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 それは向坂陽向が着の身着のままベッドの上に蹲り、そして寝転んでいる時だった。  お風呂に入るのも着替えるのも後回しにして、薄暗いベッドの上でぼんやりとスマートフォンを眺めていた。その時届いたマッチングアプリの通知を何の気もなくタップする。  それがすべてのはじまりだとは知らずに開いたメッセージには『ソルという名前に俺の太陽を思い出しました』と書かれている。唐突に詩的で、思わず息を噴き出した。 『すみません、たぶん太陽ちがいです』 『もしかして金の太陽とか銀の太陽とかですか?』 『残念ながら日陰の太陽ですね』 『ポエムみたいですね』  陽向は身体を折り曲げたままくつくつ笑う。いったい、どっちがポエマーなのか。  燕と名乗る男と陽向との交流はそこから始まった。 『あなたの太陽がどんな太陽なのか、すごく気になります』 『ずっと憧れてた先輩です。でも、同性なんです』 『だからこのマチアプなんですね』 『そうです。俺は同性が恋愛対象になると思っていなかったので』 『そういうの難しいですよね』 『難しいです。ずっとずっと忘れられないのに、これが恋愛感情かどうかも分かりません』  燕は通りすがりの相手にも、まっすぐその感情を打ち明ける。 『でも、どうしても忘れられません。ずっと尊敬しているだけだと思ってました。なのに先輩のことを思うと胸があったかいような、苦しいような、よく分からない気持ちになります。自分の感情がよく分からないんです』  『だから恋愛したくてアプリを始めたわけではないんです』と燕は丁寧に伝えてくれる。自分自身の感情を整理することを求めてここまで流れ着いた彼に、陽向も丁寧に応じた。 『逆に俺は恋愛目的なのに恋愛したことないんです』  テキストボックスに書き込んでから送信するまで、少し時間がかかった。  それに対する返信はすぐに届いた。 『どうしてですか?』 『どうしてなんでしょうね?』 『恋愛できる相手と一緒にそれも探しているんですね』  ほんの少しとぼけてみせても燕はまっすぐだった。  燕とメッセージを交わすたびに陽向の心はじんわりと温まる。陽向が抱いた膝を抱きしめると、心のぬくもりがそのまま身体に伝わっていくようで心地よい。 『忘れられない人ってどんな人ですか?』 『すごく、優しい人でした』 『なんで特別その人が忘れられないんですか?』 『先輩の言葉とか、声とか、表情とか、考え方とか、本当に先輩の全部が優しいでできてるんです。怒ったって優しい。いじけてたって優しい』 『その人、菩薩かなんかですか?』 『先輩もそうやってすぐに茶化す人でした。菩薩ってより、陽だまりって感じです。あるいは、太陽のにおいがする布団のような』 『ふかふかですね、それ。一生潜ってたいです』 『ふかふかです。でも十年前なんで、もう寒くなっちゃいました』  陽向はぬくもりが恋しくなり、ぐしゃぐしゃに丸まったままのブランケットを手繰り寄せた。長かった夏も終わりが見え殆ど秋だ。ガーゼでできたそれは陽向をふわりと包み、じわじわ甘い温もりを生み出していく。  それなのに、胸の奥だけはまるで温まる様子がない。  陽向は小さく身を寄せた。 『先輩は俺のことなんて覚えてないと思います。先輩にとって俺はその他大勢の後輩の一人でしたから』 『連絡先とか聞いてないんですか?』 『聞けませんでした。交友関係も繋がらないので、十年思い出だけで生きてる感じです。先輩の優しい声も、表情も、少しずつ朧げになっていくのが、怖い』  十年。陽向の胸がぎゅっと痛む。  陽向にはそんなに長いあいだ誰かを思い続けた経験はない。  記憶に残る声や表情を十年も抱え続ける日々は、いったいどんな日々なのだろうか。  そしてただ一人を思い続けるその心は、その奥でどんな熱を灯しているのだろうか。 『笑った顔が見たいです。笑い声も聞きたい。できれば俺に向けて笑ってほしい』 『恋愛かどうかは分からないですけど、それ、もうめちゃくちゃ愛ですね』 『やっぱり愛ですよね?』 『すごく優しい愛ですね。燕さんこそが優しいと思います』  陽向はブランケットを握りしめた。大判ながらも薄手のそれは温かい。でも、夜が深まるにつれて少しずつ物足りなくなっていた。蹲ったまま足先を握りしめると、じわりじわりと熱が伝う。代わりに指先からは、じわりじわりと熱が逃げた。

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