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のりピー

「あ、あのさ……城代、最近調子どう? 例の駄菓子屋行った?」  デスクの上で納品スケジュールを確認していると、百瀬さんが声を潜めて話しかけてきた。独り立ちしてからも、時折相談に乗ってもらっている。 「いただいたリストのお客様、本当にいい人ばかりでしたよ! 駄菓子屋にも伺いましたが、店主の方にもお会いできました。楠戸さん、すごくかっこよくて優しい人ですね」  百瀬さんの顔がさっと青ざめた。 「え、お前、楠戸さんに会ったのか……? あの、ヤバい人って噂の……いや、なんでもない、うまくやれてるようで良かった。なんかあったらすぐに言えよな」  何かもごもごと喋っていたけれど、声が小さすぎてパソコンのファンの音に搔き消された。でも、こうして気にかけてくれる先輩がいるってかなり恵まれている方だ。 「ありがとうございます。僕、早く先輩に恩返しできるように頑張ります……あ、すみません。電話、出てもよろしいでしょうか」  噂をすればなんとやら、楠戸さんからだ。百瀬さんが頷いたのを確認してから通話ボタンを押す。 『城代クン? 今度うちとこ来てくれへんかな。納期と在庫について相談したいことあんねん』 「もちろんです! いつ頃お伺いしましょうか。楠戸様のご都合に合わせます」 『ほなら今週か来週の水曜に来てくれはる? 片岡に店番させますさかい、声かけてくれたらええから。あ、今度はちゃんと時間取っといてや。うちで茶飲んでってほしいねん』  承知しましたと答えた数秒後に電話が切れた。スケジュール帳に予定を書き込む僕のことを、百瀬さんがちらちらと見ている。 「……また駄菓子屋?」 「はい、お菓子の納期と在庫についてご相談したいみたいで」 「マジで気を付けろよ。俺は担当したことないけど、あそこだけ引継ぎリストの注意書き、エグかっただろ。お前が心配だ」 「そんなお父さんみたいなこと言わないでくださいよ。楠戸さん、この間もお茶飲んで行けって言ってくださるくらい優しい方なんです」  それならいいけど、と呟く百瀬さんの横顔から、憂いの色は消えていない。彼を安心させるように笑顔で頷いてから、スケジュール帳をそっと閉じた。  約束の水曜日。雲一つない快晴でも、やはり駄菓子屋の通りは薄暗い。ガタつく引き戸をそっと開けて、失礼しますと声をかけた。 「あ、ポメラニアンの兄ちゃん。アニキから話は聞いてる、ちょっと待っとけ」  ポメラニアンの兄ちゃん……? 僕は犬を連れてここに来たことはないけれど、あだ名をつけてくれたってことなのかな? 片岡さんと呼ばれる強面のおじさんは、そのまま奥に引っ込んでいってしまった。前のように怒鳴られないだけまだマシだ。  しばらくすると、楠戸さんが姿を現した。相変わらず烏の羽みたいに真っ黒なスーツを着ている。暑くないのだろうか。 「城代クンわざわざごめんやで。ウチ奥が事務所なんですわ、こっち来てや」 「承知しました、失礼します」  片岡さんがドアを開けてくれた先が事務所になっているらしい。しかし、ぼろぼろの店内からは想像もつかないような、奇異な空間が広がっていた。調度品があまりにも綺麗すぎる。黒い革張りのソファーが対になるよう設置され、その奥が恐らく楠戸さんの席なんだろう。駄菓子屋の事務所をこんな立派にしておく必要があるのか、僕にはよく分からない。ドアが閉まった瞬間、外の音が一切聞こえなくなった。 「城代クンは洋菓子と和菓子、どっちゃ好きなん? 遠慮せんと食うていきや」 「え、いや、そんな恐縮です。お任せします」  ありがたくも恐れ多い質問に軽く頭を下げて返答すると、片岡さんが横から口を挟んできた。 「お前、アニキの好意無下にするような真似すんじゃねえ! 選べっつったら選ぶんだよ!」 (ひぇ……怖い……なんでずっと兄貴呼びなんだ……?)  社会人として当たり障りのない回答をしたはずなのに、なぜか怒られてしまった。小さい声で「では、和菓子を……」と返事をする。 「和菓子やな? もちろんええで。片岡ァ! 準備せえや」  片岡さんは部活中なのかと思うくらい大きい声で返事をして、給湯室らしき小部屋に下がっていった。  楠戸さんは自分の席があるのに、なぜかわざわざ僕の隣に腰を下ろした。革のソファーがぎゅう、と低い音を立てて沈む。 「片岡な、ちょぉ~っと礼儀にうるさい奴やねん。怒ってるわけちゃうから、気ぃ悪うせんといてな」 「は、はぁ……承知しました。楠戸様が御厚意で聞いてくださったのに、申し訳ございませんでした」 「なあ~僕のこと楠戸様とか言うんやめてや。下の名前、義彬やから『のりピー』とかでええよ」 (酒井○子……?)  楠戸さんは椅子の背もたれに手をかけて、僕の方に身体を向けてくる。彼と正面から向き合うのも変な気がして、目の前のローテーブルを一心に見つめていた。手入れが行き届いているのか、硝子が異常にピカピカだ。 「お待たせしました」  片岡さんが給湯室から戻ってきた。盆の上に湯吞と最中が置かれている。先程までの荒々しい言葉遣いとは裏腹に、テーブルの上に湯吞を置く動作はかなり丁寧だ。彼の指の先は関節が太くて傷だらけで、本当に部活でもやっていそうな手をしていた。 「好きに食うてや。んで電話した件なんやけど」 「あっ、はい! 納期と在庫のお話でしたよね」  ようやく仕事の話ができる。鞄から手帳を取り出してメモしようとすると、楠戸さんが僕を手で制してきた。 「ペンなんか持ったら和菓子食われへんやないか。僕は城代クンと茶飲みながら話したいねん。上と話つけとくから、君は聞いとくだけでええで」  ちらりと横目で片岡さんを盗み見ると、物凄い剣幕で僕を睨んでいる。メモを取らせてくださいと言ったら殴られるんじゃないかという勢いだ。上司への報告を諦めて、そのまま手帳とペンを鞄に戻した。 「恐れ入ります。それで、そのお話というのは……」 「僕な、城代クン気に入ってんねん。ウチの駄菓子屋だけやったら大した売上ならんから、区内のスナック全部にも菓子卸してくれへん? よく籠とかに入れて客に出しとうアレをな、お宅さんに頼みたいねん。そしたら君の実績なるやろ」  突然のスケールの大きな話にぎょっとして、楠戸さんの顔をつくづくと見込んでしまった。  駄菓子屋のある都内C区は、繁華街として有名だった。一時期より数が減ったとはいえ、今でも相当数のスナックがある。そこの菓子を全て、僕の担当に……? 「そ、れは、もちろん、ありがたいお話ですが……」 「僕の『オヤジ』がちょっとこの辺で顔効くねん。どお? ええ話やと思いますがな」  楠戸さんのお父さん、すごい人なんだなあ。区議会議員とかやってそうだ。 「是非お願いいたします! C区全部っていうのに驚いてしまって」 「先代が不動産やっとったのもあんねや。今T株式会社さんとお付き合いしとんのも、社屋構えるときにウチが『口利き』してやったんがきっかけやで」 「そうだったんですか。すみません、不勉強で……でも、そのおかげでこうして楠戸様……じゃなくて、楠戸さんとお会いできました! 本当に嬉しいです!」  晴れやかな顔で楠戸さんにお礼を伝えると、彼が腹を抱えて笑い出した。案外子どもっぽく、無邪気に笑う人らしい。 「自分、ほんまなんも知らんとウチ来たんやなあ! ますます君が好きになったわ」 「え? あ、ありがとうございます!」  百瀬さんからは、とにかくお客様に気に入られることとスケジュールを守ることが仕事のコツだと教えてもらった。これは気に入ってもらえている、ということなんだろう。思わず顔が緩んだ。 「城代クン、今度会食でもしようや。お互い長い付き合いしたいやんか、親睦を深めるちゅうことでいっちょどうでっか」  楠戸さんが顔を近づけてくる。煙草と白檀が混ざったような香りが鼻孔をくすぐった。 「本当ですか! 嬉しいです。上司にも声をかけますので──」 「そういうんちゃうねん。ウチの担当は君やろ? サシで腹割って話そうやないか」  有無を言わさぬ強い言葉圧に、思わずたじろいだ。上司に許可も取っていないが、これは断ってはいけないチャンスだ、と直感が背中を叩く。 「そ、そうですよね。是非お願いいたします!」  楠戸さんが目を細めて、にぃ、と笑った。目尻に寄った皺でさえも彼を引き立てている。 「店は僕が選びますさかい、君は時間通り指定の場所に来るだけでええで。そんじゃあまた連絡します」 「……はい! お手数をおかけします」  駄菓子屋を出て歩くうちにようやく実感が湧いて、じわじわと喜びがこみ上げてきた。 (サシで会食だなんて、もしかして僕、めちゃくちゃ信頼されてる……?)  大口の取引をまとめただけでなく、個人的な親睦まで。一人前のビジネスマンとして認められたような気がして、鼻歌を歌いたい気分だった。 指定された日は少し先だけれど、今から当日が待ち遠しい。緊張なんてどこへやら、期待で胸の高鳴りが止まらなかった。  ***  翌朝出社した瞬間、課長に呼び出された。しかも会議室で二人きりだ。 (楠戸さんが僕と会食に行くこと、先に話をしたのかな? 明日報告すればいいや、って直帰したのが良くなかったのかも……)  昨夕の浮かれた気分はすっかり霧散してしまった。暗い顔で会議室の机を見つめていると、椅子に座った課長が開口一番に「城代くん、辛いことない?」と聞いてきた。  怒られるとばかり思っていた僕は、予想もしない課長のセリフに呆然と口を開けて黙っていることしかできなかった。話が見えてこない。 「昨日、突然『駄菓子屋 くすのき』さんから電話があったんだよ。『城代くんが気に入った、区内のスナック全てにT株式会社から菓子を卸してくれ』って言われて。何か脅されてる?」 「ええ、そんなとんでもない! むしろ楠戸さんはかなり優しい方ですよ」  課長は僕のセリフを聞いてもなお、険しい表情のままだ。 「何か言えないこととかあったら、すぐに相談してほしい。可能な限り力にはなるから」 「課長、どうされたんですか? 今回の依頼も、楠戸さんの御厚意だって聞きました。あ、あの、それで楠戸さんに会食に誘われたんです。行ってきてもよろしいでしょうか……? 報告が遅くなり、本当にすみません!」  頭を下げると、頭上から焦ったような課長の声が降ってきた。 「え! 会食⁉ 君、本当に大丈夫なの⁉ そこまで会社のために身体張らなくていいよ! まだ若いんだから!」 「えっ、世の中の会食ってそんなハードなんですか……? 普通にご飯行こうって言われただけなので、問題ないと思っていましたが……」  顔を上げておずおずと確認すると、課長は呆然としたまま僕の顔を凝視している。 「……もしかして、あの駄菓子屋と本当に仲良くなってる?」 「はい、そうだと思います。この間も最中をご馳走になりましたし、あだ名だって教えてくれましたよ。のりピーって呼んでいいそうです。あ、もちろん呼びませんけど……」  課長は天を仰いだかと思うと、諦めの滲んだ表情で僕を見つめた。 「まあ、会食については許可を出すよ。というより拒否権なんてないだろうから、悪いけど頼めるかな。時間外手当出ないけど、大丈夫?」 「はい! お客様と親睦を深める機会に恵まれて、本当に嬉しいんです。ありがとうございます!」 「……君、本当にすごいね。天然? まあ用件はこれだけだから、打ち合わせはおしまい。…………頑張ってね」  そう言って課長が会議室から出て行った。心配されすぎな気もしたけれど、会食のオッケーももらえたことだし、大手を振って楠戸さんと食事ができる。心配事が一つ消えた僕は、さっきまでの緊張が嘘のように晴れやかな気持ちになっていた。

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