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見渡せば愛情だらけ
「おはようございます?」
「なんで疑問形だ。それより部屋に入る前にノックしろ、俺が忠義とお楽しみ中だったらどうする気だお前」
忠義のトラウマを掘り返すのが怖くて手を出せなかったへたれ飼い主にはそんなことする度胸ないから安心しろ。そう返せば案の定忠義の隣で一睡もできなかったのだろう、目元に昨日までの忠義よろしく立派な隈を作った誉がぐうと唸り声をあげた。
躊躇なく同じベッドで眠る二人に近づいて、くうくうと可愛らしい寝息を立てる忠義の顔を覗きこむ。顔色が昨日より幾分か良くなっていることを確認してほっと胸を撫でおろした。へたれ飼い主が忠義のトラウマをフラッシュバックさせるだけさせて、無理矢理意識を落とすような事態になっていたらどうしようかと昨夜はそればかり心配していたのだ。
腕の中で眠り続ける忠義をご機嫌そうに抱きしめ直した誉を見ていると、段々と腹立たしい気持ちがわきあがってくる。こいつのどこに忠義は惚れたんだか。それも、こいつの匂いがないと眠れないくらい深みにまで。
「…まだ、駄目か」
「そうだな、一つ一つなら多分耐えられるだろうけど、綺麗に全部揃うと俺の声でも聞こえなくなってた。まだ時間がかかるみたいだ」
それがわかっていたから、こんな強行軍させたくなかったんだけど。それでもそれが飼い主である誉の意思なら、忠犬である俺には何もできない。ただ命令されたとおりに動くだけだ。
忠義の家と俺の家は両家とも誉の家に仕える家系だ。年が近い俺たちはそのまま誉の護衛になるように育てられたが、一族の人間は直接的でなくても屋敷の警護や使用人など、どれだけ本人が嫌がっても結局は何らかの形で惣城 の家を守るような仕事についてしまう。血が俺たちを操作するように。
忠義の父親はその影響が人一倍強かった。誉の父親と年が近く、かつ俺の父親は歳が離れていたことが起因していたのかもしれない。それが恋や愛だと言われても違和感のないほどに彼は誉の父親を溺愛し、過保護になり、至上主義になった。それでもやはりそれは恋愛感情とは違ったのか、誉の父親が結婚した数年後に彼もまた最愛の女性を見つけ結婚をした。彼の仕事や主人への執着に理解がある女性だった。彼もまたそんな妻に感謝していたし、深く愛してもいた。それでも、どこかで歯車は狂ってしまった。
何がという訳ではきっとなかったのだと思う。それはきっと、誕生日であったり結婚記念日であったり、一つ一つのイベントを共に出来ない寂しさだったのかもしれないし、外から嫁入りした彼女にとっては他人しかいない広い屋敷の中で自分ひとりで子供を育てなくてはならないという不安感だったのかもしれない。彼女はあくる日、唐突に我が子の首を絞め殺そうとしているところを使用人に見つかり拘束された。
錯乱して叫び続ける彼女の言葉によれば、一族の血に縛られて主しか見えなくなってしまうなんて本人にとってもその配偶者にとっても家族にとっても不幸でしかない、と。そんな思いをこの子にさせるくらいなら、愛する私の手でここで終わらせた方がいっそ幸せだと、そう泣き叫んだのだという。
両親の愛に包まれ、安らぎ以外の何物も抱くことのなかった寝室で、心から愛し信頼を寄せていた実の母親に愛しているから一緒に死のうと言われた衝撃は如何程のものなのだろう。俺には想像もつかない。だけどその日から、忠義は柔らかな寝具の上で眠れなくなり、愛というものに怯えるようになった。本当はもっとたくさんあっただろう。食事をとれなくなったのかもしれない。人と会うことが、会話をすることが、触れ合うことが、恐ろしくなったのかもしれない。俺と誉はそんな忠義から引き離されてしまったから、睡眠を拒み愛に怯えるようになった忠義の姿しか知らない。ようやくその症状だけになった、事件から半年も経過したあとの忠義しか俺たちは知らないのだ。
半年ぶりに俺たちに会った忠義は、ただ泣いた。泣いて、誉がそんな忠義を抱き寄せて、そこで糸が切れたように忠義は眠りに就いた。後から聞いた話だが、この半年間忠義は肉体と精神の限界まで起き続け、限界まで来たら気を失ってまた短時間で起き上がるという生活をしていたらしい。それが、俺たちを見た途端、誉の体温に包まれた途端眠りに就いた。睡眠をとることができたというのは周囲をひどく驚かせるとともに、やはりという納得すら覚えさせられた。
それから以後、忠義は誉の部屋で寝泊まりすることになる。数か月そんな生活を続けていれば、本人にも周囲の人間にも忠義の睡眠障害は治ったように思われた。だから、元の屋敷に戻すのは精神衛生上よろしくないだろうという判断で誉の部屋の隣に忠義用の部屋を用意し、医者とも相談の上頃合いを見てそこで一人で眠らせるようにしたのだ。しかし、その試みはあえなく失敗に終わり忠義は初日に発作を起こすことになる。
その後試行錯誤を繰り返した結果発見されたのが、誉の匂いがあれば忠義は発作を起こすことがない、ということだった。一番快眠できるのは誉自身の体温らしいのだが、それは流石に周りの大人たちも良くないと思ったのだろう。今では誉のベッドヘッドに置かれたクッションと忠義のベッドヘッドに置かれたクッションを定期的に交換することによって、忠義に気が付かれないように忠義が自分の寝室で安定した睡眠をとれるようにしている。そう、忠義は自分が誉の匂いがないと眠れないとは気が付いていないのだ。ただ、自室では安心できて、他の場所では安心できないから眠れないと思っている。
当初学生寮の忠義の寝室にも同じようにクッションを置こうとしたが、一般生徒のベッドに備え付けのクッションなどないし本人もわざわざ置こうともしなかった。何かしら忠義の私物を置いて行こうとも思ったがそれとなく香りがわかって、かつ定期的に匂いのつけ直しのために外に持ち出す、またはそのための交換が容易で、挙句忠義がベッドサイドに置くものなど早々にあるわけがない。だから、俺たちが実家の用事だと適当に理由をこじつけて忠義の限界が来る前に実家に連れ戻しては自室で睡眠を貪らせるという手段をとっていたのだが。
「ここまでしたんだ、これからはどうにかして忠義にまともな睡眠を提供しろよ、飼い主様?」
「…代わりに今度は俺が不眠症になりそうだけどな」
誉に睨みつけられることなど忠義関連の嫉妬で日常茶飯事だが、流石に寝不足の血走った眼でそれをされればさも怨霊のようで気分は良くない。ぱたぱたと手を振ってその視線を散らしてから、眩しかったのだろう、いつの間にか掛け布団に顔を埋めていた忠義の頭を撫でてやる。
「さて、俺のかわいい末っ子ちゃんはいつ悪い飼い主様に捕まっちゃうんだろうな」
見渡せば愛情だらけ
(外野は番犬だなんてこいつを呼ぶけど)
(本当は俺たちの末っ子の子犬なのにな)
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