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遠い遠い過去

「黒いのが出ると、ケルトは痛いの……?」 「いや、オレは痛くもなんともない。……いい気分では、ないけどな……」  ケルトが小さな眉を寄せるのを見て、リンデルはその赤い髪をそっと撫でる。  ようやく落ち着いた様子のケルトに、リンデルは話の続きを促した。  ケルトは渋々とではあるものの、実験後の話を始める。 「よく分からない薬を飲まされて、体の何箇所かに針を刺された」  しばらくしてオレが目を覚ますと、やった、成功だと、研究者達は大騒ぎしていた。  結局、あんなに沢山集められていた子ども達のうち、生き残ったのはオレを入れて五人しかいなかった。  オレと同じ実験で生き残ったのは三人。  けど実際にそれができたのは、オレだけだった。  最初はアリで試した。  少しずつ、大きなものも魔獣化出来るようになった。  でもそれは結局、人にはコントロールのできないただの獣だった。 「それを操るための実験が、あの紫の目だ」  ケルトの言葉に、カースが小さく反応する。  けれど口を挟む気はないようだ。 「そっちの実験の生き残りのうち、術が使えたのはアイラだけだった。けど、アイラはオレと違って、実験の後も成長した」  ケルトは一呼吸置いてから、ぽつりと呟いた。 「……あの獣は、オレの悲しみとか淋しさから生まれるんだ……」  リンデルの長い指が、ケルトの頬をそっと撫でた。  まるで涙でも拭うかのような動きに、ケルトは思わずリンデルの手へ自分の手を重ねた。  リンデルの手はあたたかい。  ケルトは、もう自分に体温がないことを分かっていた。  自身の両手を重ねても、物と物が触れ合った感触が伝わるだけだ。  いつからだったのかは、もう思い出せない。  研究者たちはオレを丁重には扱ったが、オレを人だとは思ってはいなかった。  淋しさが募るほど、オレの生み出す獣は大きく育った。 「……戦争には勝ったよ。大人達は、これで平和になるって言ってた。皆幸せになるとか言って喜んでたよ」  でも戦争がなくなったって、オレのとこには幸せなんかこなかった。  オレの体は成長しなかった。  変わらないってのが、死なないってのと同じなんだと気付いたのはずっと後だった。  周りの国との小競り合いが続いてた頃はまだよかったけど、それが落ち着いてからは……。  オレはいつまでたっても魔獣の発生を制御できないままだったから、オレはどこにいたって……邪魔者だった。  周りに生き物がいない建物の中に、オレはいつも入れられてた。  国の職員がいつもオレを見張ってた。  何人目だったんだろうな。もう覚えちゃいないが。  そいつがあまりにも嫌なことばっかり言うやつで……、闇が敷地の外まで漏れたんだろうな。  魔獣はそいつも、建物も、そこに住んでたやつらも、全部壊した。 「……オレだけが、魔獣に襲われずに残った」  沢山恨みを買ったみたいでさ。  後はただ、追われる度に逃げてきた。  オレが通った後には、魔獣がいくらでも生まれた。  魔獣はどんどん強くなって、オレに向かってくる奴らも、だんだん強くなっていった。  ここに逃げ込んでからも、時々人間がオレを倒しにきたよ。  ものすごい大勢、束になってきたこともあった。 「オレは、人間の敵なんだよ……」  ケルトは吐き捨てるように呟いて、小さな肩をさらに小さく縮めた。  リンデルがその背をさすりながら言う。 「それは違うよ」  否定の言葉ですら、青年の口からはとても優しく響いた。 「ケルト、知ってる? 君がここに篭ってから、この国はずっと戦争をしてないんだ」  ケルトは不思議そうに青年を見上げる。  それは、そうだろう。  そのために、自分はこんな体になったのだから。 「この国だけじゃない。ケルトが居るこの山は国境に近いから、隣国にも沢山魔物が……あ、君の言う魔獣だね。魔獣が降りてるんだ」 「……っ」  リンデルの言葉にケルトが顔を背ける。 「ケルトを責めてるんじゃないよ?」  じわりと滲んだ少年の輪郭を撫でて、リンデルが胸元に少年の頭を寄せる。  闇が滲んでいるのに、痛いはずなのに、この金色の青年は何度も何度もオレに触れる。  どうしたら良いのかわからなくなって、ケルトは縋るようにリンデルを見上げた。  リンデルはなんでもないようにふわりと微笑んで、ケルトを優しく撫でた。 「続きを話してもいい?」  尋ねられて、ケルトがコクリと頷く。 「あ、その前に。ケルトの話はあそこでおしまい?」 「ん……」  ケルトがもう一度コクリと頷いた。 「辛い話をさせてしまってごめんね。話してくれて、本当にありがとう」  リンデルは真摯に頭を下げた。  こんな、膝の上にすっぽりおさまるくらいの、こんなちっぽけなオレに。  今日出会ったばかりだというのに、この人は『ありがとう』と、もうオレに三度は言った。  その言葉は、オレがずっと欲しかった言葉だ。  欲しくて、欲しくて、精一杯頑張って、でもずっと手に入らなかった言葉だ。  じわりと滲んだのは、輪郭ではなく視界だった。 「っ……」  ぽろりと零れた涙を、まるで当然のようにリンデルの指が拭った。  しばらくの間、少年の嗚咽がおさまるまで、リンデルは何も言わずに少年の赤い髪を繰り返し優しく撫でていた。  そんなリンデルの後ろでは、ロッソが夕食の支度を進めていた。  日はまだ陰るほどではなかったが、先の読めない戦況では、何にしろ早めにしておいた方がいい。  カースもようやく起き上がれるようになったのか、洞穴に続く崖の壁面に背を預けて座り込んでいるが、まだあまり顔色は良くなさそうだ。  リンデルは、ケルトが落ち着いてきたことを感じ取ると、自分の胸元に額を押し付けたまま、時折小さな肩を震わせている少年に向かってゆっくりと語りはじめた。 「ケルトが戦争をおさめるまで、この辺りはどこも地続きで国が隣接していたから、本当に昔からずっと、戦争が絶えなかったんだって」  ケルトは顔を上げなかったが、リンデルは聞いてもらえていると感じた。 「でも、ケルトが山に篭ってからの三百年以上、戦争は一度も起こってないんだ」  リンデルの言葉を、カースも、ロッソも静かに聞いていた。 「現に俺は戦争を知らないし、俺の両親もそうだったよ。俺が、人同士で殺し合うそんな悲惨な戦争を知らずに暮らせたのは、ケルトのおかげなんだ」  少年の肩がピクリと揺れる。 「どこからともなく不定期に現れる魔物という脅威を前に、人々は一致団結したんだよ。今では隣国とはどこも友好的な関係を築けてる。いざ大量の魔物が出た時には、国境を超えて協力し合える協定だってある」  リンデルは知っていた。  魔物に殺された大勢の人達を。  その中には、リンデルの大切な人も沢山いた。  魔物に家族を殺され、残された人がどんなにいるのかも知っている。  自分だって両親は魔物に喰われたし、カースの腕だって、魔物に千切られた。  勇者だった頃は、魔物がいなくなれば世界は平和になると信じていた。  けれど、そうではなかった。  王や、歴史をよく知る者達は、それを知っていた。  だから、全面的に魔物の根源を退治しようとはしなかった。  ただ、それを生み出した国としての義務感はあったのだろう。  結果、時に条件を満たした勇者だけを、この山へと向かわせた……。  リンデルは深く息を吸い込むと、静かに吐き切る。  後ろで話を聞いているカースとロッソの気配を感じる。  魔物がいなければ、カースに会う事はなかった。  勇者という存在もなかっただろうし、当然、ロッソに会うこともなかった。  隊長や大勢の隊員達。  リンデルにとって大事な人達は皆、魔物を倒すために集まった仲間だった。 「……全部、ケルトがいてくれたからだよ」  リンデルは心からの感謝を込めて、伝えた。  ガバッと、ケルトが涙でグチャグチャになった顔を上げる。 「な……なん、で……」  リンデルが、ちょっと悩んでからそれを自分の袖で拭こうとするところへ、ロッソが横から布を差し出した。  ケルトはそれを受け取ると、派手に号泣した。  リンデルは、そんなケルトをよしよしと撫でながら囁く。 「今までひとりで大変だったね。よく頑張ったね……。本当にありがとう……」  ケルトの輪郭は、もう滲まなかった。

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