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沈黙の婚約1
あの襲撃から1週間。俺の腕の傷はというと、動かすとまだ少し痛むけれど少しずつ良くなってきてはいる。菜箸をもっときちんと持てるようになったら、また和食を作ろうと思っている。今はまだ傷が痛むことがあるから厨房には行かせて貰えない。ただ、アベルさんに心配をかけてしまったから、熱が下がって起きられるようになったときに、顔を見せにだけは行かせて貰えた。ほんとにアベルさんは心配してくれていて、良かった、良かったと言いながら少し涙を流していた。そして心配してくれたのは、あとはニコラスさんとクララさんだけと思っていたけれど、屋敷の使用人の人たちは皆、俺を見ると「良かった」と安心したような顔をしていたから、沢山の人たちが心配してくれていたんだなと思った。
そして今日もいつもの朝だった。液体ものはまだしてしまうのでサラダとパンだけの食事を終え、書斎でレオニスさんと話しをしているとニコラスさんがやって来て言った。
「午後、侯爵令嬢リシア様がいらっしゃいます」
それを聞くとレオニスさんが軽く眉間にシワを寄せた。
「聞いていないぞ」
「先ほど知らせが参りました」
「なんだって急に」
「恐らくは、賊に襲われたからかと思われます」
「黒幕は自分の身内だろうに。それにいつもは寄り付きもしないのに」
レオニスさんはほんとに嫌そうに言った。相当嫌なのだろう。それに、いつもは寄り付かないというのもわかる。俺がここに来て2ヶ月。その間一度も訪ねて来たことはなかった。ヴァルター侯爵の姪だと言うから、まぁ仲良くはないだろうとは思うけれど。でも、それがレオニスさんが賊に襲われたから来るって、確かに何を今さらという感じだけど。
「なにが狙いで来る?」
レオニスさんが言うと、ニコラスさんがちらりと俺の方を見てから言った。
「恐らくは、タクヤ様が目的かと
「そうか……。タクヤ。リシアが帰るまで、申し訳ないが部屋にいて欲しい。なにを言い出すかわからないから」
「わかりました。部屋でルナと遊んでます」
「申し訳ないが、そうしていてくれ」
「大丈夫ですよ」
俺がそう言ってもまだレオニスさんは眉を垂らしている。そんなに気にすることないのに。
「しかし、私を襲った黒幕の縁戚が婚約者だなんてな。婚約なんて破棄してしまいたい」
確かにそうだろうなと思う。ようはヴァルター侯爵はそうすることでレオニスさんを押さえつけようという腹づもりなんだろうな。でも、それがうまくいかなくてオマンド子爵を使って賊に襲わせた。そんなところだろう。
「それでも、貴族の務めなんですよね?」
「貴族の務めだなんてクソ喰らえだ。私は好きな相手と結婚する。それは彼女じゃない」
好きな相手――。その言葉にドキリとする。あの、怪我を負って熱を出した夜。俺とレオニスさんとは心を通わせた。俺はレオニスさんが大切で、好きで。そしてレオニスさんも俺のことを大切で愛していると言ってくれたのだ。俺は誰かを好きになるのは初めてで、それからの日々は雲の上にふわふわと浮いているような気持ちだった。だけど……。
「レオニス様――」
「わかっている」
レオニスさんを窘めようとニコラスさんが声をかける。俺以外の人間はいないからいいけれど、ニコラスさん的には、俺がいることもアウトなのかもしれない。
「今回のことの黒幕がヴァルター侯爵だとわかれば婚約も破棄できるのにな。なんとかならないものか……」
そうか。そうだよな。もし黒幕がヴァルター侯爵だとわかれば、その姪との婚約も破棄できるだろう。でも、それには賊がオマンド子爵に雇われた者たちで、オマンド子爵がヴァルター侯爵に頼まれたと立件しなくてはいけない。ほんとにあのとき、短剣を落とさなければ良かった。そうしたら紋が入っていたのに。
「レオニスさん、ごめんなさい。俺が短剣落としちゃったから……」
「なにを言っている。タクヤは酷い怪我を負っていたんだ。剣を落とすのは当然だ。私が拾っておけば良かったんだ」
レオニスさんは、俺を守ろうとしていてくれたらしい。だから俺が酷い怪我をしたとわかって慌てたと言っていた。
「剣士としては失格だよ私は。常に冷静でいなくてはいけないのに」
「そんなことないです! 俺が足を引っ張ったからで」
「いや、私が……」
「お二人共。それはキリがありませんよ」
ニコラスさんが間に入ってきた。こんなやり取りをしょっちゅうやっているので、最近はニコラスさんが間に入ってくるようになった。でないといつまでも終わらないから。
「今回のことはともかく、リシア様のことはよろしくお願い致します」
ニコラスさんがぴしゃりと言い、俺とレオニスさんは黙った。
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