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0-1:prologue
それは向坂陽向が着の身着のままベッドの上に蹲り、そして寝転んでいる時だった。
お風呂に入るのも着替えるのも後回しにして、薄暗いベッドの上でぼんやりとスマートフォンを眺めていた。その時届いたマッチングアプリの通知を何の気もなくタップする。
それがすべてのはじまりだとは知らずに開いたメッセージには『ソルという名前に俺の太陽を思い出しました』と書かれている。唐突に詩的で、思わず息を噴き出した。
『すみません、たぶん太陽ちがいです』
『もしかして金の太陽とか銀の太陽とかですか?』
『残念ながら日陰の太陽ですね』
『ポエムみたいですね』
陽向は身体を折り曲げたままくつくつ笑う。いったい、どっちがポエマーなのか。
燕と名乗る男と陽向との交流はそこから始まった。
『あなたの太陽がどんな太陽なのか、すごく気になります』
『ずっと憧れてた先輩です。でも、同性なんです』
『だからこのマチアプなんですね』
『そうです。俺は同性が恋愛対象になると思っていなかったので』
『そういうの難しいですよね』
『難しいです。ずっとずっと忘れられないのに、これが恋愛感情かどうかも分かりません』
燕は通りすがりの相手にも、まっすぐその感情を打ち明ける。
『でも、どうしても忘れられません。ずっと尊敬しているだけだと思ってました。なのに先輩のことを思うと胸があったかいような、苦しいような、よく分からない気持ちになります。自分の感情がよく分からないんです』
『だから恋愛したくてアプリを始めたわけではないんです』と燕は丁寧に伝えてくれる。自分自身の感情を整理することを求めてここまで流れ着いた彼に、陽向も丁寧に応じた。
『逆に俺は恋愛目的なのに恋愛したことないんです』
テキストボックスに書き込んでから送信するまで、少し時間がかかった。
それに対する返信はすぐに届いた。
『どうしてですか?』
『どうしてなんでしょうね?』
『恋愛できる相手と一緒にそれも探しているんですね』
ほんの少しとぼけてみせても燕はまっすぐだった。
燕とメッセージを交わすたびに陽向の心はじんわりと温まる。陽向が抱いた膝を抱きしめると、心のぬくもりがそのまま身体に伝わっていくようで心地よい。
『忘れられない人ってどんな人ですか?』
『すごく、優しい人でした』
『なんで特別その人が忘れられないんですか?』
『先輩の言葉とか、声とか、表情とか、考え方とか、本当に先輩の全部が優しいでできてるんです。怒ったって優しい。いじけてたって優しい』
『その人、菩薩かなんかですか?』
『先輩もそうやってすぐに茶化す人でした。菩薩ってより、陽だまりって感じです。あるいは、太陽のにおいがする布団のような』
『ふかふかですね、それ。一生潜ってたいです』
『ふかふかです。でも十年前なんで、もう寒くなっちゃいました』
陽向はぬくもりが恋しくなり、ぐしゃぐしゃに丸まったままのブランケットを手繰り寄せた。長かった夏も終わりが見え殆ど秋だ。ガーゼでできたそれは陽向をふわりと包み、じわじわ甘い温もりを生み出していく。
それなのに、胸の奥だけはまるで温まる様子がない。
陽向は小さく身を寄せた。
『先輩は俺のことなんて覚えてないと思います。先輩にとって俺はその他大勢の後輩の一人でしたから』
『連絡先とか聞いてないんですか?』
『聞けませんでした。交友関係も繋がらないので、十年思い出だけで生きてる感じです。先輩の優しい声も、表情も、少しずつ朧げになっていくのが、怖い』
十年。陽向の胸がぎゅっと痛む。
陽向にはそんなに長いあいだ誰かを思い続けた経験はない。
記憶に残る声や表情を十年も抱え続ける日々は、いったいどんな日々なのだろうか。
そしてただ一人を思い続けるその心は、その奥でどんな熱を灯しているのだろうか。
『笑った顔が見たいです。笑い声も聞きたい。できれば俺に向けて笑ってほしい』
『恋愛かどうかは分からないですけど、それ、もうめちゃくちゃ愛ですね』
『やっぱり愛ですよね?』
『すごく優しい愛ですね。燕さんこそが優しいと思います』
陽向はブランケットを握りしめた。大判ながらも薄手のそれは温かい。でも、夜が深まるにつれて少しずつ物足りなくなっていた。蹲ったまま足先を握りしめると、じわりじわりと熱が伝う。代わりに指先からは、じわりじわりと熱が逃げた。
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