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15.~回想2~ 禁断の願いごと

 セティアスはミラに引っ張られ、再び屋敷の中に戻ってきていた。ミラが人差し指を口に当て、足音を立てないよう爪先立ちで走るものだから、セティアスもなるべく静かにそれに倣う。  ヴァルディール家の屋敷よりも造りが入り組んでいるせいか、どこをどう通って来たのか分からなくなってしまったが、廊下の端の隠し扉のような穴を抜けると、そこに薄暗く細い急階段が現れた。不気味な雰囲気に尻込みしてしまう。だがミラはニコッと笑い、小さな声で諭すように繋いだ手に力を込めた。 「大丈夫、ここは怖くねーよ。オレの秘密の場所なんだ。セティアスにだけ教えてやる」 「…………!」  セティアスは頷いた。胸がかすかに痛み、顔の火照りを感じた。気温はそれほど高くないというのに何故だろう。  階段の向こうにあったのは、天井の低い小さな部屋だった。本棚が並び、粗末なテーブルや薬品棚らしきものも置かれている。先ほどの応接室とは別世界のように何の装飾も施されておらず、基礎のままの梁や無垢板が剥き出しだ。さらに全体的にとても埃っぽい。いわゆる屋根裏部屋という場所だと思われる。 「ここさあ、多分ひいおばあ様の隠し部屋なんだ」 「ひいおばあ様?」 「オレが生まれてすぐに亡くなったらしいからよく知らないけど、すごく偉大な魔法薬術師だったらしい」 「へえ……」  セティアスは部屋の中を見回した。簡易的なランプとごく最低限の薬の調合器具以外、あとは古そうな本くらいしか無い。  その中の1冊を引っ張り出して、ミラは床の上で開いた。大きな分厚いそれは、焦げ茶色の革張りの表紙と変色したページが物々しい雰囲気を醸し出している。ペラペラと紙を捲るミラに、セティアスは心配そうについ身を寄せた。 「……ん、怖くねーからな」  難しそうな文字を眺めつつやさしく言い聞かせるミラは、どこか大人びて見えた。壊れやすい砂糖菓子、春の陽だまり、そして謎めいたこの面差し。ミラには一体いくつの顔があるのだろうか。  あまり大きな声は出せないと、ミラは本に目をやったままボソボソと説明してくれた。  ミラの曾祖母は、今のシュレイン家の創設者にあたる人物で、それは豪傑であったと言う。そもそもは別の能力である魔術と薬術の2つを組み合わせ、現在の魔法薬術を確立し貴族としての地位を築いたのが彼女だったそうだ。名をオーンと言った。  オーンの死以降はほとんど、目新しい魔法薬術は発見されていない。今のシュレイン家はほぼオーンの残した技術を頼りに成り立っているようなものだ。  そのオーンが亡くなる間際、初めて自分の名を授けたのが生まれたばかりのミラであった。ミラ=オーン=シュレイン。オーンの名を名乗ることを許されているのは一族の中でもミラだけだ。さぞかしオーンに継ぐ素晴らしい魔法薬術師になるであろうと、幼少期には相当に有望視されていた。けれども現状のミラはこの有り様だ。オーンの見立て違いであったと、親族たちは大層落胆した。 「オレは出来損ないだったけど、でもひいおばあ様の残した本はとても面白いから。小さい頃からよくここに忍び込んでこっそり読んでたんだ」 「……何故秘密なんだ?」 「だって書物室にある本とは全然違う。ためにならないし役に立たないものも多い。悪戯や犯罪に使える薬の作り方なんかも載ってるし、父上たちはきっと読むなって言うと思う」 「……犯罪?」 「やんねーよ?」  鼻の上に皺を寄せ、ミラは歯を見せてふざけたように笑った。ああ、また胸が苦しく顔が熱くなってくる。この屋根裏部屋は風通しが悪いから、そのせいかもしれない。  そう言えば、とミラは続けた。物語を綴った本も何冊か混じっているそうだ。泥棒が主人公だったり、子供が大人を騙す話や、何をやっても駄目な王子が出てくるものなど、確かにあまり薦められない内容である。  しかしその中でもミラは特に、悪いドラゴンに手を貸す騎士の物語が好きなのだと言う。 「オレさあ、その物語の騎士の喋り方を真似してるんだ。んへへ、恥ずかしいから誰にも言うなよ? 父上たちはもっと上品な慎ましい言葉を使えって叱るけどさ、でもオレもその騎士みたいにかっこ良くなりたかったから」 「…………」  セティアスはミラの横顔を見つめた。ミラはかっこいい騎士が好きなのだろうか。かっこ悪い騎士は好きではないだろうか。ミラに嫌われたくないとは思ったが、それよりももっと、……もっともっと、ミラに好きになってもらうことはできないだろうか。誰よりも特別に、1番好きになって欲しい。 「見ろセティアス」  声を掛けられてハッとする。頬の熱を冷ますように軽く首を振り、セティアスはミラの指すページを覗き込んだ。よく分からない単語や説明がびっしりと並んでいる。まさかミラはこれらをすべて理解しているのか? だとしたら無能だなんてとんでもない、とセティアスには思えるのだけれど。 「……禁断の薬なんだ、これ」 「禁断?」  ミラはこれまででもっとも声を潜めた。決して使ってはならない魔法薬術が、この本の中にはいくつも記載されているのだと。  魔術も薬術も本来、私利私欲のために人の心を操る類いの術は一切禁止されている。だが心に関する術については、線引きが曖昧なところがあるのも事実だ。この薬ならばおそらく、さほど問題は無いはずだとミラは言う。 「願いごとが叶う薬だぞ」 「え!」  いつもは感情か表面に出ないセティアスでさえ、思わず食い付いてしまう魅惑的な響きだった。 「ただし、この薬は2人以上で使う決まりなんだ。お互いがお互いの願いごとの証人になるんだよ。だから今まで試せなくて」 「どんな願いでも叶うのか?」 「どういう自分になりたいかを願うといいらしい。この本に書いてあるのは、邪悪な心を消して正しい人間になりたいとか、つらい気持ちを捨てて楽になりたいとか、嫌いなものを好きになりたいとか、その逆も」 「あ! 恐怖心も……?」 「そう!」  ニヤリと自慢げに腕を組むミラ。セティアスはひそかに高揚する胸を押さえた。邪悪な心さえも変えられるのであれば、この全身に巣食う恐怖心を一切失くしてしまえば、見違えるほど強い男になれるはずだ。本当にそれが叶うなら、父の望むような騎士になれる。ミラにも好きになってもらえるかもしれない。  材料は揃えてある、とミラは早速薬棚を掻き回した。それほど特別な薬草は必要無いらしい。肝心なのはそこへ与し添える魔法のほうなのだとか。  手慣れた手順で調合を進めるミラを、セティアスはただ見守っていた。よく知る薬術師たちのように細かな計量もしていないし、粉末も手掴みだし、かなりいい加減な作業に見えるのだが大丈夫なのだろうか。 「混ざれ」 「融かせ」 「応えろ」  ミラの小声の詠唱に従い薬は順に変化し、次第に仄かな光を放って存在感を帯び始めた。 「ここまでは何度か作ったことあるんだ。……こっからだ。いいか? 2人で半分ずつ飲むからな。そのあと順番に願いごとを言うんだぞ」 「え、もう?」 「願いが叶うなら早いほうがいいだろ?」 「そ……、それはそうだが……」  本当に自分の中から怖れが消え去るなどということがあるのだろうか。物心付いた頃からずっとすべてに怯え続けてきた。この弱い心が変わる未来なんて、まったく想像ができない。 「……あ、そう言えば……。おまえは何を願うんだ?」  セティアスは尋ねた。確か互いに証人になるのだと言っていたはずだ。ミラは使い古された試験管を手にしたまま少しだけうつむいた。表情が陰ったような気がして胸がざわめく。 「…………ミラ?」  初めて、婚約者の名を呼んだ。気恥ずかしいような、誇らしいような。  だがそれに応えてくれたミラの笑顔は、これまでとは違いどこか悲しそうだった。葛藤なのか諦めなのか、眉根を寄せて息を吐く。泣いてしまうのではないかと、セティアスは咄嗟に白い頬に手を伸ばした。 「……オレは、父上たちが望むオレになる。従順で慎ましい人間になりたいんだ」  セティアスの手のひらに頬を乗せ、擦り付けるように首を傾けてミラは笑った。柔らかくて温かくて気持ちが良くて、なのに不安で苦しくなった。 「……いいのか? だって……、かっこいい騎士みたいになりたいって……」 「オレは騎士じゃねーもん。皆の言うこと聞いて皆の望む通りにできれば皆喜ぶ。この家で求められるのは、野蛮じゃないおとなしい息子なんだ。かっこいい騎士には、セティアスがなりゃいいじゃん」 「…………っ、でも……っ!」  酸っぱい木苺に大笑いしたり、青虫の枝を振り回したり、セティアスの手を引っ張って屋敷を走り回ったり。屈託無く自由に動くことができる、それこそがミラではないのか? 「セティアスは慎ましいオレは嫌か?」 「い、嫌ではない! 私はどちらでも……」 「そっか! じゃあ薬飲むぞ!」 「…………っ、……」  もっと何かを伝えるべきだったのかもしれない。だが普段から意思表示の不得意なセティアスには、この場で機転を効かせることなどできやしなかった。 「兆せ!」  ミラは試験管に手をかざして唱えた。  眩しいほどの白い光が薬と2人を包み込む。ミラが1口、セティアスが1口、試験管から直接口に薬を流し込んだ。どんな味がするのかと内心心配していたのだが、意外にもそれはほとんど無味無臭の液体だった。 「セティアス、さあおまえの願いごとを言え」 「あ、ああ。……私、は……、恐怖心を、捨て去りたい。何事にも怖れ怯える弱い自分を、変えたい!」  光に眩みそうになる目を辛うじて開きつつ、セティアスは願いごとを口にした。ミラもそれに続く。 「オレは……、従順で慎ましい人間になりたい。周りの人の言うことを聞いて、もっと皆、に……、」  だが、ミラの言葉は途中で途切れてしまった。唇を噛んで、大きな瞳を潤ませている。 「ミラ?」 「オレ……、オレっ、ホントは……っ」  2人を覆う光は、まだ強くなっていた。すぐそばにいるミラの顔すら見えなくなりそうで、セティアスは試験管ごとミラの手を握り締めて引き寄せた。 「ミラ……っ、ミラの本当の願いごとは?」  ミラがクシャリと顔を歪ませると、星の粒が頬を流れ、ゆっくりと弧を描いて落ちていった。 「オレっ……、ホントは……! ホントは、出来損ないでも愛して欲しいっ……! 無能なままでも構わないって、上手くできなくもいいって、誰かに……言って欲し……っ!」  彼の告白は、悲鳴のようだった。  セティアスはミラの背中に腕を回し、力一杯抱き締めた。 「大丈夫だミラ、私が! その願いを叶える! 私がミラを、出来損ないでも無能でも、……ミラを一生愛す!」 「セティ……っ」 「私はミラを愛している、だから大丈夫だ!」 「……う、ううーーっ!」  力を入れ過ぎてしまったのか、ミラはセティアスの両腕の中で暴れ始めた。真っ白だった顔が真っ赤になって、覗き込もうとするセティアスの視線から執拗に逃れようともがいている。 「ミラっ……!」 「うっ、うわあああーーーっ!!! 今の無し!! 駄目!! 恥ずかしいヤダ忘れたいーーーっ!!」 「ミラ、ミっ、心配するな、誰にも……!」 「ヤダヤダヤダ無し!! 全部無しにしたい!! うわあああーーーん!!!」  本気で渾身の力をもって暴れ回るので、セティアスの顔にも体にも拳や蹴りが幾度となく命中した。結構痛い。うっかり本心を漏らしてしまったことに恥じ入っているようだ。  そんなところもかわいい、などと赤く染まった幼い婚約者の顔を目に焼き付けていたところまでは覚えている。そのときには辺りの光は、白から星の色に変わっていたような気もする。  屋根裏部屋すべてに星が降り注いだようなその午後の出来事は、セティアスの記憶の中ではちょうどそこまでで終わっている。  あとから聞いた話によると、セティアスとミラは何故か裏庭の木苺の木の近くで倒れていたところを発見されたと言う。2人ともぐっすり眠っており、慌てた大人たちに大急ぎで運ばれて行ったらしいのだが、ミラが古い試験管を握り締めていたことだけは、結局よく分からないままになったそうだ。 ◇ ◇ ◇

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