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第4話
「そうかな?」
重が首を傾げ、ぴったりと横に座り直してから、じっと凌馬の顔を覗き込んだ。
「そういうのはよくわかんないけど。僕は凌馬お兄さんのほうが好きだな。目がやさしいし、癖っ毛も、鼻とか口の形も、ぜーんぶ可愛いし」
一点の曇りもない碧色の瞳の中に、凌馬が映る。
居た堪れなくて、思わず視線を逸らした。
重の瞳に、何もかもを見透かされそうだった。
かあっと頬が赤くなっていく。
「ふふっ、ほら、可愛い」
重が小さな手で、凌馬の頬に触れた。逸らした凌馬の顔を自分のほうへ向け、無理やり視線を合わせて重が微笑む。
「……っ、年上に可愛いなんて言うなって」
その手を払いのけ、凌馬は首の後ろを掻く。
「嫌だった? ごめんなさい」
重がしゅんと項垂れ、長い睫毛が白い頬に影をつくる。罪悪感に、凌馬はぐっとこぶしを握った。
「嫌っていうか、恥ずかしいじゃん」
「そうなの?」
重の身体がさらにぴったりとくっついて、そこから熱が侵食していく。エアコンが効いているとしても暑苦しいはずなのに、なぜだか離れようとは思わなかった。
「可愛いっていうのは、俺なんかよりも重くんみたいな人に言う言葉だろ」
「えー。それはやだ」
重は凌馬に体重をかけながら、首を横に振った。
「なんでだよ。俺には言うくせに」
「僕は可愛いよりかっこよくなりたいんだもん」
ぷくっと頬を膨らませて重が答えた。それを両手で潰しながら、凌馬も言う。
「それは俺だって同じだよ」
いつの間にか、張っていた気が解けていた。
重は見た目なんて気にしない。壮馬よりも凌馬がいいと言ってくれる。それで十分だった。
「重、コンビニにアイス買いに行くか」
なんとなく、呼び捨てにしてみた。途端に重の顔が華やぐ。
「うん。リョウ兄ちゃん」
今までこんなふうに誰かに慕われたことはなかった。だからなのか、重が可愛くて仕方がない。
「好きなの選んでいいからな」
小遣いを削ってでも重の笑顔が見たいと思った。
「うん。ありがとう」
重の柔らかな茶色の髪に触れる。ふわりと、自分と同じシャンプーの香りがした。
重は二日に一度、うちでシャワーを浴びていく。洗濯物も、うちでする。そのことについて母は文句を言わなかった。重の事情を察して受け入れてくれているのだ。「一度会わせてね」とは言われているから、次の休みにでも紹介しよう。
数日もすれば重は夏休みだし、凌馬も課外学習だけになるので午後からは暇だ。今以上に重と一緒に勉強をして、ゲームをして、たまには外に遊びに行ったりもできる。
「早く行こ」
重に腕を引かれ、凌馬は「はいはい」と立ち上がった。
早いもので、重と出会って一年が経った。
うちの家族との顔合わせも済ませ、一緒に過ごしているうちにだんだんと重の家の実情もわかってきた。
重には父親がいない。
母親は夜に仕事に出かけ、帰ってくるのはだいたい朝。いや、帰ってくるのはいいほうで、数日姿を見せないときもあるという。当然食事を作ってくれるわけもなく、机にはたまに千円札が置いてあって、凌馬と出会うまではそれで買い物をしてひとりで食べていたらしい。
服を買うお金もなく、洗濯機も使えないから何日も汚れた服を着ていた。サイズが合わない靴を履いていた。前に住んでいたところには児童相談所の職員が来たこともあったという。
完全にネグレクトだ。
一度、うちの母が重の母に挨拶をしようとしたが、ものすごく嫌な顔をされたと言っていた。「重くんのことで」と切り出しても、「好きにしたら?」と取りつく島もなかったらしい。それで吹っ切れて、母は重の母親が家にいない日は、重の食事も作ってくれるようになった。だから今ではほとんど毎日、重はうちで夕飯を食べている。
そのおかげか、重はこの一年で十五センチも背が伸びた。視線の高さも近くなり、もう女の子には間違えられないくらいには顔つきも男の子っぽくなった。無造作に伸ばしっぱなしだった髪を切ったせいもある。
以前は不衛生さや、明らかに西洋人の血が混じっている見た目のせいで小学校でも浮いていたようだが、健康的になった重はむしろ女子たちにモテるようになったらしい。
とはいえ、本人はまだ恋愛に興味が出る年頃ではないのか、話しかけてくる女の子たちが鬱陶しいと心底どうでもよさそうではあったが……。
「リョウ兄、僕、今度ここに行ってみたい!」
凌馬のベッドで雑誌をめくっていた重が、突然声を張り上げた。
「どこ?」
黙々と机に向かって課題をしていた凌馬は、シャーペンを動かす手を止め、重に向き直った。重はぴょんっとベッドから降り、凌馬の背に抱きつきながら雑誌を広げる。
「ここ。世界の魔術展ってやつ」
「魔術?」
重が指差したのは、隣の市で開かれている展示会だった。恋愛よりもファンタジーなお年頃か、と凌馬は微笑んで頷いた。
「面白そうだな。いいよ。明日にでも行こうか」
幸い、明日は課外授業もない。夏休み中だから人出は多いだろうが、平日の昼間だから少しはマシだろう。
「やった!」
「お母さんに外出許可取っておけよ」
凌馬が釘を刺すと、重はぐりぐりと額を押しつけてきた。
「はぁい」
不服そうな声が返ってくる。
重には、外に出かけるときは必ず母親に予定を伝えるように言ってある。凌馬と一緒に出かけて、連れ去りだと難癖をつけられたら堪ったものではないからだ。
今こうして家に上げているのもグレーゾーンだったりするので、慎重にならざるを得なかった。
「重もうちの子になれればいいんだけどな」
そしたら、夕食後もひとりの家に帰さなくて済む。なんのしがらみもなく、どこへだって連れていける。
しかし、重はうーんと少し困ったように唸り、「それは嫌かも」と意外な返事を寄越した。
「えっ、なんで?」
まさか否定されるとは思っておらず、凌馬の心臓が凍りつく。
実はずっと我慢してうちに来てくれていたのだろうか。居心地が悪いと思わせてしまっていただろうか。
「だってさ、それはリョウ兄と兄弟になるってことでしょう?」
「そうだけど」
それの何がダメだというのだ。
「もしかして俺のこと嫌いだった?」
そんなわけないよな、と願いながら、恐る恐る振り返り、訊く。それに重がふはっと吹き出し、首を横に振った。
「違うよ。リョウ兄のこと、大好きだよ。だから兄弟にはなりたくない」
好きだというのなら、どうしてそんな悲しいことを言うのだろう。
「迷惑かけると思ってる、とか?」
その問いに、また微妙な唸りが返ってくる。
「うーん、まあ、そういうことでいいかな」
なんだかごまかされた気がしないでもないが、妙に大人っぽい重の言い回しに複雑な気分になってしまった。
背も随分伸びたし、喋り方もたまにドキッとするくらい大人びているときがある。あっという間に成長して凌馬を追い抜いていくのだろうかと、じじむさい感傷が湧き上がってくる。
「まったく、生意気な!」
凌馬はその感情を振り払うようにばっと椅子から立ち上がり、重の脇腹をくすぐった。
きゃはは、と高い声で重が笑う。そこに子どもっぽさを見つけて、ほっと息を吐いた。
翌日、ふたりで出かけた魔術展は、お世辞にも賑わっているとは言えなかった。入口に怪しげな黒魔術の祭壇があって、そのせいで客足が遠のいていそうだった。
だが、重はむしろそれが気に入ったらしい。
「かっこいいね!」と瞳を輝かせ、ぐいぐい凌馬を引っ張っていく。
怪しげなわりに展示はしっかりしていて、世界中の魔術や呪いについて、詳しく解説が書かれたボードがそこら中に貼ってあった。実際に占いをしてくれるコーナーもあったりして、一回二千円という文字に躊躇ったものの、重が占ってほしそうにしていたのでやらないわけにはいかなかった。
何を占いたいのか訊かれ、「僕とリョウ兄の相性占いがいい」と重が言った。
「そんなん占ってなんになるんだよ」
呆れて凌馬が止めようとしたが、頑として重は譲らなかった。
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