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04.オレのこと好きなのかな?
唇が離れた直後、どちらかの熱い吐息が顎を小さくくすぐった。ミラは呆然と目の前の男を見上げている。
セティアスもまた、何も言わないままじっとこちらを見つめていた。
「……何……、なんで……?」
ようやく絞り出した声は震えている。
だって、確かにキスをされた。セティアスの少し乾いた唇の感触がまだ消えずに残っている。
何故? 何のために? ミラは脳内をグルグルとフル回転させ、次第に顔全体を真っ赤に染め上げながら短い呼吸を繰り返した。
「は……、はひっ……」
予想外過ぎる出来事にもはや完全にパニックだ。驚いたなんてものではなかったし、恥ずかしいし、どこか後ろめたいし、いやそれよりもショック過ぎるだろこんなの。
「キキッ……キス、キス、はひゃ……」
すっかり茹で上がってしまった顔が熱くてたまらない。フラフラと上半身が揺れていたためか、セティアスはミラの体を難無く抱きかかえるように持ち上げ、テーブルの上から移動させた。そう言えばまだ片足を乗せたままだった。
「はひはひ……」
覚束ない足で二、三歩よろける。それをまたセティアスが受け止める。そして片方の手でそっと撫でるように、ミラの頬に触れた。
「……顔が赤い、ミラ。おまえは色が白いからよく目立つ」
「だ、だだだ、だって……」
「……いや、赤いと言うより赤黒いな。腐った毒キノコみたいだ」
「なんだとテメーこのヤロー!」
瞬時にミラはまたしてもセティアスの胸ぐらを締め上げた。誰の顔が毒キノコだ。自認ではせいぜい米粒だったのに。こんなときにも暴言は平常運転か。
「……なんでキスなんかした!」
顔の熱はまだ引いていないのが分かるが、心のほうは完全に冷静さを取り戻した。にらむミラに、セティアスは相変わらず抑揚の無い声で答える。
「…………おまえが上を向いていたからだ」
「……は?」
「上を向かなければ唇が見えなし触れられないからな」
「……は? は?」
セティアスの答えの意味が少しも読み解けない。上を向いたらキスをするのか? それはどういう訳合いで?
段々とトーンダウンしてきたミラは手を離し、おそるおそる首を傾げた。
「……も、もしかしてオレたちって、時々キスするような関係だった……ってことか……?」
「……いや、初めてした」
「なんでなんだーーー!!」
ツッコミが追い付かない。コイツは別の世界線かどこかからやって来た理解不能な異種生命体なのだろうか。
「んがーーーっ!!」
怒号を上げながら両腕を振り回し、両足で床をドスドス踏み鳴らす。憤懣やるかたない。
上を向いていたからというだけの理不尽な理由で、ミラのファーストキスは無惨に散らされたのだ。今後この初体験を思い返す際には、もれなく毒キノコが頭をよぎるという宿命まで背負わされてしまった。しかもそれは腐っている。
落ち込むミラに、セティアスはまたも表情を変えず言った。
「……婚約者とキスをするのはおかしいことではないだろう」
「んぎ……、んぎぎぎ……」
言葉だけ聞けばおかしくないのかもしれない。だがミラとセティアスが交わしているのは、ただの政略的な婚約だ。しかも男同士である。
これが政略結婚だと知ったとき、ミラはそこに普通の婚姻関係において発生するような色事的なあれやこれが付随する可能性など、露ほども考えなかった。温かい家庭を築くための結婚では無く、家と家を繋ぐためだけの契約なのだと聞かされていたのに。
そして何より前回も今回もセティアスは、ミラのことをあんなにも蔑んでいたではないか。てっきり蛇蝎のごとく嫌われているのだと思っていた。セティアスもミラとの婚約を迷惑がっているに違いないと、疑いもしなかった。
だが、そうではないのだろうか。
ひょっとするとセティアスは、ミラのことを……?
その先にまで考えが及びそうになり、ミラは慌てて首を振った。そんなはずが無い。あり得ない。
「……では、本日はそろそろ引き上げる」
「え!」
セティアスの低い声に我に返り、ミラの体はうっかり跳ね上がった。
「……何だ?」
「あーいや……、そっか。うん、さいなら……」
何故かついヘラヘラと笑って手を振ってしまったミラを、セティアスは怪訝そうな顔で凝視しながら去って行った。
今その顔をしたいのはこちらのほうだ。妙なのはおまえだ、異種生命体め。
◇ ◇ ◇
セティアスが帰ったあと、ミラはオンサによって例の天蓋付きベッドに強制的に寝かされていた。まだ日は随分高いのに。枕元には薬術師の苦い薬もスタンバイしている。
「……なあオンサー、オレ何ともねーよ?」
「いいえいけません! お熱があるかもしれません! あんなに真っ赤なお顔をしていらしたのですから!」
ミラの顔は、自身が思っていたよりも毒キノコであったらしい。セティアスが部屋を出て、オンサやメイドたちが戻ってきたときにもまだ、赤みが引いていなかったようなのだ。
部屋の中にはひっくり返ったティーセット、飛び散ったハーブティー、そしてミラの靴底のせいで汚された大理石のテーブル。それらの惨状に皆はまず目を丸くしたが、そこにぽやんと惚けた顔でふらついていたミラを発見して、オンサは凄まじい形相で飛び掛かってきたのである。
「本日は大事を取って書物室でのお勉強はお休みにいたしましょうね」
「マジで? ヤッター! んじゃさあ、外に遊びに行っていい?」
「ミラ様!」
柔らかい布団に押し込まれて、ミラは面白くなさそうに唇を尖らせた。
しかし、ふとするとその唇にキスの感触がよみがえってきてしまう。セティアスも初めてだったのだろうか。いや、誰か他の人間と経験済みかもしれない。相手が巨乳美女だったらどうしよう。悔し過ぎる。
「ミラ様っ! 先ほどよりまたお顔が赤くなっておられます! やはりお体の具合が優れなかったのですね。おつらいでしょうに……」
甲斐甲斐しくミラの額をタオルで冷やしてくれているオンサには悪いが、これは巨乳美女を侍らせるセティアスを想像したことによる、妬みの火照りだ。断っておくが、決してキスに恥じらっているわけではない。
「それにしてもミラ様、セティアス様と本当に何があったのです? あんなにテーブルの上を乱されることなんて一度も無かったのに……」
タオルに掛かる銀髪を整えてくれながら、オンサは尋ねた。別に何も無いと何度も答えたのだが、納得してもらえるはずもない。仕方なくミラは口を開いた。
「……実は……」
「ハイ! 実は……?」
「実はあの氷野郎と、取っ組み合いのケンカになったんだ。オレの拳が華麗に決まり、見事勝利してやったぜ!」
ガハハと笑ってみせたが、オンサは白けた半目でミラを見下ろしている。あ、溜め息までつきやがった。
「……ミラ様がセティアス様に腕力で叶うはずないでしょう」
「んぎぎ……」
「それにセティアス様はお帰りの際、とてもご機嫌がよろしかったようにお見受けしました。ケンカなさったあととは思えません」
「え……」
機嫌が良かった? あの能面のような男が?
やはり……。
やはりセティアスは、オレのことが好きなんじゃないだろうか。
この恐ろしい結論にだけは至りたくなかった。とは言え嫌いな人間にキスなんかするとは思えない。キスのあと、じっと目を見つめながら頬を撫でられたこともよく覚えている。
だが、だとしたらあの暴言の数々は何なのか。態度だってすこぶる悪い。好意を持っている相手に対するものとは到底思えない。
少なくともミラなら、好きな人には惜しみない賛辞を贈るし、もっとやさしくするし、そもそもいっしょにいれば自然と笑顔になれるものなのではないだろうか。生憎まだ数日分の記憶しか無いもので、恋愛のことなどとんと分からない身であるけれど。セティアスは違うのだろうか。
「きっとセティアス様も来週のパーティが楽しみでいらっしゃるのですね」
「は? パーティ?」
思考を飛ばしかけていたミラは、オンサの言葉に顔を上げた。
「セティアス様からお聞きにならなかったのですか? 本日はその正式なお誘いのためにお越しになったはずでしたのに」
「聞いてない! パーティって何? 噂に聞いてる社交界云々ってヤツ? えっ、オレも行くの?」
「ええ、セティアス様のパートナーとしてご出席なさるんですよ。今そのためのミラ様の新しいコートを作らせているところです」
パーティ。オンサの礼儀作法に関する講義に何度か登場した単語ではあるけれど。
オンサが言うには、以前にもミラとセティアスは揃ってパーティに出席したことがあるそうだ。緊張していたせいか、2人とも他の招待客とはほとんど会話も交わさず、ただ物静かに寄り添って立っていたという。その姿はまるで、森の梢で羽を休める儚くも美しい一対の小鳥のようだった……、らしい。
ミラに対するオンサの評価は激甘で、それが一般的な感覚ではないということはさすがに薄々気付いている。おおかたそのときも、従順過ぎて積極性の無かったミラと、無愛想で口下手なセティアスが、ただ周囲に馴染めずまごついていただけであろう。そもそもあんなムキムキな大男を小鳥に喩えるのは無理がある。
「……けどアイツさあ、社交界では結構モテてるんだろ? オレが付いてってもいいの?」
「当たり前です! ミラ様はセティアス様のご婚約者様なのですよ? ミラ様のお美しさを、次も存分に社交界中に見せつけてやらねばなりません!」
王家主催の晩餐会や騎士団員たちを労う祝勝会など、ミラがあまり出席しないようなパーティもあるのだが、今回は貴族同士の交流が目的だとか。情報交換や人脈拡大のために家族や婚約者を同行させて、とにかく広く顔を合わせることが大切なのだそうだ。正直面倒くさい。
乗り気になれないミラを置き去りに、オンサはやけに張り切ってしまっていた。
「新しいコートは真っ白なブロケードですっきりと細身に仕立てましょうね! 織り込まれたオールドローズの地模様の上からさらに金糸の刺繍で飾ります! セティアス様のコートはおそらく黒地に金糸でしょうから、お2人が並ばれるとお色のコントラストがきっと素敵です……!」
白と黒ではまるで葬式じゃないか、と思ったがそこまでは口に出さないミラだ。だが不満だけはしっかりと伝えさせてもらう。
「……駄目。白は却下。どうしておまえはオレを米粒にしたがるんだ」
「え! 却下? そんな! もう職人が仕上げに入っておりますよ?! ミラ様もあの白の生地でご了承くださっていたのに……!」
「そんときのオレは今のオレとは別人だ。とにかく白は認めん。花柄も趣味じゃねえ。つか細身じゃなくてさー、もっとこう……、そうだなあ、肩当とか胸当とか甲冑みたいなのを中に仕込んでさあ、体格をゴツく見せて、靴は10インチ以上の上げ底にする! あと全体的に男らしい濃い目の色で、刺繍しなきゃならねーならドラゴンが炎を吐いてるデザインを背中にドーンと入れよう!」
意気揚々と提案するミラに、普段は丸いオンサの目が極限まで細くなって突き刺さった。
「……は? あり得ない。ダサ過ぎる。血迷ったことをおっしゃらないでください」
「うっ……」
コイツ意外と容赦無いときもあるんだな、なんて少々たじろいでしまう。
そう言えば、主人や主人の部屋をを美しく飾ることは使用人の喜びだ、という話をオンサがしていたような気もする。そのおかげでミラは、ベッドのレースやリボンを外して欲しいという要望を聞き入れてもらえなかったのを思い出した。
「……しかし困りましたね。今から新しい生地を取り寄せるのは間に合いません。今屋敷にあるものとなると……」
オンサは顎に手を置いて考え始めた。
「濃い目の色、ですか。うーん……、紺、……のあのジャガードはウールが厚過ぎて季節に合いませんし、……そうだ、臙脂はいかがでしょう? 地模様は花ではなくアカンサスです」
「何それどういうの?」
「黒味を帯びた深い赤に、曲線を多用した植物の葉の柄が織り込まれております」
「駄目! 赤黒いのはもっと却下! 米粒から毒キノコになる!」
「えっ、毒? 何の話ですか?」
「とにかくそれ以外で!」
「ううーーん……」
しばし頭を悩ませるオンサの隣で、布団から半身を乗り出したミラは、いかに体型をかさ増しして強そうに見せるか、そのためにはどうすればいいかを熱弁していた。
オンサには軽く聞き流されていたけれど。
◇ ◇ ◇
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