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第1話 ヒート

 薄布の重なりの向こう側に、二人の人影が見える。アンナはその影が間違いなく睦み合っていることを確認すると、手元にある紙の束にそれを書きつけた。  一文字書く毎に、主人の甘い叫びが耳に入る。  ぶつかり合う肌の音、その合間に微かに聞こえてくる水音、それらに連動して聞こえて来る、壊れそうなほどに軋む寝台の音……。そして、ベータである自分でさえ動悸がするほどの濃いフェロモンの香り。その全てに、彼女は思わず顔を赤らめた。 「ジュオ様、今日が最後でございますよね」  遠くの方から、飛び出した白蜜がシーツに落ちる音が聞こえる。同時に、興奮に息を詰める声が漏れ聞こえた。その後に続く呻き声は、口枷をされているためか、とても辛いそうな響きを持っている。それが却って淫猥な印象を持たせていた。  アンナはそれを聞いてびくりと体を跳ねさせる。一刻も早くここから逃げ出したい、そう言いたげな表情を浮かべながらも、彼女にはやるべき仕事がある。主人の痴態を一つ残らず書き記さなければならないため、必死になって手を動かし続けていた。 「んぁっ……うっ」  主人が達したであろう回数を記録する用紙から手を離し、ペンを置く。両手で顔を覆いながら、深いため息が漏れた。そうして羞恥心を飼い殺しながら、指の隙間からカウチに寝そべっている男の背中を眺める。  ジュオと呼ばれるその男は、尊大な様子でごろりと寝返りを打つと、その長く黒い髪を掻き上げた。そして気だるげに口を開くと、 「そうだな。つまりもう何度もこれに立ち会っているはずだが……。お前はまだそんな初心な反応をするんだな。オルサラータの王家に支えているのだから、いい加減に慣れたらどうなんだ」  と言って笑った。その指には、ここオルサラータ王国の王である証の指輪が輝いている。  母王ジュオ——それが、彼の名だ。  オメガであるため、彼は子を産むことが出来る。オルサラータはオメガが王となり、アルファを婿として迎え入れることで代々続いて来た、稀有な国だ。王家の後継者が即位すると母王と呼ばれ、婿として迎えられたアルファは父王と呼ばれる。  アンナは現国王で母王のジュオと、その夫である父王カルールが番う時にも監視役に選ばれており、ある意味この状況には誰よりも慣れているはずだ。だからだろうか、ジュオにはアンナの恥ずかしがり方に納得がいかないらしい。 「いえ、なんと言いますか……。正直ですね、ジュオ様とカルール様の寝屋に付き添わせていただくのにはもう慣れまして……。でも、ここでのあのお二人の場合は、なんと言いますか、その……自然ではありませんでしょう? ですから、少々反応が過激に思えまして……」  そう言う彼女の言葉の隙間に、向こう側から二人が崩れ落ちる様子が伝わって来た。しかし、まだオメガのフェロモンは消えていない。アルファが口枷をされた隙間から荒い息を吐きだし、再びオメガにのしかかる様子が影となって見えていた。  ジュオはその様子を目で追いながら、 「何を言うんだ、アンナ。悪いがみんな似たようなものだぞ。私も間違いなくああだったはずだ。ただ、お前がそれを忘れているだけだよ。——ああじゃないと、うまくいかないんだからな。むしろもっと激しくてもいいくらいだぞ」  そう言うと、何故か不適な笑みを浮かべる。アンナはそれを聞いて首を傾げると、 「左様でございますか? 全く覚えておりません。アンナも歳を取りましたからねえ……」  と言って腰を拳で叩く真似をした。ジュオはそれを見て、幼い子供のように破顔する。 「そこまでじゃあないだろう」  そう言って腹を抱える。アンナも口元を抑え、控えめながらに笑っていると、また主人の悲鳴に似た艶やかな声が聞こえてきた。 「ンっ、ああっ、ぃ、っ」 「おそらく今日が最後で間違いないだろうな」 「——左様でございますねえ」  二人は白いドレープに浮かぶ灰緑色の影を眺めながら、ポツリとそう呟く。長く挑んだ挑戦が、ようやく身を結びそうなのだ。揃ってふっと安堵の息を吐くと、それが可笑しくなったのか、今度はやや声をあげて笑い合った。 「どうか、皆様が幸せでありますように」  アンナはそう言うと、天を仰ぎ見る。柔らかな光に満たされた空間に、また二人のフェロモンが濃く立ち上るのが分かった。  高貴な身分のものしか立ち入ることが許されない高級娼館——ラクス。  その地下には、王族専用の秘密の部屋がある。そこでは、王家の人間でも一部しか知り得ないある秘密の情事が行われていた。  目隠しをされたオメガと、口枷をされたアルファ。彼らがその肌を重ねるようになって、今日で一年。  ある変化の日を迎えようとしていた。

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