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02.婚約者様は氷の騎士
「疲れたあぁーーー!!」
朝から開きっぱなしにしていた天蓋付きベッドのヒラヒラカーテンをさらに大きくめくり上げ、ミラはレースの海に後頭部からダイブした。敷き詰められている布団のあまりの柔らかさに、そのまま沈んでいきそうになり咄嗟に両手で空を掻く。
「うおっ、埋まるっ……!」
「ミラ様! はしたないですよ! 大の字はいけません、その粗野なお言葉遣いもお控えください」
「へーい」
「お返事はハイです」
「ハーイ」
「伸ばしません」
「…………」
いちいち降ってくるお小言に、ミラは寝転んだまま恨みがましくオンサをにらんだ。頬を膨らませ、下唇を思い切り突き出して。オンサは思わず肩をすくめる。
「ふふっ……、ミラ様、そのようなお顔もいけません。まるで小さな子供みたいですよ」
「お、笑った!」
「え?」
勢いよく起き上がり……たかったのだが、どうやらミラの腹部にはそのための腹筋が備わっていないらしい。仕方なく片手を付きながら半身を返し、レースの上に胡座をかくように座り直した。
「だって朝起きたときはニコニコしてたのに、その後はずーっと泣いたり怒ったりばっかだったじゃねーか」
「ですからミラ様お言葉遣い! いつもはそんな乱暴なお話し方などなさらなかったじゃないですか! ……いえ、ですが、そうですね……。申し訳ありません。何も覚えていらっしゃらず、1番ご不安なのはミラ様なのに」
ふうっと息を吐き、オンサは頭を下げる。何をするにもオンサの立ち居振舞いは折り目正しく丁寧だ。ほとんど腰を下ろすこともなく、常にミラの隣に立ち従っている。疲れないのだろうか。
「おまえもここ座れば? ちょっとは楽にしろよ」
胡座を少しずらしてベッドの縁をポンポンと叩いて見せたが、オンサは驚いた顔で急いで手を振るばかりだ。
「とんでもない! ミラ様のベッドで寛ぐなどと! そんなことをすれば私はセティアス様に斬り殺されてもおかしくありませんよ!」
「んああーー……、あーねー、あの婚約者様ねーー……」
目一杯の不満を表情に乗せるべく、ミラは目も鼻も口も顎さえも、すべての表情筋を限界まで動かし、思い切り顔を変形させてやった。
わずかにだが、オンサの肩がまたしても動いたのを見て少々気を良くしてしまう。どうやらオンサはミラの変顔に弱いようだ。元が美形なだけにさぞ面白いのであろう。今も咄嗟に笑いを堪えたのを隠せていない。
良かった、やはりオンサだけはミラにとっての理解者であると信じて構わないだろう。
だがオンサは軽い咳払いで取り繕い、お小言を再開する。
「その座り方もいけません。野戦の一兵卒のようです。ミラ様は高貴なお生まれの魔法薬術師様なのですよ?」
「んなこと言われたって、魔法も薬も使えねーじゃんオレ」
「……ミラ様……」
悲しそうに不安そうに、オンサは目を伏せた。
◇ ◇ ◇
実は先ほどまで、ミラはオンサと共に屋敷中をあちこちと引きずり回されていた。やれ魔法医だやれ魔術師だやれ薬術師だ、やれ母親だ兄だ乳母だメイドだ庭師だ何だのと、それはそれは大勢の関係者たちにもみくちゃにされ、とうに疲弊しきっているのだ。外はもうすっかり暗くなっている。
当然ミラにとっては誰1人として見覚えは無かったし、何を説明されても何を見せられても何1つとして思い出せはしなかった。
特に書物室で分厚い学術書をずらりと並べられたときは心底辟易した。それらは魔術や薬術についての本で、昨日までのミラは毎日熱心にこれらを読み勉強に励んでいたと聞く。自分なりに要点を書き留めまとめ直したというミラの手書きノートも山のように眼前に積まれたが、こんなに細かい文字を本当に自分が綴ったのかと、逆に感心したほどである。
第一、文字は読めても内容がちっとも理解できない。幾人もの魔術師たちに促され、懇切な手解きを受けても、今のミラには魔法などという能力は1ミリも発動できなかった。
そして薬術の基本中の基本、薬草と雑草を見分ける知見すらも今のミラの中には無いと判明したとき、自分に対する周囲からの目が、憐れみから蔑みに変わったのが痛いほどよく分かった。
思えば父グアロは初めからそんな目をしていた。セティアスの前で大汗をかいていた午前中以来その顔は見かけていないけれど。今すぐお詫びへ窺わなければ、などと慌てふためいてどこぞへ出掛けたらしいが、ミラの知ったことではない。
母や兄たちと顔を合わせたときもまた散々だった。母は今朝倒れた際の自身の心労やこれまでの苦労話しか口にしないし、5人もいるという兄たちはどれが誰だか区別も付かないほどそっくりで、判で押したように揃ってミラを馬鹿にした。
ミラを最初に、シュレイン家の出来損ないと呼んだのは父だったか。だが兄たちの言葉を総じて判断するに、どうやらそれは事実であり、ミラはもともと能力の低いお荷物的存在だったようだ。
「無能な六男が、上級貴族様との政略結婚でせめて少しは家の役に立つと思っていたのだがな。従順なだけが唯一の取り柄だったのに、その様子ではすぐに破談になることだろう」
何番目かの兄の台詞だ。
そのとき初めてミラは、自分の婚約が政略的なものであったことを知った。だがそれもそうかと即座に納得する。セティアスの言動を思い返せば自明のこと。あの暴言男が望んでミラと婚約したはずもなければ、ミラのほうこそああまで言われて情など持てようはずもない。そもそも男は範疇外だ。
「セティアス様は氷の騎士様と呼ばれています。どんなに強靭な魔物に対してもどんなに厳しい戦況であっても、常に冷静沈着に進軍なさる、とてもお強い御方なのですよ」
何のアピールのつもりなのか、ミラに言い聞かせるようにオンサは力説していた。何が氷の騎士様だ。ミラに言わせれば、あんなものはただのモラハラ男だ。
代々優れた騎士を排出している名門にして、王家に近い上級貴族であるヴァルディール家。末子として生まれたセティアスは、数年前までは社交界においても取り立ててその名が挙がることすら無いような、目立たない存在だったと言う。それが次第に肉体を鍛え力を付け、騎馬の腕を磨き、数々の魔物討伐において戦果を上げ、今や国中の注目の的となっているらしい。
黒い甲冑やマント、さらに黒毛の馬に跨がり、漆黒の髪を揺らす。いつしか黒はセティアスの色とされ、強い騎士を象徴するものに変わっていったのだとか。
そんな話題の騎士様の婚約相手が何故、よりによって出来損ないの自分なのかと大いに疑問なのだが、まだミラもセティアスも幼い子供だった頃に家同士で交わされた契約だったと言われれば、そんなものなのかとも思う。
それは名門上級貴族とどうにか繋がりを持ちたいという、成り上がり貴族のシュレイン家たっての強い要望だった。また、既に優秀な子息にも子女にも恵まれているヴァルディール家にしても、数少ない魔法薬術の家系であるシュレイン家を取り込んでおくのもまあ悪くはないか、との采配だったとも。そんな経緯で取り付けられたのがミラとセティアスの政略結婚なのだ。
男同士の結婚について、もちろんミラは全身で抗議の意を示したのだが、この国ではさほど珍しいことではないらしい。特にミラやセティアスのように兄弟姉妹の多い末子の生まれともなると、必ずしも跡継ぎを生まなければならないということもなく、むしろ血を繋ぐことよりも家同士の横の繋がりを作ることを優先させるべきだと考えられているのだ。
シュレイン家は今でこそその名を知られ始めているが、まだ系譜は浅く、いわゆる下級貴族に分類されている。下級貴族が上級貴族と縁戚関係を結ぶのはそう簡単なことではない。たとえ跡継ぎは望めなくとも、ミラとセティアスとの婚約は、シュレイン家にとっては思いの外の幸運だった、……はずだった。
◇ ◇ ◇
「どうか元気をお出しくださいミラ様……」
敬礼のように左胸に右手を当て、オンサはベッドの上のミラを気遣って微笑んだ。心配も不安も消えない中、無理をして笑顔を作っているのが分かる。
「魔力もご記憶もきっと元に戻りますよ。グアロ様やお兄様方も、ミラ様がご心配なのです」
「そうかなー。何も思い出せる気がしねーけど」
「大丈夫ですよ。セティアス様もまたすぐにお顔を見せてくださいます」
「それは要らねーよ。あんなヤツもう会いたくねーもん」
「そんなことをおっしゃらないで。セティアス様とご婚約なさってもう10年ではないですか。お2人は心の奥では信頼し合っていたはずです」
「……へー、ホントにそう思ってんのか?」
「……っ、ええ、勿論」
ニッコリと目を細めるオンサの顔をジロリとにらむミラ。組んでいた足をほどいて胡座を崩し、体を前傾させながらオンサに顔を近付けた。
「今、間があった! さてはおまえもアイツのこと嫌いなんだろ? おまえにもキツい言い方してたもんなあの氷野郎! あんなんと絆なんかあるもんか!」
「……いえ、そのようなことは」
「また間があった!」
「無いですよ」
「あったあった!」
「……ほらミラ様、そろそろお休みの準備をなさいませんと」
「話そらしてる!」
「ミラ様」
軽い言い合いになりつつも、オンサとのやり取りは気が楽である。今日という日は朝から1日、頭が混乱して肩が凝って腹も立って非常に惨憺たるものだった。だからこそ、オンサのこの忠誠ぶりはとてもありがたい。
「……オンサ」
「ハッ……、ハイ! ……ミラ様……、今日初めて私の名を呼んでくださった……」
そんなことで目を潤ませるオンサについ照れてしまいそうになるけれど、ミラはそれを悟られないように笑い飛ばして言った。
「ありがとな、オンサ。今日ずっとおまえがそばにいてくれてホント良かった。オレ1人だったら何回かボンッて爆発してたかも」
「ふふっ、何ですかボンッて」
「あー、また笑ってる! やっぱオンサは笑ってたほうがいいな。顔も結構かわいいし、オレの婚約者、あんなヤツじゃなくてオンサだったら良かったのになあ」
ミラは大きな鼻息を吐いてベッドの天蓋を見上げた。どうせ男が相手なら、せめてかわいい系にしてくれたならまだ何とか、などと考えてしまう。第一希望はあくまでも巨乳美女だが。
「……は……」
丸い目をパチパチと瞬きさせ、ほんの少しだけオンサの頬が赤く染まった。
「……な、何をおっしゃっているのですか、もう……。早くお布団にお入りになってください」
「へーい」
「お返事はハイです」
「ハーイ」
「伸ばしません」
「んはは!」
ミラが布団を被ったのを見届けて、オンサは部屋の灯りを消した。寝転がるとあらためて、この趣味に合わないベッドにうんざりしてしまう。……が、それはさておき。
これからどうすべきか。ありとあらゆることが、少しも分からない。まだミラとしての自分の体さえ、上手く受け入れられていないのだ。
本当ならばオンサの言う通り、記憶が戻り、また昨日の続きからの日々が静かに始まるという展開がもっとも望ましいのだろう。もともと高からぬ魔力と多からぬ知識しか持たぬお荷物息子だったとしても、今の何も無いミラよりはきっとずっとマシなはずだ。
しかし、単純に今すぐただ元に戻りたいとも思えないのが、現時点のミラの心境だ。1番の引っ掛かりは、当然あの婚約者である。
記憶を取り戻したミラにも、アイツはまたしても無能呼ばわりするのだろうか。あまつさえ、オンサいわくの慎ましやかでお美しいミラ様とやらは、それを当たり前に受容して文句の1つも言わないのだろうか。兄の言葉で引用すれば従順なだけが取り柄なのだから、そのまま周りの思惑通りに政略結婚を遂げ、結婚生活においてもノロマだクズだと誹謗され続けるのだろうか。
否、それでいいとは思えない。
いくら何でも癪過ぎる。
もしも無事に記憶を取り戻すことができたとしても、そうなる前にあの氷の婚約者にだけは一度ギャフンと言わせてやりたい。もとい、もしも記憶を取り戻せなかったとしても、だ。
ミラは不必要なほど柔軟性のあるベッドに沈み込みながら、ゆっくりと目を閉じた。
◇ ◇ ◇
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