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第2話 灰白の塔

 自国の王城とは全く異なるその内装を、レオンハルトは密かに見回した。  ローディア王国の王都ルフリナ。その中央に建つローディア大王宮は、全体的に淡灰色で統一されている。装飾は細かく美しいが、どこか閉鎖的な雰囲気を漂わせていた。  広間へと続く長い通路を歩きながら、その無駄のない造りに、レオンハルトは息苦しさを覚えた。  使節団の代表――レオン・ヘルダー伯爵としてローディア王国の地を踏んでから、すでに十日が過ぎていた。 (……だが、この空気の冷たさには、どうにも慣れんな)  それは外気温の所為だけではない。  建物そのものが、まるで人を拒むかのように冷え切っている。  入国直後から厚遇を受けているし、居心地が悪いわけでもない。それでも、奇妙な違和感だけが、薄布のようにまとわりついて離れなかった。  そして何より――最大の目的である『第一王子』に、いまだ会えていない。  表向きは病弱ということになっているから、そう易々と拝顔できるとは思っていなかった。  だが、今回のレオンハルトたちの訪問は、ローディアにとっても念願だったはずだ。  それなのに、『表向き』の理由を盾に挨拶にも顔を出さないとなると、否応なく勘繰りたくもなる。  厳重に隠さなければならない、その理由を。 「ヘルダー伯爵」  背後から呼び止められ、レオンハルトは足を止めた。  反射的に前へ出ようとした従者を目線で制してから、レオンハルトは声の主に頭を下げた。 「クレイン殿下。晩餐会以来ですね」  ローディア王国第二王子のクレインは、レオンハルトに会釈を返した。  整った顔立ちに、王族らしい端正な身なり。歳は二十歳と聞いていたが、彼の紫色の瞳からは、若者が持つ瑞々しさは感じられない。  レオンハルトは不意に、自分が国王に即位した直後の、敵味方を探っていた頃を思い出した。  クレインは、隙のない緊張感を全身に漂わせたまま、値踏みするような眼差しをレオンハルトへと向けた。 「貴公が、第一王子に会いたがっているという話を聞いたのだが」  噂話をなぞるような口調とは裏腹に、その声音は冷ややかだった。 (今更になって「話を聞いた」か。初日に伝えていたはずだがな)  感情は胸中へとしまい、レオンハルトは笑みを浮かべた。 「ええ、紛れも無い事実です」 「……理由を聞いても?」  クレインの目には、明らかな警戒の色が滲んでいる。  彼の不躾な態度に嫌悪感は抱かない。それほどに第一王子は隠すべき存在なのだろう。  だが同時に、この男は感情を隠しきれていない。  扱い方さえ誤らなければ、道は閉ざされない――そう読んだ。 「交易を前提とした国交である以上、国の中枢を知る必要があります。王族との顔合わせは不可欠でしょう」  レオンハルトは一度言葉を切り、挑発するようにクレインを見た。 「それを欠いたまま話を進める方が――かえって無礼に当たるのでは?」  クレインの眉が動く。 「……兄が表に出られない事情については、ある程度ご存知のはずだ」 「動けないほど重病という話は、耳にしておりません」  間髪入れずに返すと、クレインの視線が鋭さを増した。  一瞬の沈黙。  それは、クレインの溜め息によって破られた。 「確認したいのだが、ヘルダー伯爵、貴方は――ベータだな?」  探るというより、確かめるような問いだった。 「ええ。ローディア王国から提示された条件通り、我が国の使節団にアルファは含まれておりません」  即答する。クレインの視線がわずかに緩んだ。 「……そうだな、その条件は、こちらから提示した」  クレインは、何かを思案するように顎に手をあてた。  また沈黙が流れる。  しばらくして、彼は視線を上げた。 「……わかった。第一王子との面会は認める」  ただし、とクレインは付け加えた。 「私も同席する。それが条件だ。……異論はあるか?」 「ありません。ご配慮に感謝します、クレイン殿下」  形式的な礼を返しながら、レオンハルトは静かに思う。 (――ここまでアルファを警戒する理由がある)  そしてその先には、第一王子がいる。 (やはり彼は――)  立ち去ろうとしたクレインが、不意に足を止めて、もう一度レオンハルトを見た。 「貴公は本当に、アルファではないな?」  再度繰り返された問いは、レオンハルトの中で、ひとつの推測を決定的なものにした。  ◇ ◇ ◇  二日後。  名を持たぬ森の途中で馬車を降りたレオンハルトは、その冷ややかな静けさに小さく息を吐いた。 「――こちらだ」  別の馬車から降りたクレインが、レオンハルトの前に立った。 「先立って伝えた通り、従者の帯同はここまでだ。それと――」  クレインの目が、レオンハルトの腰に提げられた短剣へと向けられる。  レオンハルトは短く頷き、剣帯ごと外すと従者に手渡した。  クレインを前に、レオンハルトは歩き出した。  森は鬱蒼と茂っていて、手入れされていないことが一目でわかった。細部にまで管理されたローディア大王宮とは正反対の、だが無造作とも言い難い様相に、レオンハルトは舞い落ちる葉の一枚にまで視線を送る。  前を歩くクレインは何も言わず、二人の草を踏む規則的な音は、まるで儀式へと至る旋律のようだった。 (儀式――灰白の塔か)  この先にある第一王子が住む灰白の塔は、王室が管理する、儀式のための聖なる塔だという。  それが表向きであることも、レオンハルトは知っていた。 (しかし、なぜ王宮の一室ではなく、わざわざ王都から離れたこんな場所に幽閉するのか)  疑念や推測の答えはすぐ近くにある。けれどレオンハルトの胸中には、期待とは別の、形容し難い感情の澱のようなものがあった。  クレインの足音が変わった。  砂利を踏む音。それと同時に、視界が開けた。  目の前に、その塔があった。  そびえ立つ灰白色の壁には幾つもの蔦が絡まり、下層は蔦とくすんだ緑色の苔でびっしりと覆われていた。あらかじめ人が住んでいると知らされていなければ、廃墟と疑ってもおかしくない外観だ。  それは、聖なる塔という位置付けながら、灰白の塔という単調な名称をつけるいびつさとも通じているようにレオンハルトは感じた。  塔には、石造りの小さな小屋が隣接していた。中で火を焚いているのか、煙突から煙が登っている。かすかに何かを煮込んでいる匂いもした。  小屋の扉が開き、中から金髪の男が姿を見せた。  彼はクレインを見ると即座に姿勢を正したが、彼の眼差しには牽制に似た色があった。 (あの男――アルファか?)  レオンハルトはすぐに見抜いた。クレインよりは弱いが、彼からもアルファの『匂い』がする。  確信すると同時に、アルファがここにいることに疑念を抱いた。 「彼は護衛騎士だ」  そう短く告げたクレインが、護衛騎士の彼から鍵束を受け取る。  護衛騎士は鍵束を渡したあと、レオンハルトをじっと見つめた。不快感を隠さない眼差しに、レオンハルトは一瞬、ベータの偽装を見破られたのかと焦った。  だがその心配は杞憂だったようで、男はクレインに一礼すると、小屋に戻っていった。 「ここから先のことは、内密に願いたい」  塔の扉の前で、クレインは一言そう告げると、鍵穴に鍵を差し込んだ。  クレインが重厚な鉄製の扉を押す。  彼に続いて塔に入ったレオンハルトは、直後、鼻腔に触れた甘い香りに、ほんの一瞬動きを止めた。  だがそれを悟らせず、足を進める。 (オメガフェロモンの残り香か)  やはり第一王子はオメガなのだと確信する。  つい先ほどここを通ったのか、まるで彼の軌跡を示すように、その香りは階上へと続いていた。  壁掛け燭台の蝋燭が揺れ、今度は樹脂に似た香りが鼻をつく。 (これは――抑制香?)  燭台は回廊に沿って配置されていて、通るたびに樹脂の香りを漂わせた。蝋燭に抑制剤が練り込まれていることにレオンハルトは気づいたが、なぜここまで充満させているのか、その理由はわからなかった。  階段を上がると、入り口と同じ分厚い鉄製の扉が前を阻んだ。  クレインが別の鍵を取り出して開錠する。 (――それにしても、人の気配がなさすぎる)  今踏み入った階も、その前も、部屋はあるがどれも無人だった。ちらりと覗き見た限りは、どの部屋も家具には布が掛けられ、使った形跡はない。  幽閉されているとはいえ、王族ならば、使用人や護衛の者が控えていてもいいはずだ。塔の外の小屋にいた男は護衛騎士らしいが、もしや小屋の中に、他の使用人たちもいたのだろうか。  考えながら歩いていたレオンハルトは、階段を上ったところでクレインの背にぶつかりそうになり、咄嗟に足を止めた。  クレインが再び鍵で扉を開ける。  レオンハルトは、ここにきてようやく、その違和感に気づいた。 (……もしや、階ごとに扉があるのか?)  こうした塔の構造で、階ごとに扉があるのは珍しい。  一体どこまで厳重にするのかと、半ば呆れつつ潜ったばかりの扉を振り向いたレオンハルトは、目を見開いた。  扉の内側には、鍵穴がなかった。  そうした扉は珍しくないが、それはレオンハルトに、ある事実を気づかせた。 (外からしか開かない扉……だが、ならば……)  塔に入った直後から漂う、オメガフェロモン。  通ったばかりの残り香でなければ、この香りは――あまりにも濃すぎる。 (発情期? いや、この男の対応を思えば、いくら俺をベータと思い込んでいるとしても、発情期のオメガに会わせる愚行は犯すまい)  考え込むレオンハルトの前で、クレインが立ち止まる。 「――私が促したら、すぐに退室するように」  その言葉に、レオンハルトはハッとして顔を上げた。  白銀の蔦模様が刻まれた扉。ひと目で、今までの扉と違うのがわかる。  扉にはフクロウを模した叩き金がついていたが、クレインはそれを使わず、一際大きな鍵を、鍵穴に差し込んだ。  低く重い音が、響いた。  同じ鉄製ではあるが、その音だけで、これまでの扉より数段厚いのがわかる。  甘い匂いが、一層濃くなった。  クレインの背が動き、部屋の全貌が視界に入る。  部屋の中央に――彼が立っていた。 「ローディア王国第一王子、ルシェ・ローディア王太子だ」  クレインの声が部屋に響いた。  一拍遅れて、レオンハルトは頭を下げた。  自分の立場や、偽装していることを、あやうく忘れるところだった。 「ヴァルテア王国から参りました、レオン・ヘルダーと申します」  そう名乗り、数秒おいてから、ゆっくりと顔を上げる。 『まるで人形のように美しいと――』  誰かから聞いた言葉が、脳裏に浮かぶ。  だがそれは誤りだと、レオンハルトは思った。  昔一度だけ見た、氷海の景色を思い出す。  冷たい、などという言葉が生ぬるく感じるあの感覚。  あらゆる生き物を拒絶し、落ちたものの命を容赦無く奪う、純白の氷の下に隠された、常闇の海。  ――触れてはいけない。  胸に浮かんだその言葉を、レオンハルトは訝しんだ。  目の前の、儚くも見える青年に、自分は何を畏れているのか。  「ようこそおいでくださいました。ルシェ・ローディアです」  ルシェの体から、ほのかに甘い香りが広がる。  そうしてレオンハルトは、塔の階下にまで香りが届いていた理由、何重にも扉で隔たれている理由――彼がここに幽閉されている理由を、理解した。

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