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第2話

 日本人離れした目鼻立ちに、暗めの碧の瞳。  てっきり染めているのかと思ったが、髪も自前なのだとこのとき気づいた。  それにしても、随分整った顔立ちだ。碧色の目を縁取る睫毛は長く濃密で、絶世の美少女とはこういう子のことを言うんだなと感心してしまったほど。美形は壮馬で見慣れていると思っていたが、壮馬が霞むほどの美貌に一瞬思考が止まる。 「あの……?」  怯えたような目でこちらを見つめる女の子に、凌馬はぶんぶんとかぶりを振った。 「ごめん。ぐったりしてたから、具合でも悪いのかと思って」 「べつに」  警戒の色を浮かべたままぼそりと返事をし、彼女はまた顔を伏せてしまった。だが、炎天下に放っておくわけにもいかない。 「このアパートの子? 鍵失くして家に入れないとか?」  見かけたことのない子だが、もしかしたら先月引っ越してきた子かもしれない。  時刻はまだ午後一時を過ぎたばかりだ。親が仕事なのだとしたら、夜までずっとここにいるつもりなのだろうか。今は大丈夫でも、一時間もしないうちに倒れてしまう可能性もある。 「えっと、怪しい者じゃないからな。ほら、この家の住人」  この家、と向かいの自宅を指し、凌馬はニコッと微笑んでみせた。しかし、喋れば喋るほど怪しさが増していく気がする。女の子も口を閉ざしたままだし、このままでは埒が明かない。 「ちょっと待ってて。これ食べていいから」  パピコの片割れを女の子に押しつけ、凌馬は急いで自宅に戻った。冷蔵庫にあったコーラのペットボトルを取り出し、熱冷ましシートも何枚か薬箱から拝借する。あと、押し入れの中にいつだったかゲーセンで獲って使わないまま放置していたハンディファンがあったことも思い出し、回収した。  バタバタと足音を響かせ、再び外に出ると、女の子は座ったままパピコの蓋を開けるのに悪戦苦闘していた。食べる気にはなってくれたらしい。 「開けようか」  凌馬が訊くと、彼女ははっとしたように俯き、耳の先を赤くした。それにひっそりと笑い、「こっち飲んでな」とコーラを渡す。 「コーラだ」  つぶやいた彼女の声に、喜びが滲んでいるのがわかった。それを聞いた凌馬もじわじわと口角が上がっていく。パピコの蓋をちぎり取って渡すと、彼女はどちらに先に口をつけようか迷ったのか、おろおろしはじめた。昔飼っていたハムスターを思い出す仕草に、凌馬は思わず吹き出した。 「喉が渇いてるならコーラから飲めばいいよ。パピコは溶けるまでもうちょっと時間がかかると思うし」 「うん」  凌馬の提案に素直に頷いて、彼女は膝の上にパピコを置き、さっそくコーラの蓋を開けた。プシュッという爽やかな炭酸の音に、今度ははっきりと笑顔を浮かべる。そしてゴクゴクと喉を鳴らし、一気にコーラを流し込んでいく。 「おい、慌てて飲んだら――」  噎せるぞ、と言いかけたところで、案の定途中で咳き込んで涙目になった。その背中をさすりかけて、凌馬ははっと手を止めた。小学生相手とはいえ、女子の身体に触るのはセクハラになるのではと思ったのだ。自身はまだ未成年の高校生といえど、今のご時世、何で訴えられるかわかったものではない。 「暑すぎたらこれも使って。おでことか首とかに貼ったら多少はマシになるはずだから。それと、ハンディファン」  熱冷ましシートとハンディファンを押しつけ、凌馬は立ち上がった。  やれることはやった。あとはたまに外を覗いて、倒れていないか見ればいい。  本当は彼女の親が帰ってくるまでうちでゆっくりしてもらいたいが、女児を招き入れるのにはリスクが伴う。しかも滅多に見ないほどの美少女なのだ。親切心しかないと凌馬が主張しても、そう捉えない人もいるかもしれない。 「じゃあ、気をつけて。飲み物が欲しくなったらインターホンで呼んで。遠慮しないでいいから」  そう言い残し、自宅に戻ろうと踵を返す。後ろ髪引かれる思いだったが、致し方ない。  しかし、その後ろ髪を実際に引かれるとは思っていなかった。いや、引かれたのはズボンの裾なのだが、とにかく、凌馬は女の子に引き留められた。 「あの、ありがとう、お兄さん」 「どういたしまして」  お礼を言いたかっただけかと思いきや、彼女は言い終わってもその手を離そうとしなかった。 「どうかした?」  凌馬が訊くと、ちらっと上目遣いを寄越し、形のいい唇でぼそぼそと喋り出す。 「あの、ここ、暑くて。だから、その……、お兄さんちに、……」 「俺んちに入れてほしいってこと?」 「う、うん」  こくこくと頷いて、期待の籠った眼差しで見つめられる。凌馬の良心が、ちくちくと痛んだ。 「うーん、でも、女の子を入れるのはちょっと……」  心苦しいが、断るしかない。  だが、凌馬の言葉を聞いた少女の顔が、パアッと明るくなった。 「男だったらいいの? 僕、男だけど」 「えっ? 男の子?」  信じられず、訊き返す。  すると彼女――いや、彼はすっくと立ちあがり、凌馬の手をぐいっと引いた。そしてズボン越しに自身の膨らみを確かめさせる。  ぐにょりと、あるべきものがそこにあった。 「ちょ、お前な……っ」 「ちゃんとついてるでしょ? これならいいよね? ねっ」  あまりに必死に懇願され、怒る気も失せてしまった。凌馬は苦笑を零し、少年の頭をぐりぐりと撫でまわす。ふわり、と饐えた匂いがした。もしかしたら、と嫌な想像に胸がぐっと苦しくなった。 「昼飯食ったか?」 「ううん。今日は給食なかった」 「俺もまだだから、パスタなら作ってやるよ」 「本当?」 「ああ」  最初の警戒心はどこへやら、少年は花が咲いたように笑い、ぎゅっと腰に纏わりついてくる。 「俺は茅原凌馬。お前は?」 「九条(くじょう)重(かさね)」 「重くんか、かっこいい名前だな」  地面に置いたままになっていたコーラたちを拾い上げ、凌馬は自宅のほうへと歩き出す。重も雛のようにぴったりとくっついてきて、凌馬を見上げてニコニコしている。美少女ではなく美少年だったわけだが、どちらにせよ可愛い子どもに懐かれるのは悪くない。  玄関のドアを開け、重を招き入れる。 「お邪魔します」  重は礼儀正しくつぶやいて、きょろきょろしながら靴を脱いだ。よく見れば靴もボロボロだ。サイズが合っていないのか、踵は潰してあった。なんとも言いようのないモヤモヤが胸の中に蓄積されていく。  リビングへ案内し、ローテーブルにコーラとパピコを置き、重をソファに座らせる。 「ちゃちゃっと作るから、ここでそれ食べて待ってて」 「うん」  テレビをつけ、エアコンのスイッチも入れた。昨冬に買い替えたばかりのエアコンなので、すぐに冷気が部屋を満たしていく。 「涼しい……」  背もたれに身体を預け、重がうっとりと目を閉じた。 「適当に温度調節していいからな」  凌馬はそう言ってリモコンを渡したが、重は少し困ったように首の後ろを掻き、「今でちょうどいいよ」とすぐにリモコンをテーブルに置いた。図々しいのか遠慮がちなのかわからない男の子だ。  リビングからキッチンはひと続きになっている。重の様子を見ながら、凌馬は大鍋に水を入れ、沸かしはじめた。確か混ぜるだけのソースのストックがあったはずだ。戸棚を漁ると、ツナマヨとボロネーゼのソースが見つかった。 「重くん、どっちがいい?」  凌馬の質問に、パピコを吸いながら重が振り向いた。凌馬の手にある袋を見て、ツナマヨを指さす。 「右のやつ」 「オッケー。ツナマヨな。アレルギーとかない?」 「うん、多分」  曖昧な答えに不安が過ぎるが、もしアレルギー持ちなら親から口酸っぱく言われているだろうし、大丈夫なのだろう。  お湯が沸くまで少しかかりそうだ。

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