1 / 6

第1話

 千年後か二千年後か。  はたまた別の世界か。  最愛を求め、輪廻を繰り返す。  魂に刻まれた、わずかな糸口。  それを辿るは、孤独な碧玉の魔術師ただひとり。         ***  引っ越し業者のトラックが向かいにあるアパートの前に停まっていた。  季節は六月。  中途半端な時期に越してきたもんだな、と学校帰りの茅原(かやはら)凌馬(りょうま)はトラックを横目に一軒家の自宅の中へ入っていく。 「ただいま」  誰もいないのに律儀にそう言って靴を脱ぐ。そのまま二階にある自室へ行き、学生鞄を机の横に置いてから、ブレザーを脱いでハンガーにかける。Tシャツとハーフパンツ姿になったあとは一階に下り、さして汚れてもいないワイシャツを脱衣所のカゴの中に丸めて入れる。それを終えてようやくキッチンへ行き、冷蔵庫にあるキンキンに冷えたコーラをペットボトルのまま一気に喉へと流し込む。  これが凌馬の帰宅後のルーティンだ。  コーラがオレンジジュースや麦茶のこともあるが、概ね同じ。 「はあ、生き返る……」  冷蔵庫のドアに貼りつけてあるホワイトボードを確認すると、ひとつ上の兄の壮馬(そうま)は塾で帰りが十時になると書いてあった。両親も共働きで、帰ってくるのはだいたいいつも夜七時過ぎだ。それから母が食事の用意をして、食べるのは八時頃。高校二年生で育ちざかりの凌馬にとっては、正午の昼食からあまりにも食事の間隔が空きすぎている。  かといって、自分の小遣いを削ってまで腹を満たすものを買おうとも思わない。空腹をやり過ごすために水分をたくさん摂り、自室に戻って学校の宿題と予習に集中する。  凌馬が通っているのは、兄と同じ県内有数の進学校だ。この高校では生徒のほぼ一〇〇パーセントが大学へ進学し、難関大学への合格者も毎年十数人出ているという。兄も難関大学への進学を両親や教師から期待され、毎日のように塾へ通い、勉強漬けの生活を送っている。  それに比べると、凌馬は気楽なものだった。  兄ほどではないが進学校で中位に入れるほどには優秀で、地元の国立大学くらいなら塾に通わずとも合格できるだろうと言われていた。  本人としては、両親が大学には行っておけというので勉強しているくらいの気持ちで、そこまで強い上昇志向も夢もなかったので、期待されないでいるのはむしろありがたいことだった。期待を一身に背負った兄のほうが潰れてしまわないかと心配するほどだ。  しかし、世間の評価はなぜか凌馬に同情的だった。 「お兄ちゃんの壮馬くんは本当に優秀で――」 「凌馬のお兄さん、めっちゃかっこいいよね!」 「テニスでもインターハイ行ったんだろ? 勉強もできて運動神経抜群で顔もいいなんて、天は二物を与えず、なんて嘘だよな」 「凌馬くんも大変ね。あんな恵まれたお兄ちゃんがいたら……」  ちらちらと顔色を窺いながら言われたら、凌馬は「はあ」と曖昧に返すほかない。  確かに壮馬は優秀なうえ努力家で、スポーツでもなんでもそつなくこなせる超陽キャの高身長モデル体型美男子だ。  一方の凌馬は、そこそこ優秀ではあるが突出しているわけではなく、見た目は悪くないが他人の目を奪うほどのものでもない。いわばモブ顔。背も一七三センチと平均的で、どちらかといえば陰キャの部類だ。今のような梅雨時期だと癖っ毛も跳ねまわる。  だが、凌馬は壮馬を羨んだり憎んだりしたことはない。  ただ兄弟であるだけで、ふたりは完全に別個体なのだ。能力が違って当たり前だし、おそらく壮馬が苦手で凌馬には得意なことがきっとある。今のところまだ見つかってはいないが、多分あるに違いなかった。  ここまで周りに比較されながら生きてきて、凌馬が卑屈にならなかったのは、単に一番身近な両親がどちらかを贔屓しなかったおかげだろう。  やる気のある壮馬には望みどおりの教育機会と応援を、やる気のない凌馬には叱責しつつも変わらぬ愛情を。 「壮馬は頑固だけど粘り強いし、凌馬はのんびり屋さんだけど柔軟。それぞれいいところがあるし、どっちも生活力を身につけてしっかり自立してくれるようになるならそれでいいわ」  ふたりが比較されるたび、母が言っていることだ。  生きていけるならそれでいい。  凌馬もそう思う。地位や名声を得られずとも、いつかできる家族を養えるくらいの稼ぎがあればなんの問題もない。  壮馬は甘い考えだと言うが、他人を蹴落としてまで上に行こうとは思わないし、それで軋轢が生まれるのを凌馬はよしとしない性格なのだ。  できることなら、平和が一番。 (――とかいって、本当は誰かを傷つける勇気がないだけなんだけど)  シャーペンをノートの上に放り投げ、凌馬はため息をついて天井を仰いだ。  集中力が切れて余計なことを考えてしまっていた。  気づけば外では夕焼けが藍色に染まりつつある。時刻は午後六時五十分。そろそろ両親が帰ってくる頃だ。  課題はとうに終わったし、予習はある程度でいいかと今日はもう勉強を終えることにした。リビングでテレビでも見て待っていようと椅子から立ち上がり、カーテンを閉めるついでに窓からぼんやりと外を眺める。  そういえば今日、向かいのアパートに誰か引っ越してきたのだった。人の気配を探ってみると、空きだったはずの一〇三号室の玄関横の小窓に灯りが点いていた。  どんな人が住みはじめたのだろう。  どうせアパートの住人は近所付き合いもしないだろうから関わることはないだろうけれど、あまり変な人ではありませんように。  そう願いながらカーテンを閉め、一階に下りていく。  七月になり、少し早めに梅雨が明け、だんだんと暑さが本格的になってきた頃。  二日にわたって行われた夏休み前のテストを終え、正午には放課となったものの、これといって予定があるわけでもなく、部活に勤しむ友人を学校に残し、ほぼ帰宅部の凌馬は家路についた。  ほぼ、というのは、一応内申点のために形ばかりの茶道部に入っているからだ。月に一回、外部からお茶の先生を招いて茶会をするだけで、あとは特に何もない。  いや、毎週木曜日には茶道勉強会なるものがあったりするので何もないわけではないのだが、九割が女子の中、参加しづらいのが現状だった。それに、欠席しても文句は言われないので問題はない。 「はー、暑……」  気温はゆうに三十度を超え、アスファルトの照り返しで体感温度はさらに上がっていく。  こんな中でも運動部は身体を動かさないといけないのだから大変だ。壮馬は今頃、もうすぐ始まる高校最後のインターハイのために猛特訓中だろう。部活に塾にと大忙しで、とても凌馬には真似できそうにない。  茶道部に入った自分を心底褒めつつ、途中でコンビニに寄ってアイスを買った。今日はカフェオレ味のパピコだ。このときのために普段小遣いをせこせこと貯めていたといっても過言ではなかった。  家に帰るまであと一分もかからないというのに我慢できず、路上で袋を開けてくっついているチューブをパキンと割る。片方の蓋を開け、蓋部分に残ったアイスを吸い出しながら歩いていると、アパートの前に誰かがうずくまっているのが目に入った。  明るいブラウンのボブヘアに一瞬年上の人かと思ったものの、よく見れば小柄で、茶色のランドセルを背負っていた。小学生の女の子のようだ。  顔を伏せ、膝を抱えたままうつらうつらしている。  ――熱中症になっているかもしれない。  それが頭に過ぎり、凌馬は慌ててその子に駆け寄った。不健康そうな青白い首筋には汗がじっとりと滲んでいて、着ている白のTシャツも身体に張りついて不快そうだ。 「だ、大丈夫か!?」  凌馬はぎょっとして、返事を聞く前にパピコの半分をその首筋に押し当てた。 「わっ!」  いきなりの冷たさに、彼女が驚いて身体を跳ねさせた。 「な、何!?」  ばっと顔が上がり、視線が絡む。その顔を見て、凌馬ははっと息を呑んだ。

ともだちにシェアしよう!