6 / 16

06.双子の求婚者あらわる

 どうやらパーティという場所では、各々が会場となる大広間へ足を踏み入れた瞬間から一斉に値踏みが始まるらしい。各人ごとに贅を尽くした衣装や宝飾品を見せつけ合い、お辞儀の所作や挨拶の言葉選び、パートナーとの睦まじさにも、いちいち人の目が集まる。  セティアスに手を引かれ、ミラが半歩後ろから登場したときには小さなどよめきが起こった。早速何かやらかしてしまったのかと冷や汗が流れたが、努めて何でもないようにミラは周囲ににっこりと微笑んだ。 「まあセティアス様、ご婚約者様とおそろいのコートなんて素敵ですわ!」 「黒がこんなにも目を引く色だとは、さすがはセティアス様とそのご婚約者様!」 「なんと可愛らしいお2人なんでしょう!」  良かった。おそらくだが、褒められている。ともすれば地味だと思われそうなミラの黒いコートが、ここでは逆に珍しく映り一際目立ってしまう結果となったようだ。  確かに周囲を見渡してみても、赤や青や黄色、金銀、そして白など、明るい色を身に付けている者がほとんどだ。しかもこれでもかと絢爛豪華な宝石や刺繍や高級レースが施されているデザインばかり。パートナー共々真っ黒だなんて、ミラたち以外にはいない。本来の父グアロならば、人目を引き付けているこの思わぬ状況に喜んだであろうが、今はあまり注目されるのも困りものである。  しかし、あくまでもミラはセティアスの婚約者としか社交界では認識されていないようだ。下級貴族はその名さえたいして呼ばれもしないのか。面白くはないが、面倒が減ってかえって良いのかもしれない。これであとはもう、ただこの無表情な大男の横に黙って張り付いていればいい。  邸宅内を歩く際に、いちいちセティアスと腕を組まなければならないのが億劫ではあったが。これも講義で叩き込まれた作法の1つだ。婚約者と言えど女性でもないのに何故腕を、とは思うが、そういう風に決まっているものなんだとか。 「ではセティアス様、何かあればお呼びください」 「ミラ様、私共はあちらの控えの間におりますので」  セティアス付きの従者とオンサが、それぞれ主人に一礼して下がって行ってしまった。ここでも頼れるオンサはいない。ミラは練習通り、かすかな微笑みを絶やさぬようにしながらセティアスの腕に指を絡ませた。  時折セティアスに声をかけてくる者もいた。どうにか話題の氷の騎士とお近づきになりたいのだろう。だがセティアスのコミュ障ぶりに心を折られ、会話が弾むことなど少しも無いままに、1人去り、2人去り。  分かる分かる、とミラは心の中で大笑いしていた。ミラもそうだったからだ。ごくたまについでのようにミラへ話が振られることもあったが、ミラは常にただ微笑んで頷くのみであったので、結局ミラとセティアスは今回も、静かな一対のなにがしかの小鳥、ということになりそうだ。  それにしても、飲食のできないパーティというのは予想以上につらい。口を開くことを許されないミラは、喉が乾いても腹が減っても何も口にできないのだ。  すぐそこにシャンパンやワイン、ジュースをなみなみとサーブしている従者たちがおり、テーブルには小さなミートパイやキッシュ、パン、焼き菓子、フルーツなどが色とりどりに並べられている。  腹減った……、と思わず腹を押さえるミラ。出発前にしっかり食べてきたのだが、手の届くところにご馳走があると思うとどうしても気になってしまう。 「……食事はできないぞ」  小さな声でぼそりとセティアスが呟いた。どうしてバレたのだろう。分かってる、と目だけで答える。 「おまえは食べ方が下品だからな」  うるせえ、とまた目だけで文句を返した。マナーの良くない自覚はある。講義中にも何度叱られたことか。この場はカジュアルな立食パーティとは言え、先日のようにタルトで頬袋をいっぱいに膨らませるのはきっとご法度であろう。 「……あとで、ジュースだけなら」 「え」  思いがけないセティアスの言葉に思わず一音を漏らしてしまい、ミラはサッと口を押さえた。さらにセティアスはそんなミラの耳元に口を寄せ、低く小さく囁いた。 「もうすぐ余興の音楽とダンスが始まる。人の目も耳もそちらへ向くだろうから、その隙に飲み物を飲むくらいなら構わないだろう」  耳に息がかかるたびに、ミラはピクンと身を震わせてしまった。ゾワゾワする。あるいはゾクゾクなのか、ドキドキなのか。  こんなところで毒キノコになるわけにはいかないので、赤くなってしまいそうな頬をペチペチと軽く叩きミラはそっぽを向いた。 「……要らないのか」  ブンブン! いや要るって、飲むって! 慌てて首を振るミラ。 「そうか」  そのときセティアスの口角が、ほんのわずかだけ、気のせいかもしれないと思うほどの範囲内で、上向きに動いたような気がした。  笑った……?  氷の騎士も笑うのか……?  ああダメだ、ドキドキはダメだ。赤くなりたくない。  特にやさしくされたわけではない。飲み物くらい飲んだって当然だ。人としての正当な権利だ。  だが実はミラは気付いてしまっている。セティアスもここへ来てからずっと、ミラに合わせて何も食べていないし飲んですらいないということを。  自分だけ飲み食いされてもそれはそれで腹が立つが、共に一切口にしないというのも何とも居たたまれない。  2人の周りだけ、温度がほんのり温まってきている気がして、何だかミラはふわふわしていた。 ◇ ◇ ◇  セティアスの言った通り、いつの間にか窓の近くを陣取った楽団が、楽しげな音楽を奏で始めた。弦楽器の落ち着いた音が心地よい。  また、曲に合わせてあちらこちらでダンスも始まった。生憎ミラがまともに踊れるようになるまでにはまだまだ先が長そうであったため、本日はダンスも禁止されている。もっともセティアスも踊りは得意ではないらしいと聞いているので、2人でダンスを披露する機会は今後もおそらく無いだろう。 「……ミラ」  セティアスがこちらへジュースのグラスを差し出した。オレンジジュースだ。ホッとしてそれを両手で受け取り、ミラはゴクゴクと一気に飲み干した。酸味と甘味が沁み渡る。かなり喉が乾いていたようだ。続いてセティアスも同じくオレンジジュースを飲み干す。相変わらず2口で。  2人で一息つき、音楽に紛れてまたパーティの空気と化そうとしたとき、ふいに明るく陽気な声に名を呼ばれた。 「セティアス様、ミラ様!」  ミラの名も付け足してくれるとは奇特な人だ。そう思って振り返ると、金髪碧眼の2体のビスクドールのような若い男女が並んで笑っていた。淡い緑のレースが特徴的なタキシードの男性と、総刺繍が見事な薄紫のドレスを着こなした女性。何も知らないミラでさえ、これらの衣装は相当高価なものだろうと推察できる。  しかし衣装よりも強烈にミラの目を釘付けにしたのが、その女性の大きく開いたドレスの胸元だ。  巨乳だ。それもかなりの。深い谷間のなんと蠱惑的なことか。ウエストは相当細いのに、一体彼女の体の作りはどうなっているのだろう。  もっと近くで……、などと不埒なことを考えそうになったミラの前に、知ってか知らずか視線を妨害するようにセティアスが立ち塞がった。……ちぇっ。もちろん今のは心の中だけの舌打ちである。 「セティアス様、ご機嫌麗しゅう。お会いできて光栄ですわ。いつお声を掛けさせていただこうかとそわそわしておりましたの」  女性がセティアスに向かってドレスの布を摘まみながらお辞儀をした。すべての動きがなめらかで美しい。そして顔も美しい。碧眼に被る金の睫毛に、艶めく真っ赤な唇。  完璧だ。オンサよ、完璧な美しさとは本来このような女性を指すのだ。やはり巨乳美女は素晴らしい。眼福だ。  呆けきってしまっているミラの肩に、セティアスの肘が当たった。あ、口がぽっかりと開いてしまっていたせいか。急いで微笑み顔に戻しつつ、ミラも会釈を返した。  だがよく見ていると彼女は、ミラのことなどほとんど気にも留めていないようだった。セティアス様セティアス様とセティアスだけを視界に入れ、ただひたすら上目遣いで見つめ続けている。頬はピンクに染まり、目の中にはハートが乱舞しているのが分かる。他のパーティ客と違い、セティアスがろくに返事もしないことにもお構い無しで、いつまでも話を止めようとしない鋼のメンタルも持ち合わせているらしい。 「申し訳ありませんミラ様。姉はセティアス様の熱心なファンですから」  先ほどの陽気な声で、もう片方の緑のタキシードの男性が言った。姉、と呼ばれた女性は恥ずかしそうに笑いながら手元で顔を隠した。指先までも細く白く美しい。見惚れてまた口が開いてしまいそうになる。 「……ファレク様、コナー様、お久しぶりです」  セティアスがそれぞれに向かって名を呼びながら頭を下げた。すぐに立ち去る気配が無かったため、ミラに彼らの名が分かるよう配慮してくれたのだろうか。  姉がファレク、弟がコナー、話を聞くに、2人は双子の姉弟であるようだ。道理でコナーのほうも負けず劣らず美形だ。ファレクとよく似ている。 「ミラ様、ジュースだけですか? お酒は飲まれないのですか? 今日のシャンパンはなかなか上等でしたよ」  コナーがいたずらっぽく笑った。だが当然のごとくミラは、酒も禁止されている身である。万一酔っ払ったりしたら何を口走り何をしでかすか、ミラ自身も危ぶむところだ。 「ミラ」  酒、というコナーの声が聞こえたらしいセティアスが、ファレクのお喋りを受け流しながら、ミラに牽制の視線を送ってきた。分かってる、飲んだりしない、とまた目で答える。 「へえ、仲がよろしいんですね。なんだか前回とは雰囲気が違っているみたいだ」  他意の無い声で、なかなかの慧眼を発揮してくるコナーにギクリとしてしまう。別にセティアスとは目と目で通じ合っているなどというわけではないけれど。こちとら目でしか会話が許されていないだけなのだ。  それにしてもセティアスしか見ようとしないファレクとは逆に、コナーはミラとしか話そうとしない。おそらくはセティアスのファンだという姉を慮ってのことだと思われるが、そもそもコナーは以前のミラのことをどのくらい知っているのだろう。もしもそれなりに見知った間柄だったとしたら、このまま返事もしないのはあまりにも不自然だ。  軽く混乱して汗が噴き出してきたミラだったが、なんとその間にセティアスが、ファレクからダンスの誘いを受けているのを聞いて思わず声をあげてしまった。 「ちょっ……!」  ハッとして顔を合わせたミラとセティアスだが、そんな2人を分断して立つように、コナーが深々と頭を下げた。 「ミラ様がセティアス様の婚約者であることは重々承知しております。ただほんのひとときの良き思い出として、姉がセティアス様と踊らせていただくことをお許し願えませんか?」  そんなことを言われても。  どう答えるのが正解なのか、ミラには分からない。婚約者がいても他の人と踊って良いものなのだろうか? いやそれよりも、セティアスはダンスが苦手なのだ。パーティでセティアスが恥をかくのはまずいのではなかろうか? まあミラ的には全然オッケー、と言うかむしろセティアスの下手なダンス笑えるー、などと思ってしまったりもするのだが。  ミラが考えを巡らせていると、セティアスは軽く息を吐いてファレクに一礼した。 「……喜んで、ファレク様」  え!!という驚きは、今度は声にはならなかった。浮かれてはしゃぐファレクの手を取り、セティアスは広間の中央へ歩を進めた。  ……何だよ、本当はダンス上手いんじゃないか、アイツ。  音楽に乗せて、セティアスとファレクがゆったりと流れるようにミラの前を踊り抜けてゆく。ファレクの薄紫のドレスはとびきり嫋やかに揺れ、セティアスの黒いコートがまたそれを見事に引き立てている。その優美な身のこなしに、周囲からはいくつもの感嘆の息が聞こえてきた。やはり黒の隣には明るい色が映えるのか、とあらためて気付かされる。色ではなく中身の問題なのかもしれないが。 「どうかお気を悪くなさらないでくださいね、ミラ様」  ミラの横でセティアスたちのダンスを眺めながら、コナーがまた小さく頭を下げた。ふるふると首を振って微笑んで見せるミラ。だが頬の筋肉が引き攣ってしまっている気がする。きっとそろそろ疲れが出てくる頃なのだろう。 「ミラ様はセティアス様と踊らないんですか?」  ふるふる。 「では、僕と踊りますか?」  ふるふるふる。 「アハハハ、冗談ですよ。……実は僕、ダンスって嫌いなんです。音楽は好きなんだけど、ダンスはなんだか恥ずかしいんですよね。上級貴族失格って言われちゃうから、皆には内緒にしといてくださいね」  パチンとウインクをして口の前で人差し指を立てるコナーに、ミラはクスリと笑ってしまった。コナーは上級貴族だったのか。では必然的にファレクもそうだ。だからセティアスはファレクの申し出を断れなかったのかもしれない。しかしそのような身分にありながら、コナーがミラにこんなにも気さくに話しかけてくれるのは不思議だ。  上級貴族のクセにいいヤツなのかなあ、なんてのんきなことを考えていたときだ。 「……ねえ、ミラ様?」  ミラが顔を向けると、突如コナーは意味ありげな笑みを浮かべてミラに顔を近付け、声を潜めた。 「ミラ様、記憶を失くされているって、本当ですか?」 「えっ!?」  みたび、声を出してしまった。  見開いた目から焦燥を察されてしまったのを感じて、急いで顔を背ける。  どうして? いつバレたんだろう。やはりミラとコナーは親しかったのだろうか。だからと言って、仮に様子がおかしいと感じたとしても、記憶喪失だとまで考えが及ぶとは思えない。 「……ねえミラ様、少し……2人で話をしませんか?」  それは有無を言わせぬ声だった。ミラはゴクリと唾を飲み、項垂れるように頷いた。 ◇ ◇ ◇  コナーがミラを連れ出したのは、夜風が当たるバルコニーだった。到着したときにはまだ夕陽が射していたが、今はとうに夜も更けている。  1人で来る前に、オンサに助けを求めるべきだったかもしれない。だが下手に騒いで、記憶のことを他の貴族たちに吹聴されたりしても面倒だ。  ミラはうつむいて唇を噛んだ。ところがそれを見たコナーが、慌てて両手を振り回す。 「ゴメンなさいミラ様! そんなに警戒しないで! 別に誰かに話すつもりは無いんです。急にあんなこと言って驚かせちゃいましたよね? 僕はただ……」  コナーは元通りの人懐こい声と表情で、謝罪のポーズを取って見せた。しかしまだ油断はできない。ただ、の続き次第ではこちらの出方も変わってくる。 「ただ、……何ですか。どうして分かったんですか。目的は何ですか」  ミラは静かに口を開いた。どの道ミッションは既に失敗だ。何度も声を出してしまっているし、記憶喪失もバレているし、これ以上はもう口を閉じていようが開けていようが成り行きは同じだろう。 「アハハ、ミラ様もそんな怒った顔するんですね」  ミラの眉間に皺が寄る。コナーをにらみ付けて、拳を握り絞めて、もう一度尋ねた。 「言えよ、何が目的だ」 「……へえ、ホントにそんな感じなんだ……」  口調が変わったミラに若干の驚きと好奇心を隠そうとせず、だが次にコナーは、満面の笑みで言い放った。 「ミラ様、僕と結婚しませんか?」 「は……っ?!」 ◇ ◇ ◇

ともだちにシェアしよう!