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第1話 序章1 葬儀

----- 己がある「刹那」に「まあ、待て、お前は実に美しいから」と云ったら、 君は己を縛り上げてくれても好い。 己はそれきり滅びても好い。 葬の鐘が鳴るだろう。   ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ファウスト』 森鴎外訳 -----     「参列の皆様、間もなく開式の時刻となりますのでご入場をお願い申し上げます」  東京の郊外にある斎場に声が響いた。  遠くまで届く声だが明るさはなく、他者に暗い気持ちを伝播させるような沈鬱さもない。通夜の場にふさわしい淑やかさで参列者の会話をやんわりと遮り、席へ誘導する。  今どき珍しい、三百人を超える通夜式だ。 「ご着席をお願いいたします」  今日の故人は三十四歳の男性だ。中央に据えられた遺影は実年齢よりも若いように見える。故人の両親と遺族は既に最前列に座っている。  両親とも親戚とも仲は良かったらしい。職業はフリーランスのライター。締め切りを守る実直な働きぶりと誠実な取材の態度が評価され、仕事の依頼も増えてきていたときのことだった。  真面目な性格で仕事を断れず、全てきちんと対応しようとして無理が祟った結果の心不全。だという話を葬祭ディレクターから聞いた。  葬儀の一切を取り仕切る葬祭ディレクターのアシスタントを務める水無月(みなづき)(さつき)は、遺族や故人の詳しい事情は知らない。知りたいとも思わない。遺族との調整の場に同席することもあるが、今回は司会と会場の準備だけを任されていた。 「本日は、ご多忙のところご参列いただきましてありがとうございます。ただいまより、故松島(まつしま)(りゅう)様の通夜式を執り行います」  この会社、雪灯(ゆきあかり)葬儀社に勤め始めて一年と少しが経った。水無月は祭壇から少し離れた場所に立ち、いつも通りの定型的なアナウンスを発した。  穏やかで控えめ、ふくよかで丸みがあり、確実に全員に聞こえる声ではっきりと話す。必要なタイミングで必要なことを言い、あとは静かに立っていればいい。もちろん、もっと空気を読んだりするべきなのだろうが、それができなくても一応は回せる。  気を使う場面は勿論あるが進行のパターンがある程度定まっているため、知識を得て慣れてしまえば、水無月にとっては取り組みやすい仕事だ。トラブルが起こった時にはディレクターが判断してくれる。  服もいつもスーツで良いから悩まなくていいし、髪も耳が隠れる程度の長さに切っておけばよく、流行に乗らない方が真面目に見えて長所にすらなる。やや長く重めの前髪で目元を隠していたい水無月にとって、都合のいい職場だ。  参列者と故人の親しさは様々だ。言葉も涙も失って呆然とぎこちなく焼香をする人も、ハンカチを涙で濡らす人も、義理で来たのだろうという人もいる。  故人の悪口が飛び交ったり遺族同士が殴り合ったりする葬儀も時にはあるが、今日は誰もが好意的だ。故人の人柄が偲ばれる。  弔電の紹介や焼香がつつがなく進み、時折やって来る参列者の誘導をしつつ一時間ほどが経ち、足が疲れ始めた頃に通夜式が終わった。残っていた参列者を斎場の外へと向かわせる。通夜ふるまいは故人を悲しみ懐かしむ人々でしめやかに盛り上がった。 「今日は長引きそうですね」 「もっと体力つけてけよ、司会は滅茶苦茶上手いんだから」  今日の葬祭ディレクターを務める高槻(たかつき)秀則(ひでのり)にキッチンで話しかけると、余裕のある笑顔で切り返された。水無月は大体いつも、高槻と組んで仕事をしている。勤め始めたばかりの頃にアドバイスをもらったのがきっかけだ。  葬儀社の現場スタッフの仕事というのは葬儀がないときは比較的穏やかだが、式の予定が入れば途端に慌ただしくなる。遺族との打ち合わせは勿論、遺体の搬送や式場の準備など、調整から力仕事まで多岐にわたり、水を飲む暇もないくらいだ。  時々「人が死んだほうが儲かるから嬉しいんだろ!」などと怒鳴られることもあるが、下っ端としては誰も死なないほうが断然うれしい。暇な方がいいに決まってる。会社の業績はどうでもいい。  通夜は夕方からが一般的で、葬儀、告別式は午前中から行われることも多い。規模によっては徹夜で準備をしなければいけないこともある。  体力のなさには自信がある。一年と少し働いてマシになってきたものの、高槻さんや他の葬祭ディレクターと比べて貧弱だ。声と滑舌のおかげなのか、どういうわけか高槻さんに気に入られたおかげで今の仕事を続けられているようなものだ。  はぁ、と曖昧に返すと背をぱんっと軽く叩かれてよろめいた。 「ほっそいもんなー。なんでこの業界に来たんだよ」  高槻は八歳年上の先輩で上司にあたるが、会社の中では比較的年齢が近いこともあってか気安く話しかけてくれる。もっとも、水無月としてはそれがやや鬱陶しくもあるのだが。 「採ってくれたのがここだけだったので……面接とか苦手で」 「いつもそう言ってるけどさ、話すの上手いじゃん」  高槻さんは僅かにずれていた眼鏡をくいっと指で上げ、髪を耳に掛け直しながら言った。高槻さんは仕事の時だけ太い黒縁のセルメガネをかけている。つまり伊達だ。眼鏡を掛けている方が真面目そうに見えるから受けがいいんだとか。  声を出すのと話すのは違う。話すのが苦手なのは嘘じゃない。決まっていることを話すのは良いけど、臨機応変に話せと言われても無理ゲーってやつで。  決められたことを決められたとおりに話すのであれば苦痛ではないが、出来る事なら家の中に引きこもって誰とも話さず、ゲームと小説、漫画にでも浸るかぼんやりしながら一生を終えたい。  だが、早くに両親を亡くしていてニートにもなれない。生きるためには働くしかない。葬儀社の求人を見つけ、面接を受けたら受かったから就職した。それだけだ。  人材不足の業界かつ職種ということもあって採用してもらえたが、こんなに肉体労働がきついとは思ってもいなかった。 「大体さ、葬より冠婚に向いてるだろ。その声とか、顔とか」 「この仕事、向いてないでしょうか……華やかな場所はもっと向いてないと思うんですが」  遠回しに退職を勧められてるんだろうか。確かに仕事が出来る方だとは思ってない。 「だって未亡人すらうっとりするイケメンで、落ち着いた声は評判良くて、なんでこんな不人気なところに」 「大げさすぎますよ。高槻さんこそなんでここにしたんですか」  高槻さんからは一体どんな風に見えてるんだろう。ただの一般人に使うには大仰すぎる表現だ。持ち上げられるのはどうにも居心地が悪くて話題を変える。 「ここにしかもらってもらえなかったからだよ」  天気の話のように何度かしている定番の話題を、定番のやり取りで終わらせる。高槻さんの人当たりと能力ならどんな仕事でも出来そうな気がするから、言葉とは裏腹にこの仕事が好きなのかもしれない。 「あ、そろそろお帰りみたいですよ」  水無月に合わせてくれた答えに適当な相槌を返して誤魔化し、席を立とうとしている親族にちらりと視線を向けた。 「おっと、もうそんな時間か」  高槻が神妙で程良い営業スマイルを作って挨拶をしに行くのを横目に、会場を片付け始める。  遺族と話すのが苦手な水無月に、高槻は無理強いはしない。俺はかしこまった司会は苦手だから任せたと、司会や雑務を中心に回してくれるようになった。  さらに上の上司にも水無月の得意不得意を伝えてくれているようで、あちらこちらで司会や遺体のケア等の、遺族に直接関わらない業務ばかりを担当している。 「先に帰ってください、朝早かったんですよね」  高槻が当直、夜の電話番を担当していた早朝に搬送依頼が入った。繁忙期にやや大きな葬儀が重なったために人数が足らず、近隣支店の社員の多くが駆り出された。  遺族との打ち合わせも含めて全てを担当している高槻はせいぜい仮眠程度で、碌に寝ていないはずだ。葬祭ディレクターは元々忙しいが、最近ひとり早逝して人数が減ってしまったため、高槻は輪を掛けて忙しくなってしまった。  この直前にも別の葬儀を担当していたはずだから、連続して休みなく受け持っていることになる。ディレクターは体力も調整力も必要な立場だが、高槻のそれは並外れている。  そんな高槻でさえ、今日は目がやや虚ろだ。一年も一緒に働いていれば表情も多少はわかってくる。それに対し、水無月は会場に入った時間が遅く、高槻に比べれば睡眠時間も確保できている。 「けどさ……」 「あとは僕とスタッフでやっておきますから、大丈夫です。祭壇も殆ど手直し必要ないですから、明日の葬儀はゆっくり来てください」  でも、と言い募る高槻に、ここは僕の家の方が近いですから、と重ねた。 「気にしてくれてありがとな。最近は物騒だからしっかり戸締りして帰れよ。遺体盗むとか、意味わかんねぇけど」  高槻は渋々といった様子で、だが大きな欠伸を浮かべた。  遺体の盗難事件。都内の葬儀場から遺体が忽然と姿を消すという事象だ。 「お言葉に甘えて一杯飲んで帰るかなー。あいつの家で」  高槻は冗談めかして言った。酒を飲むのが好きなようで、いつも付き合わされているのは高槻の同期の社員らしい。前に名前も言っていた気がするが、水無月にとっては高槻が誰と飲もうとも関係がなく、覚えていない。  一緒に飲まないかと何度か誘われたが全部断った。部下に対する社交辞令だろう。  酒は別に好きじゃないし、飲んだところで何を話せばいいのかわからない。家で一人でカップ麺でも食べる方が気楽だ。  高槻さんだけならまだいいが、知らない人がもう一人いるとか、どうしていいかわからない。高槻さんだって俺の知らない誰かだって、俺なんかいない方が絶対に楽しいに決まってる。 「水無月は? あいつなら喜ぶと思うぜ、天使みたいにやさしいから」  やっぱり今回も誘われた。そういうやさしさをありがたいとは思う。 「倒れないでくださいね」 「お前が心配してくれるなんてうれしいよ」  質問を受け流すと高槻はそれ以上水無月を誘うことなく、手をひらひらさせながら去っていった。  仕事に対して真摯な高槻は、結局は真っ直ぐ帰って明日に備えるのだろう。飲みに行くと言った翌日に酒の匂いがしていた試しはもちろんない。  高槻の背を見送りながら戸締りの忠告を思い出し、念には念を入れようと内心で頷いた。  一年以上に亘って、都内の葬儀場から遺体が姿を消す事件が発生しており、被害はもう十件を超えた。  ここ東京で頻発し、頻発しているが故に殆どの人が興味を失いつつある。盗難事件と呼ばれてはいるが、本当に盗まれているのか、紛失しているのか、未だ真相は明らかになっていない。  遺体は死んでいる。勝手に動くわけがない。だとすれば誰かが持ち出したことになる。悲嘆に暮れた遺族が慰みに持ち出したというのならまだわかるが、姿を消した遺体たちは未だ見つかっていない。腹立たしい事件だ。  戸締りの手順を頭に浮かべながら、通夜ふるまいの会場に残された食器やごみを臨時派遣のスタッフと一緒に片付けた。スタッフは自社で賄うのが雪灯葬儀社の基本方針だが、どうしても足りないときには葬儀専門の派遣会社に依頼している。  残りは斎場の点検と戸締りだけ、というところで二十三時を回った。他のスタッフを解散させ、水無月だけが斎場に残った。

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