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第1話 鳥籠の王子
小さな蝋燭の灯りが、揺れている。
薄暗いその部屋で、衣擦れの音が、呼吸に紛れて消えていった。
「っ……ぁ……」
複数の手が滑らかな肌に伸び、それぞれの欲のまま動き出す。
陶磁のような青白い肌がほのかに熱を帯びると、胸の突起を弄っていたひとりが、「ふっ」と、嘲笑に似た笑みを零した。
それを合図に、体を弄る指の動きが激しくなる。吐息が絡まり、逃げようとした動きは別の力に押し戻された。
「ぁっ……」
奥に指が触れた途端、あらゆる香水を凝縮したような甘く重苦しい香りが、空気に流れ出た。
笑っていた男が口端をわずかに引き攣らせ、ごくりと唾を呑み込む。
「……っ」
熱い息が、誰からともなく零れた。
誰も抗えない強烈な支配欲を呼び起こされ、彼らは競うように、己の欲を放とうと体に覆い被さった。
「……ぁっ……っ……」
呼吸の間隔が短くなり、胸が上下するたび、灯りが揺れた。
奥に挿し込まれ、強引に貫かれる度に、背筋が跳ねる。
逃げるために引いたはずの足が、次には縋るように絡みつく。
「……っ……ん……」
声とも息ともつかない音が、何度も漏れた。
熱が溜まり、溢れ、また注がれる。
動かされるたびに身体が応え、力が抜け、最後はただ揺らされるままになっていく。
そうして何度達し、幾度となく奥に精を注がれても、彼らの手が離れることはなかった。
「……ぁっ……」
掠れた声が、闇に溶けていく。
夜が明けるまで、その行為は絶え間なく、細い体躯を貪り続けた――。
◇ ◇ ◇
冷えた空気が、白い肌に触れた。
ルシェは、紅紫色の瞳をゆっくりと瞬かせると、静かに身を起こした。
月光が混じったかのような淡い銀髪が、さらりと肩から滑り落ちる。それを指先で払い、天蓋付きのベッドから降りた。
薄い絨毯一枚だけが敷かれた、冷たい石床に足を下ろす。
一歩進むと、昨夜の残滓が零れ、腿を伝った。
ルシェは一瞬だけ足を止め、けれど無機質な表情は変えず、薄い木製の戸を潜った。
部屋に直結している小さな石造りの浴室は冷え切っていて、湯船に張られた湯もすっかり冷えていたが、やはりルシェは表情ひとつ変えず、慣れた所作で奥に残ったものを洗い流したあと、音も立てずに身を沈めた。
長い髪を払おうとした指が、首を覆うネックガードに触れる。
ルシェは、ほとんど無意識にそれを撫でたあと、小さな吐息を漏らした。
足音が近づき、浴室の前で止まった。
「……殿下、お部屋を整えさせていただきます」
使用人の声には応えずに、ルシェは湯船の縁に頭を預けると、ゆっくりと目を閉じた。
ルシェ・ローディアは、エフラベルキ大陸の最北にある小国、ローディア王国の第一王子だ。
オメガとして生まれた彼は、幼少の頃から強いオメガフェロモンを有していた。
『オメガフェロモンは、アルファを惑わせる』
国王の命で、ルシェは物心つく前から、王都の最端にある塔へと隔離された。表向きは病弱故の療養で、王室とごく一部の関係者以外、真実は完全に隠匿された。
そしてのちの検査で、ルシェに生殖能力がないとわかった時、彼は完全に見放された。子を為せない体は政略結婚の駒にすらならず、それなのに年々強くなるフェロモンは、もはや猛毒も同然だった。
それでも生かされ続けているのは、幼少の頃に亡くなった実母の生家であるイルーヴ公爵家の存在が大きい。
病弱と伝えられたルシェを公爵家は案じたが、ルシェの母親が亡くなり、ほどなくして国王が後妻を娶ると、次第に発言力を失っていった。
そうして二十三歳になったルシェは、今も塔の最上階で暮らしている。
塔での生活は単調だった。
朝は使用人が最低限の掃除と食事を運ぶだけ。昼は読書と手紙の整理。それと数日に一度、運動代わりに部屋の中を歩く。
外界との接触はほとんどなく、時折鳴る警備の鈴や、決して開かない窓越しに見える森の風景だけが、唯一の変化だった。
ルシェに与えられている部屋は、居室と呼ぶには広いが、生活感は極端に薄い。家具は必要最低限の物のみで、そのほとんどが質素なものだった。
対照的なのは部屋の隅に備え付けられた天蓋付きのベッドで、色は淡いが上質な布と豪華な造りは、まるでこれこそが部屋の主だと言わんばかりに主張している。
ただ、ひとりで寝るには大きすぎるこのベッドからは、誰かと寄り添うような温かみはまるで感じられなかった。
塔の階下には他にもいくつか部屋があるが、ルシェが立ち入りを許されているのは、最上階のこの居室のみだ。逆に言えばこの場所が、ルシェの世界の全てだった。
ルシェを閉じ込めるこの鳥籠を訪れる者は、少ない。
ベータの使用人と警備の者がほんの数名。
そして――ルシェに精を注ぐ、三人のアルファだけだった。
身を清め、清掃の済んだ部屋に戻ったルシェは、読書机の上に置かれた小振りの四角い箱を見遣った。
差出人の名は、わかっている。
クレイン・ローディア。この国の第二王子で、ルシェの義弟であり従兄弟でもある。
ルシェが子を為せないとわかったあとに養子に入った彼は、第二王子ではあるが、実質は次代の国王だろう。
そしてクレインは、ルシェを抱く三人の男のうちのひとりだ。
クレインは、快楽を与えながら、それに溺れそうになるルシェを嘲笑い、しかし他の誰よりも長くルシェと繋がることを好んだ。
他の誰かとルシェを共有する時、最初に挿れるのも、最後に精の一滴まで注ぐのも必ずクレインで、彼はルシェが気を失うまで、自身を決して抜こうとはしなかった。
ルシェは箱を開けると、中に入っている真新しいネックガードを手に取った。
それは宝石が散りばめられた美しい品だったが、ルシェは表情ひとつ変えず、機械的な動作で、着けているネックガードを外し新しいそれを首に巻いた。
机の上にはもうひとつ、ルシェを抱くアルファからの届け物があった。
一冊の文学書。著者の名はレリウス。数年前までルシェの家庭教師を務めていたこの男が、二人目の男だ。
ルシェより十歳ほど年上の彼は、少年期に複数の国を渡り歩き、帰国後は国の発展に寄与した。そんな貴重な人材がなぜルシェの家庭教師になったのか。
まだルシェの生殖能力が疑われていなかった頃、レリウスは「私を疎む者も多いのです」と漏らしていた。
若く畏れを知らなかった彼は、意図せずに多くの敵を作っていたのだろう。今は王宮から離れ、王都の学校で教職に就きながら、執筆活動を行っている。
発情期に関わらず度々塔を訪れるクレインとは対照的に、レリウスは発情期にのみ姿を見せた。彼は行為が始まると、オメガ性を観察するのが主な目的とでもいうように、一歩引いた姿勢を取ろうとする。
だがそんなレリウスも、ルシェがほんの少し息を乱しただけで、たちまち理性を放り投げるのだ。
ルシェは分厚い本の表紙を捲ったが、それがオメガとアルファの恋愛小説だとわかると、首を振って閉じた。読書はここでの唯一有意義な時間潰しだが、まだ体に熱が残る状態で読もうと思える物ではなかった。
ルシェがゆっくりと息を吐いた時、部屋の重い鉄製のドアがノックされた。それが形だけのものであることを痛いほど知っているルシェは、応えず読書机の椅子に腰掛ける。
ほどなくして、ガチャリと、解錠の音が響いた。
「殿下、朝食を持って参りました」
そう言って部屋に現れたのは、護衛騎士のガルドだった。
給仕は使用人の仕事だが、ルシェはやはり何も言わず、目線も向けなかった。
ガルドは配膳用の台に食事を並べると、一礼して背を向けた。
扉を閉める直前、顔を上げたガルドの目線は、ルシェの体の輪郭を撫でるように沿ったが、そこには護衛騎士とは別の熱が籠っていた。
ガルドは、八年前からルシェ専属の護衛騎士を務めている。そして、ルシェに忠誠を誓う彼もまた、己のアルファの欲に抗えず、ルシェを抱いている。
もっとも、アルファのガルドが、強いオメガ性を持つルシェの護衛騎士を命じられたのは、最初からルシェの相手をする意図が含まれていたのだろう。
最初にルシェを抱いて以降、彼は塔に住み込み、抱いた翌日はこうして、使用人の代わりに食事を運んでくる。
鉄製の扉が、腹に響く低い音を立てて閉まった。
ルシェは机にうつ伏せると、深く息を吐いた。
毎日をただ惰性に過ごす中で、不意に、重い鉛にようなものが、腹の奥で蠢くのだ。それは怒りとも、悲しみとも、羞恥ともつかないものだった。
けれどそれはすぐに消え、あとには虚無感だけが残る。
ルシェの視線の端に、動くものがあった。窓の外側に、一匹の小さな蝶がとまっている。
ルシェはぼんやりと、翅を休めるその姿を眺めた。再び飛び立とうとした蝶が、突然やってきた鳥に音もなく咥えられる。
蝶を飲み込んだ鳥が去ったあと、ルシェは、立ち上がりかけていた体を、椅子に戻した。
おそらく何の恐怖もなく、痛みもなく、ただ喰われ命を終わらせたその蝶を、ルシェは少し羨ましいと思った。
◇ ◇ ◇
「なにも、陛下御自らおいでにならなくても」
宰相の言葉に、ヴァルテア国王レオンハルト・ヴァルテアは、灰青色の瞳をわずかに細めた。
王城の執務室。昼下がりの明るい日差しが、レオンハルトの漆黒の髪を照らした。
大陸の東に位置するヴァルテア王国は、大陸で最も広大な土地を有する豊かな国だ。漁業から採掘業まで国の資源は幅広く、気候も一年中穏やかで過ごしやすい。
唯一の懸念は、長年敵対していた隣国ペルシレナ王国との関係だったが、それも今は改善されている。その足がかりとなる和平条約を結んだのが、当時まだ二十三歳だった国王レオンハルトだ。
先王の急逝により十九歳の若さで即位したレオンハルトは、その直後こそ王の器であるか不安視されたが、二十八歳となった今、彼の手腕を疑う者はいない。
「ジラ・ヘルダー宰相。貴方から以前、たまには休暇も必要と言われた覚えがあるのだが」
そう言ったレオンハルトが、豪奢な椅子の上で足を組み直す。
その力強い眼差しがふっと和らいだのを見て、宰相であり叔父でもあるジラは、肩の力を抜いた。
「確かにそう申しましたが、それと今回の件は別です」
ジラがちらりと机の上の書簡に目線を落とす。
それは、大陸の最北に位置するローディア王国からの、再三にわたる交易を願い出るものだった。
「陛下、貴方のお言葉を借りるなら、以前、ローディア王国とは交易しないと、そうおっしゃっていたではありませんか」
「確かに言った。あそこは遠すぎる。だが、商人たちからローディアの鉱石や紡績は金になると聞いている。それに我が国にとっても、北の交易路を開拓することは不利益にはなるまい」
「おおせの通りでございます」
そう言いながらも、ジラは深い溜め息をついた。
「しかし、向こうからの使者を受け入れる前に、こちらから視察団を送る――しかも陛下自ら同行されるなど、到底認められるものではありません」
「貴方の言うことももっともだな。……ではこうしよう。まずは急ぎローディアの使者を受け入れる。次いでこちらからは使節団を送る。私は相談役にでも扮して、向こうの国情を見て回る。これでどうだ?」
何か言おうと口を開きかけたジラを、レオンハルトが片手で制する。
「私はそうだな……貴方の家名を借りようか。レオン・ヘルダー伯爵と名乗ろう。国王の母親筋ならば、向こうもそれなりの対応をするだろうからな」
レオンハルトの口調は柔らかかったが、異論を許さない雰囲気もあった。
ジラは姿勢を正したあと、ふとあることを思い出し、眉根を寄せた。
「……陛下、もしや急に心変わりされたのは『第一王子』の噂を耳にされたからですか?」
レオンハルトのわずかな表情の変化を読み取り、ジラは大仰に息を吐いた。
「塔に幽閉されている第一王子……確かに興味を惹かれる存在ではありますが、彼はオメガとも噂されております。どうか直接会うなどという行為はお控えください」
そうジラは苦言を呈したが、レオンハルトの表情を見て、その言葉が無意味であることを察した。
「会って真偽を確かめよう」
大国ヴァルテアの国王であり、アルファでもあるレオンハルトは、ジラが執務室を出たあと、椅子に深く腰掛けた。
ルシェ・ローディアの噂を聞いたのは、つい最近のことだった。
生まれつき体が弱く、王宮から出られないという話は以前に伝え聞いていたが、まさか二十年近くも隔離された塔で暮らしているとは。
(俺の得た話から推察すると、十中八九、オメガだろうな)
ルシェがオメガだからか、人形のように美しいと噂される姿を見るのを期待したのか、ただ余暇を過ごす口実にしたいだけなのか、レオンハルト自身にもわからなかった。
ただ、政治に身を費やしてきた年月の中で、初めて強く興味を惹かれる存在に会う瞬間を思い描くと、胸が昂まる。それが何を意味するのかも定かでないまま、レオンハルトは楽しげに口角を吊り上げたのだった。
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