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三、楪

(山神様はどんなお方だろう。怖い方だろうか······花嫁として捧げられるというけれど、所詮は贄。すぐに食べられてしまうのかな?)  不安な思いもあったが、一生をここで終えるくらいなら、ひと思いに食べられてしまうのも悪くないのかもしれない。 (外のセカイはどんな感じなんだろう?)  食べられてしまう前に、この目に焼き付けられたら、いい。  昔は聞こえてくる音や小窓から見えるものを、両親に問う事が多かった。四季折々、小窓から降ってくる花びらや一輪花、鳥の鳴き声、外から聴こえてくる様々な音。色んなものに興味を惹かれることが多かったが、いつからかそれもやめてしまった。知ったところで、無意味だと。何年もここで過ごすうちに悟ってしまったのだ。 (もし、山神様が優しいお方で、贄として私を食べることなく、本当のお嫁さんとして迎えてくれたなら······一緒に、色んな景色を見てみたいな、)  そんなことは、夢のまた夢だろうけれど。  未来のない自分。ささやかな夢を見るくらい、許されるだろう。でも、もし。そんな奇跡みたいなことが起こるのなら······と、希望を抱いては暗い気持ちになる。期待をすればするほど、やがて訪れる虚しさだけが残った。  そして数日後、鍵の付いた扉が開かれる。最後に開かれてからいったいどれだけの年月が経っただろうか。まだ夜も明けない頃、その先に立っていた女性はどこか悲し気に微笑んでいた。この女性がおそらく"お母さん"だ。  幼い頃の記憶を辿ってもまったく思い出せなかったその顔は、懐かしいという感情さえ置き去りにして、楪を困惑させた。しかしそんな感情とは別に、声の印象と顔にあまりズレがなかったのは、思い出せないはずの記憶の奥底に、ほんの少し残っていた欠片があったからかもしれない。  無言で淡々と着飾られ、時折そっと触れられた肩や頬に優しさを覚えながら、白無垢姿の花嫁が完成する。火鉢の橙色の火の粉に照らされたせいか、色白な頬が少しだけ染まっていた。長く伸びた薄茶色の髪の毛を綺麗に整えられ、最後は唇に小指で丁寧に紅が塗られていく。他人(ひと)に触れられるという感覚を忘れていた楪には、不思議な感覚だった。 「楪、大きくなりましたね······今まで寂しい思いをした分、山神様にたくさん愛されますように、」  ぎゅっと遠慮がちに抱きしめられ、そのあたたかさにしばらく身を委ねながら、母が願ったある言葉(・・・・)が引っかかっていた。 (あいされる······?)  花嫁といってもただの生贄で、捧げられたらもう、ここに戻ることすら叶わない。閉じ込められて一生を終えるのと、村のみんなのために食べられて終えるのと、いったいどちらが幸せなのだろう。  途中からそんなことをぐるぐると考えていたら、ぬくもりがゆっくりと離れていき、最後に顔を隠すための白い面紗を頭から被せられる。薄い布に隔たれてこちらを見つめているだろう母の顔が、よく見えない。小窓から覗く空はいつの間にか明るくなっていた。 「花嫁の顔は父親でも見せられない決まりなの」  行きましょう、と手を引かれ、楪は自分の意思とは関係なく扉の外へと連れ出される。  あの四畳半の部屋は屋敷の一番奥にあったようだ。長い廊下を進むと、白い面紗の奥から薄っすらと見えた影。背の高いひとが立っているようだった。おそらく、"お父さん"だろう。 「楪、準備は整ったね。村の掟とはいえ、これまでたくさん我慢をさせてしまったこと、すまないと思っている。これから先、お前は山神様のものとなる身。どうか、末永く幸せになって欲しい」  その言葉が真実なのか偽りなのか、楪にはまったくわからなかった。幸せに、なんて。そんなことあり得るのだろうか?  楪はただ小さく頷いた。そうだったなら、いい。けれども、幸せとはなんだろう? わからない。誰も教えてはくれなかったから。  ふたりに連れられ、外へと一歩踏み出す。昨日から降り続いた雪が地面を真っ白に染めていた。屋敷の前には村人たちが顔を揃えており、その真ん中に人ひとり乗れそうな四角い籠が置かれ、担ぎ手の男たちがそれぞれ四隅に立っていた。  雪。  足もと。草履に染み込むそれは、白くて冷たい。  光。  白い面紗の奥で、眩しくて思わず目を細めた。 「花嫁は山の頂に着き、男たちがそこから離れるまで、けして言葉を発してはならぬ。お前たちも、なにがあっても触れてはならぬ。けして、だ」  はい、と担ぎ手たちは大きく頷く。頂までは半日はかかるだろう。なにがあっても、という年老いた男の言葉はとても重く聞こえ、楪はなんだか緊張してしまった。籠に導かれ、ゆっくりと慣れない乗り物に腰を下ろす。お世辞にも居心地が良い場所ではなく、あの四畳半の部屋の方がずっとマシだった。  両親や村の者たちが見守る中、持ち上げられた籠が動き出す。そこにいる者たちは、儀礼的な祈りを捧げ始めた。  山神様の花嫁として生まれた、存在(モノ)。  村の贄として選ばれた少年に、皆、心からの感謝をしながら――――。

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