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第7話
店を出ると雪がちらつき始めていた。
「どうりで…寒いわけだ」
空を見上げる顔に、髪に雪が降りかかる。
「あ、雪の桜島見えるかな?」
独り言のつもりで言ったのに坂元くんが反応してくれた。
「行ってみますか?」
タクシーをつかまえて海沿いの公園に移動する。降りる時運転手が何度も、寒いですよ、暗いですよ、帰りのタクシーが捕まらなかったら電話してください、と心配してくれた。年の離れた男二人、何か訳ありだと思われたのかもしれない。
気温は一段と低くなり、足元から冷え込んでゆく気配がする。こんな寒い雪の夜に出歩いている人なんて一人もいやしない。人影のない公園の東屋から数メートル先のコンクリートに当たる波音だけがやけにうるさい。
正面には雪雲の下の暗闇に桜島の輪郭がうっすらと浮かんでいた。
泳いで渡れそうな距離から見ると威圧感がある。
雪が積もっているかは分からないが、かなり大きい。
少し距離を置いて、二人とも黙ったまま暫く海の方を見ていた。
風に乗って雪が舞い込むので、コートのポケットに突っ込んできた折り畳み傘をさそうか迷ってそっと横を見ると、坂元くんは身じろぎもせずに空を眺めている。
よく見ると、彼は静かに泣いていた。
見てはいけないものを見てしまったのだろうか。見ないふりをしてあげるのが親切なのだろうか。
昭和生まれとしては声をかけて慰めたくなる。
しかし、今目の前で背筋を伸ばして泣いている青年に、事情も知らない俺が何を言えるというのだ。
せめて雪で身体が冷えないようにマフラーでもかけてあげようと手に取ってみたけど、昨日今日会ったばかりでそんな事をしてよいものかと躊躇してしまう。けれど心より体の方が正直だ。横からマフラーを巻きつけながら彼を驚かせないようにそっと自分の方を向かせて抱きしめた。
雪がかからないように、泣いている顔を見ないように、少しでも安心してもらえるように。
一瞬強張った体からは徐々に力が抜けて行き、そして…
「う...ふっ……っ……」押し殺した嗚咽と共に肩が震え始めた。
腕の中で泣いているのは坂元くんで、それを抱いているのは俺なのに、入れ子の様に背中を抱きしめられているような気がする。
でも触れていることよりも、こうやって誰かのことを真剣に考えて慰めることが、不謹慎ながら気持ちよかった。
あぁ、そうか俺は人肌だけじゃなくて人が恋しかったのか、と今更ながら気が付いた。
暫くして大きく息を吐いた後しっかりとした声が聞こえた。
「…すいません。泣いてしまって。今日は、死んだ人の月命日なんです。毎月この日は彼の事だけ考えようと思って、他の人に触れないようにしていたんです」
坂元くんの言葉が俺の脳みそに届くのに少し時間がかかった。
「あ、え?触っちゃった、ごめん!」慌てて手を放す。
「いや、そうじゃないんです!違うんです。今までそうしてきたんですけど、そろそろそういうのを終わりにしようって思ってたんです。今日、こうやってその人の事を考えている時に抱きしめられて、ほんとはこうやって誰かに触れてもらいたかったんだって分かって…だから」
なんてことを言うんだ、そんな切ない事を言われたらまた抱きしめたくなってしまう。
少しためらった後、俺の腕は勝手に彼を抱き寄せる。
暖かく湿った息が首元に当たって、動物を抱きしめている様だ。
でも明日には帰ってしまう出張最後の夜、家からはるか1,000km以上離れた鹿児島で俺が抱きしめているのは、20歳近く歳の離れた青年だ。
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