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03.ケンカを売ったらキスされた
翌日、翌々日も、その次の日もしばらく、ミラの周辺は騒がしかった。
朝は魔法医の問診から始まり、薬術師からは謎の薬を腹一杯飲まされる。これがまた苦くて不味いのでほとんど苦行だ。
そのあとは怪しい魔方陣の中央に正座させられ、魔術師たちに四方から意味不明な呪文を唱えられる。記憶を取り戻すための治療魔法なのだそうだ。途中つい居眠りをしてしまったときには全方向から凄まじい剣幕で怒鳴られてしまったのだが、ヨダレがいけなかったのだろうか。
午後からは、書物室や自室でひたすら座学が続く。魔術、薬術、国の歴史や王家の成り立ちなど、入れ替わり立ち替わり専門の講師がやって来る。
唯一、夕方から屋敷裏にある庭園へ出られる時間だけは、まだ少しマシに感じた。シュレイン家の庭では、膨大な種類の薬草が育てられている。ハーブや観賞用の草花、中には毒草などもあるらしい。まだ種類を見分けることはできないミラだったが、外の空気を吸えるだけでも随分ありがたかった。
当初は父グアロより、治療も勉強もすべてミラの自室で行い、一切部屋からは出ないようにと命じられていた。みっともない姿を晒すなということらしい。だが、実際に様々な場所を目にしたほうが記憶回復の助けになるかもしれない、というオンサの進言のおかげで、書物室や大広間、庭園などへの立ち入りを許されたのだ。
夜は、そのオンサによる礼儀作法の講義が待っている。これはミラの希望でオンサと1対1で行われる。言葉遣いや歩き方から食事マナーまで、貴族として一通りの振る舞い方をあらためて学ぶのだ。
しかしミラにとっては、1日の愚痴を吐き疲れを癒すための、貴重な骨休めの時間帯となっていた。
「んおーー、勉強ヤダよーー、目がショボショボするよーー」
ぐったりとソファに倒れ込んでいるミラに、オンサは笑いながら温かい紅茶を差し出した。
「お疲れさまですミラ様。ですが、んおーはいけません。その座り方も良くありません」
「いーじゃん、誰もいねーじゃん」
「私がおります。そもそも誰もいなくても常に貴族らしい正しい所作を心がけなければなりません」
「めんどくせー」
「ミラ様」
片足を座面に上げ、背もたれに顔を置き、潰れた頬に押されて唇が突き出た面相を、ミラはわざとオンサに見せつけた。ついでに左右の眼球をグルリと上へ向けて白目になってやる。
「ぶはっ……、お、おやめくださいませ本当にっ……」
オンサは肩を震わせて口もとを隠した。変顔でオンサを笑わせるのは、今ではミラの日課のようなものだ。かわいいなあ、弟がいたらこんな感じなのかなあ、なんて思ったりもする。
実際にはミラは六男末子だが、もしも自分よりも下の家族がいたなら、兄たちのような心無い態度なんて取ったりしないのに。
「にゃーにゃーオンサー」
「くくっ……、ミ、ミラ様、ソファでお顔が潰れて、発音がにゃーになってしまっております」
「ふにゃあ! ブニャニャニャア!」
「ふぶっく……! ね、猫の真似などなさってはなりません!」
「んへへへ」
オンサはどうやら笑い上戸だ。ミラが貴族に似つかわしくない顔や言動を見せると、注意よりも先に笑いが込み上げてしまうらしい。笑われるのは嫌だが、笑ってもらえるのはとてもうれしい。
「もー……、ふふ。それで、何ですかミラ様?」
「んー? いやオレさあ、このまま魔術も薬術もできないままだとどうなんのかなあ? 家を追い出されたりすんのかなあ?」
慌てて顔色を変えてオンサは首を振った。
「なっ、何をおっしゃいますか! ミラ様は本当は優秀な御方です!追い出されるなどと!」
「誰もそうは思ってねーみたいだけど」
「そんなことはございません! 私の自慢です! ミラ様ほどおやさしくて情に厚いご主人様など滅多におられません!」
そんなの、オンサしか言わない。
分かっているけれどミラは言葉にしなかった。何度やっても魔力は発動しない。薬草も覚えられない。何も上手くいかず、誰からの信望も無い。
今やミラは記憶を失くす前の出来損ないから、厄介な問題を抱える腫れ物扱いにまで急降下していた。
「それよりミラ様、明日は久方ぶりにセティアス様がお見えになる日ではないですか。とても楽しみですね!」
「……んぎ、ぎ……」
そうなのだ。ミラがついナーバスになってしまっていた原因は、まさにそれなのだ。
セティアスがシュレイン家を訪れるのは、先日の「クズはテメーだ」発言以来のことだ。あれは下手すると家にも責が降り掛かりかねなかった、とミラは父から散々叱責を受けた。
ヴァルディール家がいかに王家と関わりが深いのか、現在セティアスがいかに国にとって重要な位置にいるのか、それらも耳にタコができるほど聞かされている。
「歯ぎしりはいけませんミラ様。どうか明日はセティアス様に、日頃のご活躍をねぎらってさしあげてくださいね。大丈夫ですよ。たくさんお勉強なさったし、きっと上手くいきます!」
「……ん、んぎ……」
◇ ◇ ◇
昼食を終えた後、ミラはいつもよりもボリュームのあるフリルのリボンタイで、首もとをキツく絞め付けられていた。さらにゴテゴテとした色とりどりの装飾品も、目一杯。
「……なあオンサ、この石の飾りさあ、重くて邪魔なんだけど外してもいい?」
「石っ……? ほ、宝石ですミラ様! 貴族のたしなみです!」
「このデカいリボンもヤなんだけど。ピラッピラでカッコ悪いんだけど」
「上級貴族様の前でタイは必須です!」
「じゃあせめてさあ、服の色もうちょい何とかならねーの? いっつも薄い青とか薄いグレーとか、遠目に見たらほとんど白じゃん。オレ顔の色も白いし髪もこんなだからさあ、全体的に真っ白けでなんつーか……ホラ、米粒みたいじゃね?」
「ぶふっ……ふ! こ……米……! ふふふっ……、ミ、ミラ様っ!」
今日もオンサを笑わせることには成功した。だがしかし、この後あのセティアスが姿を見せるのかと思うと、ミラの機嫌が晴れることは無い。
「セティアス様のお着きです!」
屋敷付きの従僕の1人が、かしこまった声を上げた。ほぼ同時に、前回と同じ黒い甲冑とマントに身を包んだ大男が、相も変わらず耳障りな靴音を打ち鳴らして侵入してくる。
「……ヨウコ、ソ、オイデクダ、サ……」
前回、「挨拶が遅い」と唾棄された反省を踏まえ、事前に何度も練習させられた挨拶の言葉だったが、対象への敵意が邪魔をして上手く口が動かない。
隣でお辞儀をし続けているオンサが、ハラハラと冷や汗を流しまくっているのが目に入る。
すまんオンサ。心にも無いセリフって言いづらいんだ。歓迎の意などもとより欠片も無いのだから。
「…………話に聞くより見苦しいな、ミラ」
黒い男の第一声は、またしても冷ややかな暴言だった。型通りの挨拶さえできなかった己れの不手際については棚上げし、ミラは脊髄反射的にセティアスに噛み付いた。
「そりゃどーも! 従順だったとかいう過去の記憶は、とんと戻らないもんで!」
「…………」
氷のごとき冷たい視線と重い沈黙を浴びせられるが、ミラは負けじとはるか斜め上をにらみ付けてやった。この身長差がまた、男としてはまことに悔しい。
セティアスは身の丈6フィートは優に越える体躯で、筋肉質且つ少し日に焼けた肌色が精悍だ。貧相で血色の悪い米粒な自分が惨めに思えてくる。ムカムカしながらミラはただ、コンプレックスを刺激してくる無遠慮な婚約者に、歯を食い縛りながら対峙していた。
だが、どうにかこの場の雰囲気を切り開かねばと、頭を下げたままのオンサが口を開いた。
「怖れながら、本日は摘み立てのハーブティーをご用意いたしております。どうぞソファにお掛けくださいませセティアス様」
「……私に命令をするな、使用人」
「失礼いたしました!」
オンサとセティアスの会話に、ミラはカッと熱くなって拳を握る。
「やめろよその言い方! オンサはオレの大切な身内だぞ! たった1人の味方だ! オンサを傷付けることは許さない!」
「ミ、ミラ様いけませんっ……!」
小声で諌めるオンサの前に右手をかざし、ミラはセティアスに向かって吠えた。
「…………」
しかし何も言わぬまま、セティアスは不機嫌そうにソファへ向かって歩き、静かに腰を掛ける。
いや座るのかよ。機嫌を損ねたなら帰ってくれても構わなかったのだが。仕方なくミラは、自分もセティアスの向かい側のソファに、勢いよくドスンと腰を下ろした。
「……ミラ、裾がめくれた。はしたない言動を慎め」
「モーシワケ、ゴザイマセーン!」
フイと顔を背けながらジャケットを整えるミラを、セティアスは無表情のまま真っ直ぐに見据えた。
その間にオンサは必死に、メイドたちと共にお茶の準備を整えている。
「セティアス様、こちらのハーブティーには、今朝ミラ様みずからセティアス様のためにお摘みになった新鮮なハーブを使用しております。 プチフールは、セティアス様のお好きな木苺のタルトをお持ちしました。どうぞお召し上がりください」
「げっ……」
鼻の頭に皺を寄せるミラ。まさか午前中庭園で、薬術師に言われるままにブチブチと引きちぎったあの変な形の草が、このハーブティーのためのものだったとは。珍しく今日は夕方ではなく朝から外に出られたことを、単純に喜んでいた自分が恨めしい。
「……薬草の見分けすら付かぬ不様な状態だそうだが。ハーブではなく毒草を摘んだのではあるまいな?」
「嫌なら飲まなくてもいいんですけどー?」
「しいっ……! ミラ様っ……!」
鼻の皺を刻んだまま顎をしゃくらせて、ミラは精一杯の悪態を付いた。今はミラの変顔に笑う余裕など当然ありもしないオンサの表情はもう、引き攣り過ぎて痛ましいほどである。
「…………」
無言で1口。……からの、そのまま一気飲み。セティアスはほとんど2口でハーブティーを飲み干した。
「おかわりを、失礼いたします」
オンサが傾けたティーポットに、素直にカップを差し出している。毒草呼ばわりされた手前、てっきり口も付けないかと思っていたのだが。
ミラも続いてハーブティーを口に運んだ。
「なんかスースーして変な匂いだなこのお茶」
ミラの好みにはあまり合わなかったが、セティアスは2杯目のハーブティーもまた、2口で飲み干してしまった。
「おまえ、このハーブ好きなのか?」
「…………、…………、……別に」
不必要に間隔を開けて、セティアスは答えた。何じゃそりゃ。よほど喉が乾いていたということだろうか? まさか3杯目も飲むつもりか?
「あれっ? オンサがいねえ! いつの間に?」
ふと気付くと、部屋の中にはミラとセティアスの2人だけになっていた。オンサも他のメイドたちも、部屋の入口に立っていたはずの従僕も、誰もいなくなっている。ほんの数秒の隙に何ということだ。
どうやら婚約者同士2人きりにさせようという、余計な計らいのつもりらしい。おかしな気を回さないで欲しい。こんな氷のモラハラ男と話したいことなど何も無いと言うのに。
「…………」
無言のまま、セティアスは今度はミラに向けてカップを差し出した。まさか注げという意味か? このオレ様に?
「自分で注げば?」
「……それが婚約者に対する態度か」
「おまえだって婚約者のオレにろくな態度取ってねークセに!」
「…………」
セティアスはカップを置いた。茶は欲しいが自分で注ぐのはまっぴらだということか。横柄を絵に描いたような男だ。
構わずミラは、木苺のタルトを丸ごと口に放り込んだ。
「ん! これは結構美味いな」
口いっぱいにタルトを頬張ってから思い出したのだが、そう言えばフォークが添えられている場合には必ずそれを使用するように、とオンサが食事マナーについて話していたような気がする。何も考えず手掴みで食べてしまった。しかもこのサイズを丸ごとというのはよろしくなかったかもしれない。現に口の中はタルトでパンパンだ。
急いで咀嚼しようとモゴモゴ口を動かす様を、セティアスは無表情でただ見続けていた。また何か言われるか? 焦ってハーブティーで流し込む。
「……もっとゆっくり食べろ。品が無い」
やっぱりだ。そう来ると思った。
スースーするハーブティーの後味に不満な顔をしながら、ミラは再び横を向いた。
「だったらおまえは! さぞかし上品にお召し上がりになるんだろうな! 見ててやるからさっさと食えば!」
「……どこを見ている」
「食ってるときはそっち見る!」
「……この木苺も、おまえが摘んだのか」
「はあ? これは知らねーよ」
「そうか」
「…………」
「…………」
「……いや食えよ! 木苺好きなんだろ?」
「…………、…………、…………別に」
「だから何じゃそりゃ!!」
再びの不必要な間隔と気の無い返答に、今度は口に出してツッコミを入れてしまった。
会話を楽しみたいなどとは微塵も思っていなかったが、想像の数倍弾まない。こんな男が騎士団を率いて国の重要なポジションを担い、おまけに社交界でも人気だとは。
2人とも意地の張り合いのように黙り込み、向かい合ったソファに座ったきり動こうとしないまま何分経っただろう。
タルトを食べる素振りも無く、3杯目を自分で注ぐことも当然無かったが、先に沈黙を破ったのは意外にもセティアスだった。
「……ミラ」
「……何」
「……記憶はまったく戻らないのか」
「さっきそう言っただろ」
底冷えのするような冷たい低い声に、ミラのほうもできるだけ素っ気ない返事を返してやる。まだ横を向いていた首ごと体もひねり、足を組む。反対にセティアスは、真っ直ぐに背筋を伸ばした座姿のまま続けた。
「……おまえが前回の非礼を詫びたがっているとグアロ殿より伺った。礼儀作法も一般常識も、すべて1から学び直したとの話だったが」
「……まっ、まな、学び……中……」
手足を縮こまらせ、セティアスの視線から逃れようとますますおかしな体勢になるミラ。2人の間にはティーセットが置かれた大理石のローテーブルしか無いため、もちろんまったく隠れようもないのだが。
出迎えの挨拶と共に、実は謝罪の言葉も繰り返ししつこく練習させられていた。詫びるどころか言葉もマナーも勉強の成果は現在皆無。何一つとして父の目論見は叶っていない。
「グアロ殿は、おまえが別人と入れ替わった可能性もあると言っていた」
「はあ?!」
「野蛮な悪徒に体を乗っ取られたとか、魔物が乗り移ったとか」
「馬鹿馬鹿しい!」
先ほどまで会話らしい会話などできないと思っていたセティアスだが、極端に口数が少ないというわけでもないらしい。表情の変化は一貫して乏しいままだが。
ミラの吐き捨てるような不服に対して、セティアスは頷いた。
「……私もそれは違うと思う。おまえはミラだ」
「……お? ……おう」
「おまえは無能で気が利かず、下を向いてハイとしか言えぬようなつまらない人間だ。だがもともとは粗野で野蛮な面もあったのだ。グアロ殿はおそらく覚えておられないのだろう」
「……お?」
「何故突如として心の蓋が開いたのか、魔物と見紛う本性が甦ったのかは分からない。だが安心しろ。おまえは頭が悪く力も弱い役立たずだ。本性や記憶がどうあれ、それは変わらない」
「……テメー……」
ペラペラと、つらつらと、淡々と、だがこの男が述べているのは先ほどから、純度100パーセントの罵詈雑言だ。しかもまだ止めるつもりは無いらしい。
「現におまえは私に茶も注げず、菓子もまともに食べられない。座り方も汚い。先ほどから見せるその歪めた顔も大層醜い」
「うおい!! いーかげんにしやがれ!」
あろうことかミラは靴のままの片足をテーブルにガツンと乗せ、怒りに任せてセティアスの胸ぐらを掴んだ。ポットが倒れてハーブティーが床に滴っているが、それどころではない。
額がぶつかりそうなほど顔を寄せ、セティアスの真っ黒な瞳孔の奥をこれでもかとにらみつける。
「やんのかテメー!」
「……不心得にもほどがあるぞ、ミラ。見るに耐えない」
「うるせえ! だったらおまえの物言いは何なんだよ! 大体おまえはなあ……っ!」
偉そうで上からで冷酷で毒舌で……!と言ってやるつもりだった。
しかし、突然物理的に口を塞がれて、ミラは言葉を出せなくなってしまった。
「んっ……、……ん?」
セティアスの黒い睫毛がよく見える。セティアスは目を閉じているのか? 見るに耐えないと言っていたから、そのせいかもしれない。
いや、おかしい。
ではこの唇の感触は何なのか。
「んうっ……、ん」
鼻に抜けるようなこの甘い声は、まさか己れの口から発せられたものなのか? 記憶を失ってすぐ、自分の声が分からなかったあの朝よりもさらに、激しい違和感に襲われる。
嘘だろ?
今、キスされてる?
セティアスに?
なんでーー……?!
◇ ◇ ◇
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