1 / 3
第1話 上条店長、エース下瀬①
1 上条店長、エース下瀬
「あっ、上条さんお疲れさまでーす! 十二件目、取れました!」
ホワイトボードの予定欄には『下瀬:十八日午前休、午後十四時土地契約(華栄不動産)、十六時商談(東展示場)、十八時半帰社』との記載。その予定時間ぴったりに事務所ドアが開き、満面の笑みを浮かべた下瀬がひょこっと顔を覗かせた。
「おー下瀬、お疲れ。新記録おめでとう。よくやった」
パチンとホチキスで資料を留めながら笑いかけると、下瀬は靴を脱ぎながら『褒めて褒めて』とばかりに尻尾を振る犬のような顔をした。
本日十一月十八日、火曜。営業は大体火水が休みだが、当番制で火水も誰か一人は展示場に出勤している。今日は俺の当番日だ。平日のみ勤務のパート事務さんもとっくに帰った。
そんな訳で、俺はここ日本屈指の大企業藤原グループ傘下、年末年始以外は年中無休笑顔でいらっしゃいませーの典型的ハウスメーカー『藤原ハウス』中央展示場――の更にその中にある静かな事務所で一人悠々と溜まった事務処理をこなし、十九時からの商談に向けて準備をしていた今時分だ。
中央展示場と言っても此処は都会のど真ん中にある訳ではない。東京営業所西部エリアの中央に位置しており、二十三区から外れた山近くである。都会のど真ん中はマンション営業の方が景気良いし、地方の田舎出身の俺には此処くらいがちょうど良い。
「いや~、田中さん、ようやく決まりましたよ。他社に揺れてたんでマジ良かったです。やっぱ一番の決め手は土地だったんで、上条さんのおかげです。あざす!」
下瀬は自分のロッカーを鍵で開けつつ、嬉し気に声を弾ませた。
付き合いのある華栄不動産から一般公開前の土地情報が回ってきた時、下瀬に『田中さんの希望エリアで良い土地出たぞ』と連絡したのは確かに俺ではある、が。
「他社に競り勝って契約まで漕ぎ着けたのは下瀬の手腕だろ」
頬杖を突き「期待してるぞ、うちのエース」と笑って続ける。下瀬は俺に向けて元気いっぱいに敬礼した。
「うぃっす! 中央展示場の期待の星、下瀬乃亜です!」
そう言いつつ、下瀬は当然のように俺の隣の椅子を引いて腰掛けた。
デスクはフリーアドレスでどこに座ったって良いのに、気付くと何故かいつも下瀬が隣に座っている。まあ良いが、こいつはデカいから狭く感じる。下瀬は他人のパーソナルスペースに自然と潜り込むのが上手いやつだ。そのお陰で営業成績も右肩上がり。
今年一月に俺が中央展示場の店長に昇格したと同時、入社四年目だった下瀬が此処に配属されてからもう十ヶ月。この十ヶ月で、こいつは一段と成長したなと思う。
「てか上条さん、この後商談ですよね? 火曜だってのに中央展示場から同日二件も契約上がっちゃうのかぁ~、飛ぶ鳥が落ちる勢いってやつだ」
目を細めて沁み入っていたのに、思わず頬杖がずるっと傾ぐ。敬礼して勢い良く自己紹介までしたくせ、おかしな日本語で決まらない。若干アホな所がたまに傷だ。
「それを言うなら『飛ぶ鳥を落とす勢い』なー。真島さん、まだ他社と悩んでるから確定じゃねーよ。まあ下瀬も契約上げてきた訳だし、あやかって今日口説き落としてくるわ」
「すんません、たまに日本語出てこなくて。俺帰国子女なんすよ」
下瀬は首の後ろに手を当ててはにかんだ。片眉を上げてわざと呆れ顔を作る。
「お前がアメリカ住んでたの三歳までだろ。帰国子女って言えば何でも許されると思いやがって」
下瀬は別にハーフというワケでもない。髪も目も普通に黒で、顔立ちは爽やかなイケメンスポーツマンと言った感じ。背は一八五センチあるから結構デカく、体格が良い。
「オチ奪わないでくださいよー。お客様にも大人気の持ちネタなのに。あっ、今度久々にロープレお願いします! 俺も上条さんに口説かれたい!」
下瀬はわざとらしく口を尖らせた後、キラキラした目で俺を見つめた。俺もわざとらしく肩を落とし、大きな溜息を吐いてやる。
「ロープレはしてやってもいいけど、こっちは乾布摩擦かっつーくらい帰国子女ネタ擦り倒されてんの。次から罰金取るぞ」
「上条さん、乾布摩擦って何すか?」
今度はわざとらしさなく曇りなき目で訊かれ、俺も今度はわざとではなく怪訝な目を向ける。
「……お前、本当に日本国民か?」
「俺、半分アメリカ国籍持ってるんで!」
「ええー⁉ ノアくんってアメリカ国籍も持ってるのー⁉ すごーい! じゃねーわバカ、はい罰金~」
鉄板ネタその二を振られ、頬杖を突いたまま反対の手を差し出した。アメリカで生まれたからアメリカ国籍も残っているらしい。
「ええー、上条さんが振ってきたのに。じゃメシ行きましょメシ、俺奢るんで!」
「よっしゃ上慶苑、他人の奢りで食う焼肉が一番美味い」
「上慶苑良いっすよ、その代わり次は上条さんの奢りで松鷹鮨で」
「松鷹鮨の方が高いだろうが。まあ新記録記念に奢ってやっても良いけど、他の奴に漏らすなよ。腹を空かせたハイエナ共にたかられる」
べ、と軽く舌を出して苦い顔を作る。松鷹鮨に行けば最低でも一人二万だ。この後の契約が決まれば今年十八件目、プラス二件契約見込み客が居る年収額面二千万確定な俺には軽く払える額ではある。しかし自腹を切って松鷹鮨に連れて行ってやるのは流石にご褒美の時だけにしたい。
「上条さんと二人きりの方が嬉しいんで絶対言いませーん。原と中谷いつも腹ペコですよね。食べ盛り?」
「食べ盛りはお前もな。ゴルフにスノボにガルバに遊び過ぎて金がねーんだろ。あいつら二人とも今年四件だから、賞与入れても額面四百万あるかどうかだな」
肩を落として溜息を吐く。俺だってまだうら若き三十歳の店長一年目だが、うちの展示場の営業は俺より若い奴だけだ。
下瀬が二十七、原が二十六、中谷が二十五の三バカトリオ、あとは最年少の新卒一年目の相田。相田だけ女子かつ、大学の間に宅建も取ってる優等生。パート事務の山本さんは確か四十五だったか。
「とか言いつつメシ奢ってあげるんだもんなー、上条さんってほんと面倒見良いっすよね。メシア店長とか呼ばれてるし」
「待望の俺の城だってのに上がポンコツばっか配属させて来るからそうなる。中央展示場は育成所じゃねーっての」
「俺もポンコツっすか⁉」
「たまにポンコツだろ。本でも読んで日本語学び直せ」
「本かあ。どんなの読んだら良いと思います?」
「四文字熟語辞典とかことわざ辞典でいーんじゃね? てかこんな話してたらもう来場十分前じゃん。ダラダラせずにさっさと上がれよー」
社用スマホで掛けておいたアラームがピピピと鳴って、十八時五十分を知らせる。展示場は十時オープン十九時クローズ、営業の勤務時間も同じく。が、契約前の商談の場合はお客様の仕事が終わった後の十九時からということも珍しくない話だ。
「はい! 上条さん、頑張ってください! 俺、この後本屋行ってみます!」
下瀬は笑みを浮かべて立ち上がり、いそいそとホワイトボードに『十九日休み、帰社二十日十時』と書いた。こいつはこの後本当に本屋に行って、ちゃんと辞典を買って帰ることだろう。素直で可愛いやつだと思う。下瀬が「お疲れさまでーす!」と言って元気よく出て行くと、事務所の中が一気にシンとした。
しかし、ここからが勝負の時間だ。事務所の全身鏡の前でさっと身だしなみをチェックする。真ん中で分けてセットした黒髪、生まれてこのかたモテ続け王子様系と言われ続けてきた甘い顔立ち、身体にぴったりフィットしているダークグレーのオーダースーツ。着崩れナシ、清潔感ヨシ、顔ヨシ、全部ヨシ。万全を確認したところで事務所スペースと展示場を隔てるドアから出て、展示場の玄関ホールで来場を待つ。
十八時ジャスト、開け放した玄関ドアの内部に取り付けられたガラスの自動ドア越しに今日の商談相手である真島さんご夫妻が見え、背筋を正した。
真島さんご夫妻は揃って七十代で、旦那さんが開業医。終の住処としての建て替えがご希望だ。旦那さんの方が若干頑固で癖があるが──今日決めてやる。
自動ドアが開き、二人が展示場の敷居を跨ぐ。
「いらっしゃいませ!」
とびきりの笑顔を作り、二人を出迎えた。
ともだちにシェアしよう!

