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変わりゆくもの、変わらないもの (2/2)

 ***  キィ、と小さく軋んだ扉の音に、私は目を覚ました。  体を起こして音の方を見ると、まだ眠そうに目を擦る女性が「ごめんなさい、起こしちゃいましたか」と小声で謝った。  三つ子の母親だ。  私は「大丈夫ですよ」と答えると、今の三つ子の状態を手早く説明して、この中で一番空腹に近いと思われる子を抱き上げ、彼女に差し出す。 「ありがとうございます。…………その、……えっと……」  赤子を受け取った彼女は、何か言いたげに俯いた。  なんだろうか。彼女は意見をはっきり伝えるタイプで、こんな風にためらうことは珍しい。  考えるうちに、扉の向こうからもう一つ気配を感じる。 「ローラ、この時間にちゃんと起きてきたんだねー。えらいえらい」  ローラと呼ばれた三つ子の母が廊下を振り返って、ふにゃっと笑う。 「アミちゃーんっ、よかったぁ、ちょっと見てもらっていい?」 「もちろん。そのつもりで起きてきたんだから」 「うわーん、ありがとーーっっ」  なるほど、どうやら新米母は授乳に際して助言を必要としていたらしい。  それは流石に、私に問われたところで答えきれなかっただろう。  私は二人に、ここで飲ませる方が良ければ主人と共に席を外そうかと尋ねたが、二人はローラの部屋に移動すると言い、それぞれ子を抱いて出て行った。  自分で言うのも烏滸がましいが、私は自分の知識量には自信があった。  けれど、孤児院での生活を始めて、自分の知識がいかに偏った物だったのかと思い知らされた。  日常生活を送る上での知識や子育ての知識は、あの方が教えてくださった。  子育てに慣れがあると知った時には意外に思ったものだが、彼の居た盗賊団は規模が大きく、その中で子が生まれる事も度々あったようだ。  そうして私は、自身が子どもの頃に得られなかった体験を孤児院の子ども達に重ねて、なぞって、心が育つ瞬間を間近で見つめることで、自分の心の空白までもが埋まったような気がしていた。  だが、こうして自分達の育てた子どもたちが子を産んで、改めて、自分にはまだまだ知らない事が沢山あるのだと思い知る。  以前の私にとって『知らない事』というのは、あってはならない物だった。  私は勇者様とそれに関わる全ての事項に関して、その全てを把握しておかなくてはならなかった。  それなのに、今の私は、自分の知らない事がまだこんなにあるこの世界を、好ましいとさえ感じている。  こんな風に思える日が、私に訪れるだなんて。  あの頃の私には、想像すらできないだろう。  思わず緩んでしまいそうな口元をそのままに、私はもう一度布団に潜り込む。 「……ん? ロッソ、今笑った?」  主人が眠そうな声で私に尋ねる。  顔を上げると、窓際に座る主人の半分だけ開かれた瞳が、カーテンの隙間から差す月の光を受けてとろりと金色に輝いていた。  私が笑ったかどうかなんて、確認する必要はどこにもないと思うのだが。  私は内心で首を傾げながらも「はい、少し」と答える。 「そっか……。よかったね……」  主人は幸せそうに目を細めると「ロッソ、長生きしてね」と呟いて、微笑みを残したまま眠りについた。  主人もおそらく彼女達が部屋に来た時には起きたのだろう。  しかし自分の手は必要ないと判断してそのまま寝たふりをしていた。  ……だというのに、どうしてわざわざこんな些細な私の様子を尋ねたのだろうか。 『よかったね』と優しく呟いた主人の声。  思い返すと、不思議と胸が温まる。  私は目を閉じて、身体を休ませながら考える。 『長生きして』というのは、命令だろうか。  命であろうとなかろうと、私は、十一歳年下の主人が八十まで生きるのなら九十一まで、九十まで生きるのならば百一まで、なんとしてでも生きているつもりだ。  主人には、もう二度とあんな顔をさせない。  もちろん、私が死んでも、あの方が亡くなった時ほど落ち込みはしないだろうが、それでも優しい主人が悲しむ事は間違いないだろう。  それに、私以外の誰かに主人の葬儀を任せるなど考えられない。  歴史に名を残す事よりも、ここでの平穏な暮らしを望んだ主人。  真の勇者と呼ばれるべき方の最後は、私がこの手で完璧に整える。  勇者様の人生に有終の美を飾る役目、これだけは、誰にも譲るつもりはない。  そこまで考えてから、私は寝返りを打った。  心地よい眠気が、もうすぐそこまで来ている。  主人と出会うまでの私は、長く生きたいなんて微塵も思わなかった。  それどころか、さっさと戦場で勇者様を守って死ぬ事ができれば良いのに、とすら思っていた。  それならば、家族にも国にも面目は立つ。私の生まれた意味だって残る。  両親や関係者は多少残念には思うだろう。  時間をかけて育てたものがダメになったとなれば、誰しもかけた時間を惜しく思うものだ。  それでもきっと私の死を悲しむ者はいない。  私は、この国にとって駒の一つでしかないのだから。  けれど、私の願いとは裏腹に、前の主人はご自身の命を一番に考える方だったので、危険な場所には一切近付かなかった。  だというのに、今の主人ときたら一転して、困っている人を見れば自分の身すら顧みずに飛び出してしまう。  たとえ庇う形だったとしても、こんな無鉄砲な方を戦場に置いて私が逝くわけにはいかなかった。  私が目を離してしまえば、次の瞬間には主人まで亡くなってしまいそうで、私は主人と自分の命を守ることに注力せざるをえなかった。  主人の側で、必死に魔物と命のやり取りを続ける日々。  あの頃は、どう動けば主人が怪我をせずに済むのか、勇者としての立場を潰さずにいられるかで頭がいっぱいで、死にたいなんて考えている余裕すらなかった。  魔物は出るのは当たり前で、そうでない未来なんて考えたこともなかったのに……。  ……主人は、あの頃から……私とは違う未来を見ていたのだろうか……。  こんな風に……、魔物が根絶した世界で……。  私が……、まさか長生きをしようと、思っているような……未来、が……。  私を誘う眠気に、私は抗わず身を任せる。  ふと、主人と見送ったあの方の言葉が胸をよぎった。 『人なんて簡単には変わんねぇけどな。考え方ってのは、意外と変わってくもんなんだよ。……お前も、もうちょい生きてみれば分かるさ』  ……私の……考えも……、まだ、変わるの……でしょうか…………?  この日、私に長く生きることを願った主人の優しさを、私が本当に理解できたのは、これよりもずっと先の未来だった。

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