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第8話

「…その人も、亡くなる直前までよくこうやって抱きしめてくれました」 「彼、だよね?」一応確認をする。 「… …なんで、彼って…?」坂元くんが警戒して少し体を固くした。 「え?さっき彼って言ってたよ」 「…あぁ、そっか… …はい。あの、山崎さんこういうの平気ですか?」 平気…というべきかどうか、黙って頷く。 一瞬動きを止めて深く息を吐いてから坂元くんは言葉をつづけた。 「その人が、自分が死んだあと、気持ちが落ち着いたら沢山人と会ってさっさと次の人を見つけろって…。だからこの仕事を続けていろんな人と会おうと思ってたんです」 仕事で会った人の中で見つけろって言っていた訳ではないと思うけれど、そこは突っ込まないでおく。 抱きしめていた腕を緩めると、半歩下がって手の甲で顔をぐいっと拭い、こちらを見上げる。その仕草が少年の様でかわいいし、臆することなくまっすぐ見つめてくるところが若いなぁ、と思う。 「でも、お客さんと…恋に落ちるのは難しいでしょ?」 「ははっ、確かにそうでした。ドアのところで、なんだ女じゃないのか、って言われた事もありましたよ」 なげやりに言いながら彼は瞬きして視線を外し、呟いた。 「本当は、山崎さんに初めて会った時にびっくりしたんです。…あの、ちょっと似ていたんです…」 似ていた…、死んだ恋人に似ているのか。 唐突な告白には軽くショックを受けたけど、いきなり懐に飛び込んでくるような悪戯っぽい会話の理由はそこか、と妙に納得した。 彼が見ているのは俺なのか、死んだ恋人のイメージを重ねているのか。そんな風に心の中で煩悶していると、おずおずと手が伸びてきた。 逃がさないように、というよりはバランスをとるために襟を掴まれ、そのままゆっくりと顔が近づいて来て口づけされた。冷たい空気のせいか少し乾燥した唇だった。 鼻の頭同士をこすりつける様に何度か角度を変えて唇を重ねた後、坂元くんの顔は離れていった。遠慮がちな拙い動きの割には迷いのないキスだった。 濃いまつ毛に縁どられた澄んだ白目の中にぬばたまの瞳が光っていた。青年らしい精悍な顔に人懐っこさの同居した表情でこちらをじっと見つめている。 僕からは以上ですが、山崎さんは?と言われてるみたいだ。 あー、もう馬鹿みたいに愛おしい。 耳を澄ませて辺りに人の気配がないのを確認し、両手でそっと彼の頬を包み込む。うっすらと開いた唇の隙間を舐めるように口づけすると、顎をしゃくり上げて求めてきた。 調子に乗って舌を挿し入れれば、息を飲む気配がした。お互いに舌を絡ませると冷えた体にそこだけが熱を持っている様だ。 42年の間、仕事も人付き合いもそれなりに覚えたし、結局別れたけど結婚もした。けれど、死んだ恋人を思って泣いた後、人は何を必要とするんだろう。 行き場のない死んだ恋人への思いが俺に向いているだけなのは薄々分かっている。彼にその自覚がない事も。 ただ、今は彼の欲しがっているものだけを与えてやりたい。間違いなどいつでも気づくことはできるし、気づかないまますぎたっていいのだ。 そうやって言い訳しながら彼の腰に手を回す。 もしかしたらこれが恋になるのかもしれない。 もしかしたら明日別れてもう二度と会わないのかもしれない。 どちらに転ぶにしたって、今はこの腕に彼を抱きたくて堪らないんだ。 終わり

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