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第6話
「リョウ兄、どうしたの?」
重がくぐもった声で訊いた。傍まで来ようとしていた女の子が、凌馬に怯えたような目を向けた。
「えっ、何、こわ」
まるで不審者にでも会ったかのようにつぶやいて、凌馬をじろじろと眺める。
自分は今、どんな顔をしているのだろう。
それは凌馬自身にもわからなかった。
「九条くん、大丈夫?」
凌馬に抱かれたまま動かない重に、女の子が声をかける。そこでようやく凌馬は自分がとてつもなく変な行動に出たことに気がついた。
「あっ、ごめんな、重」
ぱっと手を離し、乱れてしまった重の髪を手櫛で整える。
「ううん。全然いいよ。いつもと逆なだけだし」
「それもそうか」
しかし、重の耳がじわじわと赤く染まっているのを見て、凌馬は申し訳ない気持ちになった。クラスメイトの前で妙なことをしてしまったから、恥ずかしかったのだろう。
「何? 瀬川(せがわ)さん」
さっきよりは感情のある顔で、重が女の子に訊いた。
「べつに、用はないけど……。この人九条くんの知り合い?」
警戒心丸出しで、女の子――瀬川が凌馬を見上げる。
「うん」
重が頷いて、それからぎゅっと胸元を握りしめた。ポロシャツの首元から、ちらりと革紐が見える。
重は例の占い師からもらった小石を細工して、ネックレスにして肌身離さず持ち歩いている。今でも言いつけどおり、あの小石に毎日祈りを捧げているらしい。
「重の願いってなんなの?」と訊いてみたことがあったが、「言ったら叶わなくなりそうだから言わない」と秘密にされてしまった。確かにそのとおりだと、凌馬は無理に聞き出さなかった。
「親戚か何か? まさかお兄さんじゃないよね。見た目全然違うし」
瀬川の質問に、重の鼻の上にしわが寄る。
見たことのない不愉快そうな顔だった。
「君には関係ないだろ」
冷たい声で、重が言った。瀬川がびくっと肩を揺らし、今にも泣きそうに顔を歪める。
「か、関係ないかもしれないけど……」
「じゃあ正直に言うよ。リョウ兄は僕の一番大切な人で、ふたりの時間を誰にも邪魔されたくないから今すぐ君にどこかへ行ってほしい」
重の口から淡々と質問の答えが発せられた。
自分を「一番大切な人」と紹介されたのと、瀬川への容赦ない暴言に、凌馬は喜んでいいのか照れていいのか、はたまた叱ればいいのかわからなくなった。
「九条くん、酷い。そんなふうに言わなくても」
瀬川の視線が、キッと凌馬のほうを向いた。そこには明らかに嫉妬が含まれていて、凌馬は苦笑いを浮かべるしかなかった。
だが、妙に気分がいい。
少し考えて、それが優越感だと理解した。小学生の女児相手に優越感など覚えても仕方がないだろうに、どうしようもなく胸に湧き上がってきてしまう。だから、凌馬は重を叱らない自分を見逃すことにした。
重はツンと瀬川を無視し、凌馬の腕を取って文芸コーナーのほうへ引っ張っていこうとする。
「ごめんね」と凌馬は瀬川に片手を上げて謝ると、すぐに重のほうに向き直る。酷いことをしている自覚はあるのに、正そうとも思わなかった。
「おっ、茅原くんの弟分、今日も来てくれたんだ」
文芸コーナーに店長がいて、重を見ると笑顔を浮かべた。
小学三年生の息子と生まれたばかりの娘がいるという店長は、子どもにやさしい。重のように少ない小遣いから本を買ってくれる良客ともなれば、さらに甘い。普通子どもが店員の邪魔をしていたら怒るだろうに、一度も怒られたことはなかった。
「どうも」
毎回話しかけてくれる店長に対して、重はいつまでも他人行儀だ。うちの家族以外に笑顔になっているのを見たことがないので、案外人見知りなのかもしれない。
「相変わらずクールだね」
「すみません」
重の代わりに、凌馬が謝る。しかし重はそれが当たり前のように悪びれもせず凌馬に頭をぶつけ、「おすすめの本教えて」と袖を引っ張った。
「はいはい」
凌馬は文芸担当ではないのだが、重におすすめを聞かれるようになってから、売れ筋は押さえておくようになった。とはいえ読んでいるわけではなく、詳しい同僚に教えてもらっているだけだったりする。本屋でバイトしているものの、凌馬はそこまでの読書家ではなかった。読むのは専ら漫画だ。
平積みになっている人気作の文庫を手に取り、重に渡す。もうすぐ発表の小説大賞の候補作のひとつだ。同僚曰く、この本が大賞を獲るだろうとのことだった。かなり面白かったと言っていたから、きっと重も気に入るはずだ。
裏表紙のあらすじに目を通し、重が「ふうん」と目を細めた。
「『三十路になっても独身を貫き、それなりに満足な生活を送っていた麻衣子だったが、仕事を教えることになった新入社員の萌絵に、いつの間にか心に積もっていた孤独を暴かれ、身体だけの関係に溺れていく。不安定なふたりの行く末は――』か。面白そうだね」
読み上げられた内容に、凌馬はぎょっとした。明らかに女性同士の性描写のある本だ。
「えっ、ちょっと、大人向けすぎたか」
重は意外と読書家で、学校での成績もかなりいい。児童向けは物足りないというので、ここ最近は大人が読むようなものばかり薦めていたが、さすがに今回の本は少し性的すぎたかもしれない。あらすじくらいはきちんと読んでおけばよかった。
「ううん。ちょうどこういうの読んでみたかったし、これにする」
重はそう言って、さっそく本をレジに持っていった。購入が済むと、凌馬に手を振って店を出ていく。
凌馬がバイトを終えて家に帰る頃には、きっと読み終わっているのだろう。
「……なんか、複雑な気分だな」と凌馬は独り言ちた。
重がそういうものに興味を持ちはじめたのかと思うと、喜ばしいような、寂しいような気持ちになった。自分もあの年頃には性的なものに興味津々だったくせに、それを棚に上げて重にはいつまでもピュアでいてほしいと願ってしまう。
「はあ……」
深いため息をついていると、店長に見つかり、大丈夫かと心配そうな顔をされた。それに首を振り、凌馬は仕事に戻った。
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