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第23話 支配という名の愛

1. 宿敵は「和牛」 合格発表の夜。 先に帰宅した直人は、スーパーの袋を提げてキッチンに立っていた。 夕方、レオンに何が食べたいか聞いた際、 返ってきたのは『何もいらないです。 直人さんの顔が見られればそれで』という、相変わらず浮世離れした返信だった。 (何もいらねえわけあるか。今日ようやく合格が決まったんだ。お祝いなんだから、しっかり食わせねえとな) 直人は、馴染みの精肉店で奮発して、 霜降りの見事な和牛ステーキ肉を買い込んできた。 レオンが帰ってきてから最高な状態で焼こうと、 常温に戻した肉を丁寧にバットに並べたその時、玄関の鍵が開く音がした。 「直人さん、ただいま戻りました」 現れたレオンは、合格の熱狂の渦中にいたはずなのに、 ひどく冷静で、それでいてどこか「手負いの獣」のような危うい気配を纏っていた。 「おう、おかえり。合格おめでとう。……今から肉焼くから、さっさと着替えて座れ。スタミナつけねえと、明日からまた忙しいんだろ」 直人が肉を焼くべくフライパンを手に取ろうとした瞬間、 背後から鉄の枷のような強い力で身体を拘束された。 「……っ、おい。危ねえだろ、今から火を……」 「いりません。今は、そんなものより、あなたがいい」 レオンは直人の首筋に深く顔を埋め、 執拗に唇を重ねてくる。 毎日一緒にいるはずなのに、合格という「確証」を得た瞬間のレオンは、 まるで初めて直人を手に入れた時のような、猛烈な飢餓感を剥き出しにしていた。 だが、キスを重ねる中レオンはすぐに気づいた。 直人の唇は応えてくれているものの、 その意識が自分に完全に向けられていないことに。 直人の意識は、レオンの肩越し、 カウンターの上で脂が溶け始めている「和牛」に釘付けだった。 (……一晩出しっぱなしにしたら、ドリップが出て味が落ちる。それにこの時期だ、傷んだらどうする。一パック三千円だぞ……!) 「……直人さん。今、何を考えていますか」 「ん、……いや、……あの肉、早く冷蔵庫に入れないと……」 「……っ!」 レオンは絶句した。 二ヶ月、この瞬間のためだけに耐え抜いて、 ようやく手にした「合格」という免罪符を持って帰ってきたというのに、 目の前の男は自分よりも肉の鮮度を優先している。 エリート自衛官としてのプライドが、音を立てて崩れていく。 「しまう時間さえ、僕には勿体ないと言っているのに……。……ああもう! 分かりましたよ、しまえばいいんでしょ、しまえば!」 レオンは「もう!!!」と子供のように声を荒らげると、 直人を抱きかかえたまま、荒々しい足取りで冷蔵庫の前まで移動した。 片腕で直人を壁に押し付け、自由な方の手で乱暴に冷蔵庫のドアを引く。 バットに乗った肉を掴むと、 まるで爆弾でも処理するかのようなヤケクソな手つきで棚の奥へ押し込んだ。 バタンッ! 必要以上に大きな音がして冷蔵庫が閉まる。 「……これで満足ですか! あなたの『和牛様』は守られました。もう、言い訳はさせませんから!」 「……あ、ああ。悪かったな、レオン。……よし、ベットに行くか」 ようやく「鮮度」という宿敵を片付けたレオンは、 少しだけ肩で息をしながら、余裕のない瞳で直人を射抜いた。 「僕に集中してください。……明日まで、一秒も寝かせないつもりですから」 レオンは再び直人を引き寄せ、 今度は逃がさないように深く、深くその存在を奪い去った。 2. 二枚の辞令:実力と執着 翌朝。 多幸感あふれる余韻の中、 直人は約束通りキッチンに立っていた。 結局、昨夜は一睡もできないまま夜が明けたが、 不思議と体は軽かった。 冷蔵庫から取り出し、 塩胡椒だけでシンプルに焼き上げた和牛の香りが、朝のリビングに満ちる。 「……レオン。合格したのはいいが、覚悟はできてんだろうな。3佐への昇進ってことは、間違いなく『異動』がセットだ。……お前はもう、この基地に留まれる器じゃない」 直人は焼き上がった肉を皿に盛りながら、少し寂しそうに窓の外を眺めた。 「お前は横浜か、あるいは入間か。どこへ行ってもエリート街道だ。……俺はここで、お前の後任を鍛え直して待っててやるよ。」 直人の言葉に、ステーキを口に運ぼうとしたレオンの手が止まった。 その瞳の奥に、昨夜よりも暗く、鋭い光が宿る。 直人の中では、自分はここに残り、 他の誰かのために腕を振るうという未来が、 当然の「職務」として受け入れられていた。 「……直人さん。あなたは本当に、自分の価値を分かっていない」 レオンは微笑み、カバンの中から二枚の封筒を取り出した。 一枚はレオンの内示。 『航空自衛隊 横浜分屯基地 勤務を命ずる』 そしてもう一枚を、レオンは直人の目の前に置いた。 直人は怪訝そうにそれを手に取り、中の書類に目を落とした。 次の瞬間、直人の目が見開かれる。 『整備小隊 班長・直人、横浜分屯基地へ異動を命ずる』 「間違いではありませんよ。僕が仕組んだんですから」 レオンは悪びれる様子もなく、ステーキを一口サイズに切り分け、口に運んだ。 「お前、人事に口を出したのか? 合格した途端、そんな勝手が……」 「口を出したんじゃありません。交渉です。一番最初……僕がこの試験を受験すると決めた時の、絶対条件だったんです。『僕が必要なら、僕の専属整備士もセットで動かせ。彼がいないなら僕は受験もしない』とね」 レオンは不敵に笑い、冷徹な独占欲を隠さずに続けた。 「直人さん、あなたが僕の目の届かない場所で、誰かの機体を整備する。……そんなことを僕が容認すると思いましたか? 僕が空けたあのコックピットの主が、あなたの整備した機体で、あなたに見送られて飛び立つ。その光景を想像しただけで、吐き気がするんです。僕は少しだけ背中を押したに過ぎませんが、横浜の基地側も、あなたのこれまでの実績を調べていて、『ぜひ班長として来てほしい』と熱望していた。受験する前から、先方はあなたの返事を聞きたがっていましたよ。……直人さん、あなたはどこへ行っても必要とされる男なんです。自覚してください」 「……っ。……そうかよ」 自分の腕が認められての異動。 その事実は、直人の胸にある「レオンの足枷になりたくない」という不安を、 誇りへと変えた。 「……でもな、横浜へ行ったって、俺たちが一緒に住めるわけじゃねえ。お前は幹部だ。基地の近くに用意される宿舎に入らなきゃならねえだろ」 「ええ、ですから、住む場所は幹部用の宿舎です。すでに、あなたのことを僕の正式なパートナーとして登録を済ませました。多様性を尊重するのは組織としての義務です。横浜の基地であれば、僕たちの関係は寛容に受け入れられますし、現に他にもパートナーと同居している幹部がいるみたいです。……安心して、一緒に新しい基地に行きましょう」 レオンの執念に近い愛に、 直人はついに深いため息をつき、降参するように肩の力を抜いた。 3. ミツキからの祝福 直人は安堵し、降参するように肩の力を抜いた。 ふと思い出したように携帯を手に取る。 「……そういえば、ミツキには俺から連絡しとくか。合格発表は掲示板に出てるんだろ? アイツのことだ、もう知ってるだろうしな」 直人が画面を開こうとした時、レオンが静かに微笑んで遮った。 「ミツキさんなら、公示が出てすぐにお祝いの電話をくれましたよ。ちょうど、あなたが買い物に行っていた頃でしょうか」 「おい……お前、なんて言ったんだ? ミツキ、変に勘繰ってなかったか?」 レオンは少しだけ悪戯っぽく、 けれど冷徹なまでの自信を湛えて微笑んだ。 「ありのまま伝えましたよ。ミツキさんは僕の後を追うことを目標にしていますし、僕のことを『家族』だと思ってくれていますから。——『直人さんは、僕の昇進に伴う環境の変化を支えるために、自ら横浜への異動と、幹部宿舎での同居を決意してくれました。彼は僕の翼であり、片時も離すつもりはありません』と伝えました」 「……お前、よくそんな恥ずかしいことさらっと言えるな!」 「事実ですから。ミツキさんも『レオンさんらしいね、パパと幸せにね』と、笑って祝福してくれましたよ。あ、それから落ち着いた頃にまら連絡すると言ってましたよ」 ミツキにとって、レオンは尊敬する教官であり、 そして自分を育ててくれた「父」の生涯の伴侶だ。 その祝福は、直人の不安を完全に消し去った。 「……ったく。……お前には、一生勝てる気がしねえよ」 「ええ、一生負けていてください。僕の愛にね」 夏の終わりの風が、開け放たれた窓から吹き込む。 新しい階級。 新しい戦場。 そして、二人で踏み出す新しい日常。 レオンと直人の物語は、横須賀の海に近い、新しい空の下へと続いていく。

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