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14.~回想1~ かわいそうだな
セティアス=ヴァルディールの日常は、生まれてから1日の例外も無く憂鬱なものであった。騎士の家系に生まれた男子として、優れた騎士となることは最初から義務付けられている。だがそのために必要なものが、セティアスには決定的に欠けていたのだ。
「背を曲げるなセティアス。胸を張れ」
「……ハイ」
我が子に一瞬だけ目をやり大股で進む父に、セティアスはまだ小さな体でどうにか後ろから付いて歩くのに精一杯だった。
父は国の誰よりも強い騎士であった。同時に揺るぎない厳しさも兼ね備えていた。父のようになりたいと思っているが、父からはとうに見限られていることも知っていた。
そしてセティアスは先日、名も知らぬ下級貴族との婚約を結ばされることが決まった、と父より告げられたのだ。
相手は魔法薬術師の家系の末子で、男であると言う。セティアスにも彼にも、特に世継ぎは望まれていないということだ。是非も無い。セティアス同様にその相手もまた、周囲から期待されることの無い子供であるらしかった。
そもそもこの年で早くも婚約者を持つというのは、比較的珍しい。上級貴族との縁がどうしても欲しいと言う相手方の家の望みだそうだが、まださほど自我の芽生えていない子供同士のうちなら約束も取り付けやすいと考えたのだろう。そして父もまたセティアスの将来を悲観し、今から配偶者をあてがっておいたほうが無難だとでも考えたに違いない。
父の決定に逆らう術など、セティアスは当然ながら持ち合わせていなかった。従ってこのたび、都心から少し外れた地域に立つ下級貴族の屋敷へ、父に連れられるままにやって来たのであった。
そこはやたらと植物の生い茂った場所だった。薬術を使う家には当然薬草が多く植えられている。だがそれだけでなく、ここには花や果樹など直接薬術に関わりの無い草木もかなりたくさん育てられているようだ。セティアスの暮らすヴァルディール家の敷地内には、剣技鍛練や騎馬修練のための見晴らしの良い広場が多いため、随分と様子が違って見える。
合理的で無駄を嫌う父が、この煩雑な屋敷を快く思わないことはなんとなく察した。セティアスもまた、鬱蒼とした木々の作り出す陰や葉擦れの音など、慣れぬ景色にビクビクと震えながら玄関ホールまで歩を進める。
この家の誰かと自分は結婚しなければならないのかと思うと、今日もやはりまた憂鬱を抱かざるを得ないのである。
通された応接室は、過度に飾り付けられた派手がましい空間だった。ギラギラと大量の宝飾品を光らせた小太りの男が父にへつらっている。
「こちらがセティアス様でいらっしゃいますか! なんと利発で精悍なお顔立ちをしておいでなのでしょう! このようなご立派な御方の婚約者になれるとは、我が愚息は国1番の幸せ者でございます!」
大声で名を呼ばれ、ついビクンと肩を震わせてしまった。それにしてもまだ子供であるセティアスにまで世辞を惜しまぬ徹底振りにはある意味感服する。
「それでそのご子息はどこに」
父のその問いに対し、しかし男は誤魔化すように笑いながら言い淀んだ。
「ハッ、ハハ! ……いえ、もちろん今日のこの日を息子も心待ちにしておりましたとも! えー……と、その、ですな……」
近くのメイドや従僕たちに目配せを送るが、彼らは首を振るばかり。するとちょうどそこへ、廊下から慌ただしく靴音や子供の話し声が聞こえてきた。
「ミッ……、ミラ! 遅かったではないか!」
男が小声で叱責する先には、大柄な従僕の中年男に腕を捕らえられ、ここまで引き摺られて来たらしい不貞腐れた顔の少年がいた。頭に付いていた枯れ葉のようなものを、近くにいたメイドが素早く隠すようにして取り除いている。
それは肌も髪も服も真っ白な生き物だった。髪は銀色と呼ぶのかもしれない。零れ落ちそうなほど大きな瞳は、曇りなく透き通っている。ふくふくと柔らかそうに膨らんだ白い輪郭にも、わずかに赤く色付いた頬と鼻先にも、思わず目を奪われてしまう。
甘い砂糖菓子のようだ、というのが第一印象だった。背丈はセティアスと同じくらいだろうか。格別小さいわけでもないのに、何故か繊細な壊れ物のように儚く見えた気もした。
「六男のミラでございます! おいミラ、セティアス様にご挨拶をするんだ! 良いか、教えた通りにするんだぞ、まず口を開かず……」
下級貴族の男はどこかぎこちなく、その砂糖菓子の少年の頭を上から押さえ込んだ。ミラと呼ばれた彼はほんの一瞬セティアスと目を合わせ、すぐに黙ったまま深く長く頭を下げる。
「ハハハ! 緊張と感激のあまりなかなか言葉も出ないようにございます! 将来伴侶となる御方とのお顔合わせが叶ったのですからな、照れておるのでしょう!」
伴侶、と言われてセティアスのほうが面映ゆくなってしまう。遅れて小さくお辞儀をするが、ミラはもう少しもこちらを見てはくれなかった。つまらなさそうな、どうでも良さそうな表情でぼんやりと斜め横辺りを眺めている。
また目が合わないだろうか、声は聞けないのだろうか、とセティアスはミラをじっと見つめた。よく見ると、真っ白なブラウスの袖口と肘が右側だけ少し黒ずんでいる。頭にはゴミを付けていたようだし、どこか汚れるような場所にいたのだろうか。転んだりしていなければ良いのだけれど、……と考えたところで、面識も無かった人間の身を無意識に案じている自分に驚いた。
「……アス、セティアス!」
「ハッ……、ハイ」
父に呼ばれていることにようやく気付き、セティアスは慌てて背筋を伸ばし足先を揃えた。
「どこであっても気を抜くな」
「ハイ」
「私は当主殿と話がある。おまえはご子息に庭でも見せていただくといい」
「ハ……、え……と」
「行け」
「ハイ」
当主の男は腰を低くして父の周りを動き回り、より一層燦然豪奢な仕立ての奥のテーブルへと父を案内している。2人とももはや息子の存在など忘れているかのようだ。
セティアスが振り返ると、ミラが応接室を出て行こうとしているところだった。どうして良いか逡巡し足が止まってしまったが、父の命令は絶対だ。この場にとどまるわけにはいかない。急いでミラのあとを追い、重いドアの隙間をするりとすり抜けた。
◇ ◇ ◇
廊下を早足で歩くミラの数歩後ろを、セティアスも同じ速度で進む。怒っているのだろうか。それともこの婚約を嫌がっているのだろうか。今朝まではセティアスも、そんな心持ちでいたのだけれど。
着いた先は屋敷の裏庭で、訪問時に見かけた正面側よりもさらに鬱然たる植物の園になっていた。小さなセティアスにとってはまるで森のようにも見える。ザーッと木々が風に揺れると、セティアスは青ざめて固まり立ち尽くしてしまった。
……怖い。
葉の向こうに、良からぬ気配がある。幹の間には、黒い陰がうごめいている。いつ狂暴な獣が現れるか、どこから恐ろしい魔物が襲い来るか。セティアスの心臓は嫌な音を立てて脈打ち、息もできなくなりきつく目を閉じた。
「おい、どうした」
鈴の音が鳴った。或いは冴え渡る小鳥の声か。
セティアスの顔のすぐそばにまで、ミラの大きく澄んだ瞳が迫ってきていた。胸がドクンと跳ねたけれど、不思議と苦しさは消えていた。
「どっか痛いのか?」
さらに瞳を寄せてくるミラ。もう一度目を見たいと思っていた。だからなのか、引き寄せられて反らすことができない。
瞳の中で星が瞬いている。銀色に鈍く、けれど鋭く、強く確かに煌めくその光景は、今まで見たどんなものよりも美しいと思った。
「何?」
ミラが体を捩って初めて気付いたのだが、セティアスは知らぬ間にミラの頬に触れてしまっていた。白い肌にぷにんと指が吸い付きそうになったため、目にも止まらぬ速さで手を引っ込める。
「すっ! ……すまない!」
「あー、オレの顔また汚れてた? よく土とか付けてて叱られるんだ」
乱暴にブラウスの袖でミラは頬を擦った。そして左手に持っていた赤い実を3つ、セティアスに差し出す。
「やる。食えば」
「…………?」
「木苺。嫌い?」
「……いや……」
「ん」
ズイと押し付けるように手が伸びてくるので、セティアスは恐る恐るその1つを手に取った。
「オレが育ててるんだ」
「え……」
少し照れ臭そうにミラは言った。そして残った2つを手のひらごと大雑把に口に運び、もぐもぐと頬張る。セティアスも同じようにそれを噛った。
「んう……っ」
「んあーーっ! これ酸っぱーー!!」
真っ赤に熟した見た目とは裏腹に、木苺は酷く酸味が強かった。反射的に顔をしかめたセティアスと、空に向かって吠えたミラは、顔を見合わせて同時に吹き出した。
「んははは! もっと甘くなってるかと思ってたのに、悪かったな」
「……ふっ、構わない」
ミラの笑顔は、春の午後の陽だまりのようにセティアスの心を温かくさせた。無邪気に手を引いて、ミラは木苺の低木の茂みをセティアスに見せつけ自慢げに胸を張る。たくさんの実が鈴生りに実っている。この辺りは比較的明るいので、少しホッとしてセティアスは深呼吸をした。
「あっちにハーブも植えてんだ。虫が付きやすいから世話が大変だけど」
「……虫……」
「苦手なのか虫?」
「い、いや! そんなわけない」
「ふーん」
つい強がって嘘を付いてしまった。だがミラの前では気高い騎士でありたいと思ってしまう。いつもの自分でいてはいけない。自らを鼓舞して気合いを入れようとしていると、ミラが近くの木の枝をポキンと折って、おもむろにセティアスの鼻先に近付けてきた。
「ほら見ろ、青虫!」
「…………ーーーっ!!!」
悲鳴にならない無音の叫びがけたたましく脳内に再生され、セティアスは背中に氷柱でも刺されたかのように仰け反ると、体を急転させて丸めその場にしゃがみ込んでしまった。
目を閉じ耳を塞ぎ頭を膝に埋めるように小さく小さく縮こまる。ガタガタと震える手足と噛み合わぬ歯の根。目尻には涙が滲んでいた。
それは爪の先ほどのサイズの、生まれたばかりのような青虫だった。葉の裏で休んでいたところを突然陽の光に晒され、モゾモゾと身をくねらせている。その動きもまた余計にセティアスを震え上がらせた。
しんと静まり棒立ちになるミラの足元が目に入り、セティアスはしまったと思った。
やってしまった。きっと馬鹿にされる。騎士の息子なのに、男なのにと、完全に見損なわれたことだろう。嫌われたかもしれない。婚約を取り消したいと言われたらどうしよう。セティアスは顔を上げられず、そのままの姿勢で短い呼吸を繰り返した。
「……そんな嫌だったのか虫。……ゴメン」
しょんぼりと肩を落とし、ミラは枝を持つ手を下ろした。そしてキョロキョロと辺りを見回し、木陰となる適当な葉の上へそっと枝のまま青虫を置いた。
「あのさ、アイツらは毛虫とは違うから、触っても平気なんだぞ」
一応言い訳のような説明も捕捉するが、セティアスはブルブルと首を振った。そういう問題ではないのだ。ましてや触るなどもってのほかだ。
「…………、そっか」
沈黙ののち、ミラは納得したように頷いた。自分も何かを言わなければ、と思うがもう嘘や強がりも通じやしないだろう。
かっこ悪い。またしてもじわりと涙が浮かんできてしまった。
「……かわいそうだな、おまえ」
憐れみを含んで聞こえた言葉に、カッとなってセティアスは涙目のままミラをにらみつけた。
情けない、不甲斐無い、嘆かわしい、という評価は毎日のように浴びていた。だが真っ向からかわいそうだと言われたのは初めてだった。このうえ無い侮辱に思えた。しかも、よりによってそれをミラに、会ったばかりの婚約者に口にされるなんて。
唇を痛いほど噛み締めて堪えるセティアスに、しかしミラは寄り添うようにして、そっと隣にしゃがみ込んだ。
「オレが婚約者でゴメンな。かわいそうなセティアス」
「え…………」
弾みでぽろりと涙が1粒落ちてしまった。慌てて手の甲で拭ったが、ミラはそれを見ても態度を変えようとしない。
「……おまえ、ヴァルディール家の落ちこぼれって言われてるんだってな。父上から聞いた」
淡々とした温度の無い声でミラは話し始めた。不愉快なはずの単語も、ただの風音のように耳を通過してゆく。
「だからオレみたいなのと無理やり婚約させられたんだって、おまえはかわいそうな子だって、皆が言ってた。オレはシュレイン家の出来損ないだから。無能で野蛮な厄介者で、どうしても、……どうしても、兄上たちみたいに上手くできないんだ」
「…………」
セティアスは、ミラの声に聞き入っていた。いつの間にか涙は渇き、震えも止まっている。
「オレは大人の言う通りにできない。父上はいつもオレに、慎ましくしろ、従順になれって怒ってるけど、どうすればなれるのか分かんねー。どうすれば皆を怒らせないで済むのかも分かんねー。……今も……、おまえに嫌なことした……」
肩が振れそうなほどすぐ隣で、ミラはうつむいた。わざと嫌がることをしようとしたわけではなかったと言う。共に酸っぱい木苺に笑ってくれたセティアスなら、青虫も面白がるのではないかと思ったそうだ。それに関しては、苦手ではないと嘯いた自分が悪かったと思う。
「わ……、私は……」
木苺の葉の織り成す木漏れ日の中、ミラと並んで座るセティアスは、小さく掠れた声で切り出した。父にはいつも、もっと堂々と腹から声を出せと注意されている。だがミラはスッと体を寄せ、セティアスの口もとに耳を傾けてくれた。
「私は……、色んなものが、……こ、怖い……。恐怖心が消えないんだ……」
「怖い? たとえば何?」
ミラの問いに、膝を抱えたままボソボソと答える。
「……何もかもだ。虫も、草も木も、人も獣も音も闇も……。毎日の剣技や騎馬の鍛練も、昔から、ずっと怖い……。恐怖に打ち勝つ力が無いと、騎士にはなれない。だから私は落ちこぼれなんだ。どうすれば怖くなくなるのか、……私も分からない……」
セティアスは正直に打ち明けた。何故だろう、本当はこんなことを話すつもりなど無かったのに。ミラといると、普段は幾重にも重ねているはずの心の鎧のようなものが、ごく自然に剥がれてゆくのを感じる。婚約者とはそういうものなのだろうか。それともミラだけが特別なのだろうか。
「自分のことなのに分かんねーの、オレたちいっしょだな!」
ミラは背中を曲げ、首をこちらへ向けて深く倒した。光を直接浴びた瞳の星はさらにキラキラと音を奏でて輝いている。眩しくて胸が痛んで、セティアスは目を細め強く奥歯を噛んだ。
とてもうれしいと思った。
初めて憂鬱を忘れられた瞬間でもあった。
「……そうだ!」
突然ミラが勢い良く立ち上がった。大きな目をますます見開き、興奮を抑え切れない様子で腕を振り回す。
「あの魔法薬を完成させよう! そうか、おまえがいれば叶うんだ!」
「え?」
「行こうセティアス! オレたちは今日、生まれ変われるかもしれない!」
◇ ◇ ◇
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