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刃の夜1

 街灯が全て灯る頃、市場での視察を終え石畳の街中へと戻ってきた。街中で買ったお菓子と市場で買った蒸しパン、肉、魚、果物すべてはタクヤが持っている。私が持とうとパン屋で袋を持ったのだが、タクヤがレオニスさんは伯爵様なんだから荷物なんて持ったらダメですと言われ、横から奪われてしまった。伯爵だとかそんなのは関係ないと私は思うのだが、タクヤにはそうではなかったようだ。  街中は昼間の賑わいが嘘のように、街灯がついても辺りは薄暗い。昼間あれほど声をあげていた商人の姿もちらほらとしかない。屋台はすべて閉まり、かろうじて店を開けているのは建物内の店だけだった。人通りも少ない。代わりに、昼間には見かけなかった光景が目に入る。道端に座り込む老人が数人、酒を呑んでいる。酒場はあるのだからそこで呑めばいいのに、きっと酒場での酒はそれなりに高いから市場で買って呑んでいるのだろう。その方が安く済むから。以前ならこんな光景は見られなかった。酔っ払いが通りを歩いているのを見かけることはあっても、道端で呑んでいる者はいなかった。今の庶民の暮らしが浮かびあがっている。やはり法案は妥協してはいけない。このまま進めば浮浪者も出てくるだろう。それは阻止しなくてはいけない。 「夜の街は思ったより静かなんですね」  タクヤがぽつりと言った。 「昼間は人通りも多かったのに、今は家路に着く人が数人いるくらいですね。皆疲れて早く帰りたいのかな。なんだか寂しいです」  タクヤの言葉に私は答えず、代わりに息を吐いた。なんだか先ほどからなにかを感じる。はっきり言ってしまえば誰かにずっと見られているようなそんな感じがするのだ。タクヤに悟られないように歩を進めながら、何度も背後へ視線を送る。暗がりに潜む影は、ただの気配に過ぎないのか。それとも尾行か、監視か。貴族院で庶民の改革法案を口にしてから私は貴族から反感を買っている。視察など敵から見たら格好の隙だ。しかし、隣にはなんの罪もないタクヤがいる。私だけならいいけれど、タクヤを巻き込むわけにはいかない。 「レオニスさん? さっきから後ろを気にしてますけど、なにかあるんですか?」  タクヤの言葉に、はっと我に返る。タクヤが不安そうに私を見ていた。タクヤを不安にさせてどうする。 「いや。……大したことではない」  そう答えたけれど、声には力が入らなかった。それに気づいたのかタクヤは歩みを止め、私の顔を覗き込んだ。 「大したことじゃない顔じゃないです。嘘、ついてますよね」  真正面から言われて私は何も言うことができなかった。なんと言えばいい? 犬の鳴き声がやけに大きく聞こえる。2人の息遣いだって聞こえてしまいそうだ。 「昼間も人と話しているとき、ずっと緊張してましたよね? 笑ってたけど、肩がこわばってたし、手が震えてました」  気づかれていないと思っていたのに、気づかれていたのか。 「言えないことなら無理には聞きません。でも、俺にできること、ないですか?」  その言葉に喉の奥が苦しくなる。私が貴族であっても臆することなく真っ直ぐに言葉を向けてくる。その真っ直ぐさがどれほど私を救ってきたか知れない。けれど、いや、だからこそタクヤだけは危険から遠ざけなくては。 「なにも気にしなくていい。今日の視察でわかったことを少しずつ形にしていく。それだけだ」  努めて穏やかに言うと、タクヤは小さくため息をついた。納得はしていないのだろう。それでも今は引くしかないと思ったのだろう。できるだけ早く馬車に戻らなければ。そう思ったとき、背後で足音がした。靴が石畳を踏む乾いた音。私は音が聞こえた方へと視線をやった。曲がり角には人の姿は見えないけれど影が伸びていた。気のせいではない。追われている。 「……急ごう」  これ以上ここで話しているのは危険だ。話は馬車の乗ってからでも、屋敷に戻ってからでもできる。とにかくここにいてはいけない。タクヤはなにも言わずについてくる。私が肩を庇うように前に出ると、タクヤは少し驚いたように目を見開いた。  街灯の灯りがぽつぽつと続き、夜風の冷たさが肌に刺さる。いや、刺さっているのは視線か。ふと隣でタクヤが呟いた。 「なぜ怖がっている顔をしているのですか?」  怖がっているのはタクヤにバレてしまったか。馬車に着くまで気づかれたくはなかったのだが。でも、私は何とも答えられず、ただ前を見て歩くだけだった。巻き込みたくはない。けれど、タクヤはすぐ隣にいた。肩が触れるほど近くに。ここまで近くては巻き込まないのは無理だ。でも、怪我などは私1人が負えばいい。そう思った。

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