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第9話

第九話  授業が終わって携帯を確認すると、目を疑うようなメッセージが入っていた。 急いで身支度をして、教室を出る。 いつもなら声をかけてくる女の子や同期生に丁寧に笑顔を振り撒くところだけれど、今の僕にそんな余裕は無い。  「今行きます」と短く返して、足早に校舎を出た。  外は授業を終えた学生が行き交っていて、なかなか思うように見つけられない。何度も振り返ったり、携帯を確認しているとそっと肩を叩かれた。 「王子様、探し物?」 「… っ、ゆみとさん!ここで何してるの?!」  ゆみとさんは興味深そうに僕を見つめている。足元から顔まで。そのまま目が合って、嬉しそうに目を細められた。 「いつもと同じような格好だけど、ここにいるとちゃんと大学生に見えるね」 「はい…?」 「いいじゃん、大学生彼氏」 「…えっ…え?!」  混乱している僕をよそに、ゆみとさんはいつものようにゆったりとした足取りで歩き始めた。慌ててその背中を追いかける。 「ちょっと、ゆみとさん!」 「おれ高卒だから、大学って未知なんだよなぁ。案内してよ」 「案内って言われても…別に普通ですよ?」 「いいんだよ。普通で。直央(なお)が大学生してるとこが見たいだけだから」  …なんというか、見るからに機嫌がいい。  数日前の横浜でのデートを終えてから、ゆみとさんからの連絡はぱったりと途絶えた。 それでも前のように距離を置かれた気がしなかったのは、あの夜の観覧車での会話が僕達にとってすごく特別な時間だったと実感していたからだ。  別れ際、ゆみとさんは「待ってて」と言ってくれた。だから、今度は信じて待つ番だと、大人しく待っていたら…いきなりこれだ。 『今、直央の大学来てんだけど。いる?』  いなかったらどうするの。 なんでいっつも突然なの。 頭の中で、それはもう色んな疑問が湧いていたけれど、とにかくずんずん勝手に歩いていくゆみとさんを追いかけた。 「案内しますから、勝手に行かないで」 「直央がいつも行くとこがいい」 「うーん…じゃあ、食堂とか行ってみる?」 「おー、いいね。大学の食堂」  今日のゆみとさんは本当に、機嫌がいいみたいだ。鼻歌でも歌い出しそうなくらい。 「ゆみとさん、なんでそんな嬉しそうなの?」 「あ?うれしそうに見える?」 「うん。機嫌いいなって」 「まぁ、直央に会えたからね」 「え…?」 「会いたかったから、会いにきた。それだけ」 「ゆみとさん…」 「お、あれが食堂?なんかいい匂いする」 「…」  なんとも言えない気持ちを抱えながら後を追う。  鼻歌を歌いながらメニューを選ぶゆみとさんを抱きしめたい衝動を抑えて、昼食のメニューを決め、席に着いた。  正直なところ、食堂を利用したことは数えるほどしかないけれど、ゆみとさんが楽しそうだから別にいいか…と頼んだきつねうどんを啜った。 「うまいじゃん、カレー。これで四百円てすげーな」 「きつねうどんも美味しいよ、食べる?」 「うん」  一口だけ、といいながらうどんを啜るゆみとさんに聞きたいことがいっぱいある。我慢しようと思ったけど、聞いてしまおう。 「僕に会いたかった…って、ほんと?」  カレーを頬張る手を止めて、ゆみとさんはちらりと僕を見てまた笑った。 「おれ、ほんとに信用ないんだねぇ」 「あっいや、そういうんじゃなくて、」 「ふふ。分かってるよ」 「…」 「ほんとだってば。会いたかったよ」  短い付き合いだけど、こんなゆみとさんは初めてだった。いつも僕の好意をのらりくらりと交わして、受け入れることも拒否することすらしなかったのに。今日は素直に言葉にしてくれる。 「ゆみとさん、なんかあった?」 「んー…あったといえば、あった。かな」 「あったといえば?」 「うん」  なにか吹っ切れたような空気感をまとうゆみとさんは、美味しそうにカレーを頬張っている。  いつも通っている大学にゆみとさんがいるのは本当に不思議だ。  ふと、近くに座っていた女の子達の視線が、いつの間にか僕達に向いていて、みんな浮き足だってコソコソと話している。 正直今は邪魔されたく無いから、牽制の意味を込めてニコリと笑顔を振り撒くと、女の子達は黄色い声を上げて勝手に盛り上がっている。 それに気づいたゆみとさんが呆れたように呟いた。 「…お前ってほんと、どこいっても注目されんのな」 「しょうがないね、僕だから。…気になる?」 「いや?お前といるといつもこんなんだから、慣れた」  本当に気にしてなさそうにそう言ってから、ゆみとさんは女の子たちの方を向いた。 「君たち、直央の友達?」 「えっ…?あ、いえ、…」 「あー、もしかして直央って大学で有名人なの?」 「は、はい、ファンが多いっていうか」 「かっこいいから、目立つし、」 「モデルもやってるって、」 「みんな憧れてて…」  数か所から口々に言う女の子たちとゆみとさんはテンポよく話している。僕はといえば、僕の話題で盛り上がっているのを蚊帳の外で見つめるだけ。 「お兄さんは、直央くんのお友達ですか?」 「おれ?友達ではないかなー」 「じゃあお兄さん?」 「秘密ぅ」  途端にキャーっと声が上がる。うーん、なんというか女性の扱いが…上手い。ホスト時代のゆみとさんはこんな感じだったのかな。 「すげーな、おまえ超有名人じゃん」 「僕、目立つからねぇ」 「つーか、直央くんが食堂にいるの珍しいって言われたんだけど。全然いつも行くとこじゃねーじゃん、ここ」 「あ、ばれた」 「うどん食ってる直央くんかわい~だってよ」 「あはは」  よく聞いていなかったけど、そんな会話までしてたのか。 「王子様だって、うどんくらい食べるよ」 「どう見てもミスマッチだけどね」 「ミスマッチって…じゃあ何食べてればかっこいいの?」 「…ろ、ローストビーフとか…」 「ふふ、それかっこいいのかなぁ」 「ふは、知らね」  ゆみとさんは、僕が注目されたり、もて囃されたりしてるのをいつも面白がっている節がある。笑って、からかって、僕の隣で面白がってくれている。 今まで付き合った女の子は、僕が注目されることを自慢気にしていた。それはゆみとさんが言うところの『直央という存在をステータスにしてる』というやつだったのだろう。 ゆみとさんは、そんなことはどうでもいいみたいだ。なんせ僕はゆみとさんにとって「おもろい奴」なんだから。  ああ、心地いいなぁ。この人といるのは。 「ここで授業受けてんの?」 「はい、普通でしょ?」 「ドラマとかで出てくる、段々になってる机の教室とかじゃないんだ」 「そういうところもあるよ。でも、こういう平たい講義室の方が多いかな」 「講義室ねぇ…」  昼食を終え、もう少し案内してくれというので普段授業を受けている講義室へ行ってみた。覗いてみると誰もいなかったので、堂々と部外者のゆみとさんを招き入れることに成功。  ゆみとさんは興味深そうに眺めて、窓際の席に座った。手招きをされて、僕もその隣に座ってみる。 頬杖をつくゆみとさんの肩から、さらりと髪の毛が垂れる。 「なるほど、こんな感じか」 「なにが?」 「直央と同級生の気分」 「あはは、年上の同級生だ」 「大学ならいるだろ、年上の同級生」 「いますね。色んな人がいますから」  僕とゆみとさんが机を並べて同級生ごっこだなんて。 「一緒に授業受けてる子の中に、おまえのことすきな子もいるんだろうね」 「かもね」 「同じ大学で付き合って、結婚するやつって多いよな」 「同じサークル内で、とかも多いですね」 「元カノはそういう感じ?」 「そうですね、同じゼミの子でした」 「ゼミの子ね…そういう普通の幸せじゃなくて、歌舞伎町のバーで出会った年上の男と恋愛するって、物好きだなって思わねーの?自分で」 「思わないよ」  即答すると、ゆみとさんは満足気に笑った。 まるでその言葉を待ってたみたいだ。 ゆっくりと立ち上がって、座ってる僕の前に立って、僕の頭を乱暴に撫でた。 「ちょっと、やめて、…もうっ、」 「直央、」 「ん?なに…」 「キスして」  ゆみとさんの香水の香りがして、その香りに誘われるようにゆっくりと唇を重ねる。 途端に自分の心臓が高鳴りだしたのが分かった。我ながら、本当に素直だと思う。  唇を離すと、ばちりと目が合った。 「学校でキスって、背徳感あっていいな」 「…ちょっと分かるかも、」  僕が同意するとは思わなかったのか、ゆみとさんは声を立てて笑った。 「直央もそういうの思うんだ」 「思うよ、そりゃ」 「おれはね。さっき、食堂でおまえにキャーキャー言ってた女の子たちの目の前でキスしたら、どんな顔すんのかなって考えてた」 「え?」 「外で直央を見つけたときも、抱きつきたいなーって思ったけど、我慢した」 「ゆみとさんが…?」 「うん。らしくない?」 「そう、だね」 わざわざ僕の学校まで来て、会いたいなんて口にしてくれて。今日は、ずっとずっと、らしくない。 「でももう我慢の限界」 「…っ、」 「…直央の家、行こ」  僕の耳元で囁くゆみとさんの声は、眩暈がするほど甘かった。 「…この前とおんなじだね、」  僕の家について、玄関に入った途端。抱きしめて、キスをした。まだ靴も脱いでないし、上着だって着たままだ。 「同じじゃねーよ。酔ってないし、おれ」 「あはは。ベロベロだったもんね、ゆみとさん」 「反省してるってぇ」 「反省してください」  あの時とは違う、流れる空気の甘さに酔いそうだ。 ゆみとさんは僕の腕の中で大人しくしてくれているし、会話の途中で、いたずらのように軽いキスをくれる。 幸せすぎるんだけど、これって、夢?  リビングに移動すると、ゆみとさんは怪訝そうに眉を顰めた。ぐるりと部屋中を見渡している。 「どうしたの?」 「この前は逃げ帰ったようなもんだったからよく見てなかったけどさ…広くね?大学生の一人暮らしにしては」 「ああ。ここ、元々は母親と二人で住んでたからね」 「お母さんは?」 「イギリス人の彼氏とイギリスに住んでるよ」 「いつから?」 「僕が大学生になったときだったかな?」 「それからずっとここで一人暮らしね…」 「うん」  母は、僕が小学生のときに離婚した。離婚の理由は知らないけど、父の記憶がほとんどないことを考えると僕が小さい頃から別居していたようだ。 それからずっと二人。母と二人での生活は友達とのルームシェアのようで好きだった。 「仲良いんだ?」 「そうですね。友達みたいな感じです。反抗期も無かった気がしますし」  母が気に入っていて、今も飾っている写真をゆみとさんに見せる。中学生の頃、陸上部の試合を見に来てくれた母と二人で撮った写真だ。 「超美人で超似てんじゃん!」 「あはは、そうですね。母さんもよく言ってました」 「そんな仲良くて、よくイギリスについて行かなかったな」 「うーん…僕も大学生になったところだったし…母さんには母さんの好きな人と好きな暮らしをしてほしいなって思って。彼氏もすごくいい人だったから」 「ふーん…」  ソファで写真を眺めながら、ゆみとさんは僕の肩に頭を寄せた。また香水の香りがふんわりと漂う。 「ゆみとさん?」 「…」  じっと写真を見つめていたゆみとさんが、急に振り返る。 「そういやおれたち、写真撮ったことないよな」 「そういえば無いね」 「携帯貸して」  ソファの端に放り投げていた携帯を取って、ゆみとさんに渡すと、慣れた手つきでカメラを構えている。画角にしっかり二人の顔を収めて、パシャリ。 「…自撮りとか久しぶりだわ」 「ホストの頃はよくやってたの?」 「うん。インスタとかやってたし」 「えっゆみとさんが?」 「うん」  ゆみとさんがインスタ…この人、今はラインすらやってないのに。なんというか、僕たちはお互いに知らないことが多すぎるみたいだ。 「あ、ブレてる」 「ほんと?」 「もう一枚だな。もうちょい寄って。…タイマーにするか」  言われるがまま、さっきよりも体をくっつけて、画面を覗く。3、2…とカウントダウンがはじまる。2、1、 「…っ」 「あは、めっちゃうまく撮れてる。ちゅー写真」  シャッターが切られる瞬間、ぐっと胸倉を掴まれキスをされた。カシャっという音とともに、仕組まれていたことに気付いたけれど、もう遅い。 「もー…絶対変な顔してるよ、僕…」 「してないよ?かっこいい」 「…じゃあいいけど」 「ほんとだって。かっこいいよ、直央」  ちゅっと音を立てて、頬にキスをくれる。 「直央、」  僕を呼ぶ声に少しの熱が籠っている。 たまらずゆみとさんをソファに押し倒した。さらさらと流れる前髪の隙間から、ゆみとさんの瞳を覗くと、真っ直ぐに見つめ返してくれた。 「おれさ、おれのことをすきじゃない人がすきだったんだよね」 「…どういうこと?」 「自分をすきじゃない人をすきでいれば、置いてかれることも怖くないから。安心してすきでいられたんだよ」 「よくわかんない…好きな人と好き同士になれたほうが幸せでしょ」 「そうだけど…それがどうしようもなく怖かったんだよ、おれにとってはさ。幸せになるのがめちゃくちゃ怖くて、最初から欲しくもなかった」 「…」  ゆみとさんの口調は軽い。 だけど、きっとこれが僕の好意を躱し続けていたゆみとさんの本音なんだろう。置いていかれるのが怖くて、いつかなくなるなら最初から幸せなんか欲しくない。 「でも今、僕達は両思いだよ」 「…そうだね」 「僕は今、すごく幸せ」 「うん。おれも」 「今も、…怖い?」  僕の問いに、ゆみとさんは即答はしなかった。 それでも少し考えたあと、目を見て、言ってくれた。 「ううん」 「…」 「幸せになるのって、全然怖くねーな」    シャワーを浴びて寝室に戻ると、ゆみとさんはベッドの上で胡坐をかいて、携帯を見ていた。その背中を抱きしめると、くすぐったそうに笑う。  携帯の画面には、さっき撮ったキスしてる写真が。 「やっぱり変な顔してるよ、僕」 「そう?かわいいよ」 「…さっきはかっこいいって言った。適当に言ってない?」 「かっこかわいい、ふふ」  僕としては撮り直したいところだけど、ゆみとさんは気に入っているらしい。仕方ない。また今度、違う写真で再チャレンジするしかない。 「ゆみとさん、髪の毛まだ濡れてるよ」 「いいよ、そのうち乾くって」 「でも、」 「もういいから、…はやく、ちゅーして」  ふざけた言い方なのに、僕の心臓は跳ねる。 まだ熱を感じる体を引き寄せて、キスをした。 「んっ…はぁ、」  吐息と一緒に漏れる声が、あの夜を思い出させる。だけどもう、ゆみとさんは逃げたりしないと確信があった。 僕をすきだと言ってくれたんだから。 「あ、…んっ、」  着ていたTシャツの中に手を入れると、ゆみとさんの体が跳ねた。もちろん僕の心臓も。 「ここ、触って、」  強請るように言って、ゆみとさんは僕の手に自分の手を重ねて誘導するように体を滑らせた。 「きもちい、から…、もっと、」  自分の経験の無さが今だけは憎くなる。もっとスマートにゆみとさんを気持ちよくさせてあげたいのに、ぎこちない。 「直央…?」 「あ、ごめんね、」 「緊張しすぎ、…いいよ、すきにして」  ゆみとさん、それは殺し文句すぎるよ。 「ゆみとさん、…すきだよ…っ」 「おれ、も、…あっ、」 「キス、していい?」 「うん…っ、」  熱い体に触れるたび、少し掠れた声が漏れて、頭の奥が痺れる。    ゆみとさんに求められる度、体の奥が痺れるような気がした。 こんな感覚はもちろん初めてだったけど、戸惑う余裕なんてなく、うわ言のように名前を呼びあって、互いの熱を何度も確かめ合った。   そこからはもう夢中だった。 「ゆみとさん」  ベッドで微睡むゆみとさんに声をかけると、のっそり起き上がった。水のペットボトルを渡し、隣に座る。ゆみとさんはすぐにくっついてきた。 「…なに」 「ゆみとさんて、もしかしてすごく甘えん坊?」 「なんで?」 「だって今日、僕が近くに来るとすぐぴとっとくっついてくるじゃん」  ゆみとさんは渡したペットボトルを一口飲んでサイドテーブルに置いた。 「おまえは今、おれの核心に触れた…」 「え?なに?なんかの台詞?」  突然、ゆみとさんは舞台の俳優さんのような口調でそう言って、腕を組んだ。僕の疑問はスルーされ、そのまま続けるみたいだ。 「これはおれの過去に繋がる物語…」 「物語?」 「そうだぁ…聞きたいかぁ…」 「聞きたいです」 「まぁ、自己解決した話なんだけどさ」 「自己解決?」 「うん」  物々しくはじめたくせにもう飽きたのか、あっさりいつものゆみとさんの口調に戻っている。 「前に、ホスト時代にすごいすきだった人がいたーみたいな話したの、覚えてる?」 「…はい」 「おい、あからさまに不機嫌になんなよ」 「だって…今しなくても、」 「いいから、直央に聞いてほしいの」  ゆみとさんは、僕の手を取って、自分の背中に回した。 分かりやすく機嫌を取られているのは分かってるんだけれど、ゆみとさんにされるとすぐ上機嫌になってしまう。 「…聞きます」 「ん。…その人、お前も気づいてると思うけど、帝さんの店の前で会った人ね」 「えっと、貴羅(たから)さん、」 「なんで知ってんの?」  不思議そうにしてるゆみとさんに相楽さんの名前を出すと、納得したようで苦笑いしている。 「その貴羅さんね、まぁクソ野郎でさ。おれが一方的にすきだったんだからしょうがないんだけど、おれのこと散々振り回しておいて、客と結婚して急にいなくなってさ」 「お客さんと結婚?」 「そう。そんでおれ、もう全部嫌になって、店もホスト辞めて…ちょっと自暴自棄っぽい感じだったかも。今思うと」 「そうなんだ、」  どう聞いても幸せな過去ではないけれど、ゆみとさんの口調はあっさりとしたものだった。 自己解決と言っていたから、自分の中での整理がついて、僕に話してくれているんだろう。  突然の舞台口調ではじまったのは、照れ隠しだったみたいだ。 「たまに、なんで貴羅さんにフラれたことがそんなに衝撃だったんだろうって思ってたんだよ。とくにお前と出会ってからは」 「僕と?」 「うん。直央と出会って、お前の猛アプローチに傾きそうになる度、すっげー怖くなるのはなんでなんかなって。ずっと考えてた」 「答えが、出たの?」  ゆみとさんは小さくうんと頷くと、多分ねと付け足した。 「おれの親も離婚してんだよね。おれが小四のときにさ」 「えっ、そうなの?」 「そう。おれの場合は父さんと暮らすことになった。ていうか、母さんがいなくなったんだよ、男と」 「不倫…て、こと?」 「いやもう、典型的な不倫からの離婚。結構泥沼」 「あー…」  さっき僕が母さんの話をしたとき、写真を見つめながら考えていたのは、ゆみとさんのお母さんのことだったのか。 「どんな人だったの?」 「それがさぁ、いわゆる良いお母さんだったんだよ。料理はうまくて、いつも笑顔でやさしくて、なんていうか…愛情深い人って感じ?」 「素敵なお母さんだけど…どうして不倫なんて、」 「おれ、すっげー覚えてることがあって」 「覚えてること?」 「…学校から帰ってきて、いつも通り友達と遊びに行こうと思ったら、母さんに呼び止められたんだよ」 「うん」 「で、唐突にさ「ゆみと、お母さんも幸せになっていい?」って言ってきたんだよ」  相槌を打つ言葉が詰まる。 「おれよく分かんなくて、いいよって答えたと思う。で、そのしばらく経ったあと離婚。母さんは新しい男と消えた」 「…」 「こんなの子供の頃の話だし、忘れてたんだけどさ。さっき、お前とお母さんの話聞いてて思い出した」 「そっか、」 「多分おれ、母さんに言われたことがすっげーショックだったんだよな、多分」  なんて言っていいかわからず、ただゆみとさんの細い肩を抱き寄せた。ゆみとさんは軽く笑って、頭を預けてくれた。 「前に元カノの話したけど、あんなん全部ヒモみたいなもんでさ。最初から深入りするような関係にはならなかった」 「うん、」 「でも貴羅さんのことは、あんなクソ野郎なのに、おれほんとにすきだったから…あの人にまた置いていかれて、嫌になっちゃったんだよな」 「…うん、」 「直央もいなくなったらって考えたら、おまえの気持ちに応えるのがすげー怖かった」 「…」 「でも、もう大丈夫」  肩に置いた僕の手にゆみとさんの手が重なる。 「直央は、おれのこと、ずっとすきでいてくれるんだもんね?」  いつもの口調のようで、ゆみとさんが勇気を出して聞いてくれているんだと、重ねた手の冷たさが教えてくれた。手を取って、熱を分けるように握り返す。 「僕はゆみとさんの王子様だもん」 「…うん」 「物語の終わりは、ハッピーエンドだよ」 「…ふふ、うん」 「僕が、ゆみとさんを幸せにするよ」 少しずつ、ゆみとさんの手が暖かくなってるのが分かる。 それだけで、この臆病な人が僕を信じてくれているんだと、分かる。 「直央、泣いてんの?」 「ちょっとだけ、」 「かわいいやつ」  僕に笑いかけるゆみとさんが、もうどうしようもないほど愛おしくて、言葉よりも先に抱きしめた。  埋められない年の差や、経験の差は、きっとこの先も僕達に試練を与えるだろうけど、僕はその度にこの人をすきになってよかったと思うんだろう。 「直央、すきだよ」 「僕だって」 「ずっと、そばにいて」    この人をすきになってよかったと。 何年経っても、この人の隣でそう思うんだろう。  それから僕達は明日の予定を決めて、眠りについた。  朝起きたら、近くのカフェに行ってモーニングを食べる。僕のお気に入りのカフェだ。  午後はスーパーに買い物に行く。 これはゆみとさんが提案してくれた。僕もゆみとさんも料理は滅多にしないけど、二人でやってみたい。美味しくてもまずくても、きっと楽しい。 そうやって、気付いたら何年も経っていて、僕達には抱えきれないほどの思い出が重ねられていく。 「ゆみとさん、おやすみなさい」 「おやすみ、直央」 それが僕たちのハッピーエンド。 あなたの王子様になりたいと願った僕が、あなたと迎えたいエンディングだ。 終

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