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共に

 ノックの音に男が扉を開けると、そこには目深にフードを被り口元を布で覆った不審な格好の人物が立っていた。 「あ、カース、その、俺……」  口元の布を下ろしながら何事か説明を始めようとする青年に、男は短く答えた。 「分かるさ」  リンデルの金色だった髪は茶色く染められていたが、理由も男には大体想像が付いた。  男はサッと青年を家に入れると、扉に鍵をかけた。 「……待たせてごめん」  リンデルは男が振り返るのを待ちきれずに、その背を抱きしめる。 「もう、来ないかと思ったよ」  責めるでもなく、ただ静かに告げられた男の言葉に、リンデルの胸が痛む。 「ごめん……」  リンデルから男の元へは手紙が届いていた。  王都でやり残している事がいくつかあると、すぐには行けないけれど、必ず会いに行くので待っていてほしい。と。  けれど、男は手紙が返せなかった。  リンデルはこの半年ほど、あちこちを泊まり歩いていて、王都に住所を持たなかった。  その間新勇者の情報は度々村にも届いたが、リンデルの情報は退任式の列席者数が過去最大だった。と。惜しまれながらの退任だった。というのが、カースの分かる全てだった。  そうして、連絡の取れないリンデルを待つうちに春が過ぎ、夏が始まり、次第に暑さも過ぎて、朝晩が冷えるようになってきた。 「リンデル……」  青年の腕の中で男が振り返ると、青年を片腕なりに強く抱き返す。 「ごめん、カース……不安にさせたね……」 「……っ」  男は、胸にわだかまる思いを飲み込むように一瞬息を詰まらせてから、青年の耳元で小さく囁いた。 「……気にするな」  男が茶を出すと、リンデルは「初夏までここに居させてほしい」と言った。  てっきりこれからずっと共に居られるものと思っていた男が、表情をけわしくする。 「……夏が来たら、お前はどこに行くんだ?」 「春が過ぎたらロッソが来る。そうしたら、俺は……」  リンデルが珍しく言い淀む。 「……俺は……」  この青年がはっきり言わない事なんて、良くない事以外にあるはずがなかった。  男は青年の説明を黙って聞いていた。  全てが終わって国王に報告を終えたら、すぐに男の元に戻ると青年は言う。  男は、リンデルの言葉が途切れるまで待って、ようやく声を発した。 「……俺も行こう」 「ダメだよっ!!」  リンデルは叫ぶと同時に立ち上がった。  机が揺れて、上に並んだ二人分のお茶に波が浮かぶ。 「本当に……危険だから……っっ」  青年のぐっと握りしめた拳が小さく震えるのを、男は視界の端におさめる。  しかし、リンデルがすうと息を吸って静かに吐いた時、その震えは止まっていた。  ゆっくりと諭すように、リンデルはカースに伝える。 「俺は本当に死ぬつもりはこれっぽっちもないんだよ。無理だと思ったら、どんなにみっともなくたって逃げ帰ってくるよ。背中に傷をもらったって俺は構わない。カースのところに帰ることの方が、ずっと……大事だから……」  そして、カースを安心させるように柔らかく微笑む。  カースはそれでも、嫌な予感が消えなかった。  このまま一人で行かせてしまうと、もう永遠に、この青年には会えない。  そんな予感は既に確信に近い。  それどころか、自分にすらも気を遣って恐怖を隠そうとするこの青年が、男には今にも儚く消えてしまいそうな気さえした。  リンデルを一人で行かせてはいけないと本能が告げる。  男はなるべく鋭い言葉を選んだ。 「……お前が死んだら、俺も死ぬ」  じっと森色の瞳に見据えられて、青年がたじろぐ。 「なん、で、そんな事……」  僅かに青年の声が掠れる。  男は静かに左眼の布を解いた。  現れた空色の瞳からリンデルは目を逸らす。  その姿に、男は小さくため息をついた。 「俺の力を忘れたわけじゃないだろう。俺に嘘がつけると思うなよ」 「……っ」  リンデルが言葉に詰まる。 「分かってるよ。お前が俺を置いて死ぬつもりじゃ無いことくらい。……だが、帰って来れないかも知れないとも、お前は思ってる。そうだろう?」 「……」  リンデルは沈黙したままではあったが、じわりと金色の瞳を男へ向ける。  その金の瞳に隠しきれない不安と葛藤が映っているのを見た瞬間、男は席を立っていた。  男が胸に抱き寄せたリンデルは、やはり小さく震えていた。  そっと髪を撫でながら、男は囁く。 「お前だって怖いんだろう」 「そんなこと……」 「隠さなくていい。俺は、行くなとは言わない……」  男には、リンデルが一番怖がっていることが、なんとなく分かった。  死ぬかも知れない場所に向かうことはもちろん怖いのだろう。  けれど、リンデルはもう行く決心をしている。  だからこそ、俺に行くなと言われたくなかった。  自身の決意が揺らぐこと、それこそがリンデルにとって一番怖いことだからだ。  そのためには、怖がっていることを悟られてはいけなかった。  怖いなら行かなきゃいいと、言われてしまうと思ったのだろう。 「カース……」  優しく抱かれて、リンデルが詰めていた息を吐くように、男の名を呼んだ。 「ありがとう……カース」 「けどな。行くなら俺も一緒だ」 「……っ、それは……」  男の顔を見ようとしてか、抱かれた胸元からぐいと離れようとするリンデルを、離すまいとするかのように男が片腕に力を込める。 「共に生きられないなら、せめて、お前と死なせてくれ……」  男の懇願が篭った切なげな声に、リンデルは抵抗をやめ、男の背に腕を回す。 「……カース……」  耳元で囁かれて、男がそちらを見る。  自然と、二人は口付ける。  震えていたのは、どちらの唇だったのか。  優しく重ね合わせるだけの口付けでじっと触れ合っていると、次第に震えは落ち着き互いの熱が交わってゆく。  リンデルは名残惜しそうに、ゆっくり唇を離すと答えた。 「分かった。……一緒に行こう」 「リンデル……」  二人は互いを見つめる。 「でも俺、カースが狙われたらどんな状況でも絶対助けちゃうから。俺に大怪我されたくなかったら、カースはなるべく安全なとこにいてね」 「……脅しかよ」  カースがボソリと呟くと、リンデルが楽しそうに笑った。 「ほんとだ」  その台詞に、男も苦笑する。  男の笑顔が無性に愛しくて、リンデルが囁く。 「カースも一緒に生きて帰ろう。そして二人で暮らそう。あ、子どもも引き取ろう。ね」  にこっと嬉しそうに笑うリンデルを、男が何故かじとりと見つめる。 「そういうの、行く前に言ってると余計死にそうなんだよな……」 「うーん。じゃあ、三人で暮らそう?」 「ん?」  リンデルが言い直し、カースは眉を上げた。 「そういや、ロッソも行くんだよな?」 「うん」 「あいつはいいのか? 一緒に死んでも」 「ロッソは、連れて行かなくても、俺が死んだら死んでしまいそうだから」 「!?」  さらりと答えられて、カースが息をのむ。  そんな動揺を見透かすように、リンデルが上目遣いでカースを見る。  まるで、カースは本当は俺が死んでも生きていけるでしょ? と言われた気がした。  そうかも知れない。  いや、きっとそうだろう。  俺は、戻らないリンデルを想いながら、あいつの墓に愚痴をこぼしながら、ここで生活してゆくのだと思う。  今までそうしてきたように。きっと、これから先も……。  ちゅ。と音を立てて、リンデルは男に口付ける。  ハッと我に返った男の無防備な唇を割って、リンデルの舌が男の口内へと侵入する。 「んっ……」  気持ちが整わず、男が小さく声を上げる。  リンデルは男の頭を引き寄せるようにして、さらに深くへと入り込んだ。 「ふ……、ぅ……」  動揺をまだ残している男が、どこか苦しげに息を漏らすのを聞きながら、リンデルは舌先で男の舌を撫で上げる。 「……っ」  かあっと男が頬を染めるのを薄く開いた瞳で確認すると、リンデルはそっと口端を上げた。  リンデルは、男が自分が死んでも後を追わずにいてくれるだろうことを好ましく思っていたし、彼の良いところだと思っていた。  だからこそ、ついてくると言われて驚いた。  リンデルが男の舌ごと口内を吸い上げると、くぐもった声と共に男の肩がびくりと揺れた。  すっかり力が抜けてしまった男の体を支えながら、そっと唇を離してやると、男は森の色と空の色をとろりと蕩けるように滲ませてリンデルを見た。 「リン、デル……」  はあっと熱い息を吐くようにカースが囁くのを聞いて、リンデルは堪えきれずに男を抱き上げた。 「ぅ、わぁ!? おいっ!?」  そんな非難の声すら愛しくて、リンデルは口元を緩ませながら小さな家の台所を抜けて寝室へと入った。  そこには自分が選んでロッソが手配した、一人で寝るには広すぎるフカフカのベッドがある。  その上へ、男をそっと下ろす。

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