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最終話 辿り着いた場所で
深い溜め息をついたルシェを、フィンは横目でちらりと見た。
ルシェが好物のはずの、ドライフルーツがたっぷり入ったケーキと珈琲は、出した時のままで、手もつけられていない。
「何か悩み事でも?」
声をかけてから、フィンは後悔した。ルシェの雰囲気から、その悩みが色恋沙汰であると察したからだ。
「いや、やっぱり何も聞きたくないです」
レオンハルトの怒気を思い出し、フィンは身を震わせる。だがルシェの藁をも掴むような眼差しを向けられ、天井を仰いだ。
「いいですよ、聞きますよ。でも聞くだけですからね!」
「うん。あのね……女の人の肌って、きっと柔らかいよね」
フィンは早速、前言を撤回したくなった。ルシェが今にも泣き出しそうな顔をしていなければ、すぐに立ち去っていただろう。
「……胸……とか……ふんわりしていて」
「なんですかもう! あの人に、胸がないのをがっかりでもされましたか?」
そんなことはないでしょう、と畳み掛けるように言うと、ルシェはおずおずと口を開く。
「うん……まだ見せていないから」
「え!?」
思わず問い質したくなるのを、フィンは堪えた。
フィンとて鈍感ではない。あの日幌馬車の中でふたりが甘い雰囲気を漂わせていたのにも気づいていたし、そのあと頻繁に屋敷に訪れるようになったレオンハルトが、気づいたらルシェとともに姿を消している理由も察している。
そもそも、レオンハルトが訪れるたびに増える香油の瓶を整理し、空になったそれを片付けているのはフィンだ。
もうとうに結ばれているだろうと思っていたのに。いや、結ばれていなくとも何も思わないが、まさか、裸すら未だに見せていないとは。
(何か理由でもあるのか? 傷は……なかったように見えたけど)
以前、風呂の準備をしていた時に、一度だけルシェの裸を見たことがある。確か、それらしい跡はなかったはずだ。
ルシェは、また溜め息を吐いた。
「男の人を相手にするのが……はじめてだって言われて……」
(あ、これは聞いちゃ駄目なやつだ)
フィンは即座にそう判断し、「薪を割るの忘れてました」と、自分でも白々しいとわかる言葉を残してその場を離れた。じっとしていられず庭に出て、言葉どおり薪を割るために小屋へと向かう。
そうしながらフィンは、恐ろしい事実に気づいてしまった。レオンハルトがまだ見ていないルシェの裸を、フィンは見ているのだ。口止めすべきかと踵を返しかけて、けれど少し考えて止めた。
余計な口出しは、事態を混乱させるだけだ。
彼らが当人同士で話し合えば解決するだろうし、結果としてレオンハルトから多少怒りを向けられたとしても、それは使用人の務めとして甘んじて受けよう。
(多少で済めばいいけど……)
フィンは、一気に寒くなった背筋を解すように両腕を回すと、気分を切り替えるために、勢いよく小屋の戸を開けた。
◇ ◇ ◇
ルシェは、すっかり冷めてしまった珈琲を口に運んだ。
口内に広がる冷えた苦さが、ルシェの気分をさらに落ち込ませる。
「どうしよう……」
ルシェは呟くと、何度目かわからない溜め息をこぼした。
ルシェの後ろは、少しずつだが順調に慣れてきている。昨夜はレオンハルトの二本目の指を抵抗なく受け入れることができた。痛みはなく、むしろ気持ちよくて何度も達してしまった。
次の発情期には――いや、その前でも、レオンハルトの熱を問題なく受け入れることができるだろう。
(けれど、俺の裸を見て……がっかりされたら)
幌馬車で屋敷に戻った夜、二人は昂る熱を放置できず、そのまま寝室に駆け込んだ。繋がることはできなくても、熱を吐き出す手段はいくらでもある。それに、あそこを慣らすことも始めたかった。
レオンハルトは香油を手のひらに垂らすと、艶めく指をルシェの後ろへ這わせた。固く閉じたその周辺を撫でられ、腰を震わせたルシェを見て、レオンハルトは熱い吐息をこぼしながら囁いた。
「あなたのここはとても狭そうだ。傷つけないように、俺も学ばないとな」
『学ぶ』という言葉が引っかかり、ルシェは熱に浮かされる頭で、男を抱いたことがあるかを問うてしまったのだ。
レオンハルトは微笑みを浮かべ、かすかな声で、だがはっきりと、「あなたが初めてだ」と、そう言った。
男は、自分が初めて。
その言葉に、ルシェは急に不安を抱いてしまった。
オメガの体は、やや中性的ではあるが、それでも男だ。胸の形も、性器の形も違う。
女性の体を知っているレオンハルトは、今まで抱いてきた相手とは全く違うであろうこの体に、戸惑ってしまわないだろうか。
ルシェの裸に、欲情してくれるのだろうか、と。
(後ろを弄ってくれている時は、大丈夫そうだったけれど……)
あれから幾度となく訪れた夜の営みの中で、レオンハルトは、慣らす目的のある後ろには触れても、ルシェの性器には触れようとしなかった。ルシェが頑なに脱ごうとしないシャツに、手をかけることもない。
(最後までする時も、服を着ていればいいのかな……)
思い起こせば、レオンハルトも、シャツは脱がず下着も履いたままだ。
ルシェが下肢へと手を伸ばすと腰を引っ込めて許さず、昂ったそれを、決して見せようとはしない。
(俺には……触れられたくない?)
浮かんだ言葉を、ルシェは頭を振って追い出した。
今更、レオンハルトの愛を疑ったりはしていない。
(でも……)
まるで学ぶことだけが目的とばかりに一方的に後ろを弄られる行為に、ルシェは寂しさを感じてしまう。ルシェが達したあと、ふと見たレオンハルトの下肢が濡れていない時は、なおさら。
(俺の体が慣れて、ちゃんと受け入れられるようになったら、変わるのかな)
そうであって欲しい。
けれど、その時にレオンハルトの前で全てを曝け出した自分を、今までと同じ熱い瞳で求めてくれるのか。
ルシェには、自信がなかった。
◇ ◇ ◇
「痛くはないか?」
ルシェの中に三本目の指を忍ばせて、レオンハルトが囁いた。
じわりとした痛みはすぐに消え、いつもの甘い感覚が走る。もたげ始めた前が揺れて、先端から透明な蜜が垂れ落ちた。
ゆっくりと内壁を伝う指先に、すっかり知られてしまったそこをぐいと押され、ルシェは「あっ」と腰を浮かした。
「あっ……あ……っ」
「ああ、ここだな」
掠れた声が耳にかかる。
良いところを擦られながら掻き回され、出し入れされて、ルシェの後ろは瞬く間に蕩けた。前もたちまち勃ちあがり、射精感にルシェの背中は震えた。
「お、おれだけじゃ……っ……や……っ」
ルシェはレオンハルトの下肢へと手を伸ばした。布越しでもわかるほど硬くなっているそこへ触れようとするが、逃げるように腰を引かれる。
(なんで……っ)
絶頂の間際だったからか、感極まった気持ちが涙となって、ルシェの目尻から零れ落ちた。
驚いたレオンハルトが、慌てて指を抜いた。それがもっと悲しくて、ルシェは子どものように泣いてしまった。
「無理をさせてしまったか。どこが痛い? 傷はついていないか?」
「な……なんで、逃げるの……っ」
しゃくりあげながらルシェは言った。
こんなふうに責めたくないのに。そう思いながらも、涙と一緒に言葉が溢れた。
「お、俺だって……っ、気持ちよくさせたい、のに」
「ルシェ……だが……」
「俺ばかり、脱いで……弄られるのは、いやだよ……っ」
レオンハルトに触れられるのは好きだ。
もっと触れて欲しいといつも思う。
けれど、それと同じくらい、自分も彼に触れたい。
触れて欲しいと、思われたい。
「全部、くれるんでしょう? 俺も全部、あげるから……っ」
息を呑んだレオンハルトが、体を離す。
(嫌われた……っ)
ハッと顔を上げたルシェの前で、レオンハルトは衣服に手をかけた。
一枚残らず脱ぎ捨てると、ルシェに覆い被さる。
「確かに、俺の全てはあなたのものだ」
切なそうに、レオンハルトが囁いた。
「ならば、耐えきらねばな」
「耐える……?」
涙の引っ込んだ目を、ルシェは瞬かせた。
「何を……耐えるの……?」
レオンハルトが、ルシェの目尻を拭いながら、息を吐いた。
「あなたに触れられて、理性を失ったまま捩じ入れたら……取り返しがつかない」
怒ったようにそう言われ、ルシェは唖然とした。
「俺に……触れられたくないからじゃ……ない?」
「そんなわけがあるか。俺がどれほど我慢していると思っているのだ。……見ろ」
膝をついたレオンハルトの中心は、猛っていた。ルシェとはまるで形の違うそれは、けれどルシェと同じように、先端が濡れそぼっている。
「我慢はするが……これがあなたの肌を汚してしまうのは、許して欲しい」
「……もしかして……下着を脱がなかったのは……」
ルシェは呟くと、自分のシャツに手をかけた。
脱ごうとするのを、寸でのところで止められる。
「ルシェ、頼むから、これ以上俺の忍耐を試す真似はやめてくれ。これであなたの裸を見たら、いよいよ自信がもてなくなる」
彼に、欲しがられている。
それを実感した途端、ルシェはレオンハルトの体に抱きついた。
「ごめんなさい……」
「泣かせたのは俺だろうに。あなたは優しいな」
「違うよ、優しいのはあなただ。……あと、その」
言い淀むルシェを見て、レオンハルトが微笑を浮かべる。
「さっきの続きをしてもいいか?」
言い当てられ、ルシェはぐっと息を呑んだ。
「うん。それと……」
レオンハルトのそれに触れる。「うっ」と小さく呻いたレオンハルトが、叱るような目を向けてきた。
「あまり強くは触れるなよ」
「あなたも、俺のを触ってくれる?」
「願ってもないことだが……乱暴にしたらと思うと、恐くてな」
「大丈夫だよ。……あと、さっきの続きだけど」
ルシェは腰を浮かせると、レオンハルトの先端を自分の後ろにあてた。
「こら、やめろ。さすがにそれは」
「我慢しなくていいよ。俺はそんなに弱くないって、あなたが一番知っているでしょう?」
「それとこれとは――ッ」
体重をかけて、先端を飲み込んだ。
途端、ぐるりと視界が動く。ベッドに仰向けに落ち、足を持ち上げられた。
見上げたレオンハルトは、ルシェが初めて見る、雄の顔をしていた。
「無理だと思ったら、容赦なく俺を打てよ」
その言葉とともに、レオンハルトの硬い性器が突き込まれた。
「あっ、あぁーっ!」
それだけで、ルシェは達してしまった。けれどレオンハルトの腰は止まらず、そのうえ達したばかりのルシェのそれを片手で扱き始めた。
「ま、まって、だめ、だめだから……っ」
そう言いながらも、ルシェの手はレオンハルトを打つことなく、自分のシャツを捲り上げていた。
露わになった突起を、レオンハルトの舌がねぶる。そこから走る快感に、ルシェはレオンハルトの頭を抱えた。
「あぁ、あっ、ああっ……」
その時、凄まじい香りが、ルシェの体からぶわりと放たれた。
ルシェの発情期の匂いに触発されるように、レオンハルトの体からも、アルファフェロモンが滲み出た。
「レオンハルトのにおい……すき……すき……っ」
「っ……!」
レオンハルトが小さく呻く。体の奥に、彼の精が迸るのを感じた。
それでも絡み合う熱は終わりを見せない。発情期の交わりは、二人をさらに昂らせた。
「あっ、あぁっ、あぁ……っ」
性器を扱かれ、胸をねぶられて、今にも昇り詰めそうになったルシェは、縋るようにレオンハルトの肩を噛んだ。
「んんーッ!」
噛みながら達する。惚けつつ口を離すと、レオンハルトの肌に、くっきりとした歯形が残っていた。
(俺の……俺だけの……)
恍惚とした達成感に浸っていると、腰を掴まれ、うつ伏せにされた。背後から挿入してきた硬いそれに、ルシェのいいところをぐいと擦り上げられる。
「あ、あっ、んっ、あ……っ」
「ルシェ、ルシェ……」
切羽詰まったようなレオンハルトの声に、ルシェはネックガードの紐を解いた。片手でうなじにかかる髪を掻き上げる。
「あぁっ……」
レオンハルトの唇が、ルシェのうなじに触れた。
一番奥を突かれ、仰け反った体を腕で抱き寄せられる。
「あぁっ、ん、あ、あぁ――!」
「くっ――!」
襲いかかる絶頂に、ルシェはシーツを握りしめた。レオンハルトの体がぶるりと震え、体の奥に再び熱い奔流を感じた。
それとほぼ同時に、うなじを思い切り噛まれる。
「あっ……」
レオンハルトは荒い息を整えたあと、ルシェのうなじ――噛み跡に、そっと口づけた。
それが離れたほんの少しあと、ルシェの背中に、ぽたりと雫が落ちる。
「痛くは、ないか?」
こちらを気遣うレオンハルトの声に、ルシェは頷きを返した。
うなじはじんわりと痛い。
けれどそれ以上に、言葉では言い表せない幸福が、胸を占めている。
「うなじだけではなく、こちらも……平気か?」
もう一度、頷く。レオンハルトが、安堵に似た息をついた。
ルシェもほっとする。
「男の……俺の体でも、問題なくできてよかった」
つい心の内を零してしまい、ルシェは慌てた。
「お、俺が女の体だったら、もっとやりやすかったと思うのだけど」
「確かに書物には、そのようなことも書いてあったな」
「え……?」
ベッドから降りたレオンハルトが、ローブを手に取った。
「だが俺には関係のない話だ。俺はあなたが初めての相手で、これからもあなたしか知らないのだから」
「あ……」
目を瞬くルシェに、レオンハルトがローブを羽織らせる。
「それより、あなたの声が少し枯れているのが心配だ。喉を痛めてはいないか? ……ああ、飲み物を用意しておくのだったな」
「俺が……初めて?」
「そう言っているだろう。……ルシェ」
何かに気づいたレオンハルトが、ルシェの両肩を掴んだ。
「あなたも感じていたようだから安堵していたが、もしや……よくなかったのか?」
真剣な目で問うてくるレオンハルトを、ルシェは見つめた。
愛しさが、胸に込み上げてくる。
「……すごく、よかったよ。だから、できればローブじゃなくて、あなたに抱きしめて欲しい」
願いは、すぐに叶えられた。
「ルシェ、あなたのフェロモンはとても心地よいな」
髪に鼻を埋めたレオンハルトが、うっとりとした口調で言う。
急に気恥ずかしくなったルシェは、腕の中で身じろいだ。
「汗をかいたから、お湯に浸かりたい……かも」
「ああ、では火を起こしてこよう」
「……多分、フィンがもう準備しているはず……あっ」
ひょいと抱き上げられる。
「自分で歩けるよ!」
「どうか俺にさせてくれ。一緒に浸かる褒美が欲しいのだ」
「……わ、わかったよ。……あ、そうだ」
ルシェは、衣装箪笥を指差した。
「奥に、石鹸があるんだ。それを使いたい」
レオンハルトはルシェを抱えたまま箪笥を開けた。
「これか?」
「うん、開けてみて」
小さな小箱を開けたレオンハルトは、蜜蝋石鹸を見て目を見開いた。
「これは……」
「あなたに貰った石鹸だよ」
「気に入らなかったのだとばかり……」
「逆だよ。これがあったから、俺は自分でいられた。あなたがいたから――」
あの孤独な塔の中で、生きていられた。
レオンハルトに抱かれながら、ルシェは、あの場所でひとり蹲っていた自分を思い浮かべた。
大事なものを、想いを、手放さないで良かった。
「ルシェ、あなたはどこまでも愛しい人だな」
レオンハルトの優しい声が、ゆっくりと染み込んでくる。
ルシェは、顔を覗き込むレオンハルトの、灰青色の瞳を見つめた。
彼も今、ルシェの紅紫色の瞳を見つめている。
見つめ合い、愛を囁き合い、求め合って――。
その願いは辿り着き、永遠に紡がれていくのだと。
そう、信じている。
〈完〉
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