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13.甘える大男が物理的に重い

「コッ、コココ……、ココ……!」  気付いたら父がまた鶏と化している。手に入りかけていたリイナシオン家との縁組みが短時間のうちに白紙へ戻り、おそらく彼の頭の中はショックと同時に、上級貴族へのへつらい、おもねりがうねりのごとく錯綜しているのだろう。 「ココッ、コココ、コナー様!! じ、実は我がシュレイン家の息子のうち、四男と五男はまだ結婚も婚約も致しておりません!」  おお、とミラは思わず感心してしまった。六男との縁談が失敗するや否や、四男五男の売り込みへと見事に舵を切り直すこの節操の無さ。 「ミラなどよりもよほど優秀で慎み深く、リイナシオン家にも相応しいかと存じます!」  突然話を振られた四男五男はやや戸惑いを見せつつも、先ほどまでただ傍観していた佇まいを正し、咳払いしたり髪を押さえたりしている。  しかし非常に晴れやかな笑顔で、コナーはグアロの発案を秒で棄却した。 「あ、僕ミラ以外興味無いですー」 「い、いやお話だけでも! そうだ、姉君様とも是非お引き合わせを! 思いがけず気が合うこともございましょう!」  コナーのみならずファレクにまで食指を伸ばそうとするとは。双子のどちらでもいい、四男五男もどちらでもいい、とにかく誰かが誰かに引っ掛かるかもしれない、という貪欲な野心は、ここまで来ると天晴れだ。  「フラれちゃったことだし、今日のところはもう帰りますね」 「そうおっしゃらず!!」  特にフラれた悲壮感も見せず、何日も前から策略を練り家にまで乗り込んできた割には至極淡白だが、明るくそう告げるコナーにグアロは最後まで執念深く食い下がっていた。  そして帰り際、コナーはセティアスに近寄ると、密かに何かを短く耳打ちしたようだった。ビクンとセティアスがまた揺れたうえに、少し震えていたのが気になるけれど。 「じゃ、また遊びに来るねミラ!」  ニコニコに加え得意のウインクまで繰り出して、コナーは嵐のように去って行ってしまった。  しかし本当は、無理をしていたのではないだろうか。笑顔の裏にある強がりも、明るさの奥に隠した寂しさも、ミラだけは受け止めて覚えていなければならないと思った。  さて、残されたセティアスに対するグアロの対応やいかに、などとまるきり他人事のごとく半ばワクワクし始めるミラである。だがさすがに処世術だけは熟達しているようだ。グアロはすかさず土下座に近い位置にまでスライディングして頭を下げ、ヴァルディール家とセティアスの美点を山のように羅列して語り始めた。 「おお、セティアス様!」  何が「おお」だ。つい今しがた他の男に乗り換え、他の女との婚約を誘導する素振りを見せたとは思えない、180度の変貌ぶりである。10年にも渡る互いの深き親交、強き絆、代え難き縁、などと手を翳し膝を付いて謳い出したときには思わず吹き出してしまった。  だが一通りのグアロ劇場を長々と鑑賞させられたセティアスは、一切何も無かったかのごとくの能面を保持したまま、いつもの低い抑揚の無い声で尋ねた。 「……ミラと2人で部屋で話をしたいのですが、よろしいでしょうか」 「もちろんですともセティアス様! ヴァルディール家のお屋敷と比べれば狭くご不便もおありでしょうが、どうぞごゆるりとお寛ぎくださいませ!」  それからミラとセティアスは父母と兄たちに見送られ、オンサだけを共に連れてようやく応接室を退出した。後ろでグアロは水飲み鳥のように高速のお辞儀を繰り返していたが、振り回された母と兄たちはやや憔悴していたようにも見えた。 ◇ ◇ ◇ 「あ、オンサ、呼ぶまでしばらくお茶はいいよ」 「かしこまりました」  部屋の前の廊下でミラが声を掛けると、オンサは2人に一礼し、控えめにその場から立ち去った。  そして特に言葉も無いまま、ミラはセティアスを自室へと招き入れる。扉を閉め、ミラがドアハンドルから手を離したところで、立ったままのセティアスがふるふると震え始めた。応接室でも瞬間的に何度か見かけた姿ではあるが、ここでやっと何かの糸が切れたのだろう。 「わあーーーっ!! やっぱり! ここまでよく我慢したぞーー!」  ミラは急いで背伸びをし、セティアスの頭を両手で荒々しく引っ掴んだ。そのまま手のひらで頬や顎や額や髪をとにかくもみくちゃに撫で回す。  昨夜とまったく同じように、セティアスは立ったままボタボタと目から涙を零していた。  決して見慣れるものではないが、2度目ともなると床へ落ちる前に手で受け止めてやるくらいのことはできる。 「ずっと我慢してたんだろ? 何回か泣きそうになってるの分かった。他のヤツらは気付かなかっただろうけど」  まさか氷の騎士が泣き出すなどと、昨日までのミラと同様、誰も想像だにできるはずがない。今をもってもこの奇妙な現象に脳が付いてきていないミラは、ひとまず考えることはやめて、ひたすらセティアスの顔を手で摩り続けていた。  そう言えば、昨日の生々しい痣や傷がほとんど分からないくらいに薄くなっている。 「……怪我の治療、してもらったのか?」  されるがままのセティアスが小さく頷いた。ミラはぷうっと頬を膨らませる。 「オレが治してやるっつったときは断固嫌がったくせに」 「……、れは……」 「あーハイハイいいよ別に! どうせ無能なオレには無理だしな!」 「…………」  涙を顔中に塗り広げられたような状態で、セティアスはミラをじっと見つめた。  ああこの顔は、とミラの頬が熱くなる。なので仕方なく、だ。仕方なく、ミラは少しだけ顎を上に向けてやった。  いつもは乾いているセティアスの唇は、今日は涙で濡れていた。その分いささか塩辛い。 「……ん、ふっ……」  どうしても、鼻から抜ける息に声が溶けてしまう。セティアスはミラの体を覆い隠すように両腕を回し、緩やかに力を込めた。ミラもまた、セティアスの顔に触れていた手の指をそっと食い込ませててゆく。 「……、ラ……」 「……うん……」  名を呼ばれたのが分かったため、吐息に混ぜて返事を贈った。  わずか半日余りの2人の破談は、涙に流されてどこかへ消えてしまった。  手を引いてやりソファへ座らせてからも、セティアスはミラから離れようとはしなかった。これまでは大理石のテーブルを挟んだ向かいの席に座っていたくせに、今は無理やり1人用のソファに体を捩じ込んできている。さらに両手でしがみつくように密着し、上半身がかなりこちらへ傾いているものだから、やはりどうしても重い。  またセティアスは、ミラの銀髪に顔を擦り付けては何度も深呼吸を繰り返した。これはもしかしなくても、匂いを嗅がれているのではないだろうか。だとしたら正直嫌過ぎるのだが、また泣かれても困るので、重みに耐えつつ好きにさせてやることにした。 「…………おまえは、コナー様を選ぶのだと思っていた……」  涙が止まり、ひとしきりの嗚咽も治まったセティアスが独りごちるように呟いた。一言目がそれか、とミラはまた不機嫌に膨れる。 「……コナーはいいヤツだ。でも友達だ。キスしたりはしない」 「……キス、は……、やはり、嫌か……?」  はあ? と思わず眉が吊り上がる。こちらからあえて上を向いてやったと言うのに、今さらそんなことを聞くか? しかしミラとは対照的にセティアスの眉は極限まで下がりきっている。出鼻をくじかれたミラは怒りを収めるしか無かった。 「……友達とはしないって言っただけだろ」  拗ねた声で横を向くミラに、セティアスは甘えて縋るようにさらに体重を乗せた。今度は耳の後ろに顔を埋められているのだが、抱擁と言うよりもこれはもう圧迫だ。本気で押し潰されそうで苦しい。 「ちょ、重っ……! セティアス!」  するとセティアスはパッと体を引いた。体温を感じられなくなるのが心なしか寂しい。だが数インチ先にあるセティアスの口端は、いつしかぶりにかすかに上がっていた。 「……ミラが私をそう呼ぶのは、子供の頃以来だ。今日は何度も呼ばれた。とても良い日だ」 「へっ……?」  ボワッとミラの顔が一気に茹で上がった。そうだっただろうか? 頭の中ではいつも呼んでいたし、本人のいないところで呼び捨てにしては周囲に叱られたりもしていたので、ミラとしては勿体ぶっているつもりは微塵も無かったのだが。  それにしても先ほどから、セティアスのデレ具合が激し過ぎる。これが本当にあの氷野郎なのだろうか。号泣し、甘えてしがみ付き、名を呼ばれたくらいで微笑むなんて。かわいいところもあるじゃないか、とむず痒くなるミラに、セティアスは言った。 「ミラ、顔がドス黒くなってきている。窒息死寸前のモンスターワームのようでとても醜い」 「…………んっんー」  目を閉じて天井を仰ぐミラ。  腐った毒キノコよりまだ下があるとは思っていなかった。  ……いや、言いたいことはそれではない。今もっとも意味が分からないのは、セティアスの笑みがまだその顔に残っているということだ。モンスターワーム、窒息死。うっとりと目を合わせながら語る単語では断じてない。  ミラは天井に向かって特大の溜め息を吹き上げた。 「どーーーせ!! 醜いよオレは!! 出来損ないで野蛮なワームですよ! 虫と花とじゃ大違いだ!」 「……ミラ?」 「だったらさあ、ファレク様と婚約するって言えば良かったじゃねーかさっき。おまえにとっての可憐なアイリスなんだろ!」 「…………っ、あ、あれは……! あのときは、思い付かなかったから、単に昔読んだ何かの詩をただそのまま……」  セティアスは珍しく狼狽えていた。何かを言い足そうと口を開いては閉じ、ミラに触れようと手を伸ばしては引っ込める。ミラが乱したままの黒髪が跳ねているのも締まりが無い。以前コナーの金髪をボサボサにしたときには、メイドが飛んで来たんだったか。セティアスはコナーよりも癖毛であるらしく、その毛先がミラの視界で無造作に揺れている。 「……おまえのさあ、オレへの徹底した罵詈雑言と冷徹非情ぶりは何なの? オレのことすげー嫌いでなきゃ辻褄が合わねーんだよ」 「……っ、違……」 「分かってるよ。オレと婚約してるって、他のヤツとは結婚しないって言ってくれたから、おまえは。……だからオレも、おまえを選ぶ勇気を持てたんだ」 「ミラ……」  セティアスの瞳に熱がこもる。だがまだ話をここで終わらせるわけにはいかない。セティアスが裏表の激しいモラハラ気質のろくでなしなのか、はたまた二重人格の闇を抱えていたりするのか、今日こそはその正体を、真意を、すべてつまびらかにしてもらう。 「答えろセティアス!! おまえ一体何を考えてるんだ!!」 「…………」  黙り込み下を向くセティアス。だがミラの立腹が治まらないのを悟ると、額同士を擦り合わせるほど再び顔を近付け、低く絞り出すように呟いた。 「…………ミラが、望んだことだ。私はおまえの願いを叶えると約束した……」 「……え?」  時は、ミラとセティアスがまだ幼い子供だった頃にまで遡る。ちょうど10年前、2人の婚約が結ばれた折の話だ。  セティアスは決して上手くはない語りで、ゆっくりと話し始めた。 ◇ ◇ ◇

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