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刃の夜4

 白い煙が散って、ようやく視界が戻り始めた。そして足元の石畳に濃い赤が滴り落ちている。それがタクヤの血だと気づいた瞬間は、胸の奥が締めつけられるように痛くなった。こんなに酷い血が出ていたなんて。護衛が来てくれて良かった。そうでなければどうなっていたかわからない。 「タクヤ!」  失うこともあったのだと思って怖くなった。自分が怪我をするよりも怖い。  タクヤはもう短剣は握りしめてはいなかった。これだけの怪我では持っているのは辛かっただろう。血はタクヤの右腕――袖が大きく裂け、そこから深い切り傷が走っていた。傷口は大きく開き、血が止まらず、滴り落ちるたびに石畳に黒い花を咲かせているようだった。とりあえず止血をしなければいけない。タクヤは青白い顔をして、唇が小刻みに震えている。 「すぐに止血する」  私は声を押し殺しながら言った。冷静であろうとしたけれど、指先が震えて布を裂くことができない。そこへ護衛の者が来て、白い布でタクヤの腕を強く巻き付けた。 「レオニス様。早くお屋敷へ戻りましょう。先ほどの賊もいつ戻るかわかりませんし、タクヤ殿の手当もしなくてはいけませんので」  そうだ。ここでパニックに陥っている場合ではない。少しでも早く屋敷に戻り、ヨセフに手当をして貰わなくては。 「レオニス様。私はこのままヨセフ医師に話して、それから一緒にお屋敷に戻ります」 「そうか。トニー、頼んだ」 「はっ!」  そう言うとトニーは馬を早く走らせて行った。 「レオニス様。私たちは早くお屋敷へ戻りましょう。出血が酷いと寒気もしてくるでしょうから」 「そうだな。馬車のドアを開けてくれ」 「はっ!」  馬車はすぐそこまで来ていて、彼らがすぐ近くまで来ていたのを知る。もう少し早く戻っていればタクヤがこんな怪我をすることはなかったのに。そう思うと後悔しかない。でも、今は泣いている場合ではない。とにかく早く屋敷へ戻らなければ。そう思ってタクヤを抱き上げた。軽い。この細い体で、戦っていたのか。タクヤの体は熱く、血と汗で濡れている。護衛の者のあとを続き、馬車にタクヤを乗せる。 「すぐに屋敷に戻るから、もう少し頑張ってくれ」 「だい、じょぶ、です。でも、レオニスさん、が無事で、よかった」  タクヤはぽつぽつと話すと、意識が遠のいていった。私はタクヤの隣に座り、血に濡れた手はぎゅっと握った。胸が痛い。自分が怪我をするよりも辛い。 「……守る。必ず」  タクヤを1人にはしない。私が選んだ道は、敵を多く作り多くを失うだろう。それでも、タクヤを失いたくはないし、タクヤを1人にはしない。異世界に猫だけを連れて1人で来たタクヤ。それは心細いだろう。親だって友人だってここにはいない。頼れる人間がいないのだ。なんなら帰れるかすらわからない。だから私はタクヤを守るし、1人にはしない。それに、私自身タクヤを失いたくはない。  タクヤが酷い怪我をしているから、馬車はいつもよりも早いスピードで走る。早く。先ほどトニーが早馬を出したから、私たちが屋敷へ着く頃にはヨセフも来るだろう。早く。早く――。  屋敷の明かりが見えたとき、私はホッとした。ヨセフは……と思っていると、ちょうどヨセフも到着したところだった。 「ヨセフ。タクヤの腕の傷が酷いんだ。早く診てくれ」 「とりあえず部屋へ連れていきましょう」  そう言われてタクヤの部屋へと連れて行く。タクヤはまだ意識は戻らない。このまま意識が戻らないのではないかと心配になった。いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。とにかくヨセフに診て貰わなくては。  部屋のベッドにタクヤを寝かせ、ヨセフが腕の傷を診る。 「これは深い。すぐに裁合します」 「頼む。絶対に助けてくれ」  ヨセフは麻酔注射をし、裁合の用意をする。私はタクヤの左手をぎゅっと握りしめた。  麻酔が効いてくるとすぐにヨセフは傷口を縫っていった。それを見ていると、私の胸は裂かれるように痛んだ。タクヤがこんな目にあうのなら、私が怪我をしたほうが良かった。タクヤを失くすことが怖かったのだ。タクヤを巻き込んだのは私だ。そして傷つけたのも私だ。そして初めて気づく。私が庇おうとしたのは私自身だったのかもしれない。そう思うと自分が嫌になる。タクヤは私のために刃を受けた。死さえ怖かっただろう。それでも立ち向かった。その姿が脳裏に焼き付いて離れない。  私が自分を責めている間に、ヨセフは縫い終わっていたようだ。 「終わりました。命に別状はありません。ただ、傷が深かったので、今夜は熱がでると思いますので、解熱剤を置いていきます。また明日、様子を見に参ります」 「ヨセフ、ありがとう」 「いいえ。それではここでお暇します」  そう言ってヨセフは帰って行った。 「ありがとう……生きてくれて」  その夜、私は寝なかった。ニコラスが何度か交代でタクヤを見るからと言っても私は頑として寝なかったし、誰にも任せなかった。ただ、タクヤの呼吸の音だけを聞き続けた。誰かの命をこれほどまでに恐れたことは一度もなかった。闇は深い、だが、私はもう迷わない。必ず守る。この世界で1人で戦うタクヤを――。  

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