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十六、蛭子
怖いよぉ……怖いよぉ……。
寂しいよぉ……痛いよぉ……。
苦しいよぉ……お母さん……。
なにも見えない暗い場所で、蠢くものに身体中を啄まれるように少しずつ喰われていく。意識だけが残っていて、喰われているという感覚はある。耳の奥に響いてくる幼い子どもの悲痛な声を聞きながら、自分の身体の内側から聞こえてくる咀嚼音に身を委ねる。
繰り返し繰り返し。再生しては捕食され、捕食されては再生し、終わらない食物連鎖がこの身を蝕む。千切れた臓物も溢れては吸われる血も、失った分だけ生まれる。
(ボクは、いったい何者なのだろう?)
闇の中、仰向けの状態で漂う同じ色の長い髪の毛。顔の右半分が隠れており、左半分から覗く虚ろな瞳は紅玉色をしていた。屍人 のような生白い頬には、いつのものかわからない、飛び散った自身の血や肉片がこびりついていた。
手足が隠れている長い袖や裾の黒衣を纏い、腹の辺りには大小異なる蛭のバケモノが何十匹も這いずり回っている。くちゃくちゃねちゃねちゃと気持ちの悪い音が途切れることなく響き続け、蠱毒の中の蟲が最後の一匹になるまで終わらないのだろう。
「それ、痛くないわけ?」
紅玉の左眼が細められる。またか、と。先ほどまでの無から、心底うんざりした表情に変わる。ここ数日、時折声をかけてくる者がいた。蛭のバケモノが蠢く穴の中で、身体を喰われ続けている姿を上から見下ろしてくるその者は、ヘラヘラとした口調で話しかけてくるのだ。
その小さな身体を寝かせた状態でちょうど入るくらいの穴。落ちたら大人でもひとりでは這い上がることは不可能なくらいの深さ。朝も昼も夜もわからないし、洞穴の中に作られた深い穴のため、光が届くこともない。
「ここから出たいなら、手を貸してやるよ」
別に必要ない。
言葉を紡ぐ気力もない。
しかし耳の奥から聞こえる声は、穴を覗いてくる変な奴に対して喧しいくらい反応している。
『助けて……助けて……帰りたい……お家に帰りたい……お腹すいた……帰りたい』
何重にも聞こえる声はすべて子どもの声。ここで生まれ、ここから出る選択肢などなかった自身の運命は、目覚めた時から理解している。
もう随分と長い間、ここに棲まう蛭のバケモノたちに蝕まれ続けているはずなのに、どれだけ欠けても無くならない。永遠に与えられ続ける贄なのだろうと、信じて疑わない自分がいる。
「俺は黒鴉 。この辺りに住んでる鴉なんだけど、そっちは?」
無視。
ずっとひとりで話している煩い鴉に、応える気力も義理もない。どうせ気まぐれだろうし、飽きればさっさといなくなるだろうと。そう、思っていたのだけれど。
「この地の穢れの原因であるこの場所で、それを生み出している存在ってことか? だとしても、それは自分の意思じゃなさそうだな」
なんのことだろうか。
穢れの原因。
生み出している存在?
いずれにしても、自分にはどうでもいいこと。
「まあ、そうだな。とりあえずここから出よっか」
その鴉はひとりで納得して、あろうことか穴に飛び込んできたのだ。自身の足下にいる蠢くモノたちを容赦なく踏みつけ、新しい獲物を見つけたかのように集 っていった蟲たちが、一瞬にして内側から弾けて飛び散った。
「うわぁ……、」
自分でやっておいて、その残骸に大袈裟に顔を歪める。しかし穴の中は肥えた蟲たちで溢れているため、すぐに次の層が屍人の肉に群がり始める。
「うねうねして気色悪! よくこんな場所で平気な顔して寝てられるなっ」
「……起き上がるのが面倒なだけ」
それに、ずっと喰われ続けているせいで色々と足りないままなのだ。
「内臓垂れてるけど、ホントに再生できるんだよな? ぐちゃぐちゃすぎてさすがに引くわ」
「じゃあさっさと捨てればいい。別に痛くも痒くもないよ」
「そっか、なら安心した」
掬い上げるように抱き上げられ、今の今まで身体の上を這いずっていた蛭たちがぼたぼたと落ちていく。成長することのない幼い身体。屍人は無感情のまま鴉をじっと見つめていた。やがて翼を最小限に広げた鴉が穴の中から飛び立った。感じたことのない頬を撫でる風に、屍人は思わず左眼を瞑る。
「案外簡単だったろ? 出ようと思えばいつでも出られたんだよ」
鴉は得意げにそういって、満面の笑みを浮かべた。それは見たこともない太陽のようだと、屍人は思った。抱き上げられたまま暗い洞穴を抜けて、その頃には身体は完全に再生していて、はみ出ていた臓物も綺麗に腹の中におさまっていた。
「放っておけばいいのに、なんで助けた?」
「なんでって言われてもなぁ。たまたま?」
軽い口調は彼の癖なのだろう。どこかの山のどこかの洞穴。一生あそこで贄として死んだように生きていくのだと。それが当たり前のことだと思っていたのに。
眼前に広がるは、真っ白なセカイ。
「お、ほら、ちょうど太陽が昇ってきた。あ、溶けて無くなったりしないよな?」
ゆっくりと。
丸く大きな光が薄闇色の空を眩しいほどの白に塗り替えていく。光に反射した白い地面がキラキラと輝いていて。
はじめて見るそれは、まるで。
「……蛭子 。遠い昔に一度だけ、そう、呼ばれた気がする」
まるで、この世の終わりのようだと。
蛭子はその血のような紅玉色の瞳で、夜明けの空を照らす太陽を見据えた。
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