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四、銀花

 銀花(ぎんか)に手を引かれながら、(ゆずりは)は慣れない足取りでついて行く。こんなにたくさん歩いたのははじめてで、視界に飛び込んでくるものすべてが興味の対象になっていた。 「楪、疲れてはいないか?」 「あ、えっと····、だいじょぶ、です」  そう答えたのだが、訊ねられてすぐに歩が先ほどよりも遅くなった気がした。本当は慣れない履物で少しだけ足が痛かったので、楪はほっと胸を撫で下ろした。少しの我儘を口にするのも怖くて。昔から、そうだったように。自分の願いなど持たないようにしてきた癖が、ここにきて邪魔をする。  自分の手と繋がれた、銀花の右手首を飾る腕輪。歩く度にリンと透き通るような美しい鈴の音があたりに響いた。そんな中、楪の目に飛び込んで来たもの。長い耳をした真白い生き物が大小二匹、少し離れた場所で戯れているのが見えた。 「銀花様、あれはなんですか?」 「あれ? ああ、野うさぎの親子だな」  足を止め、銀花は答える。楪が目を輝かせて野うさぎの動きを見つめていた。本来は褐色の毛に覆われ、腹の部分だけ白いものがほとんどだが、不思議なことに冬の頃は体毛が抜けて白くなるのだ。  目の前にいる親子も白く、ぴょんぴょんと跳ねて移動している。じっとしていたら雪に紛れて見失いそうだ。 「野うさぎ、可愛いですね」  そう言って微笑む楪は、どこまでも純粋で可愛らしかった。銀花は少しだけ表情を崩して、そんな花嫁に見惚れてしまう。 「物心ついた頃から部屋から出ることを許されていませんでしたし、一度も屋敷の外に出た事もありませんでした。だから、今、この目に映るもの、そのすべてがはじめてで、私、すごく嬉しいんです」  雪ばかりの山には、枯れた木と青々しい竹林があるだけで、生き物も少なく寂しい印象さえある。しかし、外のセカイを知らなかった楪には、視界に映るすべてが美しく見えた。 「俺のせいだな。すまない。代替わりをした山神の(つがい)に選ばれたせいで、辛い思いをさせた」 「そんなこと、ないです。たとえこの身を食べられてしまっても、私はこの景色が見られただけで幸せです。銀花様と最期にお話ができて、幸せです」 「食べられる? さいご?」  怪訝そうに眉を顰めて、その秀麗な顔に浮かんだ表情。楪はそれに対して首を傾げる。なにか間違っていただろうか? 「違うんですか? 花嫁というのは名目で、贄として食べられるんじゃ······」 「花嫁の役割は、俺と一生共にいることだ。なぜ俺がお前を食べるんだ?」  盛大に勘違いをしている花嫁に、銀花は思わず笑ってしまう。山神の花嫁となる者がどんな役割を担っているのか、教えてやる必要があるようだ。  山神はある一定の周期で代替わりをする。前の山神はすでにこの山を去っており、代わりに選ばれた銀花がその役割を担っていた。山神の役割は、どこからか生まれる"穢れ"をその身に宿すこと。  花嫁の役割はそんな山神に喰われることではなく、その身に宿した"穢れ"を浄化すること。穢れのない清らかな身はそのためのもので、山神と"真の番"となることでその能力が発揮される。 「ええっと、真の番ってなんですか?」  銀花は本当になにもわかっていない純粋な少年に対して、握っていた手を離しそっと抱き寄せた。そして耳元で囁くようにその答えを告げる。 「身も心も俺のものになること」 「で、でも、私は、男ですよ? 身も心もって······どうしたら、」  抱きしめられたまま、動揺しつつも疑問ばかりが頭を巡る。そう、楪は見た目こそ少女のように可憐だが、身も心も男なのだ。銀花がどんなに秀麗で素敵な旦那様でも、そもそも他人と話したことも触れたこともない楪は、その手のことに関してもまったく経験がなかった。  それなのに心臓はばくばくと大きく音を立てている。ここに来る前、母親から同じように抱きしめられたが、こんな風にはならなかった。 「何事もやってみなければわからない。まあ、今の頃はそこまで"穢れ"も多くないから、気長にいこう。俺も無理強いはしたくない。けれども、お前は俺の花嫁であり唯一無二の番だ。お前もそのつもりでいて欲しい」  離れた身体に安堵しつつも、薄れていくぬくもりに心臓の音も少しずつ元に戻って行き、今度は物足りなさを感じた。あの心地好いぬくもりにずっと包まれていたいと思ってしまった自分が恥ずかしくなり、色白な頬も耳も真っ赤になっていた。 「頬が赤い。ひとの子は弱いから、病にでもなったら心配だ。もっと色々と見たいだろうが、まずは俺の(やしろ)に急ぐことにしよう」  赤く染まっている理由を勘違いした銀花は、再び楪を引き寄せてその軽い身体を抱き上げると、地面から空へと舞い上がった。

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