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五、はじめてをあげる
地面から遠く離れ、空に浮いている事を驚いている間もなく、目下に広がる白を纏った木々、冷たい空気、近くなった青い空に感動してしまう。
「銀花 様、すごいです! 私たち、空を飛んでますよ! 地面があんなに遠くに見えます!」
実際は銀花が飛んでいて、楪 はただ抱き上げられている状態なのだが、本人が楽しそうなのであえてなにも言わなかった。
「寒くないか? 少し我慢してくれ。社に着けば俺の領域だから、寒さも暑さも感じなくなる」
「大丈夫です。寒いのも暑いのも生きている証拠ですから」
そうか、と銀花は楪を見つめて優しく頷く。本当は少しだけ不安もあった。自分の番 が、自分を拒絶したらと。
皆が皆、楪のように真白い心の持ち主ではない。そもそも何年も幽閉されて生きてきた者が、こんな風に純真無垢であることなど稀だろう。
もし形だけの番となれば、その心を無視して役割だけを受け入れてもらうしかなくなる。そうしなければ山神が穢れ祟神となってしまうからだ。祟神になれば山どころか村まで吞み込み、この地全体に穢れを広めてしまうことになる。
穢れはひとを死に追いやる。
そこからまた穢れが生まれる。
そうなっていないのは、今までの花嫁が良くも悪くも役割を果たしたからだろう。できることならば、楪には望んだ上でその役割を受け入れて欲しいと思っている。
籠から出て来た楪の花嫁姿を目にした時、銀花は一瞬にして心を奪われた。番として生まれて来た目の前の者と、一生添い遂げようと思った。その想いは、言葉を交わし、触れ、楪を知る度に強くなる。
「銀花様は代替わりで山神様になったと聞きましたが、その前はどんな神様だったんですか?」
「ああ。俺は元々この山で生まれた神狐の類で、前任の山神は神格化した狼だった。この山はそういう者たちに昔から守られていて、代替わりは前任者からの指名で選ばれるんだ」
楪は自分で訊いておいて、色々と出て来た言葉をすべては理解はできなかった。でもなんとなく銀花の事が知れたので満足する。
「私、春も夏も秋も、ちゃんとこの目で見たことがありません。銀花様は見たことがありますか?」
「この山の春は野桜が綺麗だな。夏は蝉が煩い。秋は木々が黄色や赤に色付いて、圧倒される。お前もきっと気に入るだろう」
「蝉は知ってます!」
得意げに楪はそう言ったが、実際には鳴き声を聞いたことがあるだけで、どんな姿かは見たことはなかった。
「あんまりあれは、見て楽しいものではないよ」
夏は蝉が煩い、と言った銀花。蝉はあんまり好きではないようだ。
そんな他愛のない会話をしている内に、着いたよと銀花が言うが、そこには建物などどこにもなかったので、楪はこてんと首を傾げた。しかし不思議なことに、ある一定の距離に地面が近付いた時、目の前の景色が一変する。
そこに現われたのは、確かに立派な社。先程まで広がっていた雪景色は消え、代わりに青々とした竹林が広がっていた。社の周りをぐるりと囲むように伸びるその竹林は、まるで天に届きそうなほど背が高かった。
「ここが今日からお前の住まいでもある。俺と一緒じゃないと出られないから、外に行きたい時は遠慮なく言ってくれ」
楪を抱き上げたまま、地面に降り立った銀花がゆっくりと歩き出す。
「自分の足で歩いてもいいですか?」
「俺はこのままでもいいけど、お前がそうしたいのなら」
残念そうに楪を下ろすと、代わりにその手を取って一緒に歩き出す。楪はひとりでも大丈夫なのに、と思ったが、すぐに違うものに興味を惹かれた。
社の左右にある小さな池。そこに浮かぶ花たちがあまりにも美しくて、「あれはなんですか?」と銀花に訊ねた。
「あれは蓮の花だよ。綺麗だろう?」
「はい! 近くで見てもいいですか?」
もちろん、と銀花は蓮の花が咲く池の前まで導く。初めて見る蓮の花を色んな角度から観察し始める楪を、飽きることなく見つめていた。こんな風にどんなものにでも驚いてくれるので、それを教える銀花も気分が良かった。
「これからはたくさんの"はじめて"を、お前にあげるよ」
「はじめてばかりですけど、どうぞよろしくお願いします」
満面の笑みを浮かべて見上げてくる楪の頬にそっと触れ、銀花は「こちらこそ」と同じように笑みを浮かべるのだった。
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