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時に愛は(4) 司視点

 3月になり、司は卒業式を迎えていた。制服を着る最後の日。生徒でいられる最後の日でもあった。  東京の有名な私立大学に進学を決めた司は、クラスメイトから羨望の眼差しを受けていた。担任や校長に至っては、我が校の名誉だと涙を流して喜んでいる。今でも本命に行きたい司は、苦笑いして受け流すしかなかった。  体育館で、人混みの中に刀の姿を探す。そして、その姿を見て言葉を失った。見るも無残に腫らした顔。至るところに絆創膏が貼られている。次第に、他の卒業生たちからもどよめきが沸き起こった。  校長がそれに気づいたのか、刀に何か耳打ちする。おそらく、卒業生や父兄の手前、席を外すよう指示したのかもしれない。それでも刀はゆっくりと首を横に振っていた。  先生、どうして……。司は今すぐにでも駆け寄りたい衝動に駆られた。けれども、両親が参列している以上、それは出来ない。せめて視線だけを交わす。気づいた刀は微笑んだように見えた。  式は滞りなく進み、司は卒業生代表として登壇した。意識しないようにしても、刀をチラリと見てしまう。そのたびに声が震えたり、噛んだりした。きっと周りは緊張していると思ったのだろう。司にとっては散々な答辞だった。  ようやくすべてが終わり、司は両親やクラスメイト、担任らと記念写真を撮り終え、美術室へ向かった。賑わいの中に刀の姿を見かけなかったから。  そっと引き戸を開けると、目に飛び込んできたのは窓際にポツンと佇む後ろ姿。初めて会った頃よりも、なぜか小さく見えた。何と声をかけようか迷う。本当はここで別れを告げるつもりだったのに。 「司、会いに来てくれたんだな……」  振り向いた刀の目から大粒の涙がボロボロと零れてくる。腫れた顔が濡れて、余計に痛々しく見えた。 「先生、何があったのですか? 僕、ずっと心配で……」  司の言葉に、刀はフッと笑って横を向いた。 「心配してくれるんだな。俺が悪いのに……」 「先生は何も悪くないよ! 悪いのは僕だ」  近づいて、縋るように抱きしめる。刀に優しく頭を撫でられて、司の目から涙が零れた。 「相川にしこたま殴られたんだ。死ぬんじゃないかってくらいにな」  刀は、辛そうに昨夜の顛末を話した。 「あいつ、俺を抱いた後に、これで最後だって言ったんだ。俺が嫌だって言ったら、目を覚ませって、俺はホモじゃないって」  相川はきっと司の味方をしたのだろう。だから残酷な手段を使って刀を突き放したのだ。 「先生みたいな奴を好きになって、気にかけてくれるのは司しかいないぞって。あいつ黙っていなくなるつもりだぞって。それでも男かって」  刀が口づけをしてきた。膨れた唇の感触が伝わる。 「俺、司を失うのは怖い。こんな無様な俺でも一緒にいて欲しいんだ」  刀が上目遣いに懇願する。その眼差しに嘘は無いように思えた。 「甘えていたんだよ。司ならどんな俺でも受け入れてくれるって。俺は佐伯と一緒にいる司を受け入れなかったのに……」  刀の目から涙があふれてくる。きっと一緒にいれば、これから苦労するかもしれないし、辛い思いもたくさんするかもしれない。けれども、司は刀を手放したくなかった。その熱いくらいのぬくもりもターペンタインの匂いも。たとえ5cm背が低くても。 「俺を東京に連れていってくれないか?」  甲高い声が弱々しく響く。最後の審判。ここで拒んでしまえば、今度こそこの関係はこれっきりになってしまうだろう。  司は答える代わりに、刀を抱く腕に力をこめた。途端に「痛ぇ……」と声が聞こえて、慌てて腕を解く。再び顔を見合わせた時には、二人とも笑みを浮かべていた。 「いいよ。僕と東京に行こう。先生がいてくれるなら地獄でも怖くないよ」  もちろん、確かな考えがあるわけではないが、その声は司自身が驚くほど自信に満ちていた。 「ありがとう……本当にありがとう」  刀は声を上げて泣いていた。美術室の外まで聞こえそうなくらい。 「先生、泣かないで。僕たち、これからも一緒だよ」  こうして美術室にいると、いろんな思い出が蘇ってくる。美術の教師だと分からせるために連れてこられたこと。油絵やアクリル絵の具の肖像画を描いてもらったこと。もちろん、すべてが順風満帆だったわけではないが、ただただ懐かしかった。 「僕はね。自分が苦しかった時、何度も先生に救われたんだ。その恩は一生忘れないよ」 「俺だって、司がいてくれたおかげで、何度も救われたんだ。だから一生そばにいたい」  もう一度、二人は抱き合う。もちろん、司は腕を緩めてそっと。左手首には佐伯からプレゼントされた腕時計が鈍く光る。悪いけど、佐伯には刀の分の生活費を出してもらおうと企んでいた。 「さあ、先生。みんなのところへ行こう」  司が刀の手首を掴む。 「でも、俺……目障りじゃないかな? それに親御さんもいるんだろ?」  司は首を大きく横に振った。 「卒業式だよ。思い出を作ろうよ。うちの親のことは気にしないで。堂々とカメラに収まるんだ」  まだ刀は逡巡しているようだったが、司の眼差しに励まされて頷いた。 「そうだな。俺たちの新しい第一歩だもんな」  そのまま二人で美術室を出る。もちろん、騒動になるのは覚悟の上。それさえ、今は司の胸を弾ませていた。 「ん? その腕時計どうしたんだ?」  刀が手首の腕時計に気づいて、前を歩く司に問いかける。 「卒業祝いに貰ったんだ……両親から」 「ふうん、そうか……」  司は気づいていなかった。刀が戸惑った表情を浮かべながら、あらためて繋がれた手のひらを強く握ったことを。 「俺たち似た者同士だな」  刀の言葉に司は佐伯の言葉を思い出し、首を傾げる。 「……そうかな?」 「そうさ」  階段で二人は肩を並べる。見つめ合った瞳には確かに同じグラデーションを宿していた。

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