1 / 6
第1話
事実は置いといて、神楽雪丸 が未成年に手を出したと騒がれてホスラバで炎上したのが2ヶ月前。そしてだんだんとほとぼりも冷めてきた頃に脇腹を包丁で刺されたのが1ヶ月前。店に復帰した当日にガソリンを店の前に撒かれたのが昨日の話だ。
何が恐ろしいって1ヶ月前の殺人未遂の犯人という名の客は捕まってるため、昨日のガソリン事件は違う人間の仕業ということだ。
店長は痛む頭を押さえながら、テーブルの灰皿を引き寄せた。拍子にふわりと白い粉が舞う。
「雪丸お前な、客の教育もできねぇのか」
「俺の魅力に周りが勝手に狂ってくのよ。良かったじゃない、店燃えなくて」
「代わりに店が粉だらけで休業になってんだよ!」
雪丸が咄嗟に掴んだ消化器をガソリン犯と店に噴射した結果、出入り口どころか店の中まで粉が広がった。その後110番通報され、警察署で数時間事情聴取をされているうちに日付が変わっていた。警察から解放された瞬間解散とばかりに帰ろうとした雪丸を無理やり店に引っ張ってきたところである。
ガソリン犯と直接対峙した雪丸の体はひどいものだった。頭を振るたびに金髪からはらはらと白い粉が舞い、おろし立てのダークグレーのスーツはムラだらけのライトグレーに変貌していた。
小言を聞き流しながら全身を擦り始めた雪丸は粉まみれであるのにも関わらず、どこか花があった。通った鼻筋にやや吊り目の二重瞼、尖った顎に薄い唇。脱色した髪と眉毛は日本人特有の違和感もなく、黙ってさえいれば王子と呼ばれるのも納得できる相貌だった。
この常人とは一線を画す怪しい美しさが客を狂わせるのかもしれない、と店長は思った。初めはこんな男前が新人として入ってきたことを歓迎したものだが、甘い話には決まって裏がある。甘いマスクの裏には問題行為のオンパレードだった。枕営業のしすぎで遅刻・無断欠勤当たり前、ちょっと好みの客を見つけたら担当じゃなくてもちょっかいを出して同僚と揉める、同僚とヤる、しかもそれが客にバレて恨まれる、数え上げたらキリがない。それでも罰金を大きく上回る売り上げを上げているのは事実だった。
この一ヶ月雪丸が休んでいた時の平和さと言ったらなかった。更衣室で客をほったらかして内勤とやってるバカがいない。ラスソンを取られて八つ当たりでシャンパンを同僚にぶっかけて舐めようとするバカがいない。指名客が5組来てるのに今忙しいと電話越しに喘ぎ声を聞かせてくるバカがいない。
店長はもはや雪丸のいない普通のホストクラブを忘れられなかった。他店からそこそこ数字を上げられるホストが入ってきたというのも今回の判断を後押ししていた。
「俺も粉落としたいから帰っていい? 身体中かゆいんだけど」
「ああ。もう二度と来なくていい」
「あ? なんて?」
「今日限りでクビだ。店の弁償は勘弁してやる」
「……本気で言ってる?」
「今はもうお前がいるメリットよりもリスクの方がデカい」
まるで裏切られたとでもいうような顔で見つめてくる雪丸から目を逸らして紫煙を吐く。はっきり言って何度も規則を破られ、裏切られているのはこっちだった。
「お前の尻拭いは俺の仕事じゃねぇんだよ」
雪丸は考えるように形のいい顎を触ってから、口端を持ち上げた。その怪しい笑顔に背中に寒いものが走る。笑う状況ではないのだけは確かだ。
「じゃあ店長、今までありがとう」
手を広げて近づいてきた雪丸から、ソファに腰掛けた尻をずらして慌てて距離をとる。めざとく長い腕が背もたれを囲うようにして逃げ道を塞いだ。そのまま姫にやるかのように、だが確固たる意思を持った力で抱きしめられる。ご丁寧に全身を密着させて粉を擦り付けてくる。
「おいテメェ触るな、なすりつけんな!」
まずい、商品に傷がつく。習い性でタバコの火が雪丸に当たらないように手を上げてしまう。小さな笑い声が耳元で聞こえる。同時に、雪丸の入店以来ストレスで増え続けた酒量に比例してスーツを圧迫するようになった下っ腹に違和感を覚える。ベスト越しにがっしりと腹を掴まれていた。
「あーあ、こんなことならこのたぷたぷのお腹もっと愛でときゃよかった。あんた良い腹してるよね。最近特に」
最後なら今愛でてもいい? 先まで帰りたいとほざいていた男がベルトに手をかけてくる始末である。通常人間に常備されてる倫理観が欠如しているとしか思えない。
「ぶっ飛ばすぞ!」
振りかぶった足は軽々とかわされた。雪丸はそれ以上何をしてくることもなく立ち上がった。どうやらタチの悪い冗談だったらしい。店長は知っていた。このタチの悪い冗談なのか本気なのかわからないジョークに乗った奴から順に食われていっていることを。
店長が肩を撫で下ろしている間に、雪丸はカーペットの張り替え作業をしている内勤にちょっかいを出していた。しゃがんで作業に勤しむ背中を膝でこづいている。
「ドア汚ねぇなァ」
「ああ、はい、そっちも後で掃除します」
内勤はできれば関わりたく無いというかのように目を逸らした。目の前で店長に迫る姿を目撃して居た堪れないというのもあるかもしれない。
そもそも少し人よりガタイのいい内勤は、細身のホストたちを含めた従業員の中でもとりわけ雪丸の好みに近かった。更衣室やトイレ、倉庫で酔っ払った雪丸に押し倒された回数は両手では数え切れない。
まるで嵐かのような男が今日び退職宣告されたことに、男は内心で拍手喝采を送っていた。
そんな男の心の底の喜びを見透かすかのように、雪丸は目を細めた。
「もう取り替えた方が早いんじゃねぇの」
内勤の顔の横に長い足が振り上がる。派手な音を立てて木造のドアが吹き飛んだ。捻じ曲がった金色の蝶番だけがむなしく壁に残っている。
「これで心置きなく取り替えられるだろ」
唖然として固まった内勤の肩を軽く叩くと、店長の怒号を背に、雪丸は10年世話になった店を後にした。
慣れた調子で鍵を開け、フローリングに白い足跡を残しながら部屋に上がる。風呂に入る気力もないとそのままソファにダイブしようとしたら、家主に食い止められた。首根っこを掴まれ服を着たまま風呂場に突っ込まれる。おまけに手洗いしてから洗濯機に服を入れろと指導を受けた。
ため息をついて雑巾を絞る音が洗面所から聞こえてくる。家主──伊佐道慈 とは小学校からの幼馴染だった。中学卒業とともに疎遠になった幼馴染に同窓会で再会し、酔ったフリして介抱してもらい、家を特定したのが6年前だっただろうか。そこからというもの自分の家よりも居心地がいいこの部屋に入り浸っていた。合鍵を勝手に作った時はドン引きされたが、なんだかんだ道慈も強く拒否はしない。ある時期を除いては。
「お前何回ネットニュースに載れば気が済むんだ?」
脱色を重ねた金髪から水が滴るのもそのままに、ボクサーパンツだけ身につけてソファの3分の2を占める巨体の横に腰を落とす。
ああやっと落ち着いて座れた。
雪丸が歩くたびにフローリングに白く残っていた足跡はきれいに拭き取られていた。
「道慈、ウーロン。氷入り」
「お前またお茶作ってなかっただろ。ちょっと残して冷蔵庫しまうのやめろ」
小言を口にしながらも立ち上がった巨体に満足してここぞとばかりに横になってソファを占領する。そもそもこのソファベッドは雪丸がいつもベッド代わりに使っているものだった。
「どうじくん、疲れて帰ってきた俺に労いの言葉とかねぇの? ガソリンぶっかけられたんだけど今日」
言いながら、冷蔵庫と同じくらい大きな背中を眺める。やたら大きく育った身体が、キッチンでせせこましく動いている姿を眺めるのが嫌いじゃなかった。
「ぴんしゃんしてんだろ」
「まだ刺された傷も完治してないのに。なでなでしてよ」
渡されたウーロン茶を一口飲んでローテーブルに置いてから、隣に腰掛けた道慈の膝に頭を転がす。髪ちゃんと拭けよと呆れた声を落とされた。
「ここ、なでなでして」
道慈の手を掴んで脇腹の縫合痕に手を当てさせる。大きな手の冷たさが心地いい。形のいい眉が顰められるのを見つめながら、雪丸は背中に甘い快感が走るのを感じていた。もう少し下に降りれば、下腹に彫られた蓮のタトゥに触れそうだった。
「雪丸、お前来週の金曜までに荷物まとめろ」
あるはずのない先を想像してのぼせた頭に冷水をかけるような一言が落とされた。
「あ?」
「彼女できた」
「はぁ!? 俺というものがありながら!?」
飛び起きてTシャツの胸ぐらを引っ張ると、襟伸びるからやめろと引き剥がされた。
「お前が何なんだ。ただの居候だろ。来週中に出てけよ」
「俺今日クビになったのに!」
「だから何だ」
「仕事辞めたら、お前の専業主夫になってやるって話だっただろ!」
「聞いたことねぇよそんな話」
「なんでこのタイミングで彼女作んだよ! 酷くねぇ? おれのきもちは? 最低! tiktalkに上げてやる!」
「あとお前俺の画像無断でSNSに使ってるだろ。それもやめろ。彼女がそういうの気にするんだよ」
Vlogで匂わせで上げていたものが彼女伝いに本人にまで伝わったらしい。断っとくが顔は写してない。道慈の身体は顔が映らなくても十分にデカくてエロいからだ。一定層にウケが良く、また雪丸自身道慈の体の腕や足といった一部だけをいかにエロく撮るかを考えるのが楽しかったので定期的にアップしていた次第である。
ここ数年道慈の家に転がり込んでから何度も匂わせを上げてはいたが、注意されたのは今回が初めてだった。ホストの配信を見ていて、かつ顔も出してないのに本人と特定する女なんて碌でもない女に違いない。
「痛客ですらお前の存在は認めてんだぞ。そもそもお前の女俺の登録者ってこと? 碌でもねぇぞ」
「お前が言うな」
「写真見せろよ。かわいい?」
「見せない」
「体重何キロ?」
「言うかバカ」
どうせ道慈のことだからバカでかい自分と正反対の小さくてガリガリの女を彼女にしてることだろう。壊滅的に道慈と女の趣味は合わなかった。
雪丸はそもそもストライクゾーンがほぼ無限大に展開しているタイプだったが、女も男も大きければ大きいほど好きだった。
「なまえは?」
「言わない」
「どこで出会ったんだよ? 一回会わせろ。俺が見定めてやる」
「いらねぇ。いいから休んだら今週末中に荷物まとめろよ」
「締切さりげなく短くしてんじゃねぇか!」
道慈の表情が変わらないのを見て、雪丸は内心舌打ちした。これは本気のやつだ。もし自分で荷物をまとめなかったら玄関の鍵穴を変えられ、後日自宅に荷物を発送される。そうしたらもうこの家に出入りできなくなる。
「道慈、俺、客にストーカーされてるかも。次は家にガソリン撒かれるかも」
「そのガソリン犯は捕まったんだろ」
くそ、と今度こそ音に出して舌打ちする。こんなことなら頭冷やせと警察にガソリン犯を突き出すことなく庇っとくんだった。
誰とでも枕してんのは知ってるけどさぁ、ちゃみの誕生日に未成年とホテルはさすがにありえなくない?
ツインテールをゆらしながらポリタンクを抱えて涙していた客を思い出す。アイラインで黒く濁った涙が鮮明に記憶に残っていた。人にガソリンをかけて燃やそうとする人間の顔はこんな顔なのかと、初めての体験にいやに頭は冷静だった。
やるわけねぇだろ未成年と。ちょっと童顔だっただけだよ。お前もたまに未成年と間違われてんだろ。それと一緒。
いつライターを手にするか警戒しながら、そろりそろりとさりげなく消化器の位置まで移動していたら当たり前だが受付に入っていた。
サイテー! ヤリチン! デブ専ロリコンホモのサイコ野郎! 何が一緒だよ! まずやったことを否定しろよ!
女がライターをこするより早く、消化器の栓を抜いていた。初めて噴射した消化器は思いの外勢いが強かった。これ熊も撃退できんじゃねぇの。呟いてから、粉だらけになった女を抱きしめて受付の裏に押し倒してキスをした。あんなに不味い味がするキスはあれが初めてだった。
今はお前しか見えねぇよ。いやまじで。クソ迷惑客。今お前すげえ不細工。
うっさい死ね。嫌い! 雪丸なんて嫌い! 担当降りる!
粉にむせながらそれでも叫ぶ女の顔を袖で拭って笑った。担当どころかまともな社会生活に王手かかってんの気づけよバカ。ざっくばらんな物言いに涙を浮かべながら睨んでくる眦を撫でながら、再度口付けをした。騒ぎを聞きつけ様子を見に来た内勤が場の惨状にうわっと声を上げていた。
そんなふうに宥めてる間に警察がやってきた。キスに夢中だった女はここにきてようやくことの重大さが分かったのか、雪丸の横で萎れていた。ちゃみ、もしかして殺人未遂? うん。未遂で済んで感謝しろよ俺に。やだ、刑務所行きたくない……助けて雪丸。いやお前はマジで一回反省しろ。
手錠をかけられて絶望しているボサボサ頭を撫でて、倫理観ムショで学んでこいよ、と雪丸は最後に声をかけた。
あの状況で女を庇う手段があったかと言えば、ほぼ無いが、今となっては少し悔しい。なんだって女にガソリン撒かれて仕事クビになった日に親友にまで捨てられなきゃいけないのか。
そうだ、と自身のフルネームをネットで検索して、それっぽいSNSのコメントを道慈に見せつける。
「これ見ろよ」
そこには善良な道慈の胸が悪くなる類の書き込みがあった。
──雪丸未成年の次はメンヘラとやってんのかよ最低。燃やされればよかったのに。あの頭おかしい女よくやった、周りに迷惑かけたのは最低だけど。特定班まだ? 雪丸のマンション出待ちめちゃくちゃいるんだけど。
「お前マンション特定されたのか」
道慈の興味を引けたようだった。スマホを奪われ、スクロールする道慈の肩にこれ見よがしに擦り寄る。
「だから言ったじゃない。お前のお家が必要なの」
「おい待てこれ俺の家も映ってないか?」
「げっ、やべ、まあここはぁ、ボディーガードのどうじくんもいるし? 俺のこと守ってくれるもん」
「ふざけんな。そもそもストーカーにビビるようなタマじゃねぇだろ。何俺の家まで特定されてんだ」
「もう満身創痍なの俺。道慈に追い出されたら生きていけない。誰が俺の飯作んの?」
「自分で何とかしろ」
「彼女がきてもクローゼットに隠れるから! いいだろ。セックスちょっと覗くくらい」
「良いわけねぇだろバカ。引っ越すなら来週中に新しい家見つけろよ。来週までは待ってやる」
「道慈ー! 酷くねぇ!? 俺より女優先するのかよ!」
ひーんと声をあげてさりげなくよく筋肉のついた胸に顔を埋める。この大きく実った乳を揉んでやりたいが、そんなことをしたら問答無用で締め出される。
「当たり前だろ! ひっつくな!」
「じゃあもう道慈がよその女とイチャコラしてる間俺はネカフェで過ごす! いつストーカー共が入ってくるかもわからない危険なネカフェで」
「ああ、ネカフェで消化器ぶちまけんなよ」
「道慈のバカ! スケベ! 巨根絶倫!」
かわいこぶって胸を叩いても相手にされない。それどころか、テーブルでスマホのバイブが鳴った瞬間押しのけられた。
いそいそとスマホを耳に当てながら寝室に向かう背中に箱ティッシュを投げつける。しずかにしろ。振り向いた顔に口パクで諭され、雪丸は口を突き出した。そんな可愛い口パクしても無駄だ。と思いながらも、電話口の耳に入るような声量で言ってやろうとした下品な野次は飲み込んだ。
道慈と入れ替わりに寝室から出てきた猫が鳴きながら足に懐いてくる。粉掃除の時に道慈が避難させていたのだろう。雪丸がおやつをあげ過ぎたせいでまるまると太った茶色の塊を抱き上げながら、縦に切れた瞳と目を合わせる。
「もうお前でもいいかな……俺結構でかいけどいけそう?」
道慈が聞いたらそれこそ殴られそうなことを口にして、何も知らずに髭をひくつかせてる猫の鼻面をペロリと舐める。
「俺好みに太っちゃって。お前は俺の味方だよな? 大五郎。道慈に追い出されたら代わりにお前とヤッていい? チューロやるから」
チューロという言葉に反応して猫の目に光がさす。頬を舐め返してきた猫を撫でながらソファにゴロリと横になった。
ともだちにシェアしよう!

