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16.破談どころか溺愛が始まった
「……2人ともそこから3日3晩高熱にうなされたらしい」
「えっ! 怖っ!! 何その結末?!」
10年前に何があったのか、セティアスは不穏な台詞で締め括りに入ろうとしていた。幼かったミラが作った怪しい禁断の魔法薬は、セティアスも巻き添えに大惨事を招いたようだ。もはや薬と言うより毒に近い。上級貴族様にとんでもないものを飲ませてしまった。
「だが4日目の朝、自分は確かに生まれ変わったのだと実感があった」
まるで霧が晴れたようだった、とセティアスは言った。本当に恐怖心が消えていたのだと。
何を見てもどこへ行っても誰に会っても、鋭い剣を向けられても、馬の背から振り落とされそうになっても、セティアスは怖いと感じることが無くなっていた。
そしてミラのほうも、人が変わったようにおとなしくなったと人伝に聞いたそうだ。
「すぐに会いに行きたかった。だが私は間もなく寄宿学校へ行かされることになり……」
集団生活を通じて騎士としての素養を身に付けるため、ヴァルディール家の子息は全員寄宿学校への入学が義務付けられている。親元を離れ6年間、さらに騎士見習いとして辺境の地で数年間、実戦を伴った修練を積む。その間、生家へ戻れるのは年に1~2度程度。よってミラとセティアスが顔を合わせる機会はそう多くはなかった。
「だからようやく会えたときにはいつも、思い付く限りの罵倒の言葉を並べたのだ」
「そこよ」
ミラはここぞとばかりにツッコミを入れた。
そう、ミラが知りたかったのは、セティアスの罵詈雑言の理由だ。過去のあれこれに関してはある程度把握できた。ちっとも思い出せはしないけれど。だが今の言葉にどう繋がるのかだけが、いまいち理解できない。
それでもセティアスなりにどうにか説明しようとはしてくれているらしい。言葉を選びながらもう一度言い直す。
「……ミラが、出来損ないでも愛して欲しいと願ったからだ。無能でも、何もできなくても、それでも愛すと私は約束した。そのためには、ミラはずっと出来損ないのままでいなければならない」
「ああ! ……んあ? ……、あー」
ミラは首を傾げたままで何度か頷いた。なるほど、ミラの出来が良くなってしまわないように、セティアスは義務感から執拗にミラを侮辱し扱き下ろしていたということか。完全に子供の理屈だが、あるいは魔法薬がそう言わせていたのかもしれない。
「……かわいい思えば醜いと伝えた。愛しいと感じたら見苦しいと言い換えた。声が聞きたければ挨拶が遅いと、会えてうれしいときには気が利かない、役に立たない、おまえはクズだと、とにかく毎回語彙を尽くしてあらゆる侮蔑を表した。約束のために必死だった」
「……んんんー、いや、うーん……。要はオレの願いを正確に成立させようとしてくれてたわけか…? だけどそれ、なんかおかしいとは思わなかったのかよ?」
呆れて溜め息をつきながら、ミラは半目でセティアスをねめつけた。
だが、実は頬が赤くなってきてしまっていることに、ミラは自分でも気付いている。かわいいだの愛しいだの、いつもそんなことを考えていたなんて。訪問のたびに、会えてうれしいと思っていたなんて。とんでもない事実を、セティアスはあっさりと白状してしまっていることを分かっているのだろうか。
大体セティアスの回想を聞いているときにもどうにもむず痒かった。どう控えめに判断しても、セティアスは初めて会ったときからミラに好意を抱いていたとしか思えない。ひょっとして好かれているのだろうかと考えたことはある。キスをされたときだ。だが、愛だとまで明言されるとは想定の範囲を超えている。
「……ミラ、顔が赤く……」
「毒キノコもモンスターワームももういいから!」
先回りして罵倒を回避する。発言を封じられたセティアスは、仕方なく質問に対する回答を続けることにしたようだ。
「……おかしいとは、思い始めていた。特に近頃は気を抜くとすぐに、かわいい美しいとうっかり本当のことを言いそうになってしまって……」
「……ふ、ふーん……」
またしても顔の熱が上がってしまう。
ずっと無表情だったくせに。冷酷で辛辣だったくせに。今さらそんなこと、ずるい。
セティアスがまたミラの銀髪に顔を擦り付けてきた。ミラはもう随分と長い時間、セティアスの両腕にすっぽりと抱きかかえられたままだ。のし掛かる重さにも慣れてきた。
柔らかく頭を押されるような感触があった。おそらく髪にキスをされている。キス好きだよなあ、なんて思っていたとき、ちょうどセティアスも同じことを口にした。
「必死に今まで通りにしようと、本音を隠そうとした。だが抑え込めなくなって、気持ちが止められなくて、言葉の代わりに体が動いてしまい、キスを……」
「あー、それでキス」
「……おまえは怒っていた。予告も無く何度も勝手にしたから……」
「いや予告の問題じゃなくてだな……」
照れ隠しに頬をポリポリと指で掻く。突然唇が降ってきたときにはもちろんとんでもなく驚いた。そのときセティアスの中でそんな苦悩が渦巻いていたなんて、ミラには知る由も無かったから。
「……色々と、考えていた」
まだセティアスは続ける。ミラは腕の温もりを感じながら、斜め上にある彼の顔に目を向けた。10年後の謎解きをするように、セティアスは難しい顔つきになっている。
「私の思いが暴走し始めたのも、ミラの記憶が失われたのも、あの魔法薬が原因ではないだろうか」
「え?」
「ミラはあのとき最後に、忘れたい、全部無しにしたいと叫んだ。それも叶ってしまったのだと考えれば……」
「あっ……! だ、だけど、なんで10年も経ってから……?」
「……分からないが、願いが叶ったあとでなければ、すべてを無かったことにはできないから……だろうか?」
何故それが10年なのかは不明だが、失わせるために与えるには妥当な時間だったと言えるのかもしれない。
つまりミラが手に入れた従順な人格も、出来損ないでいるためにセティアスの本音を抑え込んでいた力も、ミラの最後の願いごとによ
って、10年経った今「無し」になったというわけだ。いや、実際にミラが奪われたのはそれだけではない。以前のことも何もかも忘れ、文字通り「全部無し」になってしまったのだ。
あらためてミラは、禁断と呼ばれる魔法薬の恐ろしさに身震いをした。それはミラの手に負える代物では無かったのだろう。
「……なあ、その薬の効果がホントに全部無くなったんだとしたら、おまえの願いごとはどうなるんだろう? ……恐怖心、戻って来てたりすんのか……?」
ミラは息を詰めてグッと顔を寄せた。10年間も馬鹿げた愛に付き合わせた挙げ句、これ以上セティアスの心を振り回したりなんてしたくないのに。しかしセティアスは静かに首を振った。
「おまえの性格が元に戻っているのを見たとき、薬の効果が切れたのかもしれないと思い当たった。だからあの日すぐに屋敷に戻り確かめたが、剣も振るえるし馬にも乗れた。遠征では問題無く魔物と戦えた。消えたのはミラの分だけだったのではないか? ミラが無しにしたいと言ったのは、自分の願いごとだけだろう」
「そ……、そっか……? それならいいけど……」
どこか腑に落ちない気持ちもあったが、実際にセティアスが魔物に見事勝利したばかりであることはミラも知っている。
「……ミラ」
「へ? ああ、何?」
ほんの数センチ下のミラの目を、セティアスは熱っぽく見つめていた。
「……キスしてもいいか」
「ひぇ……」
「…………駄目か……?」
一気にしゅんと温度を下げ、眼球に水分の薄い膜を張り巡らせるセティアスに、ミラは脳やら内臓やらを握り潰されそうな感覚に襲われ、「ぐうぅ」と小さく呻いた。
「さ、さっきもしただろ……。なんで急に予告とか気にしてんだよ」
「……我慢できなくなったとは言え、何も言わずにすることではなかったと反省している……。それでミラは怒って……、婚約を……、は、破談に……っ」
「いやだからそれは! キスに怒ったせいじゃなくて……っ」
黒目を覆う膜が水滴に変わりそうになったのが見えて、ミラは慌ててセティアスの両頬を掴んだ。
「……な、内緒にしてたけどなあ! ……オレ、オレはホントはっ! おまえとキスすんの、嫌じゃねーんだからな!!」
そのまま力任せに顔を近寄せて、ミラは思い切り唇同士をぶちゅっと激突させた。
色気は無かったと思う。変な音がした。しかも位置も微妙に中心点からズレていた。失敗した。気合いを入れ過ぎて勢い余ってしまった。
もっと丁寧に顔の角度を調整すべきだったか、などと赤くなりつつも客観的に自分の動きを省みる。
だがセティアスはそんなミラに、まったくもって氷らしからぬ、反則級の破顔の微笑みを放った。
「ミラ! 愛している!」
ガバっと上から抱き付かれて、背骨が逆曲がりに折れそうになってしまった。息が止まって声にもならないが、お構い無しにセティアスはミラの唇に噛み付いた。
「んんーーっ!」
舌を絡め取られたと思ったら下唇を甘噛みされる。そこをペロペロと舐めたすぐあとに、隙間無くぴったりと唇を合わせてくる。
「んっ、ふ……、はっ……!」
すっかり翻弄されてミラは、気付かぬうちにセティアスの首に腕を回していた。きつく抱き合って、離れたくない。わずかな隙間も許せない。
ソファに膝を上げて、ミラは逆にセティアスに体重を乗せてやった。少しも重そうでないのは腹が立つけれど、セティアスよりも目線が上にあるのは気分が良い。夢中で唾液を貪るミラに、セティアスは唇が外れるたびごとに囁いた。
「ミラ、かわいい……」
「ふ、う……っ」
「愛しいミラ、……好きだ」
「ん、んっ……!」
「……その顔もかわいい。ミラからキスしてくれてうれしい。甘い、もっとしたい」
「…………ん」
「ミラ、唇も肌も気持ちがいい。しっとりして柔らかくて美しい」
「…………」
「かわいいミラ、かわいい私の砂糖菓子。煌めく星の光。幸せのあまり、今私は……」
「んああああーーーっ!! 恥ずかしいわーーーっ!!!」
ミラの絶叫がこだました。
きょとんと固まるセティアスに、モンスターワームすら超えた赤黒い何かが凄まじい剣幕で吠えている。
「言い過ぎ!! 褒め過ぎ!! 急にやめろ耳が溶ける!!」
「……本音を……、もう隠さなくても良いと思うと、つい……」
セティアスは叱られた子供のようにまたしても項垂れた。大きな体を小さく見せようと背中を曲げ、上目遣いにミラの様子を伺う姿はどうしてもやはり、恐怖心を持たぬ強い騎士には見えない。
セティアスの願いごとは、本当に消えていないのだろうか?
「……ミ、ミラ……。ミラは私よりも、コナー様のほうがかっこいいと思っているのか……?」
「は? 何だ急に?」
「コナー様が帰り際に言っていた。先日ミラに、かっこいいと言われたと」
「あーっ、そういやなんか、コナーがひそひそ話してたな。てかオレそんなことコナーに言ったっけな?」
「ミラは使用人ともやたらと仲が良いし、コナー様とも……」
「え! オンサのことまで気にしてたのか? 道理で当たりがきついと思った!」
「……私には、ミラしかいない。ミラだけなんだ。……10年前ミラが、かっこいい騎士になれと言ってくれた、私はその言葉をずっと……」
ズビ、と鼻をすする音がする。また泣いているのかこの泣き虫騎士は。
破談宣告に恐怖し、コナーという恋敵に恐怖し、すぐに涙ぐむ。オンサへの嫉妬はいつからのものなのか不明だが、それを除いたとしてもおそらくこの男には、ミラと同じくもはや魔法薬の加護は残っていない。
これはミラの想像だが、セティアスはきっと、この10年で騎士としての本物の強さを身に付けたのだろう。怖れを克服するきっかけは薬の力だったにしても、剣技や騎馬の腕はもはやセティアスの真の実力となって、この屈強な体に備わっている。魔物に打ち勝つことができるのは、恐怖心とは関係の無いところにあるセティアス自身の努力と経験に基づく結果なのだ。
だがこのことは、本人には伝えないほうが良さそうだ。ミラはクスッと笑ってセティアスに頬擦りをした。
「心配すんな。おまえはとっくにかっこいい騎士になってるし、オレもおまえが好きだよ、セティアス」
「……ミラ……っ!!」
何度目かの強い抱擁に、ミラはなんだか楽ししくなって大笑いしてしまった。黒髪を撫でてやり、セティアスがそうしてくれたように髪にもキスを贈る。
ふと、セティアスの右手がミラの捲り上げられたブラウスの裾から差し込まれているのを見付けた。白い脇腹に長く武骨な指を直接這わせ、セティアスはミラの鎖骨に熱を帯びたキスを落とした。
「んっ、あ……!」
ゾクリ、と体の芯が痺れて足の力が抜けてゆく。ミラはついセティアスに向かって倒れ込んでしまった。それを身を預けてくれたのだと気を良くしたのか、セティアスは満足そうにミラの全体重を受け止め、さらに手を奥へ侵入させてくる。
いや待って? 待って待って!
まだそこまでは心の準備ができていない!
ずっと好きだったと言ってくれるセティアスと違い、こちとらまだつい最近分の感情しか蓄えが無いのだ。永久凍土のようだった氷対応が、本日突如として糖度過多な溺愛の言葉に変わったことすら、やっとギリギリ付いて行けているかどうか、という状態だと言うのに。
「ま……、待ってセティ……っ!」
「…………駄目か……?」
その顔だ。そうして見せれば何でも言うことを聞くと思うなよ、と思うものの、上手く声に出ない。
「駄っ、待っ……、はひっ……」
頭も目もグルグル回ってどちらが床でどちらが天井か分からなくなってきた。こめかみだか脳天だかから焦げ付いた煤混じりの湯気が噴き上がってくる。
何とか一旦体勢を整えるため、ミラはグッとセティアスの胸元に右手を突っ張った。するとセティアスはその手に上から指を絡ませ、酷く顔を赤らめた。
「ミラ……、は、その……」
言いづらそうに目を泳がせる。こちらもいっぱいいっぱいなのでろくな対応もできず申し訳ないのだが、セティアスは何度か口籠ったのちに意を決したように告げた。
「ミラは、……き、きき、きょ、……巨……、乳が……好みだと言っていた……。私も多分、胸は大きいほうだと……思うのだが……」
「へ」
布越しに当たるセティアスの胸の弾力に、右手がバツンと押し戻される。ああ、憧れの巨乳が、まさに今この手に……などと思えるものか。
人はこれを、分厚い胸板と呼ぶ。
頬を染め、おずおずと迫り寄るセティアスは、かっこいいと伝えた前言を直ちに撤回したくなる程度にはなかなか残念であった。それなのに何故、愛おしさが込み上げてしまうのだろう。ミラは落ち着かない口もとと倍速で高鳴る鼓動にたまらなくなり、思わず唇を噛んで目を伏せた。
その隙に、ススス、とブラウスの中のセティアスの手がミラの胸元にまで伸びてくる。巨でも厚でもないミラの薄い胸の、色付いた小さな突起に爪の先が触れたかどうか、の刹那。
ミラは弾かれたように反り返り、軽く3フィートは飛び上がった、……かもしれない。そして屋敷中に響き渡る金切り声の雄叫びをあげた。
「オンサあああーーーっ!!! 今すぐお茶持って来てえええーーーっ!!!」
ちっ、という低い舌打ちが聞こえたのは気のせいだと思いたい。
記憶0の出来損ないと、本当は怖がりの氷の騎士。2人の婚約者は、今からようやく本当の恋を始める。
fin.
>>>to be continued in the special episode
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