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第1話

 筑紫(つくし)さんは完璧人間。年は俺より6つ上で、立派な企業に勤める会社員。今までずーっと、それはもう、生まれてからずっとずっと、真面目に努力を積み重ねてきたんだろう。  子供の頃の写真を見せてもらったことがある。背景の家具、賞状やトロフィー、真面目そうな両親、それから、ピシッとカッコつけた幼い筑紫さんのあどけなさ。なんかもう、それらが全部ぜんぶ、現在の姿も相まって、筑紫さんという人間の謹厳実直っぷりを表しているような気がした。 「……っしゃ! やっと見つけた! わかるわけねーって」  一方の俺は、こんな調子で。マヌケな効果音とともに、画面の左上に差し込まれた「隠しトロフィーを獲得しました」のメッセージ。探し求めていたものを見つけた快感は、途端に不快な焦燥感へと変わる。ゲームなんてしてる場合じゃないのに。 「あ、餌の時間」  ふと見た時計は20時を示していた。俺はガサガサと巣材を撒き散らす生き物の方を振り返る。白いジャンガリアンハムスターのスノーボール。俺とほとんど同時にこの家にやってきた。 「お前、いつこんなに食ったんだよ?」  ゲージの中で忙しなく動き回る小さな体は、次から次へとエネルギーを蓄えては消費していく。「子どもの頃欲しかったんだけど、親に禁止されて」と顔を綻ばせていた筑紫さんは、今でもちゃんとこの生き物を溺愛している。時々おやつをあげたり、手のひらに乗せたり。毎日の世話は俺の役目だけど、週末の掃除は筑紫さん。きちんと世話をすれば、2年くらいは生きると聞いた。 「……そろそろ人間の飯も用意するか〜」  筑紫さん自身は、スノーボールほど手が掛からない。立派な成人男性なのだから当たり前だ。俺が任せられているのは、朝のコーヒーと平日の夕食、水回りの掃除くらい。洗濯や部屋の掃除は週末にまとめて、筑紫さんと2人でやる。それから、筑紫さんは俺に、クローゼットの中を触らせない。  味噌汁の鍋に火をつけて、作り置きの副菜を取り分けたタイミングで、玄関ドアの鍵が大きめの音を立てた。今日も時間通りだ。 「……ただいまー」 「おかえり!」  キッチンから廊下の先を見れば、靴を揃えた筑紫さんが俺を振り返って笑う。朝セットされた前髪が、僅かに湿気を帯びて垂れ下がった。 「今日すごい寒かった」 「そうなんだ。家出てないから知らなかった。筑紫さん、ビール飲む?」 「うん。ハルカも飲むよね?」 「うん……わっ、つめた!」  冷蔵庫の冷気よりずっと冷たい何かが首筋に触れて、びくりと体ごと心臓が跳ね上がる。 「あはは、あったけー」  いたずらっぽく片側の口角を上げて、筑紫さんは洗ったばかりの指先を、もう一度俺のスウェットに滑り込ませた。 「やめろって、マジで」 「でも早くあったまりたくて」  バタンと閉じた冷蔵庫の扉の風を受けて、筑紫さんの前髪がまた揺れる。お返しとばかりに頬へ缶ビールを押し当てると、筑紫さんはクスクス笑いながらリビングの方へ逃げていった。 「スーくん、ただいま」  通りがけに、スノーボールに声を掛ける。白いからスノーボール。名付けたのは、当然飼い主の筑紫さんだ。だけどこの人は、決してあのハムスターを本名で呼ばない。そして、俺のことも。 「おっ、またトロフィー増えてんじゃん。すげーな、ハルカは」  黒瀬陽和(くろせ はるかず)、だからハルカ。女っぽいあだ名にしたのは、何か理由があるのだろうけど、考えないようにしている。 「もう78%まで来たよ」 「いいなぁ。俺もゲーム得意だったらやりたいんだけど」 「さすがに歴が違うから」  筑紫さんはダイニングテーブルを拭きながら、点けっぱなしだったテレビの画面を見て感心するように唸った。育った環境の違いだ。筑紫さんが柔道や書道の賞状を集めている間、俺は一日中ゲームのトロフィーを集めていた。別にネグレクトされていたわけじゃない。幼少期に父親を亡くした俺は、寂しい思いをしないようにという気遣いから、寧ろ他の同級生よりたくさんのオモチャを与えられていた。 「……はい、筑紫さん」 「サンキュ」  タンブラーを渡すときに触れた指先が、優しく俺の手の甲を撫で、擽ったさに背筋が甘く疼く。慈しむような視線に、俺の中にある蟠った感情が刺激される。  筑紫さんと俺の関係は何だろうか。少なくとも、健全な恋人同士ではない。無職の俺を見兼ねて、「うちにおいで」と言った筑紫さんの本心は、どこにあるのか。  数秒の静寂を埋めるように、カタカタと回し車が鳴る。スノーボールは今日も元気に走り回っている。 「いただきます」  俺を見て、俺の作った晩飯を見て、微笑みながら小さくお辞儀をする、隙のない男。正反対の俺達が一緒に暮らし始めて、もう半年を過ぎた。

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