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駄菓子屋くすのき

城代(きのしろ)くん、外回りご苦労様ー。これ、君の担当ファイルだから」  蝉の鳴き声さえ聞こえない、うだるような暑さが続く日々。ハンカチで汗を拭きながら、課長が差し出してきたファイルを受け取った。  新卒で入社した卸売会社に勤めてはや数か月。先輩からのOJTも一通り済ませて、ついに自分の担当を持つことができる。僕は満面の笑みを浮かべたまま、ファイルの中身をパラパラとめくって確認した。一緒に外回りに出ていた先輩の百瀬(ももせ)さんは、僕から顔を逸らしたままネクタイを緩めている。 「あれ、これ何ですか?」  顧客リストの最終行、とある店名だけがわざわざ赤く太字で記載されていた。『駄菓子屋くすのき』という平和な名前。そこだけ備考欄の書き込みが異常に多かった。  課長は頭をかきながら、ばつが悪そうに「あー、それねー……」と一人呟いた。 「ちょっと店長さんが癖ある人でさあ。失礼な態度取ると会社の存続に関わるレベルでヤバいんだよね。でも、その人って若い子には優しいから、城代くんにしか頼めなくて。うち、おじさんばっかでしょ」 「店長さんってお若いんですか? というより、そんな大層なお客様を僕にお任せいただいてもよろしいんでしょうか」  リスト上で一際目立つ、謎の駄菓子屋が気になる。他の企業や個人経営の店は特段問題なさそうだ。 「店長さんは、確か四十手前って言ってたかなあ。今年新卒入社で入ってきたのって城代くんしかいないでしょ? 期待のホープだから、こういうところを担当して成長してほしいって上の意向もあるみたい。君がうちの部署に来てくれて本当に心強いよ。しっかり頼むね」 「はい、承知しました! 頑張ります」  『期待されている』という言葉に思わず胸が躍る。そんな大事なお客様を任せてもらえるなんて、僕はラッキーだ。田舎から出てきてわざわざ働くのだから、成長が早いのに越したことはない。実家に少しは良い酒でも贈ってやれるかも。まだ顔も知らないお客様のことを思い浮かべて、ひとり背筋を伸ばした。  *** 「ちょっと、課長! 新卒にあの駄菓子屋任すのはまずいんじゃないですか⁉」  城代に引継ぎファイルを渡した後、教育担当の百瀬が走って追いかけてきた。 「百瀬もそう思う? でも、部長にそう指示されたら仕方なくてさあ」  どの会社でも、誰もが担当したがらない案件や得意先というものがある。うちはそれが『駄菓子屋くすのき』だった。簡単に言ってしまえば、ヤクザが経営する賭場を隠すための張りぼて。店主はそこの賭場の胴元だった。時折店番をしている強面の男も、当然組の関係者なのだ。  失礼な口を利いて部署異動になるだけならまだマシな方で、最悪担当者の首が飛ぶ。社内では誰もが担当を嫌がるから、何も知らない新卒に押し付けてしまえ、というのが通例になっていた。 「新卒ならすぐに辞められたところでダメージ少ないだろ、って言われて。それで続けるガッツがあるような奴だけ残せばいいなんて、部長もめちゃくちゃだよなあ」 「うわー、マジでヤバいっすね……。城代って田舎から出てきた純朴青年って感じですから、すぐに辞めそうです。良い奴ではあるから、俺は元気に頑張ってほしいと思いますけど……」  百瀬と顔を見合わせて、二人で大きなため息をつく。新卒を地獄に送るような真似をするのは心苦しいが、反抗しようものなら自分が担当にされてしまう。好き好んであんな恐ろしい場所に行きたくはない。城代の無事を祈ることしかできない自分が情けないとは思いつつ、サラリーマンの宿命だからと無理矢理腑に落とすしかなかった。  ***  コンクリートから立ち上る熱気が、風に乗って頬をぬるりと撫でてくる。汗でじっとりと濡れて不快なワイシャツの襟を正して、マップの写真と実際の建物を見比べていた。 (ここが駄菓子屋……? 随分暗いところにあるんだな)  リストに載っている取引先に一通り挨拶を済ませて、残すはあの駄菓子屋のみとなった。裏道のさらに裏道、地元の人ですら通るか怪しい細い道に面した場所。トタン屋根と「たばこ」と書かれたボロボロの看板が特徴的な建物だった。  日の当たらない場所にあるからか、ここだけ隔離されたような、異様な雰囲気を纏っている。イメージする駄菓子屋って神社の参道沿いとか商店街の中とか、もっと明るい場所にあると思っていたけれど。こんな暗い場所に、子どもが来るんだろうか?  とにかく入ってみないと分からない。軋む引き戸をそっと開けた。店番の人は席を外しているらしく、駄菓子だけが無言のまま僕を迎えてくれる。暗い雰囲気に吞まれないように、少しだけ声のトーンを上げて店の奥に呼びかけた。 「あ、あのー! お世話になっております、T株式会社です! 担当が変わりましたので、ご挨拶に──……」 「聞こえてんじゃボケ! もちっと静かに入ってこんかい……って、あんた誰? 知らない顔だけど」  奥から出てきたのは、頭を短く刈り込んだ強面のおじさんだった。突然怒鳴られて思わず縮み上がってしまう。蚊の鳴くような声で、「T株式会社の、卸担当です……城代と申します……」と挨拶をした。リスト備考欄に書いてあった、店番のおじさんがやたら怖いというのは本当らしい。  おじさんは「ああ、T株式会社の人? 今アニキ呼んでくるからそこで待ってて」とまた奥に引っ込んでしまった。兄貴……? この駄菓子屋は、兄弟経営なのだろうか。この人よりもっと怖いおじさんが出てきたらどうしよう。異常にクーラーの効いた店内でも、じわりと嫌な汗が背中を伝った。でも、期待されて任されているんだから、ここで逃げるわけにはいかない。手土産を入れた紙袋の紐を、ぎゅっと強く握り直した。 「すんまへん、お待たせしました」  おじさんの代わりに奥から出てきたのは──気だるげな表情を浮かべた、目を疑うほど眉目秀麗な男性だった。まるで映画俳優のような隙のない佇まいに、それまで見ていた店内の光景が、急に安っぽいセットのように思えてくる。彼の顔に落ちる深い影が、その仄暗い美しさを一層際立たせていて、僕は反射的に息を呑んだ。  彼は駄菓子屋の店内という場所には不釣り合いな、漆黒の上等なスーツを完璧に着こなしている。撫でつけたオールバックから、一束だけ額にかかる溢れ毛が、僕の視線に合わせるように僅かに揺れた。 「えっらい若い担当さんですなあ。君いくつ?」  この人がさっきの強面おじさんのお兄さん? とてもそうは見えない。似ても似つかない男性美漂う顔が、僕を不躾なほどじろじろ眺めまわしている。 「ぼ、僕は今年で二十三歳で……城代知慧(ちさと)と申します。新しくこちらの担当になりました。よろしくお願いいたします」  差し出した名刺と手土産を受け取った謎のお兄さんは、さらに近くで僕の顔を観察している。切れ長の涼しげな目元の奥に、ありありと好奇の色が見て取れた。 「城代クンちゅうんか。ご挨拶遅れましたけど、僕は楠戸(くすど)いいますねん。シケた駄菓子屋やから名刺もなくてごめんやで。ここの店主やらしてもろてます、あんじょうよろしゅう」  楠戸さんは口の端をちょっと持ち上げただけの薄い笑顔を浮かべた。笑ってくれたのが嬉しくて、身体を直角に曲げて深くお辞儀をする。 「よろしくお願いいたします!」 「若い子は元気があってかいらしいなあ。どや、うちで茶でも飲んでいかへん?」 「大変ありがたいお誘いなのですが、僕そろそろ会社に戻らないといけなくて……。次回、是非お願いいたします!」  楠戸さんが大きく目を見開いた。そんなびっくりすること、あったのかな? 百瀬さんからは、お客様から食事やお茶に誘われても、社交辞令だから本気にするなと言われてきた。きっと楠戸さんも僕を気遣ってそう言ってくれただけなんだろう。 「そうだっか。じゃあまた会えるん楽しみにしときまっさ」 「はい、僕もです! 引き続きよろしくお願いいたします」  頭を再度深く下げて、「失礼します」とその場を後にした。引き戸の建付けが悪くて、うまく扉が閉まらない。自分の手が震えていたからうまく閉められなかったことに、後から気が付いた。 (あー、緊張した……。でも、楠戸さんはあのおじさんより怖くなさそうで良かった。あんなかっこいいのに、駄菓子屋の店長なんてもったいないなあ)  一時はどうなることかと思ったけれど、案外皆普通の人だった。やっぱり先輩がきちんとリストのお客様を大事にしてきたから、僕にもこうして優しくしてくれるんだ。僕がその流れを断ち切らないようにしないと。  手元の腕時計を見ると、十二時をまわっていた。急いで戻って報告しなきゃ。ネクタイを緩めて、駅までの道のりを急いだ。  *** 「楠戸さん。あいつ、ろくに自己紹介もしないでさっさと帰りやがったじゃないですか。〆ますか」  駄菓子屋奥の事務所で煙草をふかしていると、店番から帰ってきたばかりの片岡(かたおか)が話しかけてきた。険しい表情で指をポキポキと鳴らしている。  うちのルールでは、「茶でも飲んでいけ」というのは「お前の素性を明かせ」ということと同義である。しかし、城代とかいう新人は本当にアフタヌーンティーにでも誘われたと思っているようだった。 「まあまあ、堅気の若い奴なんて皆あんなもんやで。ポメラニアンみたいに目ん玉きゅるきゅるで可愛いやんか」 「げえ、アニキってああいうのが好きなんですか? 俺は無理です、なよなよしてて。腹が立って仕方がない」 「自分みたいな朴念仁には分からんやろ。まあもうちょい様子見て、ほんまにおもろい奴やったら本命でも情夫(イロ)でもなんでもしたろ思てんねん」  片岡は苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、「そうですか」と返事をした。『仕事』のために部屋から出て行った片岡を尻目に、煙草の火を灰皿で消す。一切れ摘んだ羊羹をゆっくりと舌に乗せると、上品な甘さが口内に広がった。 (城代知慧ねえ……、けったいな名前やな)  安っぽいコート紙の名刺を、傷一つつけないよう銀色のカードケースに丁寧に収める。『楠組 若頭補佐 楠戸義彬(のりあき)』と書かれた自分の名刺はわざと渡さないでおいた。 (あいつ、俺のことヤクザやと思ってへんやろなア。おもろいわあ、いつバラしたろかな)  堅気の男をこちら側に沈めてまで欲しいと思ったのは久しぶりだった。犬みたいな丸っこい瞳に、自分以外が映っていると思うと気に食わない。彼を呼び寄せる段取りを整えるため、一人頭の中で悪計を巡らせた。

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