8 / 16

08.魔法って何だろう?

 馬車に揺られるセティアスは、行きとは明らかに違っていて不機嫌だった。パーティ中ミラがうっかり愚行に及ばないよう散々気を揉み協力させられていたにも関わらず、当のミラがペラペラとコナーと喋っていたことをよほど怒っているのだろう。  だがそれもこれも、セティアスが婚約者のミラをほったらかしにして他の女性とダンスなんかに興じていたせいである。挙げ句に恥ずかしげも無くあんなポエミーな賛辞を捧げるなんて。  段々とムカムカしてきたミラは、横に張り付いているセティアスをキッとにらみ付けた。まだ太くて重い腕はミラの肩に回されたままで、そう言えば今さらだが、帰りは最初から隣の席にセティアスが座っていることについては一旦保留にしておこう。 「……おい」  怒りたいのはこちらもだ、とか何とか言ってやろうと思ったのだ。そもそもにおいて、ミラが口を開かざるを得なかったのは不測の事態だ。既に何日も前からリイナシオン家には情報が漏れていたのだから避けようも無かった。ミラが別人のようになっていることすら知られていたのだから。  ……という、諸々の状況も共にぶつけてやろうとしていた、その矢先。 「……んんーっ!」  またしても、セティアスの唇がミラに向かって降ってきた。  しまった、また不用意に上を向いてしまったか。逃れようとするが、がっしりと両肩を押さえ込まれてびくともしない。 「んっ……、ふ……、んあ」  行きの馬車の中よりも、さらに激しくセティアスの舌が浸蝕してくる。舌の根、歯の裏まで遠慮無く味わい尽くされ、呼吸がままならないミラは思わずキツく目を閉じた。  カタカタと規則正しい車輪の音に、2人の唾液が行き来する湿った音がかき消されてゆく。 「……ミラ……」  囁くように名を呼ばれ、ミラの体がかすかに跳ねた。腹の奥にセティアスの声が低く響き、どんどん熱くなるのを感じる。 「んう、……あ……」  頬にも熱が伝播し、おそらく赤くグズグスに蕩けきってしまっているだろうことが分かった。どうしよう、気持ちがいい。もっとして欲しい。  待て、赤い顔? ……いけない、また毒キノコだ!  唯一動かせた右手のひらで、ミラはセティアスの顎を上向きに押しやった。中断させられたことによるセティアスの不服は察することができたが、ミラはすっかり行為に流されてしまっていた自分を何とか取り戻そうと、殊更に大きな声を出した。 「何でっ……! こういうことすんだよ!」 「……上を、」 「上を向いてたからは無し!」  ミラから目を離さないままにセティアスはいつものセリフで濁そうとするが、そうはいかない。 「……婚、」 「婚約者ならおかしくないも無し! やんなくていいことをわざわざやるからには、それなりの理由があるはずだろ!」   互いの息がかかるほどの至近距離で、ミラはセティアスの瞳をじっと見つめた。瞳孔も判別しづらいほどに本当に真っ黒で、吸い込まれて意識を奪われてしまいそうな感覚に襲われる。  好きだから、という言葉を待っていたのかどうかは自分でも分からない。だけど他に相応しい理由なんてあるだろうか。 「…………」  沈黙ならもう慣れた。食い入るように目で追い縋るミラに、セティアスはようやく答えた。 「……そんなことよりも、コナー様とは何を話していたんだ」 「……は?」  そんなこと? 前後不覚にさせられそうなほど、口の中を掻き混ぜておきながら? 「……そ、うじゃなくて……」 「今のおまえの惨状を他家に知られることが、どれほど家の不利益になるか分かっているのか。シュレイン家にも、ヴァルディール家にもだ」  顔の、体の熱が、スーッと冷めていくのを他人事のように分析している気分だった。そんな話が聞きたかったわけじゃない。少しでも、ほんの一言でもいいから、2人の間にあるものが何なのか、手掛かりが欲しかっただけなのに。 「……も、いい……」 「良くはない。答えろミラ。何故コナー様に秘密を打ち明けたんだ」  もう何を言っても無駄だろうと思った。ミラのせいではないなんて、きっとセティアスは信じない。  窓に向かって無理やり体を捩り、ミラは一切の感情を遮断した。セティアスはまだしつこく詰め寄ってきていたようだが、すべてから耳を塞ぎ、心を閉ざし、ミラはうつむいてただ馬車の揺れに身を任せていた。 「ミラ、おいミラ……!」  頼むから今はもうその声で、名を呼ばないでくれと祈りながら。 ◇ ◇ ◇  パーティから何日が過ぎただろうか。相変わらずの勉強漬けの日々に不貞腐れ、ミラは突き出した唇の先に羽ペンを乗せてゆらゆらと揺らした。 「ミラ様っ!」  今は魔術の講義中なのだが、ミラは昨日も今日も講師陣から変わらぬ叱責を受け続けている。  あれからもミラの能力はちっとも進歩していなかった。ほんの2、3ほど薬草の種類は覚えたが、まだ簡単な魔法も使えないので薬の調合もできない。 「ミラ様もう一度です! もう一度力を込めて唱えてください!」 「んぇーー……」  目の前のただの小石に一体何十分無意味な言葉を掛け続けているだろうか。ミラは仕方なく、指示通りにもう一度唱えた。 「……浮かべぇ」 「もっと強く!」 「浮かべえー」 「もっと心を込めて!」 「んん浮かべええーーっ」  ハイ浮かばない。ピクリとも動かない。力を込めるのか心を込めるのかよく分からないので統一して欲しいし、魔法はとにかく抽象的過ぎて、ミラには理解の糸口さえ掴めない有り様だ。  もっと魔法の杖とかカタカナを羅列した呪文とか、誰でも簡単に魔法使いになれる分かりやすいブースターは無いのかと言いたいが、そういうものでもないらしい。あとは長い髭でも生やして形から入ってみるくらいしか、ミラに思い付く策は無い。 「こんにちはー、ミラー!」  言うことを聞かない小石を指で弾いて遊び始めていたミラの耳に、朗らかな知った声が飛び込んできた。 「あれっ! コナー?!」  ミラの部屋の扉の前に、ドアハンドルに手を掛けた笑顔のコナーが立っていた。 「ゴメンね突然。急にミラの顔が見たくなっちゃって。さっきミラのお父上にもご挨拶したんだけど、直接部屋に行っちゃって構わないってお許しをいただいたものだから」  コナーの隣には頭を下げたオンサが控えており、コナーの突然の訪問について補足を言い添える。 「コナー様はミラ様のお勉強が終わるまで応接室でお待ちになるとおっしゃったのですが、グアロ様が是非今すぐにでもお会いいただきたいと、強引に」 「アハハ、背中グイグイ押されちゃったよねー」 「コナー様をお待たせしたくなかったようでございます」  コナーとオンサのやり取りを聞くに、上級貴族を崇拝し名門家系との繋がりを至上の喜びとする父グアロが、興奮のあまり面会の手順もすっ飛ばして直接この部屋に案内させたのだろう。  指導していた魔術師も、それならば仕方がないと席を立つ。とっくに講義に嫌気が差していたミラは、隠れてガッツポーズをした。コナーほどの身分ならば、勉強など後回しにして然るべきらしい。 「全然いいぞコナー! 大歓迎だ!」 「ミラ様、お言葉遣いが」  もろ手を上げて迎えるミラにオンサのいつものお小言が飛ぶが、コナーは気にせずミラの斜向かいのソファに腰を下ろした。 「あのねー、美味しいレモンパイがあるからミラに食べて欲しくて持ってきたんだ。パーティのときパイの話で盛り上がったでしょ? リイナシオン家秘伝のレシピなんだよ。今からこちらのお屋敷の方たちがお茶といっしょに用意してくださるって。少し休憩にしよ?」 「ヒャホー! 秘伝のレモンパイイェー!」 「ミラ様、お言葉遣い!」 「アハハハハ!」  パーティの日にコナーと話をしたことは、オンサには大まかにだが伝えてある。記憶喪失がバレていたことも、コナーの双子の姉であるファレクがセティアスにご執心であることも。それを聞いたオンサは、セティアスはミラの婚約者だとプリプリしていたけれど。 「ミラ、魔術の勉強してたんだ?」  オンサが一時退室したあと、コナーはテーブルに置かれたままの学術書に目をやりながら尋ねた。ミラが心底嫌そうに頬を膨らませるのを見ておかしそうに笑っている。 「……そう。けどちっともできるようにならねーんだ。オレ才能無いんだよ」 「アハハ、だけど記憶を失くす以前は少しは使えていたって聞いてるよ? だとすると今は、本気で使いたいと思えていないだけかもしれないね」 「本気で?」  首を傾げるミラ。魔術が使えないことによる家族や周囲の失望の目は、本気でつらいと思っている。だがコナーは、そうではないと首を振った。 「魔法はね、欲望なんだよ。こうしたいああしたいっていう自分自身の強い欲を具現化するのが魔術なんだ。だから魔術師って実は、欲深い人間が多いんだよね」  学術書をテーブルの端に追いやって、コナーは片手をクルリと軽く一回しした。 「おお……!」  ミラが苦戦していた小石が難なく浮かび上がり、戯れるようにコナーの手元で飛び回っている。よほど甚大な魔力を使う大魔術でない限り、大体の魔術師はこうやって無詠唱でも魔法が使える。  国でもっとも古い魔術師家系の1つであるリイナシオン家の子息なら、こんな小石程度を操ルことなど造作も無いだろう。 「ねえミラ、今僕はね、この小石を浮かせてミラにかっこいいところを見せたいなーっていう欲望で魔法を使っているんだよ。でもミラには小石を動かしたい理由なんて別に無かったでしょ。違う?」 「……そう、なのかな?」 「多分ね。もちろん周りに悪く思われたくないっていうのも確かにミラの欲だとは思うよ。だけど、そのことと石を浮かせることが結び付いてないんだよミラの中で。もっとねー、自分に素直に自分の欲望だけに向き合っちゃっていいんだよ。悪く思わせないために、よーし魔法でこんなことしてやるぞー!……とかね、アハハハ」 「……ふーん……。あんまそんな風に考えたこと無かったかも……」 「ミラは欲が無さ過ぎるんだよ。強く願えば願うほど魔力は強くなる。もっと欲張りになりなよ、ミラ」  欲が無いと言われるとは意外だった。食欲は旺盛だし睡眠欲には負けっぱなしだし、男らしくなりたいとか美女にモテたいとか巨乳に……とか、低俗な欲だって持ち合わせている。セティアスとのことだって、もっと……。  だがそれを、強く願ったことはあっただろうか。どうせ食事内容は決まっている、どうせ朝は起こされるし居眠りも許されない、どうせ貧弱だしどうせモテるわけもない。セティアスに至ってはあの通りだ。欲が叶う未来を信じたことは、そう言えば無かったかもしれない。 「じゃあ、コナーも欲張りなのか?」 「アハハ、そりゃもう!」 「ファレク……様も?」 「アッハッハッハ! あの人はねー、すごいよー! 欲の塊みたいな大魔術師だからね! 実は、リイナシオン家の次期当主候補の筆頭なんだよああ見えて。ホントもう、めっちゃくちゃ強いの!」 「え!!」  薄紫の刺繍にふんわりと包まれて、パーティ会場中に花を咲かせて回っていたあのファレクが? ミラの憧れの完璧な巨乳美女が?  リイナシオン家には数十人もの子息子女がいると言っていた。その筆頭ともなると、もしかしなくても相当な実力の持ち主なのではなかろうか。コナーは笑いながら続けた。 「自分の願いに真っ直ぐなんだよ姉上は。確固たる信念をそのまま魔力に変えている。……あれはほとんど無敵だね」  無敵のアイリス。……凛と美しいあの日のファレクの立ち姿が脳裏に浮かび、ミラは胸がツキンと痛んだのを感じた。理由はよく分からない。 「……ミラも大丈夫だよ。もともと魔力をまったく持たずに生まれる人間もいるけど、ミラはそうじゃないからね。コツさえ思い出せたらすぐだよ。あとはいかに欲張りになれるか、だね」  コナーはミラの頭にそっと触れ、やさしく髪を撫でた。胸のもやもやを見透かされたようで気恥ずかしい。口を尖らせて、ミラは急いで話を進めた。 「コ、コナーは? コナーも強いんだろ? だって双子だもんな。顔もよく似てるし」  だが今度はコナーのほうの顔が曇る。 「……僕は……、全然だよ。一族の下から数えたほうが早いかな、アハハ。同じ顔の双子なのにってよく言われるんだけどね。……だから、姉上のためなら何でもしようって決めてるんだ。そのくらいしか、僕にできることは無いから」  そこまで聞いて、ミラは慌ててソファから立ち上がった。そしてコナーの頭を両手で鷲掴み、グシャグシャに掻き回す。光の絹のように艶めいていたコナーの金髪は、あっという間にボサボサに四方八方へ散らかってしまった。 「わああ! 何するんだよミラ!」 「悪い! 言い方間違えた! オレ、同じ家の兄弟でオレだけ出来損ないだって疎まれてんの、すげー嫌だったのに! コナーにも同じこと言った! ゴメン!!」 「ミラ……」 「コナーはコナーだから! 今小石がクルクル飛んでたのすげーってオレは思ったから! だってオレにはできねーし、だから、コナーも大丈夫! コナーはちゃんとかっこいいぞ!!」  コナーの碧眼に大きく自分の顔を映して、ミラは両手に力を込めた。指の間に金髪も巻き込んでしまっているが、コナーは何も言わずにミラを見つめ返している。  コナーにはコナーの事情があるのだ。名門エリートだと穿ち、悩みも無いお気楽な上級貴族と決め付けてしまっていた。有能な兄がいるミラ、強過ぎる姉がいるコナー。2人には同じものが見えていたはずなのに。  コンコンコン。  ふいに扉をノックする音がした。そのままの姿勢で顔を上げる2人。それに数秒遅れて、凄まじい2つの悲鳴が屋敷中にこだました。 「失礼いたしま……、ギ、ギャアアアーーーっ!! ミラ様何をなさってるんですかあーーー!!」 「ヒイイーーー!! コナー様のお髪が!! お髪がああーーー!!」  それはワゴンでレモンパイとティーセットを運んできたオンサと、その横で御機嫌に入室しようとしていたグアロの声だった。 ◇ ◇ ◇

ともだちにシェアしよう!