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大好き

「ただいま」  リンデルはケルトの状態が安定していると判断して、一度簡易テントに戻った。  床ではカースがまだ苦悶の表情を浮かべたまま、眠っていた。 「カース……」  リンデルに、ロッソが状況を報告する。  痛みが半減する程度には、穢れを払ったこと。  それでも目を覚ます様子がないこと。  そして、時々うわ言のように、リンデルの名を呼んでいること。  報告に、金色の瞳が揺れる。  ロッソは「朝食の支度をしてまいります」と言い残すと、テントを後にした。  リンデルは男へ口付ける。  唇から刺さるビリッとした痛みは、直接頭を灼くようだった。  思わず顔を顰めてから、昨夜のことを思い出す。  カースはこんな痛みを受けながら、俺の頭の穢れを落としてくれたのか……。  リンデルは、男の閉じたままの瞼へ、目元へ、額へ、髪へと口付けを降らせる。  無理をさせたのは自分だ。  彼をこんな目に遭わせてしまったのは、全て自分だった。  このまま……、このまま男は目を覚さないのではと思うと、堪えきれず涙が溢れた。  どうか、目を覚ましてほしい。  ほんの少しでいい。その瞳で俺を見てほしい。  そうすれば、この不安も恐怖も、吹き飛ぶはずだった。  けれど、リンデルの願いも虚しく、カースは眉間の皺を濃くした。 「……っ……」  カースの唇が僅かに動く。  震えるようなその動きをじっと見つめていると、カースは掠れた声で、小さくリンデルの名を呼んだ。  それはリンデルが恐怖から男に縋ろうと必死になっているような、助けを求める声ではなかった。  まるで、愛してると、大丈夫だと、囁かれたようだった。  リンデルは理解する。  彼は、苦しい夢の中でもなお、俺を守ろうとしてくれているのだと。  そんな彼に、自分の恐怖を押し付けようとしていたなんて。と、気付いてリンデルは自分を恥じた。 「ごめん、カース……。俺も愛してるよ。カースを誰より、愛してる……」  愛をひたすらに込めて、リンデルは男に深く口付けた。  どうか目覚めてほしい。  でもそれは、俺のためにじゃなく。  カースの未来のために……。  カースの寄せられていた眉がじわりと解けてゆく。  この人は、出会ったばかりの頃はいつも顰め面だったな、とリンデルは思い出す。  言動の端々から、死に焦がれながらも生に縛り付けられている苦悩が見え隠れする度、この男は一体全体どんなに辛いことばかりの人生だったのかと、子ども心に思ったものだった。  だから最初の頃は、眠っている時の、穏やかな顔を見るのが好きだった。  ……いつからだろう。  自分の前でだけ、その眉を弛めてくれるようになったのは。  いつからこの男は、こんなに俺を愛してくれていたんだろう。  瞼の裏に男の微笑みが浮かぶ。  男はいつも、眩しそうに目を細めて俺を優しく見つめてくれた。  口元は緩やかにほどける程度の、淡い微笑み。  それが俺へ向けてくれる普段の笑顔。俺の大好きな顔だ。  冗談を言ったりする時の、不敵に口端だけを持ち上げた笑顔も、かっこよくて好きだ。  大口を開けて笑うことの滅多にない男が、ほんの時々ハハハと声を上げて笑う様も、なんだか少し幼く見えて、たまらなく好きだった。  リンデルは愛に導かれて、男の鼻先に、瞼に、そっと口付けを献げる。  弾ける痛みすら、今はどこか優しく感じられた。 「カース……大好きだよ……」  夢の中で、カースは暗闇の中にいた。  前も後ろも分からない暗闇の中で、ろくに息も出来ずに、男は足掻いていた。  リンデルは無事だろうか……。  そればかりが気にかかる。  まだ男にはあの青年に注げる愛がいくらでもあるというのに、力及ばず、意識を保てなかった。  それが悔しくて、どうしようもなく歯痒い。  リンデルはあの性格だから、一人で無理をして、なんでもないふりをして、一人きりで痛みに耐えているんじゃないか、と。  そう思うと、心が掻き毟られるようだった。  ふと、男はリンデルに呼ばれたような気がして、そちらを見上げる。  僅かに差し込んできた金色の光は、次第におひさまのようにあたたかな光の奔流となって、男に纏わりついていた闇を見る間に洗い流してゆく。  ああ、リンデルだ。と男は思う。  リンデルはまさに、男にとって光そのものだった。  リンデルが、俺を呼んでいる……。  そうして、男は目を覚ました。 「おはよう、カース」  目の前には、リンデルの顔があった。  その顔は嬉しそうな、泣き出しそうな顔をしていた。 「ああ、おはよう……」  滲んだ瞳に覗き込まれて、カースは否が応でもゼフィアを思い出した。  失神から目覚めれば、いつもあいつの泣き顔があった。  自分で飛ばしておきながら、意識を失った俺が目覚めるまで、ずっと傍を離れなかったあの男……。  今までずっと認められなかったことが、この時のカースには、なぜかストンと受け入れられた。  果てしなく歪んではいたが、ゼフィアも俺を愛していたのだと。 「……カース?」  ぼんやりとした男の様子に、リンデルが不安そうな声で尋ねる。 「ああ、いや……なんでもな……」 「ぜフィアのこと、考えてたでしょ」  言われて、カースはギクリと表情を硬くする。 「なっ、お前……っ」 「俺だって知ってるよ。カースがお頭のこと好きなのくらい」  言われて、カースは目を見開いた。  しばらく考え込むように俯いて、それから小さく呟いた。 「………………そう……、だったのか…………」  ようやくカースはそれに気付いた。  何をされても、いつも結局、心のどこかであいつを許していた俺も……。  そう、俺も……、知らないうちに、あいつを、愛していたんだ……。 「……俺は、正直気付いてほしくなかったけど」  と前置きをして、リンデルが続ける。 「ここから先は、少しでも愛は多い方が良さそうだからね」  そう呟いたリンデルの横顔は、いつの間にか歴戦の勇者のそれになっていた。 「カースを守れるなら、ちょっとくらい我慢するよ」 「リンデル……」  どこか遠いその横顔に思わず名を呼んだ男へ、リンデルはいつもの顔で心配そうに問いかける。 「どこか痛いところはない? 苦しいところは……?」  言われて、男は体の調子を確認する。  左眼はまだ痛んだが、驚いた事に全身の穢れはほとんど消えて無くなっていた。 「お前……一体、何をしたんだ……?」 「ん?」  リンデルが、全く身に覚えのなさそうな顔をして、くりっと首を傾げる。 「カースが大好きって気持ちで、キスした……くらいかな?」  男は唖然とした。  それだけで、こんなに穢れを払えるなんて……。  この青年は、本当に太陽のようだ。  溢れんばかりに愛を抱えて、それを必要な人に惜しみなく注げる……。  真の勇者というのは、こういう存在なんだろうか……。  リンデルは、男が自分の発言に呆れ返ったと思ったのか、今更恥ずかしそうにする。 「だって……カースが俺のこといつも大事にしてくれるから、嬉しくて……。カース、夢の中でも俺のこと心配してたでしょ?」  頬を染め嬉しそうに、しかしどこか拗ねたように、ぶつぶつと呟くリンデルのその落差に男は声を出して笑った。 「カ、カース……?」  カースは、片腕で腹を抱えながら、涙目で言った。 「……お前は、間違いなく、本物の勇者だよ……」  リンデルは、男の笑顔を胸いっぱいに吸い込んで、金色に微笑んだ。

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