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第3話
凌馬は少し悩んでから、二階の物置に向かった。コンテナに収められた着なくなった洋服を漁り、ハーフパンツを引っ張り出す。重の身長は一二〇センチくらいだから、これならウエストを絞れば着られるだろう。自室にも向かい、小さめのTシャツと、サイズを間違えて買ってしまった新品のXSのボクサーパンツを持って下りる。
リビングに戻ると、急にいなくなった凌馬を探していたらしい重が、目が合った途端ほっとしたように微笑んだ。
「ごめん、ちょっと探し物をしてて」
「探し物?」
「ほら、これ」
たたたっと小走りで寄ってきた重に、凌馬は服を差し出した。
「もう着ない服だから、あげるよ。汗かいたままだと風邪ひくし、風呂貸してやるから入ってきな」
「いいの?」
戸惑ったように重が凌馬を見上げた。
「いいよ。どうせもう捨てるものだし。あっ、パンツは間違って買って使ってないやつだから、未使用だぞ」
さすがに下着のお古は嫌だろうと、凌馬は付け加えた。重が頷いたのを見て、風呂場に案内する。
「シャンプーとか好きに使っていいから。シャワーの使い方わかる?」
「わかんない」
そう言って首を振る重に丁寧に使い方を教え、タオルを数枚扉の前に置き、パスタを作りにキッチンへ戻った。
ちょうどお湯が沸いていたので塩ひとつまみとパスタを入れ、袋に書いてあったとおり十一分茹でる。
すると、五分もしないうちに重が戻ってきた。手にはさっきまで着ていた服を抱えていた。
「俺のと一緒に洗濯するから洗面所のカゴに入れといて」
「うん」
凌馬の指示に頷いて、パタパタと速足で洗面所に戻っていく。そしてすぐに戻ってきて、キッチンにいる凌馬の横に立った。生乾きの髪からは雫が滴っていた。
「ちゃんと乾かさないと風邪ひくぞ」
パスタが茹だるまでにはもう少し時間がかかる。凌馬はドライヤーを取ってきて、キッチンのコンセントに繋ぐと、重に手招きした。
「おいで。乾かしてあげる」
「うん」
カウンターチェアに座らせ、まずはタオルである程度水気を切ったあと、火傷させないように気をつけながら重の髪に温風を当てる。
重の茶色い髪は、手入れされていないわりにはさほど傷んでいなかった。手櫛でもサラサラになり、ブローせずともすとんとまっすぐに下に落ちる。旋毛もきちんと頭のてっぺんにひとつだけ。
「重くんの髪、ストレートで羨ましいよ。俺、癖っ毛だからセットするのが大変でさ。しかも旋毛がふたつあるから、乾かさずに寝たときなんてぐるんぐるんしちゃって」
自分の髪を触りながら凌馬が言うと、重が振り返ってじっと凌馬の髪を見つめてきた。それから、すっと目を細めて言う。
「お兄さんの髪、可愛いと思うけど」
「可愛いってお前……」
年下に言われる言葉ではない。
「そういえば重くんって何年生?」
ふと思いついて訊く。体格的に低学年かと思ったが、「四年生」と返ってきて凌馬は閉口した。四年生にしては小さすぎやしないか。
「お兄さんは?」
「俺は高二」
凌馬の答えに、重が両手を出して指を折りはじめた。
「えっと……、五、六、一、二、三、一、二」
「七歳差だな」
ポンッと重の頭に手を置いたところで、タイマーが鳴った。十一分経ったらしい。重の髪も乾いたので、ちょうどいいタイミングだった。
湯切りをして、皿に盛りつけ、ツナマヨソースを混ぜてきざみのりをかければ完成だ。重にリビングまで運んでもらい、凌馬は麦茶とフォークを持っていく。
「いただきます」と凌馬が手を合わせるのを見て、すでに食べかけていた重も慌てて真似をして「いただきます」をした。
重はフォークの持ち方が変だった。顔を皿に近づけて、パスタを掬うように食べる。いわゆる犬食いというやつだ。必死に食べる姿は微笑ましいが、その背景にあるものを想像して、凌馬はまた唇を引き結んだ。
炎天下、どこへ行くでもなくじっと耐えていた姿。身体から放たれていた饐えた匂いに、ボロボロの靴。食事のマナー。
この子は、ちゃんと親から愛されているのだろうか。
学校には友だちがいるのだろうか。いじめられてはいないだろうか。
そんなことばかりが気になった。
「美味しいね」
のりを前歯につけたまま、重が笑った。
他人の家庭に干渉してはいけないことはわかっていた。けれど、どうしようもなく、胸が締めつけられる。その痛みに、凌馬は耐えられなかった。
「重くん、友だちになろうか」
突然の凌馬の提案に、重が目を瞬かせた。
「え?」
「友だちになったら、またこうして一緒に飯も食えるし、遠慮せずに俺んちに来られる。ゲームだってやりたい放題だ」
「いいの?」
魅惑的な提案に、重の顔が蕩けていく。
「いいよ。俺ももうすぐ夏休みだから、暇してるしな。遊ぶだけじゃなくて宿題も一緒にやってやるよ」
「やった!」
碧色の瞳が弓形に細められ、これ以上ないくらいの笑顔を咲かせる重に、凌馬は妙な充足感を覚えた。弟ができたみたいで、嬉しかったのだ。
自分の目の届く範囲でくらいは、重のことを守ってやりたい。
今日初めて会った子どもだというのに、凌馬はすでにそんなことを考えるまでになっていた。自分が男だということをすっかり棚に上げて、これが母性本能か、と重の髪をわしゃわしゃと掻きまわしながら思う。
そしてこの一言をきっかけに、重は本当に遠慮せずに毎日凌馬の家に来るようになったのだった。
「凌馬、お前、最近小学生とつるんでるってマジだったのか」
重がうちに来るようになって一週間。
珍しく部活も塾もなかったのか、学校が終わってすぐに帰ってきた壮馬が、リビングでゲームをする凌馬と重を見て驚いた顔をした。
「こ、こんにちは」
重がぺこりと挨拶すると、壮馬は「おう」と右手を軽く上げ、会釈した。
「向かいのアパートの子なんだって? めっちゃイケメンじゃん」
家族には重のことは話してあったので、初見でも女の子と間違えることはない。
壮馬はずかずかと近づいてきて、鞄から飴を取り出して重に押しつけた。
「俺はこいつのお兄ちゃんで、壮馬っていうの。よろしくね、重くん」
「はい」
重が頷いたのを見て、壮馬は満足げに笑うと、「勉強もしろよ」と言い置いて早々に自室へと引き上げていく。その背中を、重の視線が追った。
「……あんまり似てないね、お兄さん」
凌馬に向き直り、重が言った。その言葉に、少しだけ身構える。
「だろ。あっちはイケメンで俺はフツメン」
防衛線を張るように、凌馬は笑顔を作って言った。
いつもなら、壮馬は壮馬で、自分は自分だと割り切れる。だが、今日はどうしてか気が重い。小学生にまで壮馬のほうが優れていると突きつけられるのは、さすがにこたえるからだろうか。
頬が引き攣れる感覚に、そろそろ笑顔が崩れそうだと思ったときだった。
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