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第2話

 思えば雪丸と疎遠になっている間の生活は平和だった。学生生活はもちろん、新社会人生活も社会に揉まれる悩みや苦しみはあれど、常識を逸脱しない範囲で生きていられた。年上の彼女との結婚の話も出ていた程だった。  その順調なリズムが崩れ出したのは、同窓会で雪丸と会ってからだった。その時期任されていた任務がほぼ24時間体制でなかなか家に帰れなかったというのもある。たまに帰れば何故か合鍵を渡している彼女ではなく、雪丸が家にいるという悲劇。幼い頃から雪丸は道慈の家に本人がいなくても勝手に出入りしていたので、あまり違和感を覚えていなかった道慈も悪かった。  彼女の態度がどこかよそよそしいと気づいた頃には振られていた。  ――私じゃなくて雪丸くんと結婚したら良いんじゃない?  歪んだ唇を今でも思い出せる。プライドが傷ついた女の顔は、なぜこうも頭にこびりついて離れないのか。  振られたその日に雪丸を問い詰めたら、悪びれずに吐いた。曰く、道慈の家で一緒にスマブラして相談に乗っただけだと。まさかと思うがやったのかと確認したら、雪丸は鼻で笑った。  やるわけねぇだろ。なんで俺がたかだか女一人のためにお前に恨まれなきゃなんないわけ? まあ3回くらいやっちゃおうかなとは思ったけど、我慢した訳よ。好みじゃねぇし。な、親友。えらい? 褒めても良いぜ。それか慰めてやろうか? 振られたんだろ。あの女俺には言わなかったけど、多分他に男いるぜ。だから俺からお前の浮気ネタを引き出そうとしたって訳。でもネタが出てこねぇから苦し紛れに俺をダシに使ったんだろ。ね、どーじくん、本当に浮気しちゃう? 俺ら。  3回くらい――のあたりで掴み上げていた胸ぐらから力が抜けるのを感じた。首に抱きついて懐いてくる頭を押しのけて、彼女が好きだからと記念日用に買ってあったバランタインの封を切る。そのまま瓶を口につけて煽ると、喉から胃にかけて焼かれるような熱が走った。やだ下品とついてきた雪丸が眉を顰めていた。それから雪丸は隠してあったペアのロックグラスを引っ張り出して、冷凍庫から勝手に氷を取り出した。ロックグラスもロックアイスも、わざわざ彼女と楽しむために短い休日を利用して用意してあったものだった。  見る目ないねぇ、お前の元彼女。お前以上にいい男なんてそう居ないのにね。  もう一口煽ろうとした酒瓶を奪われ、アル中みたいだからやめろと止められた。少しだけ酒の回った脳裏に頭から血を流す雪丸の姿が浮かんだ。雪丸が唯一苦手な人間がアル中だった。  雪丸がキッチンで酒を作るのを大人しくカウンターに座って待つ。  俺が悪いのか? ポツリとこぼした言葉に雪丸が片眉を上げて笑った。  あのさぁ、どーじちゃん、浮気する奴はさぁ、世の人間すべて浮気すると思ってるし、浮気しない奴は自分と自分の恋人だけは浮気しないと思ってんの。お前が後者でお前の元彼女が前者だっただけだろ。  毎晩酒を浴びるほどに飲んでる職業でありながら、雪丸の声は不思議な透明感があり、耳心地良かった。歌うように並べられた言葉を聞き流しながら、ロックグラスになみなみと注がれていく酒を見つめる。  連絡を取ろうと思えばもっと取れたかもしれない。忙しさに甘えていたところがあったかもしれない。週一回はかかさなかった電話も次第に時間が取れなくなり、謝罪から始まることが多くなっていた。これでは浮気云々の前に振られても文句は言えない。  内心で自分を責め始めた道慈の前にロックグラスが置かれた。  後悔してもしょうがねぇだろ。次に活かそうぜ、たとえば俺とか。  男同士でカップルグラスを合わせている事実に虚しさを覚えながら、雪丸の言葉にため息をつく。雪丸の冗談なのかそうじゃないのか分からないジョークをあしらう元気がない。  そうだな。彼女には悪いことをした。  ったく、誰が悪かろうが勝手に反省してくれんだから便利だぜ。俺だったらお前が忙しかったらとびっきり甘やかしてよしよしして癒してやるけどな。  グラスの蓋を指先でなぞりながらとろけた視線を送ってくる雪丸から目を逸らし、部屋の惨状を眺める。2週間部屋を空けただけだと言うのにそこかしこに洗ったのか洗ってないのか分からない洗濯物や、ゲーム機、コード類、マンガ本、丸めたティッシュペーパーまでもが散らかっていた。  二つあるカウンターの椅子の一つは脱いでそのままかけたのであろうスーツがうず高く積まれていて座れない。  そういえば帰ってない間にだいぶ部屋が荒れたな。  俺は癒し担当だから。片付けはお前の担当。  この散らかった空間にメンタルが削られるんだが。  じゃあ明日は片付けな。手伝ってやるよ。  カウンターテーブルに行儀悪く腰かけ、人の膝に足を乗せてきた雪丸をそのままにロックグラスをもう一度煽る。他の男にされたらすぐに退かすであろう仕草も、脱毛済みの滑らかな足が相手だとそこまで不快感もない。どちらかと言うと外から帰ってきた猫の踏み台にされている気分に近い。  全身脱毛が完璧に完了したか確かめてと全裸の体に寝室で迫られたのを思い出しながら、ろくな記憶がねぇなと道慈は眉間を押さえた。分厚い太ももの上で足の指先が短パンの裾を握ったり離したりして遊んでいた。  雪丸の手によって酒瓶の最後の一滴が道慈のグラスに落ちる。シンクに置かれた空の酒瓶は関係性の終わりを突きつけているかのようだった。  蘇る楽しかった記憶に自然と鬱々としたため息が漏れる。雪丸の指が眉間に寄った皺をほぐすように撫でて、そのまま道慈の顔を掬い上げた。  とりあえずさ、道慈、いったんスマブラやろうぜ。俺カービィで勝てなかったの初めてなんだけど。  夜通しテレビゲームをして、起きたあとは大掃除をして休日が潰れた。  そんな形で、雪丸が道慈の家に入り浸るようになってから似たようなことが3回連続で起きた。必ず雪丸はお前の女に手なんか出すかと否定するので信じてはいるが、こう言う理由で振られるのが続くと流石に疫病神なのではないかと思うし、そもそも雪丸が家に入り浸っていると不自由が多いので、彼女ができた時は雪丸をあまり部屋に入れないようにしていた。  同僚の紹介で知り合った女性は小柄で華奢、可憐と言う言葉が似合う人だった。今までにない初心なタイプで、初めこそ100kgを超える色黒の巨体に怖がっていたものの、だんだんと食事に行くうちに打ち解けていった。そしてつい最近休みの日に出かけた時に彼女から恋人付き合いを持ちかけられた。正直道慈はもう少し様子を見てもいいと思っていたが、単純に好みだったので流された。  が、こうなるのは予想外だった。否、なんとなく予感はあった。手を繋ぐだけでビクビクしていた彼女だ。ベッドに押し倒しても体はガチガチに固まっていた。時間をかけて愛撫してやっと緊張が抜けてきたところで問題は起きた。  すごい、硬い。とろけた声に誘われて脱がない男がいるだろうか。いざブツと対面した彼女の顔といったら、いつか見たホラー映画の中で自分が好奇心で引っ張った糸の塊が捩じ切られた人間の首だったときの女優の顔に近い。 「え……にん、げ……? お、お化け……!」  後退りした彼女の姿に一瞬で火がつきかけてた欲望が鎮火され、すぐさま脱ぎかけたズボンをきちんと直した。ひえぇと泣き出した彼女を宥めて初夜が終わった。  彼女も初対面で罵った自覚はあるのか、ごめんなさい、初めてだからとしきりに謝ってきた。もはやお化け呼ばわりされて逃げだされなかっただけありがたいと思うべきなのか。小さな体を抱きしめて、泣きべそをかいてる彼女が眠りにつくまで撫でてから、深夜に一人こっそりトイレで抜いた。  今まで年上とばかり付き合っていたので、そもそも処女の相手が初めてだった。こんなに怖がられたのは初めてだった。今まではちょっと引かれるか喜ばれるかのどちらかだった。なんだかんだ前戯をすれば入ったし、初回では入らなくても回数を重ねれば問題なかった。相手もそこまで悪くなさそうな反応だったと思う。  それから道慈の幸せな地獄が始まった。彼女はベッドに上がることは嫌がらなかったし、触るのも嫌がらなかった。ただ、本番――というより道慈のブツを怖がるだけで。道慈は彼女を気遣ってベッドの上で脱がなくなった。  もはや挿入だけがセックスではない。という哲学的な境地にまで達していた。  彼女が友人と会ってきた翌日は、何を吹き込まれているのか、怖がってごめんなさいと謝られるようになった。  俺はキスして触れるだけで満足だから謝らなくていい。     伝えた言葉は半分嘘で半分本当だった。欲望が完全に消えたわけじゃなかったが、こんなに怖がっているのに無理矢理するのも可哀想だった。回数を重ねるごとに彼女の良いところがわかって、リラックスして敏感に反応してくれるようになったのは純粋に嬉しかった。  そうして夜の事情は相変わらずのまま付き合って半年ほど経った頃、雪丸に誘われてバーに来ていた。雪丸いきつけのゲイバーだった。明るくて毒舌なオネェのママがいるいわゆる観光系のバーだった。 「やだ、どーじ、相変わらず良い男ねぇ! 最近顔見せないじゃない。寂しかったわよ」  厚化粧のママに腕に絡みつかれる。さりげなくそれを解く前に、雪丸がママを引き剥がしていた。代わりというように自分が道慈の左手に腕を絡めて席にエスコートしている。 「最近忙しくて……」 「ちげぇだろ。彼女とよろしくやってたって素直に言えよ。俺が無職で路頭に迷ってる間に」 「この子この調子で毎回ここに来てどーじが構ってくれないって鬱陶しいったらないのよ。ちょっとは気にかけてやんなさいよどーじ」  ウイスキーのロックを二つ作ろうとしたママを雪丸が止める。ハイボールにして。あらやだ、そうだっけ? そうなったの。  ママの視線から逃れるように目を逸らす。ハンカチで拭き取られたロンググラスがコースターの上に置かれた。 「それで? 彼女とうまくやってんの? 名前なんだっけ」 「教えねぇよ」 「……ふぅん?」  雪丸がしつこく聞かずに首を傾げたのに、自分でもしまったと思った。いつも関係が安定してきたら、雪丸にも名前を教えていた。というより彼女の名前が会話の中で勝手に出てしまってバレる形だ。その頃には雪丸に茶々を入れられる隙は無くなっていたので特に気にしたこともなかったが、この返事はまるでまだ関係が安定してないと自白しているようなものだった。否、ある意味関係は安定した。自身が夜に関して欲求不満を覚えていることを除いて。  雪丸が灰皿を引き寄せてタバコに火をつける。仕草一つとってもまるで俳優かのように様になる。そんな男が検分するように道慈の顔をじろじろと眺めている。  耐えきれず目を逸らすと、雪丸は紫煙を吐き出した。 「ま、いいやお前の彼女の話なんて。路頭に迷ってた間の俺の話聞きたい?」  会ってなくても雪丸の話は嫌でも耳に入ってくる。地元の友達はもちろん、大学の友人、はては職場の同僚からも雪丸と幼馴染ということは知られていた。 「配信してんだろ。別に無職じゃないんじゃないか」 「まあそれもなんだけどさ。お前安藤澄子って知ってる?」 「誰?」 「俺の推しAV女優」  雪丸がスマホを片手で操作して、画面に豊満すぎるほどの身体の女性の裸体が映る。熱燗肉どうふプルプルおでんまみれ。赤い筆文字で書かれたタイトルの裏で女優がとっくりを両手で持ちながら土鍋を跨いでいた。大きな胸にでっぷりと張り出たお腹は雪丸の好みどんぴしゃであった。 「知らねぇよ……相変わらずだなお前」 「それで推しと共演できるよって言われて、この前共演してきた」  俺のデビュー作あげる。手渡されたDVDのパッケージには、先ほど見たばかりの熱燗肉どうふプルプルおでんまみれの馬鹿でかい文字が踊っていた。  道慈は頭が痛くなるのを感じた。いるかバカというツッコミが出てこなかった。それこそ少年野球でバッテリーを組んでいた時からの付き合いである。まさかあの頃無邪気にキャッチボールしていた幼馴染がAV男優になるとは思うまい。 「まあほぼ俺の顔写ってねぇけど。手と竿ばっか。でも俺のちんこの美しさはわかるぜ。目の前で澄子の演技見れんのは結構興奮したけどさぁ、セックス中にカメラワーク考えんのってあんな怠いんだな」  はい、ママにもあげる。DVDを紙袋から出してママにも渡している。いやいらないわよ。せめてゲイ物にしなさいよと拒否されていた。 「じゃあ店に飾っとくわ。サイン書いとく? これ動画配信用の撮影だから円盤外で買えないぜ」 「なに、あんたわざわざ円盤作ったの?」  タバコをふかしながら、ママが呆れた顔をした。 「記念に三つだけ作ってもらったのよ」 「竿役の癖に? ちょっと、汚いから飾らないで」  芸能人のサインの横に立てかけようとして止められた雪丸はせっかく作ってもらったのにと口を尖らせた。 「しょうがねぇなぁ、ママには今度ゲイビ出たらあげる」 「あら、予定あんの?」 「好みの男優いたらな。女の子向けなら顔で売れるからそっち出ろって言われたけど、女の子向けってあんまふくよかな子いねぇんだよな」  あんな面倒臭ぇの推しか好みの子じゃなきゃやりたくねぇ。ほぼおもてなしだぜ。射精のタイミングも自由にできねぇし、カット食らったら残弾気にしなきゃなんねぇし。  どんどん進んでいく話に道慈は半ば置いてかれているような気持ちになった。雪丸を可愛がっている道慈の母が聞いたら泣いてしまいそうな話だった。  一回冷静になろうとトイレに立った道慈を置いて二人の会話は続いていた。 「別にお金困ってるわけじゃ無いんでしょ?」 「おれ人気配信者だから」 「ならわざわざどーじに心配かけるようなことしなくていいんじゃない? 吐く寸前みたいな顔してたわよ」 「前はさぁ、同伴とかアフターの時にやってたけど今は強制的にやる機会がないから溜まるんだよな」 「あんた女たくさんいるでしょ」 「まぁそうなんだけど。なぁ、道慈心配してたと思う? 俺のこと放って置けないって思ったかな?」 「心配というより生理的に無理とも取れる顔だったわね……」 「おいそこ重要だろうが。ちゃんと見とけよ」  道慈のスマホのバイブがテーブルで音を立てた。慣れた仕草で人の携帯を取った雪丸をママが引いた目で見ている。 「へー、まゆみって言うんだ……」 「ちょっとあんた……」 「もしもし」  道慈の真似をしているのかわざと低いを出して電話に出た雪丸に、ママは関わるのをやめて他の客の相手をしにいった。  電話口の声は高くか細く、華奢でか弱い女性が想像できた。 「あ、道慈くん……? ごめん今日友達と飲むって言ってたよね。この前お家にリップ忘れてっちゃったの気づいて……」  電車のアナウンスが聞こえてくる。駅のホームだろうか。ぴんと思い立った考えに、声真似も忘れて電話口に話しかける。 「今どこ?」 「……道慈くん?」  声の違いに気づいたのか、訝しげに聞いてくる声に雪丸はハハッと笑った。 「道慈くんの親友の雪丸でーす。今道慈が酔ってゲイと乳繰り合いはじめてさぁ。収拾つかなくなってんだよね。迎えこれる? ああそうそう、2丁目のファンタジスタってとこ。ゲイバー。一応俺の番号教えとくね。道慈の携帯充電切れそうだから。近くなったら電話して、迎えいくわ」  言いたいことだけ言って電話を切る。道慈の彼女は乳繰り合うというワードに一瞬フリーズはしたものの、道慈くんか迷惑かけたみたいですみません、と謝れるほどには誠実そうな女性だった。  道慈に気づかれる前に携帯を元の位置に戻して、何食わぬ顔で新しいタバコに火をつける。トイレから戻ってきた道慈は先ほどの吐きそうな顔よりはマシな顔色になっていた。 「そんなにやだった? 俺がAV出るの。俺ハメ撮りも流出してっからなんならそっちのがエグいけど」 「嫌っつーか……母さんになんて言えば良いか」 「お前俺の近況いちいち京子に報告してんの?」  伊佐京子――道慈の母は息子に似て背が高く、しかし色は白くて綺麗な人だった。子どもの頃はよく京子の夕飯に与ったものだったが、中学を卒業してからは会っていなかった。 「母さんが気にすんだよ。お前は元気かって」 「かわいいなぁ京子は。今度会いに行こうぜ」 「それはいいけど……この件は絶対母さんに言うなよ」  これはいらねぇ。突き返されたDVDに雪丸は紫煙を吐きながら笑った。 「お前が受けとらねぇならこれ京子宛に宅配する。雪丸は元気にやってますって」 「ふざけんな」 「今度お前んちで鑑賞会するから、無かったら絶対実家に送りつける」 「脅迫じゃねぇか」  無理矢理DVDを道慈に握らせることに成功したその時、雪丸の携帯が鳴った。知らない番号からの着信は誰からの着信か知らせているようだった。 「ちょっとでてくる。これ裏表紙なら俺ちょっと載ってるぜ。ほらこの刺青」  女優の背後に立つ男の腹部を指差した。それを微妙な顔で眺める道慈の肩を叩いてから、店の外に出る。  ワンピースの小柄の女が道慈の彼女だと言うことはすぐにわかった。ネオンが輝く夜の街には似合わない風貌。周りのキャッチからも好奇の目を向けられていた。 「まゆみちゃん?」  振り向いた女は雪丸の顔を見てホッとしたように息をついた。そういえばチャンネル登録者だったか、と雪丸は頭の片隅にあった記憶を思い出した。 「あ、はい、私です……雪丸さん、ですよね、道慈くんの親友の……」  配信者の雪丸でもなく道慈の友達でもなく、きちんと親友と言ってくるあたりポイント高いなと雪丸は唇を舐めた。 「あはっ、よろしく。道慈の親友の雪丸さんです。まゆみって呼んでもいい?」 「あ……えっと、はい、」  こっちこっちと肩を掴んで声をかけてくるキャッチをあしらいながら店に向かう。 「その、道慈くんは何か大変なことをやってしまったんですかね……」 「んー、まぁ、酔ってちょっと暴れただけ。今は落ち着いてきたよ」 「あば、暴れたんですか……!?」  驚いて見つめてくる女の唇には綺麗にリップが塗られていた。 「うん、欲求不満なのかな? あいつ」 「よ、欲求不満って……」  まゆみは白い顔で俯いた。早くいきましょう。どもりながらも雪丸の腕から離れて先を歩き始めたその差し迫った顔に、雪丸は確信を得た。  ――こいつらまだやってねぇな?  ドアの開閉音で、道慈ははっと我に返った。なぜ自分が幼馴染が出演しているAVのパッケージを微妙な顔で眺めなきゃいけないのか。テーブルにそれを置きながら、雪丸の1名追加でという声に振り向く。  また勝手に友達を呼んだのかと思ったのも束の間、見慣れた顔と目があった。  咄嗟にテーブルの上のDVDをテーブル下の荷物棚に隠す。 「まゆみ……!? 雪丸おま、なんで、」 「えへ、サプライズゲスト〜。嬉しい?」  雪丸がウインクするのにぶん殴りたい衝動に駆られる。なぜ自分の知らないところで自分の彼女と幼馴染が会ってるのかとか、なぜこのタイミングで連れてくるのかとか。疑問はいろいろある。 「ど、道慈くん……大丈夫? 飲みすぎたの?」 「いや、まゆみなんでお前がここに……というかなんで雪丸のこと知ってるんだ?」  何食わぬ顔で彼女に椅子を勧めて席に着こうとする雪丸の胸ぐらを掴む。 「おい説明しろ。場合によってははっ倒すぞ」 「ただお前が酔っ払ってトイレでよろしくやってる時にまゆみから電話かかってきたから代わりに出てあげただけ」  要するに人がトイレに行ってる間に彼女からの電話に出て、ここに誘ったということだろう。トイレでよろしくって表現はなんだとか、なんで人の彼女呼び捨てしてるんだとか疑問は諸々あるが、まずは雪丸と彼女の関係を明らかにしないといけなかった。それくらい雪丸のことは信用していなかった。 「本当か? まゆみ」 「あ、うん、迎えにこれるかって雪丸くんに言われて」  荷物を置いて腰掛けようとした彼女の腕を掴んで立ち上がる。 「雪丸、人の携帯勝手に使うなっていつも言ってんだろ」 「お前忙しそうだったから出てあげたの」 「はぁ……もういい。帰るぞ」  財布から数枚の紙幣を取り出してカウンターに置く。彼女が慌てておいたばかりのカバンを持ち直すと、拍子に四角いパッケージが荷物棚から落ちた。 「あ、ごめんなさいなんか落とし――」  まゆみの息を呑む音が聞こえる。そこには熱燗肉どうふプルプルおでんという赤い字とふくよかな裸体が映っていた。 「道慈、落としたぜ」  ご丁寧に雪丸が落としたDVDを渡してくる。 「あ、紙袋いる? それ持って歩くの恥ずかしいだろ」  いつにない爽やかな顔で雪丸が笑って紙袋を手渡してくる。彼女が横で欲求不満……とぼそりとつぶやいた。  

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