがそんなにこいつのツボにハマってしまったのかは謎だが、もうめちゃくちゃに興味を持たれている。ゲイってわけでもなさそうなのになんでだよ。
「だめ?…じゃあ名前だけ。連絡先は今度でいいから」
黙っているとそれを拒否だと感じたのか、今度は少し申し訳なさそうに眉を下げて条件変更。ほんとすげーなこいつ。
おれは予め用意しておいたメモを胸ポケットから出した。
「…名前と電話番号?」
「店に通われてもめんどーだから、あげる。おまえ、なんかおもろいし」
「LINEじゃなくて電話?これほんとの番号?」
「おれ、LINEやってないんだよぉ」
「ええ~?」
「ほんとだって。番号も本物だから。あとでかけてきな一回だけでてあげる」
「…! はい!」
嬉しそうに渡したメモをポケットにしまった男は、「ゆみとさん、てかわいい名前ですね」なんて少女漫画のようなことをガチで言いやがった。
「じゃあね、王子様」
「あ、まって。僕の名前…」
「なおくん、でしょ」
「なんで知ってるんですか?」
「さっきの女性が散々自分のものみたいに言ってたからね、」
喋り終わるかいなかのところで、いつのまにか腰に回っていた手に引き寄せられて、気付けばキスでもされそうな距離に王子様がいた。
本当に整ったアーモンド形の瞳がほんのり熱を帯びていることすら見えてしまうくらいの距離だ。
「もういっかい呼んで?」
言わなければ離してはもらえないんだろう。というか、懇願するような声で言われると、おれは弱いのだ。かわいいと、ほんのちょっとだけ、思ってしまうのだ。
「…なおくん」
「くんはいらないです。直央って、呼んでください」
「直央…え、なにこの状況」
「もう一回だけ」
「…直央」
なんだかおれまで、すこし、ほんのすこし、体温が上がってきているような感覚が体中をぞくっとさせた。あと10秒見つめられたら、
「ふふ」
軽い笑い声と一緒に離れていく直央の体温が、現実に引き戻してくれた。あっ、あぶねえーーーー。
「あとで電話しますね、ゆみとさん」
「いや別にしなくていい」
「待っててくださいね」
「っ、」
今日のおれはよほど隙だらけらしい。頬にキスされるなんて、ホスト時代だったら絶対に避けられたはずなのにすんなりされてしまった。
「おい」
「王子様のキスですよ」
「あほ、帰れ」
ヒラヒラと手を振ると、エレベーターに乗った直央が嬉しそうに手を振り返した。
「じゃあ、あとで電話しますからね」
「へ~い…」
エレベーターを見送り、先ほど壁ドンされた壁に一人で力なく手をつく。
頬をなぞり、直央の笑顔、声、腰に当てられた手の温度…エトセトラ…一連の出来事を思い出し、やっと正気に戻ったような気がした。
「…まずった」
王子様って魔法使えないはずだよな?
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