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陽太と水族館デート 後編

 改装後にこの水族館を訪れるのは、陽太も初めてだった。もちろん、再開前に一度は確認をしておかねば、とは思っていたけれど。  それをデートのついでに出来るなら効率も良い。無論、そんな言い方をすれば、春陽をがっかりさせてしまうから、言わないけれど。 「私は出口でお待ちしております」  雅明は、そう言って二人を見送る。  外壁の塗装も綺麗に塗り直され、入口では水族館の目玉であるイルカのキャラクターが左右から二人を迎えた。  誰もいない水族館の中は静まり返っていて、水層の中で魚がたちが優雅に泳いでいるだけだった。 「……本当に誰もいないの?」 「まだ開館前だからね」  そうは言ったけれど、本来なら飼育員の何名かは毎日出勤している。だだ、今日は二人が訪れる時間帯だけ席を外させたのだ。人目があると、春陽が落ち着けないかなと思って。  そうでなくとも、今日の春陽はどこか落ち着かない様子だった。もしかしたら、陽太の仕事の延長線だと、思っているのかもしれない。  「デートだよ」と、言えば良かったかな……。  陽太は少しだけ後悔した。けれど、慣れたように春陽の前に手を差し出す。 「行こうか」  誘うと「うん」と小さく返事をして、春陽は陽太の手に、自分の手を重ねた。  小さな頃から、海の生き物は好きだった。  パネルでも紹介しているけれど、特に春陽が気にした生物には、少しだけ説明を足した。  うわぁ……と感嘆を上げながら進む春陽は、あまり足元を見ようとしない。躓かないよう、陽太は春陽の歩幅に合わせ、ゆっくりとエスコートする。  全面ガラス張りの水中トンネルを抜け、大型水槽で自由に泳ぐイルカを見た。 「かわいい」  そう、春陽が笑う。ここだけ、飼育員を残しておいても良かったかもしれない。そうしたら、ショーの一つでも見せれたのに。  春陽といると、何故か読みを間違えてしまうことがある。それでも、春陽は「楽しいよ」と言ってくれた。  一通り見て回り、最後に陽太は特別な場所へ春陽を案内した。 『STAFF ONLY』と表された黒い扉。開いたその先は、薄暗い通路が続いている。 「足元に気をつけて」  ポツポツと灯る、心許ない明かりを頼りに、更に奥のドアを開ける。真っ暗で無音の世界がそこにあった。 「ここ、なに……?」  春陽が緊張したように聞いてくる。 「ここはね、深海なんだ」 「深海?」 「そう。ずっとずっと深い、海の底の生き物がいるんだよ」  空間の中心に置かれた小さなソファーに春陽を座らせ、陽太は完全に扉を締めた。  完全に光が遮断された世界。「ひな兄」と、春陽が不安そうに呼ぶ。 「ここにいるよ」  答えて、春陽の小さな手を握る。空いた手でソファーを探って、陽太も春陽の隣に座った。陽太の体温を感じてか、春陽が安心したように息を吐く。  しばらくすると、少しずつ暗闇に目が慣れてくる。はっきりとは認識出来なくとも、何かが泳いでいることは分かる。 「妙な部屋でしょう? 父さんたちがわざわざ作ったんだ。深海が体験できるように」  本当に、変な人たちだと陽太は思う。ただの暗闇と無音。何がいるかもさっぱり分からない。けれど、妙に落ち着くのだ。  静かで、何も分からなくて、自分だけがいる感覚。 「小さい頃、ずっと不思議だったんだ。海中がどうなっているのか。海はどこまで深いのか。何が住んでいて、何が起きているのか。それを言ったらね、作っちゃった」 「作っちゃったって……ここを?」 「うん」  それだけで、会話は途切れた。  ……春陽はここをどう思っているだろうか。  何もなければ、ただつまらないだけかもしれない――そう、陽太は思う。  けれど、春陽は無言のまま、静かに陽太に寄りそって来た。声を殺して、泣いている気がした。 「どうしたの?」  声をかけると、少しだけ上擦った音で春陽は答える。 「優しい場所なんだなって……思って……」  ――嬉しかった。楽しさも、何もない場所……それでも、陽太にとっては大切な場所だから。  ありがとう、はる。……そう、言葉にしたはずだった。音が出ていたかは、分からないけれど。  暗闇から帰還すると、外の明るさに驚く。もちろん完全に室内だから、日光ほど刺す強さはない。それでも、「まぶしいー!」と春陽は声を上げた。 「目が慣れてから進もうか」  にこ、と春陽に笑みを向けると、春陽は目を擦っていた手を止めて、そのまま俯いてしまった。 「……どうかした?」  疑問を口にする。思えば、今日の春陽はどこか本調子ではない。いつもなら、もっとはしゃいでもいいのに……ずっと緊張しているように、陽太は感じる。 「あ、あんまり見ないで……」 「何で?」 「泣いたせいで、メイク、落ちてるから」 「そんなの気にしないのに」  軽く答えると、春陽は少しムッとして、けれど残念そうにも見えた。 「今日は、可愛くしたんだもん……。デートだったから……」  呟くように言われて、陽太は驚いてしまう。てっきり、春陽には“ただのお出かけ”だと思われていると、思っていたから。 「意識してくれてたの?」  なんて、とんでもなく失礼な事を言ってしまった。けれど、上手な言い回しを考えられるほど、今の陽太には余裕がなかった。 「だ、だって……二人だけならデートですよねって、ももちゃんが言うから……」  もじもじしながら、春陽はそのことを思い出す。 ――…… 「でっ、デート!?」 「はい」 「デートなの!?」 「デートでしょ? そうですよね、碧生さん」 「そうですね。デートだと思いますよ? ……何で驚くんです? 先日は陽月様と遊園地デートされたじゃないですか?」 「あ、あれは違うよ! みんなも居たじゃん!!」  春陽が全力で否定すると、ももと碧生は目を丸くした。 「いやデートでしょ!!??」 「デートですよ!!??」 「デートなのっ!!??」  逆に何だと思っていたのかと、二人には呆れられた。  デートなら、もっとちゃんとした服装で行けば良かったと、春陽は後悔した。動きやすさ最優先にしてしまったから。  だから、陽太と水族館に行く時は、ちゃんと可愛くして行こうと、そう思ったのだ。  そうでなくとも年齢差があるから、陽太と並べは春陽は子供同然だ。  少しでも釣り合うように。  少しでも大人っぽく見えるように。  少しでも、恋人だと、思って貰えるように……。  スカートの一枚でも履けば、多少は可愛い恋人らしく見えるかもしれない。けれど残念なことに、クローゼットの中には一枚もスカートはなかった。こんなにぎっしりと詰まっているのに。 「……ひな兄、俺が女っぽい格好するの、嫌がるから……。スカート、とか……」  思い出したように呟くと、そうなんですか? と碧生が聞き返す。 「お似合いだと思いますよ?」 「でも、“僕と会うときはこれね”って、男物のスーツ買ってくれたもん」  これ、とわざわざ陽太が買ってくれたスーツを見せた。“高橋さん”と会う時の、専用のスーツだった。 「ちょっと待って」  陽太は頭を抱え、春陽の回想を止めに入る。 「俺、はるのスカート姿を嫌いだなんて言ったことないよ?」  はっきりと否定すれば、「だ、だって……」と春陽は対抗してくる。しかし、陽太もここは譲れない。 「最初にスーツを買った事だって、元はと言えば、はるがスカート嫌がったからでしょ?」 「……えっ!? お、俺、そんなこと言った!? いつ!?」 「出会ったばかりの頃。俺が“可愛いね”って褒めたら、“男なのに変ですよね”って言ったから。無理してるなら必要ないよ、って意味で、男物のスーツを買ったんだけど? そうじゃなかったら、ちゃんとドレスをプレゼントしてるよ」  そう伝えると、春陽は見る見るうちに顔を赤くして、瞳を潤ませる。あ、かわいい。と、空気が読めないようなことを思った。 「じゃ、じゃあ……き、嫌いじゃない? 俺が、かわいいの着ても」 「嫌いじゃない! むしろ大好きだよ! はるは何着ても可愛いんだから! 何も着てなくても可愛いけどね! ドレスでも何でも大歓迎だよ!」  何を必死になっているのかと、もう一人の自分が見たら、きっと笑うだろう。それでも、陽太は言葉も選ばずに熱弁した。  良かったぁ、と春陽は安堵の息を吐く。 「ずっと、気になってたから。……へへ」  にこっと、やっと陽太に笑顔を見せる。まさかそんなことで春陽を悩ませていたとは……。 「他には? まだ何か気にかけてることはない?」  この際だから、自分に対して思うことがあるなら、洗い浚い吐いてほしい。改善点があるなら、陽太とて努力はする。 「え、えっと……ほか、には……」  春陽は迷うように視線を彷徨わせた。まだ何かあるのか……と、内心落ち込む。春陽の欲求に気付けなかった自分がもどかしい。  少しだけ考えて、春陽は決心したように、あのね、と小さな声を出す。 「お、俺も、ひな兄のこと……“ひな”って、呼んでいい?」  春陽は密かに気になっていたのだ。先日の発情期以降、陽月は陽太のことを「ひな」と呼び始めて、それに対して、陽太が嬉しそうに返事をするのを。  春陽にとっては、とんでもなく恥ずかしくて、心が狭い話になるのだが……陽太の恋人は、自分なのだ。そんな自分が“兄”呼びで、陽月が“愛称”呼びなのは…… 「……どうなのだろうと! 思います!!」  いつもの春陽からは想像できないような 声だった。もちろん、思っていることを全部説明してくれなくても構わない。けれど、春陽は素直だから。心の内を全部陽太に見せてくれる。  自分も愛称で呼びたい――それはつまり嫉妬なのだ。陽月に対して。  ………………可愛いすぎるっ……!!  いいよ、と余裕の笑みを浮かべて、「嬉しいな」と言えれば良かった。理想とは真逆に、はぁ~~……と盛大に息を吐くことしか、陽太には出来ない。 「……もう、お好きに、呼んで下さい……」  語彙すら、ままならない。春陽も両手で顔を隠したまま「……はい」と答えた。  それから、二人ともちゃんと呼吸を落ち着かせて出口へと向かった。  お土産コーナーに立ち寄って、イルカのぬいぐるみを購入する。 「お揃いが、いいです。ひ、ひな……は男の子のイルカさん、ね?」  慣れない辿々しさで陽太を呼び、棚から雄のそれを取って陽太に手渡す。陽太は献上物のように、丁寧にそれを受け取った。  そうして、春陽は頭にリボンのついた雌のイルカを取って抱く。  事情を知らない雅明が、二人の様子を見て首を傾げるまで、一秒たりともいらなかった。  車に乗り込むと、早々に陽太は行き先を告げる。 「雅明、いつものビルまで」 「……寄り道するの?」  イルカのぬいぐるみをぎゅうとして、春陽は聞く。  うん、と陽太は頷いて、にこりと笑う。 「ドレス、新調しようね?」 「っ、え?」 「買わせてくれるよね?」  いつもの“おねだり”ではない、完全な決定だ。しまった……と春陽が思う間もなく、車はいつもの服屋へ出発した。 ――『陽太と水族館デート』END  

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